ニネベの攻略14
「サラフだと?それにしても急に敬語になったのは、あのアーイシャの瘴気が理由か?彼女の声は私の耳には聞こえなかったが?」
ファーティマ・アル・カッザフィーは、ポーラの言葉をやはり白い悪魔の繰り言にとしか受け止められなかった。
当たり前だそれはあのお方がファーティマにだけ囁いてくださったのだ。それ以前に悪魔の分際であのお方を感じ取っていることが許せない。いや、あえて感じさせていらっしゃるのか。主君の深い思考は自分ごときに洞察しえるはずもないが、何かお考えがあるのだろう。
生地ごしにポーラの眼差しを感じてみる。しかし強烈な瘴気だ。燃え上がる大樹を仰いでいるようだ。自分と同じように炎属性の使い手らしい。それなのに青く冷たい瞳はどうだ?人間の目がこれほどまでに青いなどと、ありえない。本当に怖い。エメラルドならば遠慮なく入手する。本来ならば美しいもののはずなのにそれが位置する場所が違うだけで、これほどまでに人を恐れさせるものか。
しかし目をそむけたくない。
あれはきっとこんな薄手の生地など洞察してしまうだろう。
恐怖心は人の意識の反応速度を鈍らせる。
ポーラの声を言語として受け止めるまでにタイムラグが生じた。ポーラの視線は怖かったし、何と言っても母国語ではない。主君のように流暢に白い悪魔の言葉は操れない。
白い悪魔と罵りながらしだいに少女はポーラを人間だと認知しはじめていたのである。もちろん、本人にその意識はまだない。
「サラフとはどういう意味だ?」
白い悪魔が何を言っているのか、とっさには理解しかねた。
「あなたはコウシャクなる地位にあるらしいが、こちらにおけるサラフに当たるらしい・・・です」
「尊称というわけか、なるほど、私は敬意をもって受け入れているらしい、素直に喜んでおこう」
あなたをサラフ付けで呼びたくなどない。だが、至高たるお方が命じられている以上、従わざるを得ない。
少女はあたかも知らない国を彷徨っているかのような錯覚に惑わされている。彼女が立っているのは明らかに彼女が生まれ育ったニネベなのだ。この悪魔が悪い。あたかも自分の国にいるかのように振舞っている。何と傲岸不遜なのか。征服者というものを少女は知らない。少なくとも彼女が生きている間にこういう目にあったことがないからだ。
しかしながらニネベは戦略および戦術レベルにおいて恵まれた魔法源泉ゆえに歴史上、列国の侵略に悩まされてきた。が、しかし中央からはかなり離れている。そういう理由からサラフの血族が隠匿された。少女は主君からその事実を知らされたことを誇りに感じている。至高のお方のためならば生命をなげうってもいいと考えている、その事を言うと、教えを盾にして説教をされたものだ。確かにヒズボラは自殺を固く禁じている、人を殺すよりもむしろ地獄行きを断定するような言い方を聖なる書物は主張するほどだ。
だが、少女はアーイシャ様に最初に出会ったときに心を完全に奪われてしまったのだ。カッザフィー家から人質というかたちで送り込まれてきた、という深刻な状況も人間とは思えないほどに美しい微笑みが忘れさせてしまったというわけだ。
すでに一行は塔の中に入り込んでいる。螺旋階段を上がりつつある。
何という傲慢な女だろう。あの高すぎる鼻が奇しくも見せつけているかのようだ。
これからファーティマが連れていかれる予定の部屋には、ナント王やジギスムント皇帝が待っている。それだけでなく彼女にとっては主君に当たるニネベ太守がおられるのだ。ゆえにその瘴気が発する鬩ぎあいときたら普通の戦場どころの騒ぎではなない。まさに鬼気迫る状態だといえるが、それよりもポーラの方がよほど怖い。
それと彼女がマリーと呼ぶ治療属性も只者ではない。それにラインハルトと呼ばれている男はどうだ?全身がよく研いだ刃物のようだ。透明な色の目が放つ光にはいっさい感情が感じられない。あの女ならば少なくとも高慢という感情はあるようだ。
少女はいつもこの階段をアーイシャ様と上っていた。それを悪魔どもを引き連れていくなどと、ついこの前ならばありえなかったことだ。
彼女らがいわば弾幕となって感覚を麻痺させていたといえる。が、階段を上がるにつれてさすがに足が震えてくる。あやうく転びそうになった。
事もあろうに自分を支えたのはポーラだ。
「そなたは、陛下たちの瘴気がわかるようだな」
人を見下したような物言いだが一方であるていどは認めるような言葉だ。自分はこんな白い悪魔に認められたいのではない。アーイシャ様に認められたいのだ。
アーイシャ様はこの悪魔に膝を屈せよと仰る。いくら主君でもあんまりではないか。
いやそんな畏れ多い。まるで猫の目のように感情の変遷に少女は悩まされる。
俘虜となったこと自体は恥ではない。いま自分が置かれている状況が主君が用意なさったことだ。それを差し引いても忸怩たる思いは少ない。
ファーティマにしてみればポーラは高慢としか受け止められないくらいに硬い表情をいていた。しかし少女は彼女に愛想を振りまく余裕などなかったのである。状況における自らの立場というものが彼女の頭を悩ませていたところだ。
人よりも気移りが激しい性格ゆえに、褐色の疑似人間のことは意識から遠ざかっている。しかしニネベ太守というものにいまいち興味が持てない。緒戦において圧倒的に記憶に残っているのはアーイシャだった。
