架空十字軍4-57 ニネベの攻略15
これまでの経験からアーイシャが命じたのだとわかる。ここで皇帝ジギスムントが口を開いた。
「この度の公爵殿の戦いぶり、ジギスムントは感銘した。さすがは武に秀でた公爵殿との評判に負けるものではなかった。さて、公爵殿はまだお若い・・・」
ありきたりな口上など聴いていられるものではない。意識的に耳を閉じる。
ポーラは内心で毒づく。あなたは戦場体験がおありではないでしょう、陛下、というわけだ。
神聖ミラノ皇帝というからには俗界のみならず聖界の権威をも兼ねているようにみえるし、そういう色がないわけでもない。だがあからさまにできるわけでもないのだろう、とは若いポーラにもわかる。彼は完全に俗界の人物にほかならない。だが、聖界の人間の悪いところを集めた感じを否めない。ジギスムントへの一印象が揺らいでないといえばウソになる。貴族と生まれたからには世界で最も尊い仕事に従事すべし、というのがポーラのモットーに他ならない。
簡単なことで、その人生哲学が揺らぐことはない。想像を絶する資質を与えられながら母親は一度として戦場に罷り出たことがない。女性趣味などというわけのわからない道楽を世界に広げようとしている。貴族を殺すつもりか?
・・・・・・が、異世界との遭遇は少女にとって簡単なことではなかった。もっとも当時の彼女にそこまで見極める洞察力を求めるのは無理というものだ。
少女の皇帝への視線はなおも冷たい。
物見遊山に世界の外にまで罷り出るというのか。
小太りのジギスムントに少ない怒りを最初の印象において感じないわけにはいかなかった。ラインハルトによって予め言い含められていた皇帝に纏わる噂も悪印象を多分に手伝った。
それが少しは変わったのか。
空とぼけた狸のそれにしか見えなかった双眸が今や思慮深い老人のそれに見えてきた。これは錯覚か。
皇帝とはいえ聖職者たちの動向が気になるのか。言葉を選んでいる。それくらいの分別は備わっているとみえる。
ファーティマは皇帝という単語を知っていて、それがルバイヤートにおける最高権威サラフ・ウディンと同等だとアーイシャに教えられている。だから、ポーラが跪かないことに驚いている。この破天荒ない女悪魔は魔界ではかなりの地位にあるのではないか。
ポーラは皇帝ジギスムントに語り掛ける。
「我とて、いたずらに戦場を渡り歩いたわけではありません、世界でもっとも狡猾な相手を屈服寸前まで追い込んだ身です・・」といって異星人の面前で幼女扱いしたナント王を睨みつけるが、いったい、どこのだれかと嘯く顔には炎の舌で舐める衝動に駆られる。
異世界人、ニネベ太守と目が合う。それを奇貨にして本題に戻ることにした。賢人会議には一人頭数が足りないが、それはいい。異世界人がいくらかおるし、ハイドリヒは無関係だが、少なくともポーラに敵対する人間はいない。
「異世界人と歓談しておられる陛下は如何か?畏れ多くもミラノ皇帝の冠を戴いておられる陛下の態度とは思えませんが?」
太守が口を開いた。
「ミラノ皇帝ルキウス大帝が公認なさったのですね」
「太守殿は世界の歴史に詳しいようで・・・・・その陛下が何をなさっているのかと咎める影もいましょう・・」
影という隠語は僧侶を示すが、その創始はポーラである。しかしどの歴史書を紐解いても載っていない
皇帝もナント王も影の意味を即座に理解した。
「だから、そこな化け物を幼女になどありえない、わからないか、幼女」
「これからの戦いに有益だと申し上げているのです。我々は異世界について何も知りません。太守ならばともかく、この子ならば、悪い話ではないでしょう・・・影を黙らせるいい方策があればいいのですが」
「捕虜を連れて歩くという口実があるではないか」
ポーラが言った。
「いい方法があります、洗礼を受けさせましょう、化け物が人間になれるかもしれません」
「そもそも化け物に精神があるはずもない。ならば魂もあるはずがない。ゼロはいくらかけてもゼロだ」と皇帝。
ポーラはできるだけ温和な表情を保とうと努めて言う。
「ならばあるか、ないか、試してみましょう」
・・・・・・・・・・。
またもやアーイシャを感じた。
それにしてもファーテイマは洗礼を知っているのだろうか。瘴気からは反応は検出できないし、意思を含んだ双眸は厚い布の奥に隠れている。
「ここで影をお呼びしましょうか、陛下」
ファーティマは水玉を顔面に投げつけられたような顔をしている。言葉のやりとりからすでに自分が洗礼を受けることが前提となっているかのようだ。しかしそれ以前にその言葉がどれほど彼女に重要な意味を持っているのかわかっているのだろうか?
