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架空十字軍  作者: 明宏訊
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 ニネベの攻防2



 ドリアーヌはポーラの竜によじのぼってくる。まるで時間が永久停止してしまったようだ。その世界で動けるのは自分とドリアーヌのみだ。非現実的な想像だが、それ以外にこの状況を表現する方法を彼女は知らない。ポーラの理解によれば魂は物理に支配されないのに、どうしてあえてあのようなしぐさを見せつけねばならないのか。

「ドリアーヌ、どうしてそんな無意味な演出をする?」

「姉上さま、私とて肉体を持った魂として行動してみたいのです」

「男爵ではだめなわけだ」

「彼の地位、彼がおかれている状況を勘案すれば・・・」

 少女は従妹の言葉を遮る。こちらを見ている王の視線の変化に留意しながら言う。

「そんなことが重要なのではあるまい・・・ところでだ、私とそなたはどのように話し合っているのか?言葉でも、瘴気でもない。そのほかの何かか?」

「姉上さまの知性には驚かされます。おそらく魂同志が直接的にコミュニケーションを取っているのでしょう。ここからは完全な想像ですが、死者同志はきっとこのような方法を採っているかもしれません」

「まともな死者は納骨堂で最後の審判を待っているのだ。父上は私が行っても会ってはくださらぬ」

 「眠りながらコミュニケーションを取っているのかもしれません」

「ならば、父上と会話をしたことがあると?」

 ドリアーヌがまじかに接近していることにポーラは気づいた。双眸が青白く光っているが、やけに冷たい。これほど暑いのに彼女の周囲だけやけに寒々しい。抱きしめてやりたい衝動に駆られたが、背後に恋人が控えているうえに少しでも手を触れたら一瞬で溶けてしまいそうで怖い。夏の氷菓子のようなものだ。魔法が効力を失ったとたんに消えてしまう。ドリアーヌを存続させるための魔法に少女は心当たりがない。

 こうしている間にもナント王とマリー、その他の貴族ども、いろいろと現実世界に根を下ろしていなければならない。

  ナント王とマリー、さながら前門の虎、後門の狼だ。ナント王はともかくやけにかわいらしい狼がいたものだ。少女は思わず笑ってしまった。

 しかしそのことよりも問題は、それを現実世界とするならばドリアーヌと邂逅しているここは何なのだろう。さながらルバイヤートとでも称するべきか。

 ドリアーヌの発言が意識をいやおうなしにルバイヤートに釘付けにした。

「不思議でたまらないのですが、太后さまが姉上さまの周囲におられるような気がしてならないのです」

「た、太后さまだと?」

 再び現実世界に引き戻されたのは、じっさいに言葉として発してしまったからだ。同時にドリアーヌが消えてナント王が姿を現した。なんという現実感だろうか?確かに彼は目の前に実体として存在する。

 場違いなことを言った少女に眉をひそめている。

 幼女は母親の乳房が恋しいか?とぐらいは攻めてくると思い身構えたが、はたして事実はそうならなかった。ありえないことだが、今まで彼が見せたことのない殊勝な顔がある。太后という言葉が喚起したとはとうてい思えない。彼が太后を知るはずがないからだ。

 さしずめ自分の母親のことでも思い出したか。機会があればルイに訊ねてみようと思う。

 それにしてもドリアーヌの、あの言葉の真意は何処にあるのだろう。太后が魂と肉体を分離させる術を会得したとは知らない。あのお方ならば素質は十分かもしれないが、それにしたってあの人が近づくならばむしろマリーが対象だろう。間違っても自分に接近するとは考えられない。

 彼女のことを考えたら、ドリアーヌの像がポーラの心に浮かんだ。

 意識の働きが彼女に接近できる鍵だろうか。瘴気も心と密接な関係があるが、それとは別ものらしい。瘴気であれば、マリーやナント王や、それに他の貴族たちが気づかないはずがない。

 ドリアーヌは言った。

「危険です。モーパッサンで感じた何かが近づいています・・・」

 瘴気ではない、彼女の口調がその正体を示唆している。

「また会ったわね、お嬢さん、ようこそニネベに・・・歓迎するわ」

 今度こそはいかに情動が激しく動いたからといって間違いは起こさない。ドリアーヌに語り掛けるやり方でアクセスを試みる。

「ルバイヤートか?!」

 「小娘、ルバイヤート?それ、わからない。私はニネベの太守の妻のひとり、そなたの世界で言うところの妃だ。それにしても、そなたは本当に愛されているのだな・・・・まこと羨ましい・・おっと・・また小娘が一人・・・」

