宴席と鉄面皮
ポーラはマリーに縋りつきたい気分になった。目線は知らず知らずのうちに彼女を探す。しかし不思議なことにナント王をしかりと睨みつけていた。口は感情とまるで別物のように動く。
「陛下、大事なお客様がいらしていることに私は気づきませんでした。どうして早くお知らせしてくださらなかったのですか?私はこの宴席の主人として恥ずかしいことです。ルイ殿下、それからバブーフ男爵殿ですね・・・」
鉄面皮にヒビが入ったことは必定だ。殿下はともかくどうして虫けらに敬称をつけねばならないのか。
力強いことにマリーがポーラの背中に位置している。彼女は自分の欠点を補ってくれる。おそらくこのままの状態を保てるであろう。
ルイ殿下は、言うまでもなくナント王の弟である。妻に早く死なれてしまった王は子がなく、彼をこそモンタニアール家の継承者とこそ公言しないものの、各所からの情報から彼がもっとも重要視する五指に入ることはわかっている。そのために事実上の後継者と目されているのだ。
ポーラはルイを知っている。戦場で何度か干戈を交えたが、外見こそ兄である王に酷似しているが、その内面は似ても似つかない。兄が悪の権化とすれば、弟は・・なんだろうか?善の代表とでもしたいところだが、あいにくとそれはポーラがすべて担っている。きっと悪の一族であるモンタニアール家の中で唯一、外れのような存在なのだろう。きっと間違ってあのような家に生まれ落ちたのだ。何とも哀れな生い立ちだろう。
そこまで考えてなぜだか気分が悪くなった。この世界で彼女が最も知っている誰かを思い出したからだ。鏡をみれば毎朝、出会うことができる自分のことだ。外れのような存在といえばロベスピエール家においては一体、だれを指すのか?
ポーラはルイに自分に近い何かを見出さずにはいられない。
「あの子はロベスピエールの産だとは思えません」
どうしてこんな時に母上の声が聴こえるのだろう。
いま、彼女は内側から鉄面皮の危機を迎えている。だが、ここでそれを崩すわけにはいかないのだ。何よりも憎々しいナント王の嘲笑を呼ぶ格好の材料だろう。それだけには認めるわけにはいかない。
彼女は公爵家において特別な存在だった。天使さまは、彼女を輝ける存在として他とは違う扱いをした。確かに皆が神童と讃えるだけの資質をもって自分は生まれてきたのだあろう。ただし、それは一切の情愛から無縁にされる運命を歩くことと対だったのだ・ジィ情愛とは普通に生まれていれば当然のように享受できる温かさだ。
そういう生い立ちゆえに惣領としての立場を必要以上に自覚し、常に疲れている。それに気づいているのはマリーだけだ。
自分のことはいい。
ルイ殿下のことだ。
干戈を交えたことは何度もあるが、こうやって落ち着いて対面するのは初めてだ。
彼の死が偽装だというのか。そういうことをする人間ではありえない。もっといえば、ナント王にしてもそんな姑息なことを戦場にてやらかす人間ではない・・、いいや、何か、自分はあの悪魔を擁護しているのか?
ポーラははっとなった。
目の前にはルイがいる。ぱりっとした正装に袖を通した姿は未来の貴公子を予測させる・・・そう、彼はまだ少年なのだ。弱冠16歳、ポーラのすぐ下の弟ジョフロアと同年齢のはずだ。モンタニアール家がそうだと認めたくはないが、高貴な家の直系らしく若くして竜騎士、あるいは魔法の使い手の資質を開花させたのだろう。
何ともモンタニアール家らしからぬ清らかな笑顔をルイは見せた。
「公爵閣下、お久しぶりです」
肩まで達した黒髪は微動だにしない。ここに自分がこうしてあることを彼は全く疑問を持っていない。どういうことだ。それがあなたの為人か?
