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架空十字軍  作者: 明宏訊
35/61

 モーパッサン公会議9



この場の空気は危険になりつつあった。ポーラはそれを敏感に察知していた。もはや演技なのかもわからなくなりつつある。

 城にしては狭い空間に膨大な瘴気がひしめく。阿鼻叫喚の地獄をイメージするのはどうしたことか。人々の意思が飽和状態になりつつある。ほぼすべての人間は聖地エイラートに向かっている。

 この溢れんばかりの自信は、やはり主から福音を賜わっているという確かな自覚があるからだろうか。

このまま目的地に押し寄せれば、あたかもその日の内にエイラートを奪還できるのではないか。ポーラですら、ファンタジーだとは思えなくなってきた。それを辛うじて押しとどめてくれたのはマリーだったのか、それともナント王か。前者の繊細な指の動きか、ナント王の傲岸不遜な嘲笑にあったのか。その背後にあったアンリ王の気遣いも手伝っていたかもしれない。

事実を言えば、それよりも正体不明の「目」の及ぼした影響が大きいということになる。

ポーラは自分の状態に不満だった。本来の自分らしくないと考えていた。

賢人会議において思うように存在感を発揮できなかった。しかしながら、すでに十分にロベスピエールのポーラはここにありという宣言は済んでいたのだ。、あえて実際の会議で熱弁をふるう必要はなかったし、むしろ思う通りに動いていたら逆効果だったとも考えられる。

 彼女の意図するところは、ナント王が進んで説明していた。

 列席者の反応は、予想に反してしおらしい態度に終始したポーラに好意的だった。とはいえ、懸念を否定できない相手は皇帝だけだった。彼の支持を得ることができれば、何とか奪還軍の中で身動きできそうだった。

 無意識のうちにナント王を懸念から外していた。

 自らの異変に気づいたポーラは思わず天を仰ぎたくなった。

 ザカリアス12世が出席しなかったことは意外だった。彼は、自分を支持する連中を含めて枢機卿たちを会議に容喙させたくなかったのである。

教皇が出席となれば、枢機卿たちは自分たちも、と主張しはじめることは火を見るよりも明らかだった。もちろん、少女はそんなことは思い付きもしない。まだまだ、彼が自分の味方だとは見なしていない。

 ポーラは予めマリーに結界を張るように命じてある。この場に目が入り込むことを留意したのである。ドリアーヌとは連絡が取れない。どういうわけか、ポーラだけは彼女の魂を視ることができるのだ。バブーフ男爵の肉体は彼女の自由に駆ることができるようだが。、なぜか姿を見せない。彼の置かれた立場を鑑みるにポーラに近づきすぎることを忌避しているのだろう。

そんな中で突然に出現した「目」を牽制するどころか攻撃まで仕掛けた。心配するなという方が無理だろう。

彼女の健康状態はどうか。

アラスにいたころは太后が傍にいたから心配はなかったが、いや、連れてきた治療属性たちが信用できないとは言わないが、それでも全幅の信頼を任せられるかというとそうでもない。

 少女は愕然とさせられた。気が付かないうちに太后に頼っていたからだ。が、それもやむなしと今度は簡単に開き直る。公平に見てあの人の魔法能力は、血の尊さを鑑みても非常に高い。誰あろう、ポーラ自身が太妃の不戦を非難していたではないか、あなたが戦場に赴けば一体、どのくらいの竜騎士や魔法の使い手が生命を失わずに済んだでしょうね?!と。

ナント王は、最高司令のありようの重要性を皇帝に説明している。

皇帝は、やんわりとナント王の提案に異を唱えた。

「これほどの方々が集まっているのだからだ、誰が誰の上というわけでもあるまい、あえて決めることもなかろうと思う」

いや、それでは困るのだ。ポーラは言った。

「恐れながら、陛下、指揮命令を明確にしておかなければのちに支障をきたします」

この皇帝のことはまだよくわからない。本当に暗愚なのか、それともそう騙っているだけなのか。すくなくとも、戦いにはなれていないようには見受けられる。

「そなたの主への気持ちはわかった。それは私にとっても同様だ。ただそれを素直にルバイヤートにぶつければいいだけのこと・・それ以外に何があるというのだ?」

 あなたは主を疑うのか?

