【掌編】加藤八重子の密かな想い
加藤八重子。のばら原高校魔術学科、実技担当の教諭。今年で31を迎える自分に今、彼氏はいない。同級生たちがどんどん結婚していき、どうにも取り残されている感覚は否めないが、それよりも仕事に必死で、色恋にうつつを抜かす程暇じゃなかった。
「やえちゃん先生、好きな人とかいないのー?」
「やえちゃん先生可愛いのにもったいないよー」
女生徒たちにわいわいと言われるが、私は知らないふりをする。
「先生は仕事が恋人なんですー。あなたたちもちゃんと勉強しないと立派な魔術師になれないわよー」
どこかで聞いたような言葉を口にする。
でも、心の何処かで隠しているのは仄かな感情。憧れなのか、なんなのか、自分でもまだ判断ができない。
その相手が誰なのかだけははっきりとしていたが、心の置所が解らないというのはこういうことを言うのだろう。
「でもさ、やえちゃん先生。バレンタインにはチョコレート配るんでしょ? 他の先生たちに」
「そりゃ、普段お世話になってるもの」
「その中に特別なチョコ混ぜちゃったりしないのー?」
「しません! もう。大人の付き合いっていうのはあなたたちの恋みたいに気楽なものじゃないんだから」
「……それじゃ、やえちゃん先生、やっぱり好きな人が他の先生の中にいるの?」
心臓がびくりと跳ねた。
「そんな訳……!」
「あー! やえちゃん顔真っ赤ー!」
「誰? 太田先生? それとも光友先生?」
「だから……! そんなのじゃないってば! いい加減にしないと怒るわよ!」
「キャー! やえちゃん先生こわーい!」
私は形だけ拳を握って振り上げるが、女生徒たちはけらけら笑うだけだ。
「こら、お前ら。あまり加藤先生を困らせるんじゃない」
「げっ、斉藤……先生」
いつの間にか背後に立っていたのは、強面で厳しく、生徒から恐れられている斉藤克己先生だった。
「お前ら、受験勉強ははかどってるのか。もう余裕はないぞ。風祭、お前は特に。特魔志望だったろう?」
厳しい言葉に女生徒のひとりはぐうの音も出ない。そのまま女生徒たちの大騒ぎは解散となった。
取り残されたのは、私と斉藤先生のふたりだけ。放課後の校舎に真っ赤な夕日が差し込み、廊下をオレンジ色に染めている。
「……生徒に慕われるというのも困り物ですね、加藤先生」
「……いえ、私に威厳がないのがいけないんです。助けてくださってありがとうございました」
「いえ……あの」
斉藤先生は何かを言いかけて……止めた。
私はそれを追求することもできただろうけれど、止めておいたほうが良い気がした。
尊敬する先生だ。憧れている人だ。自分もこんな風になれたら、と思っている相手だ。
……この感情に名前をつけるとすれば、簡単なことだろう。
けれど、それは私には恐れ多い。
斉藤先生は年上だし、私なんて子供のようにしか考えていないだろう。
それでも……。
女生徒のセリフが脳裏を過る。
……特別な気持ちのこもったチョコレートを、混ぜてしまってもいいだろうか。
その解答はまだ少し早い気がした。
まだ時間はある。ゆっくり考えれば良いことだ。
冬の寒さの中の陽だまりで、私はぼんやりとそんなことを考えていた。