「公爵閣下にお願いの儀があります。まずは兄であるナント王に離別を謝罪したいのですが・・」
異常に大人びた少年は何を言っているのか。
ポーラは機先を制されたことを不満に思った。そなたに言いたいことがあるのは私なのだ。どうして、あなたの口はそこまでかろやかに動くのか。
だが、自分の口も意思と関係なく動く。ロベスピエール公爵という立場がそうさせる。優れて政治的な言葉がろくに考えもせずに出てくる。彼が離別という真意は何か。常識的に考えて適当な答えは一つだ。しかし王の態度が不可解だ。彼は事態を静観している。
「殿下、あなたは兄である王を裏切られると、私と同盟を結ばれると申されるか?」
ポーラの予想通りに宴席にどよめきが広がった。不可思議なのは、王から全く瘴気が干出されないことだ。彼は何を思う?すべて見通しているのか、あらかじめ決められたことなのか。しかし彼はルイとバブーフについて何も知らないと言った。
悪魔の言葉を信じるのか?
しかしバブーフは何処に行ったのか?どうして来ないのか?虫けらにも瘴気はあるだろうに、それらしい気配は感じられない。もっとも感じたくないという意思が感受性を曇らせているとも考えられなくもない。
ポーラの感受性はルイと関わることを選んだ。
「そうか、ならば陛下にお別れの詩でも捧げねばなりませんね、そうしたうえで話し合いましょう、その後のことを・・・・」
ポーラは何か自分が加害者になっていくような気がした。
ルイは本当に痛々しく見えた。表情こそ朗らかだが、少しでも触れたら、霜柱のように脆くも壊れてしまうのではないか。それはけっして嘘ではない。だから見せかけというのとも何処か違う。
彼はポーラに一礼をすると、ナント王の前に立った。
「陛下・・私は陛下の弟に生まれて本当に幸福でした」
王はルイをただ見つめている。この王は人間だったのか。今の今までこんなに睫毛が長いことに気づかなかった。黒い瞳はその奥に深い陰影を湛えている。こんな表情をいつ覚えたのだ?ポーラが知っているナント王は、いつも自分を幼女と言って揶揄う根性が根底まで歪んだ男のはずだった。それが聖母のような眼差しで弟を見つめている。もはや瘴気を押し隠す意図は微塵も感じられない。
いったい、これから何が始まるのか。ポーラはわかったはずだった。しかしそれを素直に認めたくない。
ルイはこちら側に向き直った。
「公爵閣下、何もおっしゃらずに私をご処刑してください」
そう言って杖をポーラの足下に差し出すと跪いた。
すべての視線がポーラの手元に向かっていた。まるで炎熱の魔法をかけられたかのようだ。すぐにでも冷却しなければ皮膚が耐えられる限界の熱を咥えこむことになる。
ルイとバブーフのことについて何も知らないという王の言葉がふいに脳裏をよぎる。
そのことと、何か関係があるのか。
ルイは謝罪すらしない。潔さにポーラは心を打たれないわけにはいかない。しかし同時にその裏に何があるのか。何が彼をここまで追い込んだのか。彼はそれを胸に秘めたまま死出の旅と決め込んだのだろう。
バブーフがすべてを計った?
