表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
架空十字軍  作者: 明宏訊
45/61

 ニネベの攻防3


 諸侯たちは誰もが色を失った。

 ポーラの両手が火を噴いたのである。

「こ、公爵閣下、お気をたしかに!!ヒトラー伯爵、あなたはご友人でしょう、お諫めくださいませ」

 その伯爵はクララの肩にしがみつくが、彼女の碧色の瞳は微動だにしない。それを恐怖の表れと採ったのは伯爵の誤認である。彼女も自分と同じように燃やされることを怖がっているだろう。伯爵は辺りをつけている。

 その人物の妄言に付き合うことにクララは意味を見出せない。事実誤認というよりは、むしろ、世界設定、定義自体に問題があるのだ。

 が、面倒くさいので怖がっているふりを、あるいは演技をしてみせることにした。

 一方、ポーラはというと、彼女ただただ呆れ返っている。

 ただし楽しみがないわけでもない。

子供の頃に楽しんだ吟遊詩人の歌から、このような場面ならばどのようなセリフが相応しいのかを吟味する。それは有意義だが戦場がもたらす緊張感とは全く別物だといわねばならない。

 彼女の一挙手一投足は傍観者たちによって監視されている。逆を言えば、連中はその動きに縛られている。微動だにしただけで、想像の炎が自分たちに伸びてくるような気がする。

 連中の肝を冷やすような出来事が起こった。

少女は、無音で甲板を踏む。

「ひやああぁぁぁぁ!!熱い!!」

全く、何という声を出すのだろう。少女は逆に毒気を抜かれた。演技の楽しみも幻滅にとって変わる。

軽やかな動きは傍観者の目を奪い、一瞬ながら恐怖も麻痺させるに至る。

この恐ろしい少女に燃やされる。船上なれば容易に延焼する。火に抵抗するならば水だが、その魔法の専門家がいただろうか…が、ここまでは思考が進む者はいる。具体的にその顔、顔は浮かぶ。ただし、この段階で頭の中が真っ白になってしまう。本人たちは水属性であることすら忘却の彼方に投げやってしまっている。だが気づいて大変に困惑そうな顔をする。それは貧乏くじとしか言いようがない。

 公爵閣下の炎に叶うものか。一滴の水で山火事を消せと?冗談だろう?マストの重なりがどうしても山稜に見えてしょうがない。それらはここにいる少女の気分次第で炎上するのだ。 

ここにいる諸侯たちが束になっても彼女ひとりに敵わないだろう。その計算上にナント王が入ってなかった。ミスに誰も気づかないが、必ずしも杞憂でもない。王がすべて受け止めてくれるとは限らないのだ。そのことをクララだけは見抜いていた。王にしても自分が過大評価されることは迷惑だったから、重畳というべき状況ではある。

ここに集った多くが素質はありながら、それを腐らせてしまった連中ばかりが目に付く。要するに竜騎士や魔法の使い手としての修養を怠っているということだ。

クララは、怯えている圧倒的多数の空気と同調しようとする。少女が真剣ではないことを気づいていながらそうしていることは欺瞞以外のなにものでもない。

それ以前にここにいる大多数が見過ごしていることがある。本当に気づかないのか。なんと愚かなのか。

生まれついだ尊い血に申し訳ないと思わないのか、というわけだ。

ポーラもまた瘴気の操作によって自分を偽っている。ナント王への怒りのために理性を失ってしまった・・・いわば、ふりをしているのだ。

少女は高笑いしたい衝動に駆られている。何という愚かな連中か。本当に戦いに来ているのか。だからナント王への言葉はあながち虚偽とは言い切れない。

「ピエール二世陛下、いかに陛下が尊い冠を戴いているとはいえ、数々の無礼、侮辱はとうてい受け入れがたい。我とて、ロベスピエール公爵を主より受爵する身。ゆえに永年の恨みをここで晴らしてくれる・・・・」

歯が浮く。自分で言っておきながらバカバカしくなる。本当に自分がしゃべっているのか。軽薄な妖精が口に入りこんで言わせているのではなかろうな。笑いをこみ上げる。そなたたち、とくと見るがいい。眉間に寄っている皺は怒りからではなく笑い衝動を抑えることからくる苦悶なのだ。 

