特魔処理班Bの日常
湘の携帯電話が鳴り響く。彼らしくないヘビーなロックミュージックは仕事関係の人間からかかってくる時にだけ鳴る着信音。
洋楽のそのリリックの意味を知る人間は、この家では茅だけだ。けれど、それが鳴るということは、仕事の合図だと言うことは、家の人間は皆知っていた。
「お兄ちゃん、仕事?」
由比は不安げな声でそう聞く。
「……ん、まぁな。今日はいつもより長引くかも知れない。皆、先に寝てていいからな」
湘は何でも無いように笑って答える。
「ううん、起きて待ってるよ」
「若い時分から夜更かしすると大人になった時後悔する肌になるぞー」
「……でも、待ってるよ。だから、無事に帰ってきてね」
湘は自分より頭一つ小さい妹の髪をくしゃくしゃにかき混ぜて笑った。
「心配するな。俺なら大丈夫だから」
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黒いジャージに袖を通し、夜の街を歩く。
やがて目の前にそびえる一棟の古びた廃ビルを見上げると鍵を開けて屋内に入る。
動かないエレベーターを横目に階段を一歩一歩踏みしめる。その度に湘の心はだんだんと冷えていく。1034という認証番号の与えられた現代特別魔術師事件処理班Bグループ、コードネーム『空歩』になっていく。
デジタル時計に目を落とす。時間は22時になろうとしていた。繁華街はまだまだ賑やかだが、夜闇が街を包むこの時間が、彼らの『仕事』の時間だった。
屋上へ続く錆びついたドアを開けると、そこにはまだ誰も来てはいなかった。
また一番か、と『空歩』は静かにため息を吐く。
しかし、上空から降ってきた男に飛びかかられ、思わずバランスを崩した瞬間にそうではないと理解した。
「オッス、『空歩』ちゃん! 今日は俺が一番乗りだったなぁー」
限界までブリーチされて、最早白に近いほどの肩に届く金髪を揺らして、けらけらと笑う背後の男に、『空歩』は小さく呆れたように返事をする。
「『紅蓮』、お前は相変わらず騒がしいな」
「えー。『空歩』ちゃんがクールすぎるんじゃない?」
「名前の通りだな、お前は」
「情熱的だなんて褒めるなよぅ、照れるじゃないか」
「暑苦しいって言ってるんだ」
自分と同じデザインのジャージを着崩した金髪の男、『紅蓮』を引き剥がしていると、冷えた女の声がドアの向こうから響いた。
「出入り口でいちゃつかないでくれる? 出れない」
そう言う長くて黒い髪を三つ編みに結った『空歩』より少し年上の女もまた、黒いジャージを着ている。
「やっほ、『切裂』ちゃん!」
「『紅蓮』、そろそろ『空歩』を開放してあげたら? うざさで死にそうな顔してる」
「えっ、『空歩』ちゃん、俺うざい!?」
「そうだな、うざい」
「酷いッ! 『紅蓮』泣いちゃう!」
『紅蓮』はわざとらしくわあっと泣き声を上げて顔を両手で覆う。その手の向こう側で笑っているのは、『空歩』も『切裂』も解っていた。
『切裂』が周囲を見渡し、呟く。
「『千里眼』はまだ来てないの?」
「そういや、まだ見てないな」
「空間移動が出来るナビが遅刻なんて珍しいなー。どっかで襲われてたりして」
「『千里眼』は超広範囲のエーテル反応を見渡せるから『千里眼』なんてコードネームがついてるんでしょ? 襲われるなんてありえない」
「……でも、遅いな」
『空歩』が時計に目を落とす。時間は15分も過ぎていた。5分前集合が信条の彼女にしてはありえない事だった。
『千里眼』は攻撃の術には長けていない。まさか、という最悪の事態が三人の脳裏を過ぎった。
その時。
「やぁ、皆。遅れてごめんごめん」
のんびりと真っ赤な短い髪に黒いマスクをかけた黒いジャージの女が、リュックを背負い、タブレットを片手に屋上にやってきた。
「『千里眼』ちゃん! 良かったー! 無事だったんだねぇー!」
そう言って抱きつこうとする『紅蓮』を『千里眼』はさらりと躱す。『紅蓮』は哀れ、古びたコンクリートの壁に激突した。