 そう言い出しかねない口ぶりだ。

 少女は後ろめたい気分になった。皇帝に何を言われようとも気にしない自信が揺らぐ。それは略奪と称して事実上の交易をルバイヤートと行っていたからか。

 どうして皇帝に連中の事実を開示しようとしないのか。ミラノ帝国を継承する世俗の代表者を目の前にして、ポーラは怖気ついているのか?

 本当にそうか?自らの手で剣も魔法の杖も摑まない、こんなぐうたらにポーラは圧倒されているのか?思わず素直に気持ちが言葉になってしまった。

「畏れながら陛下、陛下が戦場にて握られるのは剣ですか?それとも杖ですか?」

事実、少女はなにも知らされていないのである。こちらから察知する?そんなことは天下の神聖ミラノ皇帝陛下に対して失礼千万というものだろう。

ポーラが彼を畏れるのは何があっても、彼が自分のペースを崩そうとしないからだ。どうしてこれほどの危機を前にしてそれほど鷹揚にしていられるのだろうか。暗愚というのならばわかる。それはとても幸福なことだろう。こんな状態に陥れば誰でそうありたいものだと思うものだ。

皇帝は厳かに口を動かした。

「我はミラノの帝冠を戴いている」 それは主に仕える、いわば世俗の頂上を自認していることを意味する。なんとなれば、それまで地上において虐げられていた主の教え、聖伝を最初に公認したからだ。

それは少女をある答えに誘導する皇帝の謀だったのであろうか。じじつ、彼女はそのとおりに言うように追い込まれていた。

「ならば、陛下が最高司令官の地位に就かれればよろしいではありませんか?」

ポーラは、自ら進んでそんなことを言っているわけではない。論理の流れからそれ以外はありえないという理由から、それを口にしているだけだ。あえて結論づけたとは思いたくない。

幸か不幸か、そのとき少女の脳裏からナント王への意識がそっくりと消えていた。だから、聞き慣れた王の声がやけに場違いな感じがしたのだ。

「陛下、それもよろしいと思います」

 きわめて謙虚で彼らしくない態度だ。

 皇帝は言った。

「そろそろ、お開きにしたいのでこの場を辞したい。中宮がまっているのでな」

 中宮とは皇帝の妻の別称である。いや、そんなことが重要なのではない、配偶者を連れてきたのか?モーパッサンにまでならばよい。まさか、ルバイヤートまで伴うおつもりか?

 ポーラは呆れないわけにはいかない。

 何をお考えなのか?物見遊山ではないのですよ?

 ポーラの思惑など無視して皇帝は王に言った。

「陛下も、ご婦人を同行なさっておられるのでしょう?」

「あいにくと、妻は夭逝してしまいましたので…」

「これは失礼…」

立とうとした皇帝の姿を察して、ポーラはある懸念を思い出した。それは最重要項目に準じる。

「陛下、副司令のことはどうなりますか?」

最高司令が司令としての役割を担えなくなったとき、自動的に代わる者が必要になる。その受け継ぎをできるだけ難なく進める。戦争、政治において速やかな継承こそが平和という至上価値をもたらす。これはミラノ時代以来の法思想である。

既に陛下はお立ちになっていた。

「それならばそなたたちが考えればよろしい」

やはり皇帝という地位を頼みに、ナント、東、両王よりも上位だと自認しておられるようだ。そうならば…、ここは引いてはならない。

「あくまでも最高司令がお認めになったというかたちが必要なのです、陛下」

「ならば、我が中宮を以って、為す」

「へ、陛下…」

皇帝はポーラの言葉を無視して退出した。問題なのは、皇帝が本質を理解して無視したのか、そもそも本質そのものを理解していないのか。それは少女がジギスムントについて、その正しいところを摑み兼ねていることを意味する。