涼しい顔の王は無言で長剣を構える。

 認めたくはないが、現在、彼を上回る竜騎士は存在しないだろう。

 まだ少女にセリフを要求するのか。

 ポーラは切り札にあたる言葉を吐いた。いかにも口惜しそうに「幼女とは・・・何事か?!」過去の自分の気持ちを鑑みれば一概に虚偽とは言い切れない。

 諸侯たちの同情が少女に集まる。それを顔の皮で感じる。

「陛下、いかに陛下とはいえ、このお方はロベスピエール公爵にあられます。それに19歳でいらしゃいます。仮に9歳であられたとしても、いくらなんでも緑色の幼女はひどいでしょう」

 ひどいのはそなただ、とポーラは思わず毒づきたくなった。陛下は、少なくともこの場において色のことまで言及しなかった。思わず睨みつけたくなったが、それでは折角の芝居が台無しになってしまう。それにそんなことをしたら一瞬であの子爵は燃え尽きてしまうだろう。

 子爵を皮切りにみなが王を批判しはじめた。これでは形勢がポーラに偏り、芝居が面白くなくなる。

 思いついたのだが、ここで幼女を演じてみて、王の発言にも一理あることを証明してやろうとしたのだ。

 ポーラは泣き声を上げ始めた。

「ひどい、ひどいですわ、陛下、ポーラを幼女だなんて・・・」

 瘴気からわかる。マリーは両手を天に向けて呆れかえっている。

 それじゃ、だめでしょう。芝居に少しは付き合え。

 ポーラは完全に理性を喪失するふりをしている。当然、少女は火の玉になりかけた、少なくとも怯え切った諸侯たちの目にはそう映る。連中に少女たちの意図が伝わっていると考えるのは難しそうだ。伝説の巨人が互いに殴り合っている情景を目の当たりにしているかのようだ。聖伝には城ほどもある大きさの人間が暴れまわるという記述があり、この場においてそれを知らない人間はいない。

 そもそも二人はまじめに演技をしているわけではない。飼っているペットがやるならばともかく、中世の封建領主自ら芸事にやつすることに価値を見出すこと自体がありえない。戦争こそが至上の価値を有する。それに疲れた心を癒すためにこそ芸事は存在する。

 が、貴族の階梯において最高位にある二人が何をしているのか。そのこと自体が一般常識から外れる。

 しかも、見物人たちは誰もこの芝居を楽しんでいない。それ以前に芝居とは認めていない。自らの喉元に死神によって鎌を突きつけられている。少しでも身動きすれば自らの青い血が噴水をつくることだろう。

が、連中にはどうしようもない。あそこにいる誰も怒り狂った少女を抑えきる能力などあるはずもない、竜騎士も、そして魔法の使い手も同様だ。

 クララ・フォン・ヒトラーは怯える演技にさすがに飽き始めている。当初の目的は…まだ辛うじて見失ってはいない…つもりではある。

後でポーラにかける不満のセリフを考えておこうと思っている。

 慧眼という大袈裟なものを持ち出さずとも、彼女は事実を洞察している。

理論上、ここは主の福音を受くる場所ではない。本来ならば存在しない空間だからだ。それなのに、どうしてお二人がこれほどまでにそれぞれ竜騎士、魔法の使い手としての能力を発揮できるのか。それは魔法源泉があり、種の福音が受くる証拠ではないか。しかもここは洋上なのだ。海に源泉があるなどとだれも聴いたこともない。どうして誰もおかしいと思わないのか。湖や河川ならば源泉が使える。ならばいかなる理由から、船を使って奪還軍は出発したのだ?主の福音のみを頼みにしたと、奇妙な円環に思考は進んでいく。主の福音を信じないことはありえない。ただ、自分たちはそれに値しない、見捨てられたのだと解釈すれば少なくとも人間ではいられる。

 そういう逃げ道は用意していたものの、基本的には自分たちは救われる価値があると信じて疑わない。

 自分たちが団結すれば、福音なる天の配剤があり、向かうところ、敵なし、と主張したのは、神聖ミラノ皇帝ジギスムントその人に他ならない。

 ナント王の周囲に集る連中もその理論を選択したのだとばかり思っていた。

そう思いきや、事実を確かめてみればそこにすら連中は達していないことが知れたのだ。要するに戦いに勝つ算段もなしにはるばる世界の外までやってきたというのである。開いた口が塞がらない。

