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架空十字軍  作者: 明宏訊
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 出航4


ジョルジュ・クートン枢機卿を下船させる話は、いったい何処ぞに翼を生やして飛び去ってしまったのか。きっと今頃はアラス城あたりに不時着していることだろう。すでに発案者の心には少なくとも表面上は存命中ではない。しかしいつ何時、息を吹き返すのがわかったものではない。マリーはそのことに気づいている。彼女の恋人は天才肌だが、いや、それゆえに大変に移り気で気分屋なのだ。

朝の大気に抱かれながら顔を洗おうとしていたところに、彼女の瘴気が大量に降ってきた。いつになく恋人は機嫌がよい様子だ。それに気を取られていつもの習慣を忘れてしまった。水を運んできた侍女にありがとうの一言くらいかけるのだが、どうも失念してしまったようだ。

 それを思い出したころには、すでに少女の姿も瘴気も消えていた。

 姉上さまが神経質だと主張するように、少女はいつもの習慣というものが期待通りにいかないと気分を害する。 

 案の定、ポーラは甲板にて朝日を一身に浴びて輝いていた。まるで太陽は自分だけの所有物だと言わんばかりだ。そういう恋人をマリーは心から愛していた。しかしそれを直に表してやるほどに幼いわけでもない。

 ここは本当に世界の外なのか。確かに太陽光は強烈だが、これくらいならばモーパッサンでも十分に体験できるレベルではある。が、何かが決定的に違うような気がしないわけでもない。空気が違う。

 けれども同じこともある。魔法源泉。モーパッサンを微かだが感じるのだ。個々個人の瘴気が違うように源泉にもそれぞれ個性がある。これは確かにかの地であってそれ以外ではありえない。

ここは、距離的に効力範囲内なのだ。だからそれはごく自然なことだ。ただし、それはあくまでも世界の中に限定される話・・・のはずなのだ。

ここは世界の外だ。

本来ならばないはずの場所だ。しかしある。こうやってちゃんと呼吸している。呼吸とはエーテルを世界から吸って世界に戻すことを意味する。エーテルとは世界に充満している何かではなく、世界そのものを指す。 

いうことは陸続き、いや、世界続きでルバイヤートが存在するのか。

 そう思い至った瞬間にルバイヤートを自己と対等の存在として認めてしまっている。それは由々しきことなのだ。

 そんなことを考えながら階段を上がっていく。サンジュスト伯爵に気づいた家人たちが膝を折る。彼女の公爵家における地位は微妙だ。だからこそ、それぞれに細やかな礼儀を示さねばならない。それに失敗したのがジョフロアだ。しかしあれを失敗と呼べるのだろうか・・と考えながらマリーは恋人の声が普通に聞こえる範囲内に届く。

 マリーは思わずはっとなった。

 彼女の胸に例の図形が刻まれていたからだ。いうまでもなく彼女が筆記したものだ。しかしすぐにそれは錯覚にすぎず、単なる衣服の襞がかたちづくっているに過ぎなかった。しかしながら、過去に印象付けられた記憶は脳裏からなかなか離れてくれない。

恋人の態度の変化に気づいたのか、ポーラは言った。

「何かあったのか?私の顔に何かついているのか?マリー」

 甲板に出た印象をそのまま言葉にしてみた。

「そうでしょうか?ならばあの文字というか記号を旗印にしてもいいです、いや、ロベスピエール家の紋章は予め決まっていることではありますし・・・」

 公爵家の紋章は非常にシンプルである。円にバツ印が打たれ、それを二重の格子が囲む。由来はいくつもあるが、紋章学者によれば確かなのは二重の格子がつくる三角形がアラスの山々を指すということだ。この地に生まれ育った者たちは山々を誇りに感じている。が、円とバツ印が何を意味するのか。学者たちの誰もが満足な答えを示せない。後々になって二人の少女は気づくが、クートン枢機卿の指がつくった文字に似ている。

 マリーとて、アラスの山々には思入れが深い。幼いころには姉上さまと魔法訓練と称して駆け巡ったものである、アニエスが指揮する捜索隊にさんざん追いかけられながら・・・・。