「酷いや、『千里眼』ちゃん。俺の愛の抱擁を」
鼻っ柱をさすりながら、『紅蓮』はこんどこそ涙目でそう呟くが、『千里眼』はそれを無視したままで『空歩』と『切裂』にインカムを渡していく。最後に『紅蓮』にもインカムを手渡し、手招きをして全員を自分の周囲に集め、タブレットを操作した。
「今日の目的はちょっと大規模だよ。アーティズムのオールドワイバーンの討伐だから」
「オールドワイバーン? あのコウモリみたいな小さいやつか? なにか問題でもあるのか?」
『空歩』がそう訊くと、『千里眼』はマスク越しに口元を抑える。
「1匹や2匹なら問題ない。けど、今回はちょっと量がね……」
「そんなに多いの?」
訊ねたのは『切裂』だ。
「多い。数千のオールドワイバーンが、群をなしてこっちに向かってきてる。おそらく住処にしてた山の獲物が足りなくて、食いでのある獲物……人間の多い場所を目指してるんだろう」
「ふーん。それを燃やし尽くせばいいって訳?」
「そんな事、街中では出来ないだろう? それでちょっと寄り道して、結界を張ってきた。ここから南に10キロくらい離れた採掘場跡のハゲ山だよ。そこで身動きが取れなくなっているはずだから、叩いてきてくれ」
「それで遅れたのか」
「まぁね。じゃあ、いってらっしゃい」
「相変わらず簡単に言ってくれるよね、『千里眼』は」
そう呟きながら『切裂』は空中に陣を描く。エーテルを投射させると純白の衣を着た風精が現れた。
『切裂』は風精の胸に抱かれ、ふわりと浮かび上がる。南へと向かおうとする彼女に向かって千里眼が声を上げた。
「『切裂』クン、君と『空歩』クンは『紅蓮』クンが打ち漏らしたオールドワイバーンを潰してくれ! ほら、『紅蓮』クン、『空歩』クン、君たちも早く行った行った」
「へーい。はー、早く出世してこんな下っ端仕事から開放されてーなー」
『紅蓮』はそうぼやくと指笛を吹く。音はエーテルの鎖になり、大きな火炎を纏った大鷲を呼び寄せた。
「じゃあ、『空歩』ちゃん、お先にー」
『紅蓮』は自分の周囲に防御壁を張ると火炎の大鷲の足に捕まり、熱風を纏ったまま南へと飛び去った。
「やれやれ、俺だけ10kmマラソンか」
そう言うと『空歩』もフェンスを乗り越え、空に向かって走り出す。やがて体重を最小限に抑え、『紅蓮』の起こした気流に乗って南へと足を向けた。
ノイズ混じりのインカムから、『千里眼』の声が響く。
「皆、私の結界はそう長くは持たない。15分以内に片付けてくれ。『紅蓮』は遠慮せずにやってくれて構わない。『切裂』は残党狩り。『空歩』は『紅蓮』のサポートだ」
「……了解」
「りょーかーい」
「了解……、見えた。あの群れね」
『切裂』は上空に滞空したまま、わんわんと羽音を立てながら行く手を遮られているオールドワイバーンの群れを見据える。1体1体は小さいその群れは、黒いうねりを伴い、まるで巨大なワイバーンのようにも見えた。
やがて追いついた『紅蓮』と、その後を追う『空歩』もその様に圧倒されるように息を呑んだ。
インカムから再び『千里眼』の声が響く。
「2秒間だけ結界を緩める。隙間を縫って『紅蓮』は中へ。打ち漏らした奴らは、『切裂』と『空歩』が仕留める。作戦以上。決行まで5秒前。……3、2、1、やれ!」
『千里眼』のカウントダウンと同時に『紅蓮』の火炎の大鷲が結界に突進した。カウントダウンが終ったその隙間を掻い潜るように『紅蓮』がオールドワイバーンの群れの中心に潜り込む。
「ひゃあーーーうじゃうじゃ気持ち悪ィーーーー!!」
『紅蓮』はそう叫びながらも、両手に火炎を蓄え、まるで舞うように体を捻り、自由落下に身を任せたまま業火の渦を生む。それは容赦なくオールドワイバーンたちを焼き尽していく。
そして、再びインカムから響く声。
「『空歩』、『紅蓮』が死なないようにサポートを頼む。『切裂』、あと1分で結界は破れるだろうから、残ったやつを殺して回れ」