恥も外聞もなく奪還軍に参加できたものだ。戦場というものに親和性が薄いのか、怖いもの知らずというよりは、単に向こう見ずと言った方が適当だ。

しかしわざわざ説明する必要もないだろう。

それよりも、だ。

懸念は、お二人のことだ。この高貴な方々はもしかして演技のつもりが本気になられてしまったのではなかろうか。ナント王のことはそれほど知らないが、友人ポーラがこの世の何をおいても戦争が好きなことは知っている。

 ポーラの考えはわかっている。

この場における疑問を諸侯に投げかけるために彼らは芝居に興じた。そのまま展開してくれれば問題はない。幼児を叱責するのに、これがダメだと直言するよりも物語形式で、そう、母親が寝物語で言い聞かせた方が心の染み入ることと似ている。

 が、ポーラの切れ長の、心なしか吊り上がった目を見ているうちにクララは不安になってきた。

 演技にすぎなかった戦意が変化しつつある。

それが高じて本気になりつつある。瘴気に変化はない。しかしながら公爵ほどの使い手ならば、そんなことは幼児の手をひねるよりも簡単なことだ。

 少女は瞬きすらしない。

これは殺気というものではないか。この場で本当の危機感を共有するのは、自分以外では唯一、サンジュスト伯だけだろう。

彼女と目が合った。

本人はすでに言わずとも、もう一人前という空気を醸し出してはいる。

が、 クララからすると、まだまだ「あどけない」という表現が適当だ。将来を嘱望される治療属性であるが、まだ17歳と聴く。


彼女は、一言二言、交わしただけでも相手の知性を感じ取ることができる。それはいままでに味わったことのない極上だった。しかしながら、地上において過ごした年月の重みというものはバカにならないことがわかる。

少女は不敵な微笑を浮かべると、竜から降りた。

治療属性だというのに、動きは敏捷で軽やかだ。公爵と王は、それまでしっかりと互いに向けていた焦点を変更せざるをえなくなった。

「陛下、公爵閣下、お二人の目的は達成されたと思われますが?」

相手が目上なのだから、言葉遣いは丁寧だが、語気の背後には人を顎で使うような凄みが見え隠れしている。いや、わざと見せつけ出した。

この若者ゆえに許される。そうした空気が醸し出されている。クララは、ふたりの少女の関係について詳しいことは知らない。

 これほど控えめでありながら名だたる諸侯を黙らせる力が何処にあるのだろうか。感じられる瘴気はポーラのように、誰もが一瞬で畏怖するようなエネルギーに満ち満ちているわけでもない。だが、それでいながら潜在するとてつもない力を感じさせる。

誰もがそれを認めている。王ですら、毒気を抜かれてしまったのか。

若き伯爵は声を張り上げた、わざと無造作な声を見せつけるように。

「方々は、何かおかしいとは思われないのですか?どうして、そもそもこの船はまともに動いているのですか?」

少女は呆れた。どうやら自らの保身に対する感受性だけは一流らしい。一様に怯え出し始めたのである。

「僭越ながら、魔法源泉はあると申しておるのです」

ひとりが前に出る。

「しかし、閣下、ここは主の福音の外…」

マリーはその貴族にみなまで言わせなかった。

「そう、ここは世界の外なのですよ、ハリゲンシュタット侯爵閣下?」

 華奢なマリーの言葉に自分を取り戻したのか、侯爵は小さく咳をした。

伯爵を閣下呼ばわりするとは、侯爵は気でも違ったというのか。よほど精神に混乱をきたしているらしい。侯爵は50歳近い。しかも身長差は頭2つ分くらいはゆうにありそうだ。が、蛇に睨まれたカエルは侯爵なのだ。

