スポーツと魔術学
「テオー、散歩行こうー」
「うん、ゆい!」
真夏の午前中、まだ日があまり照らないこの時間。アスファルトが熱を持つ前に、私はテオと散歩に出る。目的地は私の学校の向こうにある、幻獣を遊ばせることが出来る公園だ。
あそこは広いし、大きなアスレチックもあるから、体の大きなテオも自由に走り回れる。厳重に防御壁が張ってあるから、近隣の皆さんに何か被害を及ぼすこともない。
「テオはなるべく日陰を歩こうね。一応水筒は持っていくから、喉が渇いたらすぐに言うんだよ」
「わかった。ゆいはやさしいね」
「あはは、普通だよ」
私たちは歩きながら住宅街を抜け、学校の脇を通る。
その時だった。
「あ、おーい! 東條ー!」
不意に声をかけられ、周囲を見渡す。道路とグラウンドを隔てるフェンスの向こうから、手を振るのは白い帽子を被った坊主頭の砂月くんだ。
「砂月くん、部活?」
私がフェンスに歩み寄ると砂月くんはその白い歯を輝かせて嬉しそうに笑った。
「そう! ……つっても、まだまだ本格的な練習はさせてもらえないけどなー。おお、そいつが噂のお前の召喚獣かー! でっけーなー!」
「あ、うん。テオっていうんだ。テオ、この人、砂月くん。中学生の時のクラスメイト」
「さつき、はじめてきくなまえだから、だれかとおもった。ゆいの、ともだち?」
「ううん、クラスが一緒だっただけだよ」
「ひでぇな、東條ー! そこは友達って言っといてくれよォ」
むくれる砂月くんに笑いながら、私は素朴な疑問を投げかける。
「練習中に喋ってて大丈夫なの?」
「今は休憩中ー。あと5分くらいしたら再開だよ。千本ノック!」
「うひゃあ、大変だ……」
「魔術が使えたらなんでもないんだけどなー」
「スポーツに魔術は禁止なんだっけ」
「そう、純粋に肉体だけで勝負すんの。はー、せっかく肉体強化の魔術を学んだのになぁ」
そう言うと、砂月くんは手にエーテルを投射させ、筋肉量を増やす。一瞬だけ練習着がはち切れんばかりに筋肉が盛り上がるが、すぐに風船のようにしぼんでしまう。
「砂月くんはどうして肉体強化を集中的に覚えたの?」
「そりゃー、伝説の東條湘センパイに憧れてだよ! あの人の肉体強化はスマートで、さりげなくて、かあっこいいよなー! いいよな、東條。あんな兄さんがいてさ」
知らない間にかお兄ちゃんは伝説の人になっていたらしい。砂月くんは恍惚とした表情で滔々と語り続ける。
「中1の時から柔道部、高校に入ってからの大会では負け無し、しかも全部一本勝ち! その上肉体強化魔術のエキスパートだろ? 運動部やってて、東條湘に憧れない奴はいないと思うね、俺は!」
「でも、砂月くん野球部じゃない」
「それはそれ、これはこれだよ。ホームランかっ飛ばしたあの瞬間の気持ちよさ、わかんねーかなー!」
「野球やったことないからなぁ……。でも砂月くん、ホームラン打ったこと無くない?」
「中2の時にバッティングセンターで強化魔術使ってかっ飛ばしたのが忘れらんなくてさ。それで野球部入ったんだ」
「そっかぁ……。中学の時から魔術学の成績良かったもんね」
「正規のスポーツに魔術がご法度ってのは、高校に入って本格的に始めてから知ったんだけどな……」
そう言って砂月くんは深くため息を吐く。
肉体強化していない砂月くんは細っこくて、とてもじゃないけど運動をしている人には見えない。
「お兄ちゃん、今でも筋トレは欠かさないよ。肉体強化をするには、やっぱり資本が大事なんだって」
「やっぱそうかー……。俺も頑張んなきゃなァ……」
うなだれる砂月くんに、顧問の先生から檄が飛ぶ。
「砂月ィ! いつまでくっちゃべってる! 早く戻ってこい!」
「やべっ……じゃあな、東條! センパイによろしく!」
そう言って砂月くんは走り去っていった。帽子を取って先生に深く頭を下げている。何やら叱られているらしく、そのままグラウンドを走り出した。
「あちゃ……。私のせいでペナルティ食らっちゃった。砂月くんに悪いことしたなぁ」
私がそう言うと、テオが目を細めて言った。
「でも、さつき、たのしそうだ。やきゅう? っていうのが、ほんとうにすきなんだね」
真面目に走る砂月くんを見ていると、確かにそうかもしれない、と思った。
再び歩き出した私に駆け寄り、テオが言う。
「ゆい、しょうはやっぱりすごいひとだったんだね。テオにも、ときどきだけど、じぶんのくんれんにつきあってくれっていって、くみてっていうの、してくれる。テオはつめがでないように、しょうがかってくれたぼうぎょグローブつけてやってるけど」
「そういえば中庭でやってる時あるね。テオとしてはどうなの? お兄ちゃん、強い?」
テオは大きく頷いて言う。
「つよい! まりょく、ちっともこめてないけど、パンチはおもいし、キックもすごいよ。 やっぱり、きほん? ができてるんだとおもう。さつきも、まじゅつをつかったときのきんにくはすごかったけど、ぜんぜんちがう。しょう、『おれはいつもほんきでやってるのに、テオはへいきそうだなぁ』っていうけど、まじゅつこめたら、たぶんやられちゃうとおもう」
「そっかぁ……。湘兄ちゃんもテオと訓練してるんだね。私も頑張らなきゃなぁ」
「ゆいはがんばってるよ。テオ、しってる。つくえでやってるべんきょうもがんばってるし、こうだんのめいちゅうりつも、あがってる。ゆいもすごいよ!」
「本当? ありがとう、テオ」
私は背伸びをしてテオの鼻先を撫でる。
それがお世辞だとしても、テオにそう見られていると思うだけでも、頑張っている甲斐があるような気がした。
やがてたどり着いた公園で、私はベンチに腰を掛けて「ほらテオ、好きに暴れていいよ。他の幻獣さんたちには迷惑かけないようにね」とテオに伝えると、テオは嬉しそうに尻尾を振って「わかった!」と声を上げると嬉しそうにアスレチックに向かって走り出した。
「テオ……体は大人だけど、精神年齢はいくつなんだろ……」
ぼんやりとそんな事を思いながら、はしゃぐテオを眺める。子供のように走り回るテオを見ていると、まるで公園デビューをした親の気分だった。