ニネベの攻防4
ポーラはまさか王が攻撃を仕掛けてくるとは夢にも思っていなかった。それも直撃だ。
しかしナント王にも誤算が二つあった。
第一に、ポーラが全く予想していないとは思っていなかった。
第二に、マリーが身を挺してポーラを守ろうとするとは、完全に予想外だった。
結果としてポーラは攻撃に対処するよりは、マリーを防護しにかかったのである。それゆえに、思わぬところに深手を負うことになってしまった。
王の剣は少女の右肩を貫いた。
それが見るべき目を備えた人間からすれば、公爵はよく戦ったと褒められてしかるべきだ。青い血が剣から滴って床に落ちる。しばし、諸侯はその得も言われぬ美しさのために心を奪われた。
「あ、姉上さま!!」
マリーは自分が理性を失っていないつもりだった。なんとなればちゃんと治療属性として仕事をし始めていたからだ。しかしポーラを姉上さまと呼んでしまったことは意識にない。彼女の右手は公爵の胸を覆っている。
誰もが目を見張った。
戦場を体験せずとも治療属性の業を貴族ならば一度は誰でも目にしたことがある。だから、それと比較していかにマリーが優れているのか議論する必要はない。瞬く間に組織が治癒していく。
平行して血の気を失っていた肌がほんらいの色を取り戻しつつある。
甲板は青い血によってなおも美しく化粧されている。あたかもその分だけ、マリーの手によって復活したかのようだ。
王のそばに近寄った影がある。ルイだった。王は、ポーラの傷から目を離さないままに弟に応じた。
「ルイ・・・か」
「すでに私の申し上げたいことはおわかりでしょう?兄上」
「やりすぎだというのか?しかしこうなった原因のすべてをそなたが見過ごすはずがないと思うが?」
「それは穿った見方で、弟を過大評価しすぎですが、それを鑑みても兄上の剣は早すぎました」
それをわかっているならばよし、と王は近づいた。
彼は血の一滴までもがポーラの人格であるかのように態度が丁重だった。それを諸侯たちは訝しがる。しかし誰にも直言できる勇気がなかったので、みなが一斉に視線をヒトラー伯爵に向けた。
クララは言った。
「陛下は閣下の血には敬意を示されるのですね」
「血は・・・・確かに尊い。しかし私の目はどうも曇っていたらしい」
そう言って、王は治療者を睨みつけたのだが、それに気づいたのは彼女自身とクララだけだった。が、その言葉の真意を読み解けた者が果たしてその場に何人いただろうか。
ルイは言った。
「それにしても私たちは本当に戦いにきたのですか?」
彼の発言は兄にだけ発されたものではない。むしろ、諸侯に向けられたものだった。
ルイは彼らしくない態度を採った。積極的に前に出たのだ。
「よろしいですか、我が主君はわざと傷つかれたのです。どうしてかおわかりですか?どうしてこんなところまで揃ってやってきたのか、それを皆さまに思い出していただきたいからです。モーパッサンにて猊下のお言葉をどのようなお心持で聴かれましたか?出港するときはどうでしたか?」
この子も・・・とクララは内心で思った。
なかなか面白い人の配置を主もお考えになられたものだと思う。ルバイヤートはどんな奴らなのかわからないところは多いが、中々の戦いになるのではないか、この面子であるならば。十分に期待してよろしい。
クララは、いささか不謹慎な思いに駆られていた。が、それを打ち消す言葉を見つけられない。ただ目の前の展開を追っていくだけで精一杯である。
マリーは公爵の治療に専心している。二人が幼いころに家庭教師として呼ばれたことがある。あれは、公爵家とヒトラー伯爵家が同盟する際の、いわば頚城にクララがなったことを意味する。というよりかは、長くから公爵家と同盟していたハイドリヒ伯爵に従うことの証でもあった。なんといっても一国の頭が国を開けるのだ。それが公的に意味するところは誰でも容易に理解できた。
当時、おおよそ10年前、クララは、亡国のプレシャーに潰されそうな思いに暮れていた。そんな彼女を迎えたのは、幼いポーラとマリーである。年齢からしてありえない魔法の数々に面食らった。尊い血の力をまざまざと見せつけられた。もっとも、年の功で押さえつけたいが、長年、弱小国の独立を守ってきた身としては忸怩たる思いを否定できなかった、特にポーラの、その年齢とあどけない表情に似つかわしくない魔法に彼女は怯えてしまった。それが不可抗力を呼び起こし、有力者の娘を傷つけるという失敗を犯してしまったのかもしれない。
人質という言葉を誰も明確には使わなかった。時の公爵はクララを責めずに丁重にもてなしてくれたが、クララは母国にある子や民を思うと常に我が身について思考することから逃れられなかった。そういう体験を潜り抜けてきたからこそ、他の諸侯とは一線を画した見方も可能となる。
さて、マリーの、ポーラに対する想いは本物だ。これまでさんざん詐欺や虚偽と友人づきあいをしてきたが、これこそは美しい宝石だと認められる、珍しい一件だといえる。しかしそれをこのような公開の場であからさまにするべきではないし、彼女はそれを理解したのはもっと幼いころのはずだ。それができないということは、きっと何か見えない力が働いていたに違いないのだ。彼女とて王の一撃は予想外だったにちがいない。