少女は、偉丈夫にたいして情け容赦なく畳み掛ける。

 しかしここまで持って回った言い方をしなければ、当然の結論にまで皆を導くこともできない。何とも頑迷固陋な連中だ。

「戦場体験が大変に豊かな閣下なれば、私がごときが指摘する意味もありませんが、ここからそう遠っくない場所に魔法源泉があります。それだけでなく海底にもあるようです。諸侯方。何を驚かれますか?たいした風もないのに船が動いております。いかなる理由からでしょう?」

鼻で笑っている。クララは感じた、才気走っている。いかに知性に恵まれようとも若すぎる。`

 空を見上げると雲の代わりに竜が幾重にも重なっている。何とも壮大な光景で、少女は体験したことがないが、一方で児戯のようでもある。だから素直に感動できない。

 なんとなれば、誰も疑わないのか、翼がない竜がどうやって飛んでいられるのか?魔法源泉から援助を受けているからに決まっているではないか。蓄えは残っているかもしれないが、仮に魔法源泉が近くになければ、あのように悠々と飛翔していられるはずがない。それに気づかないのか?すべては主の福音に預かっていると説明するつもりか。

 マリーの見立てによれば皇帝の同類たちは、その説に固執しているように見える。もちろん、ハイドリヒ、ヒトラー両伯爵のような有力な貴族たちという例外はいるにはいる。それ以前に彼らは皇帝の同類と呼ばれることに違和感どころか、肌に粟を作るに決まっている。少なくとも少女はそういった感触を持っている。同じ母語や外見をしているからおいって、同じ感覚を持つわけではない。それは自分たちで十分に証明済みではないか。

 あのナント王、モンタニアールと自分たちが同類などと言いだす人間には、治療属性の信条の逆を食らわしてやる所存である。傷病を癒す属性ならば、その逆をいけば攻撃魔法に姿を変える。もっとも禁じ手、ではある、もちろん。


王は、彼らしくない表情を少女に向けている。この男はこんな顔をする人間だったか。姉上に対するようにせせら笑って見下していればいいのだ。どうしてそんな目をする?

 マリーは感情を表出する衝動に駆られた。

 あたかもそれを抑えるかのように姉上さまの言葉が迸った。

「マリー、サンジュスト伯爵殿が言う通りでしょう、みなさま、いつまでも旧態依然の思考にしがみついている場合ではありません・・・」

 その時、王の目が光ったようにマリーには感じられた。彼ごときの眼力に突き動かされるなどとありえない。しかし心を動かさずにはいられなかった。彼は瘴気でも、発語にも依らずこう言っていた。

 そなたは、公爵を諫めるために存在するのであろう。

 姉上さまは明らかに行き過ぎている。しかしそれをモンタニアールごときに指摘されるなど・・・しかし彼女の理性は恋人の危機をすぐに洞察した。

 ポーラに耳打ちする。

「それは言いすぎです」

 が、王の懸念は杞憂だった。彼女の言葉は上空にて旋回する者たちの耳にまで届きはしなかったからだ。が、彼の慧眼はそれらの竜上に聖職者たちが混じっていることをたしかに見逃しはしなかったのである。

ポーラも気づいていた。いささか悪ノリしすぎた自分を叱りつけたい気分になっていた。少女のはるか頭上では竜たちが旋回している。彼らは人間に一見制御されているように見えがちだが、そのじつ、彼らの視線からすると別の光景が見えてくる。竜はとても賢い。 

もちろん、人間ではない。しかし知性などあらゆる分野において他の動物と比ではない。畏れ多いことだが天使さまでもない。しかしながらそうした考えがあながち的外れともいえないくらいに彼らは慧眼のような気がしてくる。人間の評価ということ自体がナンセンスなのかもしれない。

リシュリューはもちろんあの中にいない。船倉にて鼾をかいているはずだ。しかし彼女があそこいて警戒するように注意してくれているような気がしてならない。

相手がマリーですら笑われるが、こんなことを思いついたことがある。

人間は竜を手なづけているつもりが、じっさいは竜に導かれているのではなかろうか。

世界の外に歩を踏み出して以来、そういう思いをさらに強くしている。以前は自分の口から発していながら、単なる妄想にすぎないと片付けていた。

 マリーは自分が動かねばならないと気付いた。そうしないと大切な姉上さまが傷つく。しかしそれよりも早く黒い影が高速で動いた。目にも留まらぬ。ナント王である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