モーパッサン公会議8
いったい、歓声が起こってからどのくらい経過しているのだろう。
かつて皇帝を批判したが、その資格はないと自覚させられるような出来事に遭難した。
いつの間にか誰か知らない人物に接近されていた。仮に殺意があるとすれば一たまりもなかったにちがいない。
リヴァプール王との邂逅は初めてだった。
身長はポーラとそれほど変わらない。少女は、一般男性に匹敵する背丈を誇る。故に背が低いとは言えないが、それでもほっそりとはしている。が、貧相なのではない。そればバブーフ男爵が典型だろう。けっしてそうではないが、ピエール二世のように鍛え抜かれた剣に喩えられる身体でもない。
確かに目の前にいるのは王なのだ。が、何とも腰の低いことか。
ナント王や皇帝に匹敵する瘴気であり、少女が知らないとすれば一人しかいなかった。
だから、視界の中で男性の姿が顕在化するより前に言った。
「ヘンリー陛下でいらっしゃいますか?」
陛下は、濃い茶色の髪を耳にかけながら言った。
「いかにも東王、アンリ・ド・カペーであります、公爵どの。それにしてもお若い」
まさかカペーを名乗っているとは、大陸ではモンタニアールの蔑称として敵対者でも使わないのだ。いくらピエール二世が憎かろうと脳裏に過らせたことすらない。
どうもポーラは、大陸の東に位置する細長い島について基礎知識すら弁えていないようだった。意識せずに侮辱してしまっていることに気づいていない。
そういえば、当たり前のようにナント語を使って会話していることに気づいた。
ナント王が口を出して来るだろう。ポーラにしても容易に予想がついた。しかし聴き慣れた単語が聴こえてこない。まるで少女を無視するように、ナント王は海の向こうからやってきた王に自己紹介し始めた。
「陛下、お初にお目にかかります、ピエール・ド・モンタニアールにございます」
この二人は遠く血がつながっているのだろうか。にしても、あまりにも類縁が遠すぎて検出しきれない。精度を高めればたどり着けるかもしれないが、それはあまりにも不調法というものだ。すでに察したのかナント王が皮肉に笑った。
「陛下、全く持って幼女に礼儀を求めるのは難しいですな」
「陛下、幼女というのはあまりにも・・・・」
むしろリヴァプール王が恐縮している。少女は、しかし自分が侮辱されたことよりもどうして東王を名乗っているのか気になった。
「ヘンリー陛下、東王とはどのような意味でしょうか?」
「全くもってたしなみのないことだ。幼女なればやむをえまいが、よく聴け、陛下に向かってヘンリーはないだろう。野蛮人訛を使うなど失礼、極まりない」
「陛下、私から説明させていただきます。公爵殿、私はヘンリーではなくアンリです。王位戦争の際に・・・」
ヘンリー王もといアンリ王は、自分たちの先祖がロベスピエール公爵に追い詰められた教皇インノケンティウスを保護しつつ東の島に去った経緯を説明した。その際に、王冠を賜わったということだが、すでにナント王がいたので、東王を名乗ったのだということらしい。細長い島に移住した人たちはカペーの家名をまもり、大陸に残って抵抗し続けた方はモンタニアールに改名した、というのが歴史らしい。
しかしアンリ王はピエールと違って本当の意味で礼儀正しい。ロベスピエールの件では、相当に気を使っているのが言葉遣いから伝わってくる。そもそも王冠の戴冠自体が淡々と事実の羅列であって、それに関する評価は入っていない。
「ここだけの話ですが、それが事実なのか不明です」と話を締めくくった。
この人物は総司令には似つかわしくないが、ぜひとも人生を共にする一人に加えたいと思った。全く持って聡明という言葉がこれほどふさわしい人間に出会えるとは、全くもってエイラート奪還軍のおかげだろう。
周囲の喧騒、バカ騒ぎの中で清水を見たような気がする。
真面目に考えれば考えるほどに空中楼閣としか受け止められなくなる。その思いを彼ならば共有できるだろう。
だが、こんなところでそのような話題は振れない。
ポーラは、しかし王に対する表現不能な不快感よりもこの場の空気が気になる。教皇ザカリアスを中心として巨大な波紋が起こっている。なんという軽佻浮薄な空気か。
