エノシマ、トラブルの後片付け
それは、レヴィアタンとの戦いの翌日の事だった。
不意に家への来訪者を告げるチャイムが鳴り、弟切さんが応対に出た。
「どちら様で……」
弟切さんの声が途切れる。玄関にはふたりのスーツを着た男の人が立っていた。
「現代特別魔術師事件調査班の者です。東條さん、貴方たちに歴史改変の容疑がかかっています」
弟切さんは静かに頭を下げ、「少々お待ちください」と言い、家長である姉の名前を呼んだ。
呼ばれて、書斎からお姉ちゃんが顔を出す。そして納得したように「あぁ……」と呟き、部屋を出ようとした、その時だった。
「特魔班の皆さん、貴方がたが用があるのは私でしょう」
そう言い、エノシマがお姉ちゃんの行く手を遮った。
「エノシマさん?」
怪訝そうな表情を浮かべるお姉ちゃんに、エノシマは小さくウィンクをする。
「私は今より150年先の未来から来た時空転移者。未来を変えたのは私です」
幼い姿のエノシマに、戸惑うのは特魔班と呼ばれた男の人たちだった。
「事情聴取でも何でもしてください。きちんと検査していただければ、私の言うことも理解していただけるはずですから」
すらすらとそう言うと、エノシマは玄関に揃えられた自分の草履を履き、男の人たちの背中を押す。
「いや、しかし、こんな子供……」
「ですが、事実です。さ、本部にでもどこにでも連れて行って下さい。無実を証明してみせますから」
そう言うとエノシマは男たちの背を推し玄関を出ると、後ろ手でからからと玄関を閉めてしまう。慌てたのは私とテオだ。慌てて玄関を飛び出すが、既にエノシマは真っ黒な車に乗っていた。
「エノシマ!!」
私の声は届いただろうか。車は排気音を立ててゆっくりと発車して、そのまま走り去ってしまった。
「エノシマ……まさか、全部の罪を自分で背負い込むつもりなの……?」
「そんな。レヴィアタンをたおしたのはテオなのに」
しかし、サンダルを履いて出てきたお姉ちゃんは冷静に私とテオの肩を叩くと、のんびりと言った。
「エノシマさんなら大丈夫。今日は帰ってこれないかも知れないけど、明日には帰ってくるわ」
「どうしてそんな事言いきれるの、お姉ちゃん?」
「恐らくエーテルの調査と時空観測検査をされるだろうけど、それだけよ。一応私も行くわ。弟切、準備してくるから車を出して」
そう言い残し、お姉ちゃんは家に入っていく。
私は不安で仕方なくて、リビングへ戻り、どこかに携帯電話でメールを打っていたお兄ちゃんに訊ねた。
「とくまはん、って、お兄ちゃんが所属してる部署だよね?」
「まぁ、管轄は違うけどな」
「確か、同じ時間軸に同一存在がいちゃいけないんだよね? 授業で習った。エノシマ、消されちゃったりしないよね?」
「心配するな。エノシマさんが大丈夫だって言ってたろ? あの人がそう言うなら大丈夫だよ、きっと」
そう言うと携帯電話をテーブルの上に置いた。
気が気でないまま夜は更け、私は朝まで眠ることが出来なかった。
ようやくうつらうつらし始めたお昼前、玄関がからからと音をたてる。私は寝間着のままで玄関に走っていった。そこには書類を手に笑顔でピースサインをするエノシマと、少し疲れた顔のお姉ちゃんが立っていた。最後に入ってきた弟切さんが扉を閉めて鍵を掛ける。
「皆、よかった……!」
「なんじゃ、由比。その格好は。こんな時間まで寝ておったのか」
呆れたように言うエノシマに、私は慌ててぼさぼさになった髪を整えながら答える。
「みっ、皆が心配で寝られなかったんだい! でも、エノシマ、無事で良かった……!」
「うむ、お上のお墨付きも貰えたしの。これで大手を振って暮らせるというものじゃ」
そう言ってエノシマは手の中の書類を広げる。それは新たに作られたエノシマの戸籍謄本だった。
「でも、エノシマは私なんでしょう? 同一存在が同じ時空にいちゃいけないんじゃ……」
「ふふん。時空観測検査で儂の時空は消えたと証明された。それに、厳密に言えば儂と由比は同じ存在ではない。由比はもう儂になることはないのじゃからな」
私の頭にクエッションマークが浮かぶ。何を言っているのかよくわからない。
「儂が時空から弾かれたときに、由比が儂になる可能性は消えた。遺伝子もエーテルも同じじゃが、まったくの別人。云わば儂と由比は一卵性の双子のようなものじゃ。特魔班の検査でそれが証明され、儂は消えた未来のはぐれ子として扱われた。如何に強大な力を持つ時空転移者とて、本人が巨大な陣を張らねば消えた未来に戻ることは出来ん。じゃが、儂にもうそんな力は残っておらん。そして特魔班もむやみに時空転移者を消すことは出来ん。それによってまた新たなパラレルワールドが生まれる可能性があるからのう。それで一番妥協できる枠……儂がこの時空に留まり続けるという選択に収まった、という事じゃ。儂はエノシマとしての戸籍をもらい、正式に東條の者として暮らせることになった、と」
一息にそう言い切ると、エノシマはため息を吐いた。
「まぁ、ただの10才児として登録されてしまったから、また小学校からやり直しじゃがな。また学校に行かねばならんとは、勉強面倒じゃのう」
「まぁ、丸く収まったんだから良いじゃない。はー、疲れた」
お姉ちゃんががくりと首を落とす。
私は訳が解らなかったが、ともかく『エノシマがこの時空にいて良い』という事だけは理解し、側に居たテオに笑いかけた。
「とにかく、皆無事に暮らせるんだね……! 良かったァ! ね、テオ」
「うん、よかった!」
「こんな長丁場になるなら化粧なんてするんじゃなかったわ。特魔班の書類をもらって朝イチから役所にいたのに、時空転移者の戸籍を取るのってあんなに時間がかかるのね……」
お姉ちゃんがそう言い、大きく伸びをする。おそらく特魔班の事情聴取ではお姉ちゃんも相当口を出したのだろう。
「おかえり、エノシマさん、茅姉、弟切。昼飯出来てるぞ。シャワーでも浴びて楽な格好してこいよー」
お兄ちゃんは何でもなかったような笑顔でそう言う。
エノシマの説明は長くてよく解らなかったが、ともかく、エノシマはこれで正式に我が家の一員になった、ということらしい。
肩を回すエノシマに、私はぼそりと呟いた。
「エノシマってさ、自分が予期しない事の説明、結構下手だよね」
「ふむ、由比。それはブーメランというものじゃぞ」
年上の妹はそう言ってにやりと笑った。