 ニネベの妃?はじめて正体らしき示唆はあったが、姿は見せない。何と卑怯なのか。ポーラは攻撃手段を持たぬ自分が口惜しい。何か気にかかる表現が対象の口から洩れたが、きっと錯覚だろう。あるいは彼女がケントゥリア語の正しい使い方を知らないのだろう。それにしては他の部分の文法、修辞法があまりにも完璧だがそれもまた錯覚に違いない。

 それにしても、彼女の言葉が示唆するところは、ドリアーヌに違いない。魂対魂ならば攻撃が物理的に可能ではないのか?

 そのように彼女に語り掛けていた。

 妃とやらの声が響いた。

「この小娘の生命がそれほどそなたにとって重要か?ならば、それは彼女の生命は風前の灯火ということだ。私はいつでもあの小娘の肉体と魂を分離できる」

それはいわゆる死と呼ぶものではないのか。

「・・・・」

「そなたの態度次第で殺さずにおいて差し上げる。その条件は私の足に接吻することだ。それができるか、それも公開の場で」

本気とも冗談ともつかぬ。瘴気はなく、顔が見えないから表情から読み解くこともできない。ゆえに口調から判断するよりほかにない。

 それでも何とか太守の妻とやらの容貌を想像してみる。いま、違和感の正体がわかった。彼女は妻のひとりと言った。それはどういうことなのか。妻はひとりだ。

「姉上さま、そのようなことは虚偽です。化け物に騙されてはいけません・・・・」

 ドリアーヌの言葉が途切れた。それは妃とやらの言葉が真実だということを暗に示してはいないか。もはや他の手段はない。彼女に何かあったらマリーは自分を絶対に許さないだろう。それに、それ以前に自分はドリアーヌを愛し始めている。

「あいにくと私にはそなたの足は見えぬ」

「魂だけの私を感じられるそなたならば、いくらでも可能だ。私の足を自由に想像してみよ」

 なんだ?この不快感は?!自分を弟子扱いしている。だが、ドリアーヌの生命がかかっている。

 そう思った瞬間に見えた。

 人体の大きさの布からほっそりとした黒いものが見えた。それは手の形をしていて、それは銀色に光っている。刃だ。

 ええいままよ、と足があるべき場所を見る。はたして、ルバイヤートの足が見えた。何とも珍妙な靴だ」

「こ、公爵閣下!!どうなされたのです?!具合でもお悪いのか」

「チィ、感知させたくない相手にみつけられたか・・・・そちらにエネルギーを使いすぎたようだ・・・・また会おう」

 マリーの黄色い声がポーラの耳を劈いた。

「え、アナタは誰?ええ??」

 それは恋人が生まれてはじめて、ドリアーヌの姿を目撃した瞬間だと、ポーラはなかなか気づいてやれなかった。

 それに対する憮然とした思いを保留させたのは、あの疑問だ。それは彼女から決して離れることはなかった。

「ちょっと、待て、妻の一人とはどういうことだ。言葉は正しく使うものだ。ケントゥリア語の正しい文法を私から学ぶがいい」

ポーラの言葉を~の一人とやらは果たして耳にしていたのか、よくわからない。

ナント王の言葉から、どうやら少女がそれを実声で表現していたことがわかった。

「幼女はいつからケントゥリア語の教師になったのだ。それ以前に幼女が人にものを教えるなどと、まったく荒唐無稽というよりほかにない」

 心なしか王の罵詈雑言にも普段のキレが感じられない。それはポーラの関心が、あの対象の文法ミスにあることは議論を待たないだろう。王はどういう考えを持つのか。ポーラは知りたくなったが、まさかこちらから尋ねるわけにもいかない。

だが、王の方から話題に乗ってきた。

 「妻の一人とは、どういうことか」

 王は、モーパッサンの件に関して何らかを感知していた。ポーラは好奇心についに負けたのである。まずは何事がなかったかと、対象についてその存在を示唆してみた。

「あいにくと今回は何も感じ取れなかった」

 王はべつに憮然とした顔をしているわけでもない。本当のところが何処にあるのか、知りたい気持ちはあるが、それよりも対象の言葉の方がよほど興味深い。

「ニネベの太守の妻は自分のことを複数形で語った」

 「幼女が複数形という言葉の意味がわかったということを前提で私の考えを述べる。ルバイヤートにおいては、夫が一人に妻が複数付帯しているらしい。連中が主の福音を受けていないことを考えてみれば当然のことだが」