王を見ずに言う。

「いまのは勅令となるのですか?陛下?」

「幼女、馬鹿を言うな、皇帝の勅令が全世俗を網羅するとなれば、奪還軍より以前に恒久平和が訪れているだろう、代々、皇帝とは戦争をお好きでないようだから」

ポーラは意外そうな顔を隠さない。そうか、そのような見方もあるのか、奪還軍は世界に平和をもたらしたのだ。

東王が驚いたのは、幼女呼ばわりに関して少女がまったく意に介さないことだ。すでに呼ばれなれているのか?いや、公爵家とモンタニアールは、王位戦争からこのかたずっと憎しみあってきた。どちらかが滅亡するまで続行されるものだと誰もが信じている。

少女は王に抗する。

「法的には違います。初代皇帝なるレオンハルトの戴冠、そのものにその意味が隠されているのです。今回のことでそれが日の目を見たのだと、私は思います。正しくはそうなりかねないという懸念ですが…」

「サンジュスト伯の入れ知恵だろう」

「誰が正しいことを言おうと関係ないことです、陛下」

二人のやりとりを見ていると、つい、気の置けない兄妹関係のように見えてしまう。表面的な受け答えは乱暴でぞんざいだが、他方、ポーラは慇懃無礼だが、そのじつ、心を許しあっているのではないか。詳細は知らないが天使さまの出御が両家の戦いを途絶させたらしい。

ナント王は立ち上がった。

「もしも、ルバイヤートが強大であれば、幼女が抱くような懸念は必要ない。一方、世界が団結する必要がなければ、それならばルバイヤートは世界が相手にする価値がないほど弱小ということになる。よってまた、懸念には当たらない」

憮然とする公爵に王は付け加えた。

「幼女、私とて詭弁を弄しているという自覚はあるのだ。そなたの懸念もあるが、いまはいくら未来を危惧しても始まらない。とにかく中宮殿下をお連れしたというならば、陛下はよほど大規模な物見遊山を計画したとみえる。臣下の我々としても、是非とも目にしたいところではないか?アンリ陛下も同行しませんか?」

ナント王は大変に警戒しておられる。皇帝陛下に対するのとほぼ変わらないだろう、程度的に言って。

どうやら幼女呼ばわりに何か深い意味がありそうだ。

東王は項垂れる少女に話しかけた。

「公爵どの、向こう見ずこそ若者の特権ですぞ、面倒なことは我々老人ににお任せください」

「陛下、幼女を甘やかされては困ります。この子は、幼女というどころか、やがて離乳食ですら喉を通らなくなりそうです、さんざん、相手をさせられてきた私がそう言うのです」

「ならば、泣き喚く幼女に褒美を取らせればよかったではないですか?陛下?」

たしかコンビエーヌとかいう魔法源泉を巡って干戈を交えていたという。何か?おふたりは兄妹喧嘩を繰り広げてきたのか。東島の事情に比べたらなんとも大陸は平和なことか。東王はなんとも羨ましく思えた。

「魔法源泉なぞ、幼女の玩具には過ぎたもの、そなたにはナルヴォンヌ名産の起き上がり小法師がお似合いだ」

「ほう、起き上がり小法師など送られてきた試しがありませんが?陛下」

それにしてもえらく賢い幼女もいたもんだ、と東王は目を細める。ちょうど同じくらいの姪がいるが、もしも王位の継承を名指しされたら裸足で逃げ出すことは想像に難くない。大陸で流行りの女性趣味とやらにうつつを抜かして戦場にも姿を見せなくなった。王族の竜騎士を欠くことは大変な戦力の欠損なのだが、剣よりも宝石がお好みらしく、叔父の懸念などどこ吹く風という態度だ。母君などは、「首輪をつけてでも連れて行くべき、甘やかしすぎです!」などと奪還軍に馳せ参じる直後まで主張していたものだ。もっとも天使さまのお言葉によって、彼女に言わせれば「ことなきを得たのだった」さすがに「 南の珍しい宝石が所望したいです、叔父上」には「いい加減にしなさい」と公の場所でたしなめずにはいられなかった。名前がポーラといい、名前がかぶることが複雑な胸中をつくりあげる。が、島の北部を支配する野蛮人たちに対するに、彼女がいてくれることは心強くある。いざとなれば再び、剣をとってくれるだろう。まさか逃げ出しはしまい、しまいと思うのだ。


