帰郷
このままアミアンでぐずぐずしていられないのだが、どうしてかドリアーヌに付き合う気になった。だが、我慢できずに公爵家の内情について一端を明かしてしまった。
それについてポーラは必ずしも後悔しているわけではない。ただ少しばかり残念な気がしているだけだ。身近な人物ではない彼女に打ち明けた理由は他にあるのだろうか。第三者の視点が欲しかったというのもあるかもしれない。少なくともある程度は人を見る目には自信があるつもりではある。
ドリアーヌは、ポーラの個人的な事由が関係していることを知ったとたんに追求の手を緩めてきた。気を使っているのだろう。あるいはこの件に関してもある程度の知識を持っている証左だろうか。
だが、ポーラが抱えている問題について彼女が解答を用意してくれるわけではない。ゆえにこの話題はここで終えることにした。
「日が暮れるまでにアラスに到着したい。そなたはどうするのだ?見物に来るのか?」
「主君の意向しだいです」
「ならば、マリーには私から報告しておく。実物で正答を確認したいのでな」
「閣下のお答えを確認しておきたいのですが?」
ポーラは、ナポレオンの像に再び視線を移した。何故か最初に見たときよりも知的に見える。彼から知恵を借りるつもりはないが、もう一度、歩み寄る。
「そうだな、この平民と同じくらいの年齢かな?」
「・・・・」
「なんだ?不満そうだな」
彼女の態度からポーラは正答らしき数値を得た。そのことをナポレオンとかいう平民に感謝すると聖堂を後にした。
ルイと家臣たちが待ち構えていた。
「何事か?」
知らぬ間にドゴールとルイとの間に関係性が生まれていたらしい。後者は前者に何かを目で確認するとポーラに向かった。
「太后殿下から、ご連絡です。すぐさまアラスに帰還なされるようにとのことです」
「ルイ殿下、あなた様にこのような仕事を押し付けるなどと・・・」
ルイは無言で抗議するのは言う前からわかっていた。しかし諸将の手前、こうした態度は必要悪だろう。
そのとき、背後から異様な音が響いた。剣と甲冑がぶつかり合う音といえば高評価しすぎだろう。100万匹のガマがえるが同時に鳴き出したと表現すれば下品すぎる。
思わず振り返れば、そこにはドリアーヌが腰を抜かして喚いていた。
「あぎゃぎゃぐあぁぁあぁっぁぁあっぁ!?」
いや、すでにドリアーヌはこの身体の中にはいないだろう。
不思議と平和な気分になった少女は、まるで平民の女が母親に話しかけるようにしていった。
「おばーちゃん、何を腰を抜かしてんだい?立ち上がれねーのか?手を貸してやるぞ」
畏まった老婆は額を床につけて許しを懇願している。何を恐れているのか。ポーラはそれほどひどい施政を行っているという自覚がなかった。
「閣下、何処でそのようなひどい言葉を身につけられたのですか?血が泣きまずぞ」
「シャルル、あいにくと、ここはご先祖さまの霊廟ではないのでな、ところでこの老婆はどうして余を恐れているか」
ルイが口を開いた。
「恐れながら、平民はここに入ることは禁止されているのではありませんか?」
確かにそれはありうる。きっと彼はドリアーヌについてすでに事実に手が届いているのだろう。外見にはそんな素振りは見せない。食えない男だ。確かにモンタニアールの血を引いている。
平民が祀られている霊廟に平民が入ってはいけないとは笑えない冗談だ、と前置きしてうえでポーラは言った。
「なあ、ばーちゃん、ここの殿様はみんなに辛くあたるのかい?あちきが、言ってやるから安心しな」
主君の想像もしなかった有様に家臣たちはショックを押し隠そうとしない。一部事情を知っている者たち、多くは若者たちだが連中は空惚けている。きっと後々に老体たちから仔細を追求され自白を強要された挙句厳しく叱責を受けるのであろう。哀れな。
諸将の態度が面白くてついに図に乗ったらしい。それともこれから直目しなくてはならない難題を目の前にして、ストレス発散を無意識のうちに目論んでいるのだろうか。ポーラは、自らの真意を推し量りかねた。だが、この老婆が憎めない、むしろ、愛したいと思えてきた。
