モーパッサン公会議10
賢人会議の役割は果たせたのかと、ポーラはマリーにまず切り出した。妹の顔をみるなり自らの負傷よりもむしろそのことが脳裏をよぎった。彼女は何故か血相を変えている。
背後から東王の声が鎧を纏って追いかけてきた。
「サンジュスト伯爵殿、公爵殿にお手当を・・・」
マリーは真っ先に姉の傷を治療したかった。だが王に機先を制されて戸惑った。
他人から言われる筋のことではないが、リヴァプール王というやむごとなき人間から丁寧な言葉遣いをされることに違和感を禁じ得ない。普通に考えてありえない。ナント王のマリーに対する態度すら、本来ならば常識外なのだ。この王の態度はそれどころではない。
だが、少女を揶揄するような姿勢はいっさい見られない。これがこのお方の本性なのだ。そう思うことにした。
そんなことに気を遣うのも煩わしい。この世で最も大切な人が傷ついているというのに突入できないとはどういうことか。考えてみたら戦地では当たりまえのことだった。二人が離れた場所にいる。姉が傷ついたときに指揮官としてどうすべきか。勝利なり、負けない状態に持ち込むのにどちらを重視すべきか。姉を救助することが良い方向に戦況を向かわせられるならば、そうするだろう。しかしながら圧倒的に不利な状態を招聘するならばほかの選択肢に飛び付く。戦場にある人間ならば当然のことだ。
リヴァプール王は正体が明らかではない。外見はあくまでも大らかだが、聴くところいよれば北の蛮族たちを平定するのに苦労しているらしい。戦場で育ったような人間が単純で素直なはずがない・・一部の、いや唯ひとりの例外を除いてだが・・・、その人物を除けば人格をいくつも用意できる人間でなければとうてい生き残れるものではない。
だから額面通りに王を評価してはならないのだ。
味方になる可能性を留保して、あるていど、配慮しておくべきだろう。それは貴族として生まれた人間の本能でもある。主が公認された王という冠は、とくべつな光を世界に生きる人間に輝かせる。
精一杯の会釈をすることで王の機嫌は取った。さあ、姉上さま、お顔をお見せくださいまし・・・・・。
すぐにお顔に触れたいところだが、それでは治療属性の見習いとしてすら失格だろう。
すでに彼女の手はポーラの胸を覆っている。
東王は言う。
「戦場で幾度となく治療は見かけてきましたし、じっさいに施術も受けましたが、何処を負傷しても胸に触れられる。私はそれが不思議でなりません」
どうやらこのお方はリヴァプール王と呼ばれることが不快であられるらしい。姉上さまはそのことを指摘した。
マリーは不満だった。この世で最も美しいものが傷つけられたというのに、どうしてそんな些細なことに意識が向かわれるのか。
「リヴァ・・・・・いえ、東王ヘン・・・いえ、アンリ陛下、ご覧になってください、これは由々しき事態です。世界でもっともうつくしいものが傷つけられたのです。下手人は必ず見つけ出して一族郎党、ことごとく誅滅すべきです・・・」
思わずマリーは「姉上さま」と口にしてしまうところだった。危ない、危ない、まだ付近に」ザカリアス教皇の瘴気が感じられる。枢機卿連中もだ。
それを意識したために、「美しい人」という造語を口にすることもなかった。
「ポーラ、顔を動かさないでください、万が一でも傷が残ったら、どうなさるおつもりですか?」
ポーラは嫌な予感がした。止め処なく青い滴りが頬を伝い顎まで達する。これは瀉血効果だ。悪いものが身体から出て行く。治療的にはよい方向に進んでいるのだ。身体の中から悪いものを押し出す役割があるのだが、これはおかしくないか?妹はわざとやっていないか?しかしそのことが懸念の最上位にランクされるわけではない。そうではなく、逆の立場の場合、ポーラでもやってみたくなることでもある。
恋人の血を飲みたい。
しかしあくまでもこの場ではだめだ。そんなことを弁えないマリーであるはずがないが、いかなる理由からか、パリ宴会以来、妹は何処かおかしい。いい加減に元に戻って貰わねば困る。
だが、後々から過去を俯瞰すればマリーの懸念は正鵠を射ていたのである。
しかし姉上さまの美貌のことではない。玉に瑕、になりかねなかった理由をつくった存在のことである。ポーラは「目」と呼んでいたが、マリーはべつの呼び方をしていた。
「下手人は必ず突き止めねばなりません、美しい人」
ポーラという呼び方に慣れないマリーは新しい呼び方を発明してしまった。姉としては至極不快だった。べつに恋人を指す慣用句ではない。あくまでもマリーの造語だ。しかしながらあくまでもポーラに対するあてつけにしか思えない。もっと機会を見つけてキスしてほしい、抱擁してほしい、そうせっついているようにしか思えないのだ。
