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架空十字軍  作者: 明宏訊
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ニネベの攻防6



 神聖ミラノ皇帝ジギスムントは、ポーラを一瞥しただけで彼女に起こっている異変にそれほど興味を持たないようだった。それでもナント王には一言をかけずにはおれないようだった。事実はすでに把握しているらしい。

「陛下、火遊びが過ぎますぞ・・・」

 皇帝が無表情のままだけに、観衆たちは自分たちがどんな表情をしていいのかわからない。教皇をべつにすれば皇帝とは地上における最高権威に他ならない。前者が聖界、後者が俗界を代表する・・といえばいかにも後世から見下した言いようだが、じっさいには言葉以上の迫力を観衆たちは神聖ミラノ皇帝という肩書に読み込んでいた。瘴気を発しない魔法だと、とある貴族が日記に記述している。

 皇帝は、ポーラの予想と違ってマリーに興味を抱いたようだ。

「そなたが、将来を嘱望される治療属性と聞くか?あまりにも若いようだ。治療属性というと白髪と相場が決まっているようだが・・・・」

 マリーは畏まって言った。

「公爵を治療中ゆえに陛下への礼を失することをお許しいただきたく・・・」

 皇帝はいかにも重そうな身体を揺らしながら近づいてくる。

「よい、火遊びの始末は大変であろう。前々から気になっていたのだが、そなたは公爵の家臣か?」

「陛下、答えは簡単にございます。主がお定めになったサンジュスト伯爵としては公爵の家臣ではありません、ただし、マリーとしては家臣、いえ、竜にございます」

「伯爵、竜は天使さまと同等という説もあるぞ。公爵殿としては、いかがか?あなたは竜はどのようなものだとみなしているのか?」

 ポーラは即答した。

「陛下、戦争の道具にございます」

 ポーラは警戒していた。しかしそれがある呼び水になるとは想像もしなかった。

「サンジュスト伯、賢人会議に参加しないか。あくまでも我の家臣になることが条件だが・・・・。そなたの先祖は侯爵位を蹴って、ロペスピエール公爵を救ったと聴く。我が領地の近くに断絶した侯爵領がある。選帝侯の一人に迎えてもよい・・おや、公爵、顔色が変わったな・・・」

 ポーラは、改めてジギスムントを仰ぎ見ようとする。もしかしてこの人はよく肥えた肉肉塊というだけではないのかもしれない。少女は、誰かとは違う大人の視線を感じて身体の何処かが熱を帯びるのを感じた。いま、マリーを失うかと危惧した。

 気が付くと彼女が睨みつけている。

 もしかしたら、恋人に真意を見透かされたのか。

 そうした思いは新たな瘴気の登場によって掻き消された。

 マリーとポーラの返事を待たずに皇帝は言った。

「東王、アンリ陛下が来られたようだ。諸侯が列席のようだが会議を始めようか・・・・・」

 リヴァプール王ヘンリーではなく、アンリと呼んでいることをポーラは見逃さない。それはおそらく東王の歓心を買うためであろう。鞭と飴を自在に使って人を思うとおりに篭絡するつもりのようだ。世界やルバイヤートに対する認識はお粗末極まりないが、いや、それゆえにこそ少女は彼を警戒しなければならない。奪還軍が空中分解を起こす恐れがある。

 ナント王はどんな表情をしているのか。

 そのじっさいよりも、それをまず気にする自分がポーラは許せない思いだった。

 王の野太い声が少女の脳髄を困惑させる。

「陛下は奪還軍はどのように行動するべきだと思われますか?」

 あえて質問する意味はないだろう。

 果たして真実はその通りだった。

「我々、奪還軍は主の福音を賜わる。よって、各々が各々の都合によって攻め入ればよい。都合そのものが福音だ」

 予想はしていたが、まさかその通りになるとは・・・それにしても今現在、少女が加療中なのも主の福音、すなわち、ご意思ということか。思わず東王アンリとナント王を交互に視線を走らせる。こうなったら彼らと第二次賢人会議を開催せねばならない。しかしそれは極秘でなければならない。

 瘴気によらずともこの二人とは同じ思考を共有できる。戦争に対する実践的な認識のことだ。

 心なしか、先ほどよりも風が出てきたようだ。朝には鏡面のようだった海が、いまや何も映さない。これでは顔の手入れにも事欠く。荒れ果てた波は未来の嵐すら暗示している。

 賢人会議はこれで終わりなのか。

 皇帝の船上にある諸侯の誰しもが、それに納得しているかのようだ。唯々諾々と皇帝に従っている。このような有様が現実に起こるのならば、いかに野蛮人が侵入したとはいえ、どうしてあれほど精強を誇ったミラノ帝国が滅んだのだろう。誰も説明できないに決まっている。

 ジギスムントを、かつての世界の皇帝として認めたわけでは絶対にない。しかしながら、このありさまはそれを渋々ながら首肯しているとしか言いようがないのだ。

 第一次もそうだったが、第二次会議も場所を選ばなかった。三人の考えはすでに決まっていたからである。それぞれの船に帰還する際、ある固有名詞を口の端に乗せればよかった。