 過去に流されるのは、現実に対して強い拒否反応があるからだろうか。それはあまりいいこととは言えない。

 強いてマリーは話題を代えようとした。

「諸侯は滝をどのような心持で乗り越えたのでしょう?」

 ポーラは彼女らしくもなくマリーの発言を一般論で返した。

「少なくとも落ち込んだ船はないようだが、もしかして主に対する想いが強いほど落ち込んだのかもしれない」

「ポーラ、その理屈に従うならばほとんどが主のご意思に叶わないということになりかねません」そう言って少女は水平線を指さす。

 まずもって目に入ったのはモンタニアールの紋章だ。

 モーパッサンの瘴気についてはすでに姉上さまとて気づいているだろうに、話題にならないのはどうしたことか。敵を目の前にして気力が減退しているわけもあるまいし。

マリーは当然のことに目を見張った。船が動いているのだ。それは源泉の効力範囲内であることを何よりも強く示している。まったくもって愚かなことだ。誰が?主の福音によって世界の外にあっても船が動くと信じて疑わなかった聖職者たちか?神聖ミラノ皇帝か?それとも意に沿わなくても、唯々諾々としたがってきた自分たちか?滝に落ちて永遠に救われぬ身なることと、世界の外で滞留し続けることにどれほど距離があろうか。

「マリー、何を笑っているのか?」

何も一点の曇りのない恋人の表情が気に食わなかったわけではない。ただ、完璧に傷をつける、結果としてそうなったようだ。

「ここは世界の外のようです」

「そうだ。だが、船は動いているし、魔法も使える」そう言いつつ、姉上さまは宙空に火の玉をいくつか浮かして転がして見せる。

「この船くらい、一刻で燃やせる」

 ピエール二世が乗っている船ではなく、自船を例として挙げたことがマリーには気に食わない。だがその気持ちを簡単に言葉に反映させるマリーではない。たとえ相手がポーラであったとしても、だ。

「滝より前ならば船団を一種で灰にできるでしょう」

「抵抗する輩がいなければの、話だがな・・・水の魔法を使う連中がごまんといるし・・・・」

マリーが思わず口にしていたのはやはりあの家とあの男のことだ。

「モンタニアール家のピエール王」

「そうだな、私たちは彼奴を相手に死闘を繰り広げていたのだ、それが数ヶ月前のことだ、信じられるか?」

「いえ、今となってはもはや夢のようで還軍の魔法は獅子から牙を奪ってしまったようです」

恋人の皮肉をポーラは受け流すことはしない。

「私を獅子に喩えるとは・・・もっと適当な例があるような気がするが・・・とても不思議だ。けっして、怒りが消えたわけでも、目減りしたわけでもない、あるはずがないのだが…」

「…」

 マリーはわけのわからない不安感というか不快感を覚えた。それを確認せずにはいられなくなった。

「ポーラ、最も適当な例とはいったい誰ぞのことです?」

「なんだ、マリー?目が座っているぞ?私は何か変なことを言ったか?・・・・そうか、言ったな・・・特に誰ぞと特定したわけではない」

 嘘だ。

 マリーは一種で見抜いた。竜から落竜という表現がその代表格だろうが、二重表現というものは、概して教養的ではないとして排除される。恋人がそんな言い方をするなどと不安が根底にある証拠だ。何故か、マリーはそれを追求してはいけないような気がしてきた。

二人はしばし無言だった。どちらかといえば、というよりは勇み立つポーラを諌める役回りはマリーだった

幾度となく、戦争の局面にて地団駄を踏む恋人を諌めたものだ。家臣たちは、老ドゴール伯爵を別にすれば本気で劫火に包まれる恐怖に怯えるあまり家臣としてとうぜんの仕事を放棄したことになる。さすがにそこまで行くと形式的な傾向がつよいが、契約のなかに主君が間違えたときには諌めなければならない、という項目に土豪でさえがサインしたはずである。

ポーラはモンタニアールに対するのに冷静すぎる恋人の態度がきにいらなかった。どうしてあれほど冷静で涼しげな笑顔を保っていられるのか。

それを主張したところ、万座の中で平手打ちにされた。しかしマリーは綺麗な顔に一片の感情も滲ませていなかったのである。いかにマリーとはいえ、主君を張り倒すなどと…それはあくまでも家臣たちの主観であってサンジュスト伯爵家は公爵家の家臣ではない…、そうであっても一同が響めいた。だが、彼女にそんなことができるのは太妃アデライードをべつにすればマリーしかいない。戦場ならば彼女しかいない、というのはほぼ確証だった。

今からおもえばあれはマリーなりの最高度の怒りの表現だったのだ。同時に愛情表現も含まれていることが事態を複雑なものにしている。

ドリアーヌが見舞われた不幸の元凶がモンタニアールにあるとすれば、彼女の立場でなくても絶滅を希求するくらいに怒って当然だろう。

当時は彼女のことは知らされていなかった。

ふたりは無言で穏やかな海面を見やる。きらきらと朝日を反射して散らばる。たしかにあの眩く光る球体は太陽なのだろうか。自分たちがその固有名詞で呼ぶ、それなのだろうか。