リヴァプール王は、少女のことを気に使って話題をこちらに向けて来るが、しかしそれよりも将来への危惧が際立つ。こんなことで大丈夫なのか。本当の意味での外征が発令される。たしかにそれはそうだろう。だが、叩き潰すべき相手のことをほどんとが知らないのだ。それ以前に知ろうともしない態度が恐ろしい。すでに勝利した気分になっている。足がすくむ。もしもマリーの助けがなければ倒れていたかもしれない。
妹は姉を治療してくれていたのだ。
そうだ、王の理不尽な攻撃を受けたのだった。どうもよほど精神的に消耗しているようだ。まるですでに王とさんざん干戈を交えた後であるかのようだ。
この私が戦場でもないのに空気に呑まれている。が、ここは戦場なのか?ルバイヤートとすでに戦っているのか。
瘴気や、青い血のことなどある程度の知識はある。とはいえ、まだ見たこともない世界の外の住人に対して恐れを抱かない方がおかしい。然るにこの人たちはただ主の福音を頼んで、理性を完全に見失っている。
マリーの声が胸から響いた。
それは空気を震わせる音ではなく、妹の治療の手を通じて姉の頭に直線的に送り込まれ来た。
「姉上さま、なりません。それではいけません、積極的に愚か者になってください。この場では誰よりも愚者にならねばならないのは、姉上さま以外にはおられません、狼になってもらわねば困るのです、我々、愚かな羊を導いてくれますよう・・・」
みなまで言わなくてよろしい。ポーラの胸に去来するものがあった。
そうなのだ。ルバイヤートに関して最も詳しい自分が声を挙げずに誰がそうするのか。
少女は、仮想敵をナント王に設定した。いまだ、ルバイヤートというのは、潰す相手としてイメージしにくい。そこへ行くと王ならば・・・しかしかつてのような純粋な怒りや憎しみは抱けなくなっている。
だが、当時の自分の気持ちを思い出せばちがう。
パリ近郊にて、コンビエーヌ魔法源泉を席巻し、王都ナルヴォンヌはすでに手の届くところにある。あと今少しで手の届くところに玉座はあったのだ。
いつしか、ポーラは瘴気を全開させていた。赤みをやや帯びた金髪が逆立つ。久しく感じたことのない快感が下半身から立ち上ってくる。マリーを抱いているときに、これに似た感じを味わったことがある。寝具の中で妹が予想以上の抗いを見せた時、彼女の身体が敏感な部分に当たって理性を彼女以上に失ってしまいかねることがあった。
が、それとも何かが違う。
この場の視線がすべて自分に向けられた。
「主ががために・・一刻も早く杖をふるいとうございます、教皇猊下・・・早く、狂犬に餌を投げ与えてくださいませ・・・」
いつから自分は吟遊詩人になり下がったというのだろう。
少女は、不幸なことに創作という概念をいまだ知らなかった。聖職を別にすれば、この世で唯一、尊敬される仕事は戦争と政治でしかない。最初から嘘だと宣言して嘘つきになることの価値をわかっていなかった。
ただし、その相手はごく少数にすぎなかったのもまた事実である。マリー、ナント王、ルイ・・アンリ王はまだわからない・・・この人々にだけは真意が伝わっている。ゆえに、このようなバカバカしい詩を叫べるのだ。
吟遊詩人などは売春婦と変わらない。そのレベルにあってもとうてい口の端にのぼせることすら憚る。何と恥ずかしいことを言っているのか。
主のために身を捧げ、全力で化け物を粉砕し聖地を奪還する。
そういった趣旨を美しい言葉で飾る。それ自体が目的ではない。実際に五分五分以上で戦える目論見がないというのに戦勝を誓うこと以外に無意味なことはない。四部くらいでやむを得なく、それ以外の選択肢がなく杖をふるわなければならない状態に追い込まれたことはある。その時に、間違っても家臣たちに勝利を担保するような言い方をしたことがない。ひどく好戦的だと後世に伝わるポーラ三世とはいえ、その固有名詞が喚起するイメージとはかけ離れている。アデライードが娘に対して抱いている感情でさえ、それとは相いれない。
何かを演じる。
そのことで生計を立てているのは、即、売春婦でしかない。戦争の合間に、家臣にたちにせっついてそういう世界に足を踏み入れたことがある。むろん、身分も性別も隠したうえだが、それはそれで楽しかったが、まさに享楽とはこういう世界を満喫することであって、あくまでも戦いという、この世でもっとも高貴な尊い仕事に疲れた魂を慰めるためにあるのだと納得した次第だ。