単体で戦場に現れ、ポーラを圧倒した。あれが実体だったら抵抗しようがなく溺死させられていたことは想像に難くない。
怖ろしい記憶が少女を怯えさせることはない。むしろ快楽を呼び起こさせるのだ。マリーはそれを覚っている。
アーイシャは戦場からいなくなったが、考えるまでもなくそれは逃亡ではない。そもそも最初からいなかったのだ。ハイドリヒによると逃亡しようとしたところを捕縛されたらしい。
が、アーイシャの意図はわからない。あの戦場でポーラひとりにどうして固執したのだろう。
ファーティマに訊ねても無駄であろうと考えたところでドアが開く音とともに眩しい光がけたたましく少女の目に入り込んできた。
三人が玉座に座って歓談している。どう見ても捕虜の引見にはみえない。
目の前をファーティマがかけていく。
そして不思議な恰好で太守に臣下の礼を示した。当然、生地の上からだが両耳を摑むと頭を床に打ち付けたのだ。比喩ではなく本当にぽーんと音がしたのだ。
彼女の口から迸ったのはケントゥリア語だったので、当然のことだがポーラには理解できない。しかし瘴気から主君への敬意が感じ取れる。が、それはあくまでもアーイシャの夫に対する視線であって、この太守本人に対してではないように思える。
ニネベ太守とやら、確かに太守と呼ばれるだけはあるが、両陛下にはとうてい及ばない。ちなみに太守とは古代に使われていた王に対する尊称に他ならない。聖伝にその記述がみられる。だからニネベ太守というケントゥリア語からすんなりと意味がわかった。
こちらではサラフと呼ばれるのか、まだポーラは正式名称を伺っていない。それ以前に人間の名前と化け物の呼称を同一視していいものだろうか。
ナント王の聞き慣れた嫌味な声が響く。
「幼女、太守に失礼であろう」
太守の前でその物言いをするか?ポーラは呆れてつい地を出しそうになったが、そんなことを恐れる必要もない。太守とはいっても化け物の首領、それも地方の責任者ではないか。
太守は困惑の表情を見せている。
王は真意を押し隠すつもりはないようだ。陛下の瘴気から彼がポーラを蔑視しているわけではない。それを見通すこともできないのか。
少なくとも、今現在、あの王はそんな心づもりを醸し出してはいない。
マリーに指摘されるまでもなくピエール二世への怒りが復活してくる。蔑視はないが、戦いの不手際を指摘するような眼をしたからだ。
かすかに恋人のそれに似たものを感じさせたことが少女の怒りに火をつけた。しかしながら太守の存在が今までのような行動に彼女を走らせなかった。
「太守、あなたはケントゥリア語に堪能のようだ」
長身の少女に身体を向けられたとたんに、太守は身構えた。攻撃を受けるかのような錯覚が走る。王に向けられた怒りが全部、自分に向けられるように思われたのだ。
「アーイシャという名前に心当たりはありませんか?」
「どうして、第一夫人の名前を知っている・・・・いや、おられるのか?」-
よく肥えた身体を太守は無理に動かしたせいで、衣装に走る模様が複雑な変異をみせた。
異世界においてはクライディスだけでなく衣装のデザインも凝っているようだ。
「太守、衣装の複雑な模様もクライディスと称するのですが、話題が飛んでしまい恐縮ですが?」
「クライディスをご存じなのですか、公爵殿?」
「どうやら公爵はこちらではサラフと言うらしいですね、そうだね、ファーティマ」
「はい・・・ロベスピエール・サラフ」
忸怩たる思いが少女の黒い瞳を透かして手に取るようにわかる。まるで黒曜石だ。この手で摑んでみたい。世界においても黒い瞳はいないわけではない。だが、何かが決定的に違うような気がする。そもそも黒いのに、光を通さないのにどうしてものが見えるのだ?
化け物と人間を同一視する愚をまた犯してしまった。いったい、自分は何処にいるのか?ナントはナルヴォンヌに攻め入って征服の果実をもぎ取ったわけではないのだ。ここは異世界、世界ではなく人が住んでいるわけではない。どうも慣れすぎると困ったことになりそうだ。アーイシャやファーティマと係りすぎたようだ。
しかし自分はそれを望んでいるようなのだ。気が付くとこんなことを言い出していた。
「このファーティマはその第一夫人とやらの侍女らしい、私の下に置きたいがどうでしょうか?
」
「あ、あなたは王や皇帝ではあられない、陛下と呼ばれる身分ではあられないようですが?公爵閣下?失礼ながら・・・・」
「陛下と呼ばれる身でなければ侍女を持てないのですか?」
「アル・カッザフィー家は名門貴族です」
そもそも名門貴族の子女が侍女になるという発想そのものがありえないはずだ。最初からポーラは侍女にしたいなどと言っていない。どうやら世界と異世界では侍女という言葉の意味が違うようだ。
突如としてアーイシャの気配が尾骶骨辺りをくすぐった。それは瘴気ではない。瘴気以外に個人のIDを示す何かが存在するのか、それは異世界人に特有のものなのか。しかし人間である自分が感知できることは不思議だが、未来の自分への宿題にしておこう。
それと同時にファーティマが先ほどの姿勢のままで太守に近づいた。
「太守さま、お願いです、サラフの侍女になることをお許しください・・」