まだ信じられない。モーパッサンを感じるというのにそれすら幻影に過ぎないとさえ思える。海上をみれば1つの船団が視界に侵入した。ナント王だ。山脈を背景にしてシロツメグサの紋章である。花のデザインに言い訳程度に剣があしらわれている。

地図をみれば誰でもわかるが、王都ナルヴォンヌから山が見えるはずがない。それなのに山を象った紋章を採用している。ポーラは気に入らなかった。アラスは山脈を背景にしているからだ。まるで我が領土に野心があるかのようではないか。心なしか山の形が愛すべき我が山影に酷似している。

ポーラは、当然のことながら半ば冗談交じりではあったが、正式に抗議したことすらある。

何もピエール二世が決定したわけ入ってではないので彼を責めたところで解答が出るはずもない。


 ちょうどルイが甲板に出てきた。

「私は滝が怖くて自室に引きこもっていたのです、みなさまはいかがお過ごされましたか?」と鷹揚に第一声を発する。

 ポーラは微笑でナント王の実弟を迎える。

「まるで別世界に達した気分だ。もしかして自分たちはすでに滝に落ち込んで落命し、最後の審判を待つ身ではないのか・・・と」

「ここは辺土かもしれません、ならば最後の審判にすらあずかれずに永遠に彷徨うことになりかねません。地獄にすら行けないのです」

 幼児ならば大声で泣き出しそうな話ではあるが、ルイはまったく深刻そうではない。聖職者というものは子供には厳しい。ポーラやマリーにも記憶がある。何もザカリアスやクートンに限ったことではない。

 海上にちらちらと揺らいでいるのは竜だろう。大方、滝を恐れて海上に逃げ出した連中だろう。

「あ奴らは恥というものを知らないようだな、すくなくともそれを弁えていればあのまま竜上の人にはなっていられまい」

 ポーラの感想にマリーがついに本題を問う。

「ポーラ、モーパッサンを感じます。ここは本当に世界の外なのでしょうか」

 戦いを前にして恋人があまりにもおとなしすぎる。マリーはいつにないことを言い出した。モンタニアールのシロツメグサ文様を目にしても、そしてもっと腹の立つことにルイを完全なる自家薬籠中のものとしている。マリーにしてみればそんなものは、いわば詐欺以外のなにものにも当たらない。姉上さまにそんな形容詞が適当だとはとうてい思えないが、彼を信用するなどとあまりにも人が良すぎるのだ。いくら正式に契約を交わしたからといっても、次の更新時には裏切るだろう。わんさかと情報を奪取していわば勝ち逃げを決め込むつもりだ。ドリアーヌを生んだ一族にまともな人間がいるわけがない。

 だからといって、むき出しの敵意をルイに見せることはしない。ただ、彼の出現をポーラに対する八つ当たりの武器として利用させてもらうだけだ。

「ルイ殿下は杖をお持ちのようですね」

 この言葉が恋人に発破をかけると期待したのだ。

 しかし全く無反応だ。しびれを切らした少女はルイの耳に口を近づける。

「殿下、戦闘を久しく体験していないことに不満はありませんか?あそこに不満たらたらの公爵がおります。よろしければお相手仕るわけには参りませんか」

 これは第二の発破である。

 しかし恋人は態度を変えない。どうしたことだろう。さすがに心配になってきた。

「ポーラ、杖さえ携帯なさらないとはどうしたことですか?」

「使い手が杖を持たぬとは、竜騎士が剣を所持しないことと同意だと言いたいのだろう、まったく戦意なしとな・・・確かに敵の勢力内に足を踏み入れてはいるのだろうが、どうしてか、ナント王を相手にしたときのような戦意がこみ上げてこない。ルイ、そなたはどうだ?」

「これこそがルバイヤートの魔力ならばなかなか侮れませんな」

「源泉が遠いからといって攻撃してこないとは限らない、ということか」

 海鳥が太陽を横切ったからといって、何もそれがきっかけだったなどと言うつもりはない。

 戦慄が身体を駆け巡った。

 甲板にいる誰しもが身震いをしたのである。 最初に口を開いたのは、ポーラだった。

「ニネベ?これがニネベか?」

 その名前はここにいる誰しも耳にしている。ルバイヤートにあるという魔法源泉だ。しかし情報と、身体で感じ取る現実とは天と地の差があるのだ。

 もはや誰もその事実を否定できない。瘴気を感じ取れる人間である限り、それは不可能になってしまった。

「閣下、ここは世界あのだと・・・・、そう言い切らざるを得ません、しかも公的に・・・・」

「ルイ殿下、口は災いのもとでしょう」

 ポーラは、自分でも気づかずに敬語に戻っていた。

 


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