ナント王との舌戦が自らのストレスを緩和していることに少女は気づいていない。いや気づきたくないのか。


ポーラにとってナント王の言葉の意味はわかる。単なる軍勢見物に向かいたいわけでは決してない。

「我々も食事の招待に預かれるくらいに豪勢なのでしょうね、なんといっても神聖ミラノ皇帝陛下にあらしゃいますから」

いつのまにか方言が自分の口から迸っているとは、少女にとって意外だった。

それを押し隠すほどに不安だった。きっとナント王もそれを共有している。試みに東王に確認してみたくなった。

「アンリ陛下、畏れながらお尋ね申し上げますが、兵站をいかほど備えておられますか?日数でお願いします」

東王は苦笑しつつ答えた。

「賢い公爵殿に合格点がいただけるのか大変に疑問ですが、ルバイヤートとはどのような相手なのか検討もつかず、天使さまの急遽の要請でこのような状態にあります。もっかのところ、現地においては一ヶ月というところでしょうか、しかしここモーパッサンに屋敷を買い求め、いつでも動員できるように在庫を増やす所存です。どうしてなのか、こんな僻地に皆々様は大変に倉庫をお持ちなようですが…」

合格点どころではない。ルバイヤートから遠い東の果てにいながらこれほどの危機管理とは、まことに畏れいる。

「確かに緒戦の一ヶ月が重要なのです、ピエール陛下に置かれても、私にしてもせいぜいでそれくらいが限界です。魔法源泉さえ占領できれば兵站は賄いようがあります。そのための準備は万端なのですから…」

 東王は心から意外そうな顔をした・

「世界の外に魔法源泉があるのですか?」

ほとんど事情を知らないアンリからすれば、それは当然の疑問と言わねばならない。軍勢見物に赴く前に東王にはルバイヤートの事情を説明しなければならない。ピエール王の目から彼が同意見であることが伺える。それは関係ないが、少女は一から説明しはじめた。

その過程でさきほど、感じ取った瘴気が頬のあたりを走った。

「まさか、マリーの結界を?!」

肌に何か固いものが当たる。熱を帯びた無数の針が飛んできたかのように思われた。

東王の、訝った声が聴こえる。

「公爵殿、頰に青いものが…」

少女は愕然となった。すぐに「目」が接近してきた意味を摑みかねたのだ。けっして攻撃ではなかった。この出血は、少女の過剰反応が理由だ。自ら傷つけたに等しい。頰を剣に向かって動かしたことと何も変わるところはない。

敵意以外のものを「目」から感じた。そのことが少女に悪寒をもたらしたのである。だが、東王への説明を中断するわけにはいかない。どうにか滞りなく完結できた言質を陛下から貰えた。

「少なくともルバイヤートの一部は我々と干戈を交えられるかもしれない、ということですね、公爵殿、さ、はやく治療属性を呼びましょう」

東王の声が少女の耳に届いていなかったわけではない。だが、確かに見たのだ、ドリアーヌが天井あたりを舞っていたのである。だれかを追っている。そう、「目」を追っていたのだ。

 思わずポーラは青い叫びをあげた。

「やめろ、そなたの叶う相手ではない」

二人の王は少女の指摘以前に何かを感知していた。だが、詳しいところを洞察しえていたわけではない。ただ二人の侵入者を確認しただけだった。ナント王は今一人に思い当たりがなかったわけでもない。だが、気づかないふりをしてみせた。

モーパッサンに来て、バブーフ男爵に出会ったが、彼は完全に様変わりしていたのである。




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