東條家と阿方家の友好関係
夏の盛りは過ぎたとはいえ、まだ暑さの残る9月1日。新学期が始まった。
エノシマは真新しいランドセルを背負い、近くの小学校へ通うことになった。買ったばかりの子供服を着て、深く深く溜め息を吐く。
「もう魔術は使えんから、ここから先は普通科に通うしかないのう。せっかく覚えた魔術も水の泡か。仕方ないとはいえ、面倒じゃのう」
それを笑って見ているのは、スーツ姿のお姉ちゃんだ。
「まぁ、新たな人生のスタートだと思えばいいじゃない。エノシマさんは学校ではただの10才の子供。新しい友達も作らなきゃね」
「あぁ面倒じゃ。しかし、平和が訪れた代償と考えれば、安いものか……。ではな、由比。御主も魔術の勉学に励むのじゃぞ」
「エノシマこそ、普通の勉強頑張ってね」
エノシマは「いーっ」と歯を出して玄関を出ていく。
それを追うようにお姉ちゃんと弟切さんもついていった。編入手続きはもう終わっているが、転校初日ということもあり、保護者が付き添わなくてはいけないそうだ。
「さて、私も学校に行かないと。テオ、お兄ちゃんとお留守番、頼んだよ」
「うん、いってらっしゃい、ゆい」
テオは大きな手を振って私を見送ってくれた。
学校への道すがら、見慣れた頭が前に見えた。朝日を浴びて青く反射する黒髪は長く、背中につくほどのポニーテール。きっと下ろしたら腰に届くであろうその髪は、歩く度にゆらゆらと揺れる。
「阿方くん! おはよう」
私の声に驚いたように、彼はこちらを振り向いた。
「うわ、東條かー。びっくりするじゃないか、急に声をかけられたら。おはよう。朝から元気だなぁ」
「別に飛びついた訳じゃないんだからいいじゃない」
「まぁなぁ。いくらなんでも女の子に飛びつかれたら俺も動揺するよ」
目鼻立ちの整った容貌をすこし崩し、阿方くんは笑う。
阿方清輔。
彼もうちほどではないが、古くから魔術に精通した家に生まれたエリートだ。
阿方の家は水の魔術を得意としており、代々水の精霊と契約していて、そのルーツは江戸時代にまで遡る。
彼のご先祖様はアーティズムからやってきた美しいマーメイドと結婚し、子を成した。
その子孫が彼だ。青を帯びた黒髪と、足の脛に小さく残る、鱗のなごりと思われるひとつの丸い痣がその証拠。
今では禁止されている異世界の住人との結婚だか、これは明治時代に入ってから整えられた法整備で、その当時は問題なかったらしい。
彼の長い黒髪は、そのマーメイドの風習だそうで、生まれた子供は男女を問わず18を過ぎるまで魔力を帯びた髪を長く伸ばし、海の邪気を払う為なのだと、いつだったか教えてくれた。
そんなに古くからある家柄なのに、魔術師連盟では蔑まれがちな立場にあるのは、やっぱり過去に亜人と婚姻した事が理由らしいけど、私たちは「大人はつまらない事にこだわるんだね」とぼんやり構えている。
魔術師として優秀な彼と仲良くなれたのは、劣等生と蔑まれていた私と、亜人の子孫として蔑まれていた彼の境遇が似ているからかも知れない。
「阿方くん、毎朝その長い髪の毛整えてるんでしょ? 大変だよね」
「結ぶだけだからそうでもないぞ? 俺は東條の短い髪の方が大変そうだと思うけどなぁ。寝癖がついたら面倒じゃないか」
「そっかぁ、私は好きで短くしてるんだけど、お互い一長一短って事だね」
「そういう事だなぁ」
学校への道を、のんびり、だらだらと話しながら歩く。
阿方くんは結構モテるので、他の女子の目が少し痛いが、お互い古い家柄同士ということもあり、彼とは仲良くさせてもらっている。
「そういや、東條。お前なんか雰囲気変わったよな。夏休みの間に何かあったのか?」
心臓がどきりと跳ね上がった。
まさか、この日本の存亡を賭けての激闘があったなんて、言える訳もない。
「そ、そうかなー? 多分召喚獣ができたからだと思うなぁー?」
「そうか、そういやそうだったな。お前、あの召喚獣すごいよな。テオって言ったっけ? ワーウルフってパワーありそうだし。普通は獰猛って言われてるワーウルフ従えるなんて珍しいよな。すごいと思うよ、俺」
「うん、テオ、カッコいいし、強いよ。私の自慢。優しい、いい子だよ」
「そんな召喚獣が召喚できるなんて、お前やっぱり『あの』東條の子だったんだなぁ。急にぱーって魔術に目覚めた感じ?」
「よく解んないけど、無我夢中だったから、そうかもしれない。でも、私がすごいんじゃなくて、テオがすごいんだから、私はそんなに変わってないと思うなぁ」
嘘をついている訳ではない。そう自分に言い聞かせながら私は必死で平静を装う。阿方くんは特に疑うこともない。そうこうしている間に学校に着き、洗いたての上履きを履くと阿方くんは私に言った。
「あ、俺図書室寄ってから教室行くから、先に行っていいぞ。じゃあ、また教室でな」
「うん、遅刻しないようにね」
「平気平気。じゃあな!」
長いポニーテールを揺らしながら、阿方くんは図書室の方へと歩き去る。そういえば彼は文芸部だったっけ。夏の間に何か本を借りていたのかも知れない。そう思いながら彼の背中を見送っていると、誰かが飛びついてきた。
「おっはよう、由比!」
「うわ、佳苗! びっくりしたぁ」
「びっくりさせたくて忍び寄ってたんだよー」
阿方くんとは違い、肩に届くほどの短いポニーテールを揺らし、親友が笑う。
「阿方くんと仲良さそうに話してたね? すごいなぁ、由比。勇気あるね。阿方くんのファンに、また陰口叩かれるよ?」
「仲が良いのは昔なじみだからだよ。それに、陰口なら慣れてるもん」
「嫌な慣れだなぁ、それ」
佳苗とふたり、笑いながら並んで歩く。
今日は始業式だけだから早く終わるが、本格的な授業はすぐにでも始まる。そう思うと少し億劫になってきて……。
「はぁ、また魔術の勉強かぁ……。面倒だなぁ……」
「ぼやかないぼやかない。目覚めたての新米魔術師さん」
思わず口をついて出た言葉がエノシマと同じだった事に気がついて、やっぱり彼女は自分なのだと、小さく笑いを噛み殺した。