「了解」
「了解」
『空歩』は薄くなりだした結界の隙間に潜り込み、落下してゆく『紅蓮』を受け止めた。その途中、目についた火炎から逃れたオールドワイバーンを握りつぶしていく。
『切裂』は結界の周囲に旋風を放ち、結界から這い出たオールドワイバーンを切り裂いていく。
地面に降り立った『空歩』は『紅蓮』を下ろすが、『紅蓮』はひしっと『空歩』を抱きしめた。
「フォローさんきゅー、『空歩』ちゃん! 墜落死しなくて済んだ! アイシテル!」
「はいはい、相変わらず派手だな、お前の技は。どうでもいいから残りも潰すぞ」
「おうともよ!」
そう言うと『空歩』は再び空中へと走り出す。
『紅蓮』も地上から火炎の玉をオールドワイバーンに放ち、1匹、また1匹と焼いていく。
『空歩』は空中を蹴りながら空を走り、的確にコウモリ程の大きさのワイバーンを握りつぶしていく。
『切裂』の旋風はそれでも逃れようとするオールドワイバーンたちを容赦なく八つ裂きにしていった。
やがて、『紅蓮』の放った業火の渦が鎮火する頃には、数千といたオールドワイバーンの姿は消え失せていた。
自然と『空歩』は時計に目を落とす。時刻はまだ日付を超えてはいなかった。
インカムからノイズ混じりの声が響く。
「皆、周囲にオールドワイバーンの気配はなくなった。一度帰ってきていいよ」
「りょーかい!」
「了解」
「……了解」
各々が自らの方法で廃ビルに戻った時、『千里眼』は深くため息を吐いた。
自らの旋風でジャージをボロボロにした『切裂』、ジャージのあちらこちらを焦がした『紅蓮』と『空歩』。
「つくづく備品を大事に使うつもりはないんだね」
「お硬い事を言わないでよ、『千里眼』ちゃん。一番高いインカムが無事なんだからいいでしょー?」
「言っておくけど、『紅蓮』クン。それをひとつでも壊したら私たち全員の給料1か月分がふっとぶからね」
「おお、怖い……」
『紅蓮』が身震いするのを見て、『切裂』が小さく笑みを零した。
「……ま、大怪我もなく、無事でなにより。後処理はこっちに任せて、皆は直帰していいよ。お疲れ様」
「やったぜ、流石『千里眼』ちゃん! アイシテル! じゃあ皆おつかれさーん」
「あぁ、お疲れ」
「私も帰るわ。お疲れ様」
特魔処理班の面々は、廃ビルを次々と後にしていく。
皆、お互いの本名は知らない。どういう身分なのかも解っていない。どんな家族構成なのかも、友人がいるのかも、恋人の有無も。
全員、プライベートは守ったまま、呼び出されたら仕事をして、またプライベートに帰っていく。
街でたとえすれ違うことがあっても、声はかけない。
それがルールだから。
命がけのこの仕事は、特魔処理班の中でも若手にしか任されていない。
それはキャリアを積むためでもあるが、使い捨てのすてごまでもあるからだ。
それでも『空歩』がこの仕事を選んだ理由は……。
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家の引き戸を開けると、まだリビングに電灯が付いていた。
「しょう、おかえり!」
駆けてきたのは妹の使い魔。それに続くようにパジャマ姿の妹が走り寄ってくる。
「お兄ちゃん、おかえり!」
その声に気がついたように書斎の戸から姉が顔を出し、「おかえり。お疲れ様」と言う。
傍に控えていた姉の使い魔もぺこりと頭を下げ、「お帰りなさい、湘様」と言い、最後にリビングから最近できたばかりの妹が笑顔で「兄貴殿、疲れたじゃろう。風呂は沸かしておいてあるぞ」と言う。
東條家に生まれ、生まれ持って強い魔力を持ち、それを人の役に立てたいと思った。
そして、特魔処理班になって呼び出される度に平和と事件は常に隣り合わせなのだと知った。
家族の平穏を保つ。皆が笑顔でいる為に。
その為に戦うのなら、どんな危険も厭わない。
『湘』として明日の朝食を作るために、夜に『空歩』は戦い続けるのだ。