「ファーティマ、洗礼の意味はわかっているのか?」
「ぁ、はい・・・・世界の教えを受け入れることです」
アーイシャが耳打ちしたにちがいない。
「いま、ファーティマは赤ん坊として生まれたのです、そう思えばよろしいではありませんか?陛下」
皇帝が巨体を揺らした。
「そなたは猊下を説得できるのか?」
ナント王は眉を微かにひそめた。奴の内心が知りたい。しかし瘴気は検出できない。そんなことはわかっている、この狸がそう簡単にしっぽを出すものか。
もしも王の発言ならば、影というだろう、猊下というあからさまな物言いをするはずがない。ポーラは王を気にしながら応える羽目となった。
「たとえ納得させられなくても失うものはありません、父を慕う子として認知されるだけです」
王が微笑を浮かべたのを少女は見逃さない。しかしそういう感情をファーティマに見抜かれたくはない。
影どもを甘くみるな、と言いたいのだろう。そんなことはわかっている。
「では、陛下の助力を願えるというのですか?そんな畏れ多い」
「幼女、心にもないことを口から出すものではない、重い身分が泣くぞ」
ファーティマがどんな顔をしているのか、想像したくない。
それにしても・・・と思う。確かアーイシャはニネベ太守の夫なのだ。彼は彼女の存在を感じていないのか。
太守はたいしたことがない。
人生経験が豊かと言い難い少女は人を即断することは避けてきた。それを幼児期に誰かに諭された覚えがある。おそらく父なのだろう。
そのことはいい。未来の自分に結論を後回しにする。
ニネベ太守を即断するならばこうなる。
あのアーイシャの夫として似つかわしくない。
ちょっと待て、自分はこの化け物を人間扱いしているのか。
皇帝と王の待遇はまるで東王へのそれに等しい。仮に前者が連合してアンリと干戈を交え下したとなれば、このような情景が現出することだろう。しかしながらの太守と彼をお同じレベルで扱うことはありえない。それは王への侮辱以外の何ものでもない。仮にこれを人間だと仮定したところでも結論は変わりようがない。
ファーティマの目に王と皇帝とはとんでもない化け物にしか見えていない。ただし、ポーラがルバイヤートを化け物と呼んでいることとは意味合いが違う。
ルバイヤートにとっては、自分たちのみが世界ではなく外が存在することは自明だった。根源的な意味において彼我の差は埋めがたいものがある。いまのところ、世界においてそれを洞察できている者は誰もない。疑問を抱いている者はいないことはない。
ともかく、いかにポーラを白い悪魔と呼ぼうが、うっすらとであるが人間という概念はルバイヤートたちの中で醸成されつつある。が、世界に住む人たちがルバイヤートと認識するルバイヤートは存在しないこともまた事実といえば事実だ。
一方、ルバイヤートからすれば、特に世界についての知識が深いアーイシャの視線からすれば世界があれほど統一された一つの絵に収まっていることは不思議でたまらないのだ。
世界とルバイヤートは互いにないものを補い合える端緒を与えられたわけだ。しかしながら自分たちと相対する人間として接することが可能な以上、どちらが有利なのか、あまりにも明確だった。
ファーティマにとって王と皇帝の会話は戦慄を感じさせたが、それは彼らが人間にしか見えなかったからだ。彼らとポーラは、ほぼ対等に話をしている。その事実がポーラに対する認識を代えさせた。
もちろん、土台には主君たるアーイシャの囁きが俄然としてある。
少女は主君に抱きしめてもらたいたくてたまらなかった。洗礼を受けさせられるという。それは主君の命令なのだが、本当に大丈夫なのだろうか。最後の審判においてちゃんと許してもらえるのだろうか。
天使さまはどうか。
ポーラにとっての天使ラケルのような存在は、アーイシャやファーティマにも存在する。が、少女は密に主君を地上で最上だと見なしていた。そのことを密に打ち明けるとひどく叱られた。普段は絶対にしないのに魔法を使ってこっぴどく痛めつけれたものだ。
だが、その後にやってきたのは実母も与えてくれなかった強い愛撫だった。ファーティマは永遠に忘れないだろう。言葉と魔法によって否定されたが、愛撫によって肯定されたと少女は認識したのである。
その目に、ポーラは只者ではないとファーティマの目には映っている。王や皇帝の存在はあくまでも補強にすぎないが、そんなことはどうでもよくなっている。
彼女は、少女が洗礼を受けると宣言した。それに抗うことはできない。疑問は抱かないのか。
ヒズボラ。
神を呼ぶだけで身体の中に震えが起こる。
「そなたは、天使さまどころか、ヒズボラすら私と天秤にかけるというのか?」
敬愛する主君の言葉が耳に木霊する。
驚くべきことにそれが白い悪魔女の声と重なったのだ。
無意識のうちに魔法を発動させていた。ふと生まれた殺意を制御不能に陥ってしまったのである。
ファーティマは恐れおののいた。
王と呼ばれている人物がすくっと立ち上がってこちらを睨みつけている。
「ほう、ちょうどモンタニアール家は炎属性の使い手が不足している。我と契約を結ぶか?」
ファーティマは呻くように言った。
「ヒズボラ以外と契約などと・・・・」
「そなたは洗礼を受け入れるのであろう」
洗礼とやらを受けることは、生まれてから生きてきた時間をすべて否定することだった。それを改めて自覚させられる。ヒズボラと主君を天秤にかけてもよい。ここはアーイシャ様のお言葉に従うべきだ。
「サラフに、私は従います・・」
白い悪魔が言った。
「それは私の侍女になることを受け入れることだな?」
主君との絆だけが心細い少女にとって唯一の頼みだった。