まさか、あの虫けらにそんな力も頭脳も備わっているはずもない。しかもあれが考えたことにどうしてルイ殿下が従うのだ。ありえない。
兄のナント王はどうか。それについてのポーラの態度は保留だが、本当のことを言えば、半ば、ポーラの判断はきまっているといっても過言ではない。
ポーラは、鉄面皮の下で精神的に追い込まれていた。
彼の口から真実を聴いてみたいが、優しげな容貌とは裏腹に固く口は締められている。どんなことがあっても話さないという固辞の表明なのだろう。それと彼の道徳心が強く働いた結果だろう。何もかも王が知っていたとすれば、それは彼が悪魔である証拠をただ補強するだけのことだ。べつにポーラが驚く理由はどこにもない。しかし弟に対するあの眼差しは・・どうにも胡散臭いが、真実だと断じざるを得ない。
鉄面皮に入ったヒビは別の意味で深入りしそうだ。
若きロベスピエール公爵はルイの肩に触れた。その手には杖が握られている。
「ルイ殿下ともあろうものが、そう簡単に使い手の誇りである杖を置かれるものではありません・・・・」
ルイの生命を救う方法を一つしか思い浮かばなかった。
「この戦いは最初から茶番だったのですよ、王と私は和解の道を探っていましたが、それぞれの家臣や世の人に納得させるためにはこうするよりほかになかったのです。天使さまにすべてお任せしたのです・・・」
そんなことはありえない。必勝の計があって乗り出した戦いだ。正義が悪魔を倒す戦いだ。ルイが発する気品がポーラの胸を打った。
畏れ多くもこのような話題に天使さまを話題の遡上に乗せる。それはとんでもなく罰当たりな言動なのだ。
予想通り、ルイは天使さまという言葉に反応した。そして少女は畳みかけることを忘れない。
「モルデカイさまに頼まれました」
それにはルイのみならず、ナント王の重臣たち、すべてが反応した。王はあの場に同席していたのだからあえて反応する必要はない。すると、そのような主君の態度に家臣たちはさぞかし困惑しがいがあるだろう。数人が席を立った。
「へ、陛下はモルデカイさまが公爵どのに名乗られたことに疑問を抱かれないのですか?」
代表してルソー伯爵が言った。
「どうして、公爵殿が・・・・?!」
「天使さまが名乗られた。それ以外に理由があろうか、伯爵?」
どうやら彼の疑問はこの場の共通認識のようだった。ポーラの答えにだれしも満足しない。そんなことはわかったうえでのことだ。
並み居るナント王の家臣たちは驚愕している。その様子をみた少女はつい図に乗ってしまった。
「モルデカイさまは、私の美貌、品性、知性、そして天性の王者の風格、すべてを認められたのだ。だからこそ名乗られた。光栄である。諸侯、主君を鞍替えする気はないか?契約が残っていることだろうから、それが終わったらぜひともアラスを訪問するがいい。公爵家はあなたたちを歓待する・・」
ナント王が立った。
「いい加減にせぬか!おっと、これは幼女に対してかける言葉ではなかったな、ナント王ともあろうものが情けない・・」
王は、ルイに近づいて行った。いい気分を壊されたポーラは不快だがこの兄弟に割って入る方法はない。それはわかっているのだ。王はポーラの無言のメッセージを受け取って理解した、ことであろう。二人はただルイを救いたいという一点において共謀しはじめたのだ。しかし王の様子はおかしい。
「そなたは掛け替えのない弟だ。幼女の名誉のために死することなど兄として、ナント王として看過するわけにはいかぬ」
王は本当にわかっているのか。あの悪魔が幼女という言葉を発するだけで、ポーラは頭蓋を踏み付けにされる気分になる。
ポーラは眇めで彼を睨みつけざるを得ない。こちらの意図を呼んでの発言であろうが、いい気になって彼女を揶揄しているのではないか。たしかに先ほど図に乗った彼女に責任がないわけではないが、それにしても皆の目があるところであまりではないか?もっとも悪魔の所業は、今に始まったことではないのもたしかだ。
一方、ルイは何が起こっているのかわかっていないようだ。困惑を押し隠せない。ポーラはここで反撃しないわけにはいかなくなった。
「ルイ殿下、私と契約を結ぶつもりはありませんか?罪滅ぼしとしてそのくらいは求めてもいいのかと愚考しますが?」
言うまでもなく出まかせでしかない。だが、周囲のほとんどは真に受け取ったようだ。