いま、少女は売春婦になっている。
身体を投げ出す先が主とは、考え事態がおぞましい。もしかしてあの愚か者たちよりも天のお怒りを買うのではないか。
いま、この場の瘴気も、声も、すべてがポーラの思いのままになっている。これは戦場にてすべての戦闘員が彼女の手足のように思いのままになる光景に酷似している。
が、ここは世界で最も尊い戦場でなく単なる売春宿でしかない。そのような快楽を感じてはいけないのだ。限りなく自分の身体が汚れていく。しかし中止するわけにはいかない。少女は地元では知られた存在だが、世界レベルでは、あくまでも王に比較すれば珍しい存在ではない。公爵は貴族の最高位だが、世界レベルにおいては各地域にそれぞれ存在していたのだ。
それが世界レベルに躍り出ようとしていた。皇帝やナント王に準ずる存在になりつつあったのだ。確実にそのことに少女は気づいていない。だが、遣らねばならないという意識はあった。汚れは、身体に染み付きつつあるが、その不快感に見合った報酬は期待できそうに思えてくる。
一頭の狼に率いられた 百頭の羊の群れは、 一頭の羊に率いられた 百頭の狼の群れにまさる。
マリーはこのことを姉に言いたかった。
苦い思いとともに少女はそれを理解しつつある。
この場の注視を一身に集める少女の背中を見ながら王はマリーに言った。実声である。
「そなたはあの一言のためにここにおる。それを自覚すべきだな」
「モンタニアール?!失礼をば・・」
マリーは頭を下げたくなかったが、そうせざるえない。これもまた創作だった。王の言葉は適格である。姉上さまと自分が束になってかかっても倒せなかった。これまではいきり立つ姉を妹が諫めるのが仕事だった。それが単純に立場が逆転したという風ではない。ドリアーヌに関する前ナント王の関与について調査する。けっしてその言葉が影響したわけではないが、ルイの存在はさらに関係ないが、怒りが変質したことを少女は否めない。
認めたくはないが・・・どうやら事実のようだ。
王は言った。
「知性というものはあればあるほど幸福というわけではなさそうだ。そなたをみていると、その思いに突き当たる。戦うだけしか能のない無骨な竜騎士に言えるのは、それくらいだ」
淡々とまるで聖伝の文章を読み上げているようだ。だが、説得力を認めないわけにはいかない。
ポーラは、初陣当時の自分ならばこの状況に置かれたらどのように反応するだろうか。
とにかく当時の自分にこの場を任せることにした。
そうでも考えないとやっていられない。14歳のポーラならば喜んでこの立場を受け入れたに決まっている。
しかしながら、現在の自分との分水嶺はいったいどこにあるのか?
「お嬢ちゃん、それは深謀遠慮の価値がありそうよ」
「な、何者か!?」
ナント王だと思った。しかし瘴気はうそをつけない。違う!それに女の声だった。女?
「・・・・!?」
「・・・」
何者かは、少女が無意識のうちにぶつけた思惟の固まりに困惑した。そして瞬く間に消え去った。
ポーラが目を見張ったのは、何者かを、他の誰かが攻撃しようとしたことだ。それはすぐに正体がわかった。
ドリアーヌ!
彼女のことが心配だ。相手は只者ではない。そもそも人間であるかすら、謎だ。何と言ってもポーラの心を読んだうえでメッセージを送ってきたのだ。しかも送信者は瘴気を遺していない。そんなことができるとは何者だ?
まさかルバイヤートか?!
ポーラは演説をぶちながら、発する瘴気の三分の一ほどを自己防御に向けた。心を読まれているという感じは気持ち悪い。まるで心の中に他人の侵入を許しているようだ。
このような思考体験を経ながらも、少女は演技を途絶するわけにはいかなかった。英雄ポーラ三世の誕生という演目のことだ。苦い思いと同居しながらもやめられなかったのである。
しかし何者かの視線が気になる。気のせいにすぎないことは瘴気が消滅したことからもわかる。だが、ルバイヤートというものが、世界の常識をはるかに超える存在だったらどうだろう?
世界中の貴顕が一同に集ったというのに、ほとんどがも何かを察知していないということだ。それが出現しても、人々が醸し出す瘴気に全く変動は見られなかった。例外は、ここにいる四人とドリアーヌだけだった。