「マリー、それは止めてくれないか?」
「青い空を青ということは間違いですか?公爵閣下、どうでしょう?東王陛下、ナント王陛下、そして、殿下・・・」
背後からルイがやってきたことを見逃すマリーではない。そしていまひとり、こちらはもっと留意すべきことだった。
思わず本名をナント王の前で言いのけてしまうところだった。
「これは、男爵、あなたはどう思われますか?」
バブーフ男爵こと、ドリアーヌがやってきたのだ。諸侯たちから意外そうな声が上がる。ロベスピエール公爵が彼を蛇蝎のように嫌っていることは周知のことであり、彼を蔑視する人間は後を絶たないからだ。
ナント王の、飄々とした表情はいつものことだ。彼に感情の抑揚があるのか不明だが仮にあったところでそれを簡単に表出することはないと思っていい。ならば、彼ならばすでに正体をわかっているのではないだろうか。
ドリアーヌもそれを了解しているようだ。
しかし、ここには東王がいる。
だが、マリーはナント王を斜め上から見下ろす欲求に勝てなかった。本来ならばポーラの役割だが彼女は17歳の少女だった。しかし諸侯に聞きとがめられないように声を落としたことは言うまでもない。
「ドリアーヌ、そなたは公爵閣下を美しい人と呼ぶことに間違いがあるのか、否か、それについてどう思うか?」
まるでナント王を無視したような言いようである。
だが東王は驚かれたところだろう。彼を味方とすべきか、あるいは中立かそれとも敵か、マリーは迷っている。皇帝はより警戒すべきだろう。彼がすでに出払っていたことはよかった。しかしそうならば妹はわざわざやってこなかっただろう。
ドリアーヌとしては、いつになく冒険的な姉に戸惑っていた。しかし自分の親のような存在であるマリーを無視することができるはずがない。彼女の生きる権利を保障してくれたのはだれでもない姉なのだ。姉は人生の指針そのものだと言っても過言ではない。
が、ナント王のことは気になる。このお方はすべてをすでに見抜いている。小細工をすることに何の意味も見いだせない。
姉からモンタニアールのことは、聴かされたことがある。ドリアーヌが人に見られないような姿で生まれてきた経緯はこの家がカギを握っている、ということだ。が、それが事実だとしても、少なくとも今上王やルイ殿下は関係がないだろう。それ以前に確たる証拠があるわけでもないのだ。
たった一回しか姉妹の間で話題に上らなかったが、あまりにも印象的だったのだ。
じっさいの音声においては、これが姉の口調かと怪しむくらいに憎悪に彩られていた。常に冷静で論理的な姉が直情的にものをいう。それが自分にしか見せない態度かと思うとうれしかった。
が、しかし・・・・・。
ここから公爵閣下のお姿が見える。
もう何度も面会しているが、姉の口づてに、こちらこそ耳にタコができるくらいにあり様と聴かされている。光の化身であるかのような印象を抱いていたが、じっさいに出会ってみると思わず額づきたくなる衝動を抑えるのに苦労した。姉の演技をし終えることでやっと外見を保つことができたというものだ。
姉は口ごもっている。
それがどういう意味を示しているのか、ドリアーヌはすぐにわかった。失言というのは彼女の外見を慮ってのことだろう。それはいいのだ。確かにこのお方と比較できる存在は、魂的にも、肉体的にもありえないようだ。
しかし人の肉体に入っていると、どうも後者的なものの見方に終始してしまう。
だが、普通の人は前者にばかり終始しているというよりかは、そちらしか意識して使っていない。しかし、どうやら彼らは前者を使っていることがわかってきている。それをどのような言葉で表現していいのかわからない。意識に相対する概念だから無意識とてもすべきだろうか。しかし意識がないとはどういうことなのか。自家撞着になりはしないか。
ドリアーヌは、差し当たってそんなものに何かの決定を委ねるつもりはない。
とにかく姉に返答すべきだろう。わざと素っ気ない風をつくる。
「確かに美しいお方でいらっしゃいます。しかし同性としては、嫉妬しないわけには参りません」
姉の瘴気に変化がみられる。
たしかに直情径行な面はあるが、敵か味方が判別しない連中に囲まれた場所で安易なことをするものではない。
ナント王が口を出した。
「あなたにお会いできたことをうれしく思う。改めて自己紹介しよう、私はピエール・ド・モンタニアール」