ルソー伯爵は怒気を押し隠さない。
「無礼な、いえ、無礼ですぞ、公爵閣下、殿下を家臣とするなど、ありえません!」
「何か、伯爵、私はナント王の家臣だとでも言うつもりか?その方の無礼こそ捨て置けぬ、今すぐフォンテーヌ・ブローにあるそなたの城を攻め滅ぼしてもいいいのだ?ここからの距離、500騎の竜騎士に200名の使い手、シャルトル魔法源泉ならそれで十分だろう。確実性を増すために ルノーあたりも占領しておくか、そうだな、戦術的に可能であると思うが?半日で灰にしてやろうか?うん、顔色が変わったわね。いま、そなたは城が燃え上がっている光景を思い浮かべているだろう。私が炎の魔法を得意としていることを知らないわけではあるまい。伊達にナント王に長年の間、仕えてきたわけではないようだ。私の言っている意味がわかるらしいな」
本当に我ながらここまで吟遊詩人のように嘘の言葉が出てくると苦笑したくもなる。
ナント王の影に隠れてしまった小物を目で追う。孫ほどの年齢の少女の目が動いただけで、老人は臆病なネズミになってしまった。公爵はどうして地方領主にすぎないルソー伯爵について詳細を知識として蓄えているのか。彼女の言っていることは完全に戦理に叶っている。戦術的にあまりにも明解なために、諸侯は色めきただずにはいられない。今すぐにでも公爵は軍を動かすように受け取られた。
「天使さまが申されたのは、我と陛下が和解することであって、そなたのような二流貴族が相手ではないわ・・それに、陛下、陛下とこの二流貴族との契約が切れるのはいつでしょうか?」
「ぁぁああわああわー」
「情けない声を出すな、ジャン、ジャック。どう見てもそなたの負けだ」
ポーラは畳みかける。天を指さす。その方向には三日月がやけに青々しく輝いていた。彼には死神の目が天に張り付いているようにしか見えなかった。
ポーラは微笑さえ浮かべて、まるで猫が傷ついた獲物を弄ぶような顔で言う。
「はーい。契約は切れました。よって、そなたと戦うこと、ファンテーヌ・ブローを灰燼に帰させることは、どんな法律にも抵触しない。おわかりか?!」
陛下と伯爵の契約についてまで、公爵は知悉している。王の家臣たちは慌てた。どうやら魔法の資質だけが特別ではないことを思い知った。確かにこれまでの戦でその才能の片鱗をみることができたが、それは、ドゴールをはじめとする前公爵から仕えている重臣たちの功績だと見なしていた。
彼は頭を抱えて溜息をついている。主君に知られないように人混みに塗れていた。そのことを知る由をルソーたちは持たない。
哀れなのはルソーだ。まるで死人のように眼を天に向けて泡を吹いている。
「へ、陛下・・ご、ご契約をお願いいたします・・・わ、私、ジャン・ジャック・ ド・ ルソーと主従の契約をお願いいたします」
王は、つい先ほど契約が切れた、いわばかつて家臣だった男の言葉に耳を決して貸さない。戯言程度に受け取っているのだろう。あるいはいま、自分が置かれている状況を狂言としか受け取っていないとも考えられる。
彼を助けたのはルイだった。まるで子供の用に地べたに這いつくばって契約を哀願する老人に対するために腰を折った。そして彼の手を握ったのだ。
「ルソー安心せよ、そなたが祖父の代からモンタニアール家に尽くしてきた。その功績を兄上が忘れるはずもないではないか?陛下を信じないつもりか?」
にこやかに笑いながら立ち上がると、ポーラに向かう。
「これで、フォンテーヌ・ブローが灰燼に帰すことはありません。よろしいですね、その代わりに私は閣下に臣従いたします」
改めてポーラの足下に跪いた。
少女は計算を誤っていた。ルイ・ド・モンタニアールという少年に冗談が通じることはない、という事実を計算に入れていなかったのである。まさか本当に彼女の言葉通りに現実が展開するとは思っていなかった。モンタニアール家の人間をアラスに連れて行くことができるはずもない。
哀れな老人ほどではないが少女も泡を食った。
マリーがそっと囁く。
「今度は姉上さまの負けです」
盤上を賑わせる駒ゲームでいうならば逆王手を掛けられたかたちになるか。
「う・・わかりました。契約を結びましょう、殿下。生きて我が方にある、ということですね・・」
いったい、だれに対して少女は念を押しているのか。少なくとも目の前で膝を折っているルイ・ド・モンタニアールではないことは確かなようだ。