「ニネベ・・・」

 ポーラだけは、後から若気の至りと後悔する一言を付け加えた。

「三者で可能な限り最大利用する・・・」

 二人に睨みつけられたが、ナント王の視線がいつになく険しかった。いつもの嘲笑するような眼ではなかった。当時のポーラは想像したくもなかったが、それを受ける頬は痛みを訴えたがそれを少女は必ずしも不快だと思わなかったのだ。


赤い影は予期せずとも洋上にあった。諸侯たちが跨るどの竜よりも立派で頼りがいがあるように思われた。

「リシュリュー・・・・」

 マリーの冷たい声が横から容赦なく突きつけられる。

「さすがは戦争の道具ですね」

「そんな目で見るな」

「選帝侯ですか、食指が動きますがいかがですか?閣下?」

 「嫌味もたいがいにせよ。それからいい加減に手を放せ・・」

 まだ治療属性の手はポーラの胸を覆っている。

「母上さまが仰っていたことが腑に落ちる思いでして・・・」

 マリーは思わず口が滑ったと舌打ちしそうになったが、姉の平然とした顔が少女を思い止まらせた。

「太后さまが何をおしゃっていたというのだ?」

「子供は、自分を育ててくれた恩を忘れて世界に旅立ってしまう、あたかも自分ひとりで育ったかのように・・ポーラは特にと・・・」

 今度の舌打ちは本当だった。確かにマズイ。母上さまとの違約になってしまう。

ポーラはマリーの顔に手をもっていった。

「なんだと、ポーラと太后さまは仰ったのか?」

「いえ、公爵閣下・・・の間違えです。いかに私的な間柄とはいえ閣下を呼び捨てにするなどと、ありえぬ、というのが母上さまの信条です」

「その割に、父上をオーギュストと呼んでいたような気がするが・・・しかし母上が私を育てたなどと、どの口が仰るのだろうな。きっとべつの口が頭頂部ぐらいに穴をあけているにちがいない」

 マリーは、はっとなった。「母上さま」と恋人は言った。そしてそのことに本人は気づいていない。少女は彼女にそのことを気づかせては絶対にならないと思った。だが、まだは母親への思いは死んでいなかった。マリーがこの世で最も思慕する人間こそが、太后アデライードである。いささかほっとした。

「どうした、マリー、急に優しくなったな」

 恋人の息遣いが耳のそばに近づく。

 「わ、私は怒っているのです、いまも、陛下との契約について思いを巡らせているのです」

 ポーラは笑った。

「しかし、ナント王と相対するにしても、ちと遠すぎるな。ハイドリヒと連携するにしても・・・・だ・・ぁあ、痛い、やめ…」

世間の視線を気にしてポーラは無理に黙った。そのせいで歯が唇に食い込む。あたかもその痛みはマリーの怒りの発露に思える。いや、それ以外には考えられない。意識の力によっていくら除外しようとも気まずい思いはなかなか去ってくれそうにない。

これほどの攻撃力を治療属性が発揮する。ならば十分に戦力になるのではないのか、がそれはあくまでも自分限定のような気もする。あえて尋ねるまでもない。

ここで何を言っても怒りに火を注ぐだけだろう。だが、何も言わないわけにもいかない。考えあぐねていると、マリーも次第に落ち着いてきたようだ。そこを見計らう。

「賢人会議の話だが…」

が、まだ怒りの炎は燻っていた。

「痛い、やめないか。まじめにそなたに参加してほしいと考えているのだ」

「諸侯は黙っていないでしょう。それに、ポーラは私が陛下の家臣になってもよいと本気で考えておられるのですか?」

「そんなことを考えるはずもないだろう」

「確かにドリアーヌでも、十分に姉上の側女として十分そうですし」

ポーラと姉上さまを使い分ける。明らかに誤用ではない。聖職者たちの陰は感じられない。が、人目はある…と思ったが、残ったのはルイだけだった。

ナント王は武具の準備に余念がないのだろう。が、どうしてこんなときに彼のことが脳裏をよぎるのか。治療は終わったとみえて、いや、きっと治療者の気がやっと済んだのだろう。彼女の手はポーラの胸から外れている。

が、まだ未練があるとみえて中々元に戻ろうとしない。それを見かねたポーラはやや乱暴に摑んでみせた。ルイがみている場所でやれというのか。まったくもって世話のかかることだ。どうやらこうまでしないと傷ついた彼女の心は癒えないとみえる。

彼女の手首を再び引き寄せると自分の背中にもっていく。自然と口と口が接近する。まさか奪還軍においってこのような機会がめぐってくるとは思わなかった。

しかしこれから本格的に戦いが始まるということだが、それは本当なのだろうか。まったくと言っていいほどに緊張感がない。もしも心に筋肉があるとすればすべてが弛緩しきってしまっている。だが、戦意はむしろ高揚しつつある。治療が済んだ際はいつもそうだ。マリーはいつもそういうときは剣を握ってはいけないと諭す。いくら心が高揚していようともそれに身体がついていかれない。

 


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