 ポーラは話しの腰を折る衝動に駆られた。

「で、陛下、私は主の福音を受けているのでしょうか?」

 王はそっけなく応えた。

「ゆえに公爵であるし、優秀な養育係を派遣されているのだろう」

.ポーラは王の言葉を理解できないふりをしたくなっていた。何をバカなことを言っておられるのか、陛下はどのようなお気持ちなのか?と問う前にたたすっとぼけて見せるのだ。

 王の真意は何処にあるのか。

 彼にポーラを騙すことから生じるメリットはない。するとあの対象が言っていたことは真実なのか。それはドリアーヌに確認すればいいだけの話だった。彼女は単身でルバイヤートに上陸したことがあるのだ。

しかしそれ以前に、王の言葉が正しいことを前提として連中を少女は見ていた。そうならばどのようなアプローチが可能なのだろうか。もちろん、対話や和平などありえない。主の福音を受けぬものと関係することは絶対にありえない。破門とは関係の外に置くことを意味する。ルバイヤートとは最初から関係の外にある、言い換えれば最初から存在しないも同じことだ。

少女は不可思議な思いに駆られていた。攻撃するというのも、ある意味、関係性を結ぶことに他ならないのか。すぐに浮かんだ解決方法がある。異端審問官たちのことだ。連中は、破門に値する容疑があると判断された者たちを無視することはできない。その罪を追求し、告白させ、再び関係性を取り戻すことを目指す。

そうならば自分たちも異端審問官になったつもりでルバイヤートに相対すればいい。しかしニネベの太守の妻、のひとりとやらは言っていた。

「自分はニネベの者であって、ルバイヤートなど知らぬ」   


 にしても、ポーラにとって頭の痛いことがある。

それは、対ルバイヤートの戦いは、常に賢人会議の参加者が密に連絡を取り合い、真意については諸侯や聖職者連中からは隠匿しなければならない。このことに尽きる。賢人会議とは信頼できるとはとうてい言えない。ナント王がそれに値するか?自問自答してみれば、すぐに自分の口角は上がってくれるにちがいない。水盤をわざわざ目にする必要もない。

ナント王に限らず。賢人会議の構成員はいずれも狸かキツネのような得体のしれない連中ばかりだ。あの東王ですら、彼が置かれている状況を鑑みればこのままずっと奪還軍に徹するとはおもえない。彼が支配している地域はそれほど情勢が不安定なのだ。彼が野蛮人と呼ばれる人たちも、奪還軍に参加していることは少女も知っている。彼女に謁見した際、確かに主の福音を受ける資格があろうとも断言できなくても、少なくても想像はできた。だが、断定できない分、東王アンリへの気持ちは完全な信頼にはなりえない。彼の人格はすばらしく、たとえナント王などど比較ができないくらいに崇高だったとしても、ポーラは自分の希望的観測にしがみつくつもりはない。

 目の前にはナント王がいる。

 なにゆえに自分ははるばるやってきたのか。

 いかに人格が破綻していようとも、奪還軍の中で数少ない、より正しい認識を共有できる相手だ。その話をしにきたのではなかったか。

 無能な外野が多すぎる。唯一、話が通じそうなのはクララ・フォン、ヒトラーくらいだろうが、いかに大きな碧色の瞳がらんらんと輝こうと、それに頼るわけにはいかない。

 ここでまともな談義はできそうにない。ならば・・と考えた方法はこれだけだった。

「陛下、長旅でストレスは溜まっておられませんか?私はそれを発散させる対象として適任だと愚考しますが、ここにはたくさんの紳士淑女が観衆として来ておられます。みなさまは船上の一騎打ちをご覧になりたくありませんか?」

幼女、愚考という意味がわかっているのか?大方、後ろのお姉さまに教わったのだろう?バカの一つ覚えは恥を上塗りするだけだぞ・・・このくらいは吹っ掛けてくると思った。ありは少女は期待したのだろうか。

しかし王は無言で長剣を抜いたのである。

背後から黄色い声が起こった。

「へ、陛下!!お止めください!」

諸侯が瘴気を垂れ流しにした。少女はうんざりとしたが、けっして好戦的な気持ちが削げ落ちてしまったわけではない。



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