諸侯だちが物珍しそうな瘴気を放っている。すでに賢人会議が終わったことは宣言されたので、自由に入り込んでいる。まだ晩さん会には時間があるが、予定の場所で時間をつぶそうという腹積もりなのだろう。
外形的には、ロベスピエール公爵と男爵が蜜月になりつつ見える。ちょうどレベルアップして、ブリュメールのミサにおける効果を繰り返したかたちとなりつつある。あくまでローカルな話題のはずだが、ナント王と公爵が対峙する。そのことは全世界的な意味が備わると思っていいのだろうか。
王と男爵となればどちらが上なのか、世界的に明確な常識のはずである。
にも拘わらず、あのナント王がたががバブーフ男爵ごときに腰が低い。確かに紳士として知られている人だから、まさか男爵相手にこの態度は説明が必要だろう。色々といわくがあることを知っている者たちは色めきたった。なにかのレトリックだろうか。しかし王はともかく男爵にそんな芸当ができるとは思えない。
ここにいる圧倒的多数がルバイヤートに関して正しい知識を得ていない。ドリアーヌはそれを知っている。
公爵の顔の傷はきれいさっぱり無くなった。さすがは姉の仕事だと思う。その正体について彼女は何となく存在を覚っているが、正体まではわかっていないだろう。肉体と魂を分離できない人には無理な要求だとは思う。逆に肉体に支配されていながら、あそこまで察知できること自体が奇蹟というにふさわしい。
対象に攻撃を繰り出しながらも、ドリアーヌは状況を俯瞰していた。
公爵と姉、そしてナント王は何かしら察知したようだ。東王とルイはわからない。そのほかはまったく察知していなかった。
それにしても、この一件にて改めて意識したことがある。聖職者というものが、全く信頼に値しないということだ。教皇不要論という思想があるらしいが、彼女に言わせれば枢機卿以上の僧侶は一掃してしまった方がいい。連中の内で闖入者について察知したものはいなかった。
時間が経過すればより多くの人がここに集まるだろう。それ以前に重要な事実を伝えたい。そう思ってきたのだ。
型通りの挨拶をバブーフ男爵として公爵に示して、それとなく顔の傷に言及する。すでに周囲の諸侯の耳目はこちらに集まっている。公爵の視界に彼が存在していられるだけで奇蹟にしか見えない。
公爵は落ち着いている。さすがは大公爵だと、いくら若いとはいえ名だたる名門の継嗣としてたいしたものだというのだ。すでに公爵位を継承して何年も経過しているのだが、それでも連中の感覚だと若すぎるという意識が強すぎるのであろう。
ドリアーヌは迫りくる瘴気が鬱陶しくてたまらない。肉体として人間をこれほど長く体験したことはないことも不快感に拍車をかけている。どうも慣れない。男爵の外見が醜いということは関係ない。そもそも彼女自身が動物とも魚ともつかない、単なる肉塊にすぎないのだ。
やっとのことで真意を主張するに至った。
「私は閣下に傷を負わせた下手人を逃しました。それを謝罪するために参ったのです」
公爵は、すでに答えを予め決めていたかのように言った。
「ここで宣言しよう。主のご許可の下に我、ロベスピエール公爵とバブーフ男爵は正式に契約した」
まるで戦争が始まったかのようなどよめきは、公爵自身の真意に思えた。これで外聞を気にせずして傍に近づくことができる。だが、家臣たちのことは心配だ。奪還軍のことが話題になって以来、もはや王家か公爵家かといった話は俎上にすら上らなくなっている。しかしながら、それは奪還軍という、あまりにも革命的な話によって生じたショックから立ち直れないせいだろう。いつまた再燃するのかわかったものではない。
それが男爵が残した記憶や思惟を勘案して、ドリアーヌが認識した状況判断にほかならない。残したというと、もはや完全にこの身体を支配したような言い方だが、もはや彼の魂は肉体の何処にも見つけられないのだ。記憶や思惟はあくまでもそれ自体は知識にすぎず、それを利用する彼自身は完全に行方知らずなのだ。
これまでも何度も男爵として示威行動はやってきた。しかし今度の公爵の宣言はより諸侯に大きな影響力を及ぼすことだろう。もっとも、奪還軍という巨大すぎる出来事に比較すればたいしたことではないのかもしれないが、少なくとも公爵の箔がついたことは確かだろう。いわくを知るものにとって、男爵がポーラに近づいてなお生きていること自体が謎でしかなかったからだ。殺されたとしても、然もあらんという反応しか期待できなかっただろう。それが家臣として受け入れた。これは大きなことである。かなりの信頼を得たのではなかろうか。かつて公爵家に敵対的な態度を採った諸侯も、あるいは自分たちも許されるのではないかと未来を楽観視することできる。