「よかったら、余の侍女としてアラスに来ないか。それなりの待遇を保証するが・・
」
老婆はポーラの態度のギャップについていけないらしい。さらに額を床に擦り続ける。あれではけがしてしまいそうだ。
「よいから、顔をあげてみよ」
果たして老婆の額には青い血が滲んでいた。
「よほどルブランはお前たちに辛く当たるようだ。士大夫がそんなに怖いか?お前たちはここに入ることは禁じられているのか」
老婆の話によると、黙って入ってひどく打ち据えられた農夫もいるらしい。これは黙っていられないが時間的な余裕はない。アミアンを直接支配している豪族はルブラン従子爵だが、伝聞で十分だろう。
そう思って去ろうとすると本人がやってきた。
「こ、公爵閣下・・・まさか、このようなところに玉体をお運びいただくなどと・・・」
諸将は主君の変容に恐怖を禁じ得ない。それはバブーフ男爵に関して示した感情に似ている。ポーラは怒りが極言に達すると微笑を浮かべる。彼女を知らない人間はそれを寛容以外のどのような表現でも示せないだろう。
ドゴールは主君とルブラン従子爵との間に割ってはいった。
「閣下、すぐさまアラスに帰還しましょう。今すぐ出発すれば間に合います。ここの仕置きはどうかドゴールにお任せください」
いったい、どちらに自らの救済を求めてよいのか。哀れなルブランはただひたすらに泡を食うより他にない。身の置き所がないとはまさに今現在の彼の境遇を指し示す。
もちろん、虫けら以下の存在など彼の主君の眼中の外だ。
「余はそこの老婦人に示すべき感謝の量を達し得ていない」
いよいよ、怒りは頂点に達しつつあるようだ。ドゴールは主君のスキをついてルイの耳元に唇を忍び寄らせることに成功した。
「閣下をアラスにお連れいただきたく・・・」
ルイはドゴールの意を察してポーラに言った。老将は若きモンタニアールが主君の信頼を得つつあることを洞察していた。モンタニアールと心の中で呼んでいないと目の前の少年が敵だったことを思わず忘れてしまいそうで怖い。
「閣下、参りましょう」
「わかった、シャルル、老婦人への恩賞は弾むのだぞ・・それから・・」
主君の怒りが臨界点に達しつつあるのに気づいたドゴールはみなまで言わせなかった。
「美味しいワインを閣下に奉じた勲功には報いるべきでしょう、さ、アラスへ」
太后の名前を出さなかったのは、老臣の配慮である。それを台無しにしようとする動きが背後で起こった。
「閣下、アデライード太后さまはお美しいと三国で有名です」
「黙れ、虫けら!!」
声の主と魔法の発術者ははたしてポーラではなかった。
ドゴールが無骨な手をルブランに向けていた。従子爵は黒焦げになっていた。
ポーラは助かったように言った。一流の竜騎士なればある程度は魔法を使う。男爵ごときが相手ならば簡単に通用するだろう。ただし消耗はただ事ではなく戦場では使えない。ドそれに高齢である。何と言っても先代公爵の時代から仕えているのだ。先々代にも謁見したことがあるほどだ。
「そこまでしなくてもよかったのだ、シャルル。では、ルイ殿下、我らの故郷へ参りましょうぞ」
公爵家随一の宿将は手加減をしていた。ルブランは表面的に黒焦げになったにすぎず、実際はそれほどのやけどを負っていない。あくまでも主君の気分を満足させるための演出である。頭の痛い問題はいくらでもある。アミアンに入ったころから不快な空気は感じていた。どうやらこの男は主君の施政にとって不要どころか有害ですらあるようだ。粛清は粛々と進められるべきだ。しかし主君が示されたように一時の情動が根拠であってはならない。あくまでも長いスパンでものをみなければならない。実績を形作るにあたってよりよいものを勧めし、無益なものをそのままにし、有害なものを排除する、ただ、それだけのことだ。今上公爵が先代に劣るとは思わない。ただまだまだ幼いだけだ。それに精神的な問題も絡んでいる。老臣はまだまだ引退できないことを実感しないわけにはいかなかった。