それを証拠に、ポーラの安全が保障されると知るや、先ほどの狼狽は瘴気から感じられない。しかし教えたことと違うではないかとクララは問い詰めたい気持ちからは中々解放されそうにない。優れた子供たちだということは疑いようがなかった。アラス城で初めて出会ったとき、一も二もなくそのことを理解させられたものである。だからこそ、この二人には最上を期待したいと希望する。
クララの反撃によってポーラは軽く負傷してしまった。こともあろうに幼いマリーは治療属性としての早すぎる才能を発揮しようとした。彼女のもみじのように小さな手がポーラの胸に向かっていたのだ。ありえないことである。たしかまだ7歳だったが、その年齢で才能が開花していること自体が異常なのだが、実行してしまえば施術者の生命が危ない。思わず叫んでいた。
「治療属性を!!治療属性!!」
脳裏には、あの子を非常に大切に扱っていた公爵夫妻の姿があった。彼らは本当の娘以上に可愛くてしょうがないという様子だったのである。
ところが、クララの懸念は杞憂に終わった。公爵夫人は駆け付けるというよりはむしろ悠々とやってきたことが印象的に残っている。最初からまったく懸念はなかった。それほどまでに治療属性としての資質においてマリーは信頼があったのである。
王の一撃による負傷は、そんなマリーが深刻にならねばならない事態だったのか?あたかも生命に関わりそうな騒ぎに火が付きつつあるが、全くもって俄かには信じがたい事実である。
ルイの試みは、事件が与えた衝撃を和らげるとともに、この出来事の責任を諸侯に転嫁することにあるのだろう。みな耳を神妙な心持で傾けている。まったくもって若い者たちにこの場は支配されている。それだけでなく教導されているとなれば年長者たちは形無しというよりほかにない。
ナント王にしても未だ30歳に辿り着いていないはずだ。
ここでこそ自分のような存在が意義を持つと思う、かつて公爵家と伯爵家の頚城として勤めたように。
あのときクララは若かった。だから温厚な王に食ってかかっていた。
「閣下、私がハイドリヒ伯爵家に赴くならばわかります。それは確かに伯爵なりの配慮なのでしょう。閣下にしても惣領としての立場を見せつけたいというものありましょう。しかしながら私の立場はありませぬ。理からすればハイドリヒ伯爵家に人質として送り込まれるべきでした。伯爵家同志の頚城なのですから」
公爵家とモンタニアール王家という互いに敵対する二大有力者の合間にあって、両伯爵家はいわばチェスの駒だった。
慌てて時の公爵、オーギュスト五世は玉座から降りてクララに歩み寄ってきたものだ。
隣の席で厳しい顔をして微動だにしなかった公爵夫人とは好対照だった。彼女は厳正な政治家の顔をしていた。当時、クララがアラスにあることは情勢を大局からみれば当然のことではあったのだ。
あのとき、夫妻には別々の意味で尊敬のまなざしを送っていた。しかし単純に前者には人間的な優しさを、そして後者には厳格な政治家としての側面、とは言い切れなかった。両者がそれぞれに混在した何かをクララはみていたのである。
それは現在、クララがポーラとマリーに対して感じる未来への嘱望と似ているのかもしれない。
マリーが常に冷静沈着で目的のためならば行為は選択しない非情だと思ったら、とんでもない間違いを犯す。逆に勇ましい武人だけの姿をポーラだけに見ることも同様だ。エイラート奪還軍が起こった、この短い期間でクララは興味深いものを二人に見せつけられて大変に満足しているのだ。
ルイは、兄がマリーに対して幻滅していることを覚っている少数派の中の少数派である。彼はマリーの中に自分に似たものを探り当てていた。
王は、背後に迫る高位聖職者たちの監視にこそ警戒の目を光らせていた。だからこそ、常人ならば思い付きもしない挙に出たというわけだ。
聖職者も貴族たちも戦場には疎い。王に戦争の一端を見せつけられてさぞかし肝を冷やされたことだろう。
警告と目くらましならば、いっそのこと王の意図通りになったということができるだろうということだ。
しかしそのことで公爵を傷つけてしまった。それによって余計に彼の意図が拡充されてしまった。それについて王は無言で通している。
彼の真意に最も近づいているのは、弟ルイにほかならない。
彼にとっては、今のところその中で表出できる性質のものが少ないことは悩みの種だった。今現在、彼の主君はポーラなのだ。
そのバランスを取ることこそ、兄から案に命じられた使命だと思っているが、それとはべつにポーラへの忠誠の気持ちが芽生えていることもまた事実だ。その彼女は負傷して治療中だ。いかにマリーが最高の治療属性だとはいえ、本来の能力を発揮するためにはそれなりの時間を要するだろう。
じつはいうと、ポーラはすでに回復していた。腕はなおも痛みがナント王が相手でなければ戦えないこともない。だが、息をひそめていた。それは既視感を喚起する何者かが済姿を見せつつあったからだ。
魂だけの姿でドリアーヌは出現したが、その前に勘付いていた。




