モーパッサン公会議7 神聖ミラノ皇帝ジギスムント
竜騎士や魔法の使い手になるに当たって、それ以前に貴族に生まれた時点で最初に嗜むべきは瘴気の扱いである。例外はあるものの、その強さはほぼ血筋に正比例する。身分が低きにあっても、希に高い瘴気を発する者がいる。そういった連中を表現するのによく「王や公爵レベル…」という言い方をよくする。
いずれにせよ、生き残るためには我が身を隠す必要があるのだ。
瘴気とは本来ならば抑えなければならない。外敵に対して「はい、自分はここにいます」と白状するものだからだ。デコイなど、戦術上の理由によって意図的に行うのを別として瘴気をたとえ戦場にいなくても抑えるべきものだと学ぶ。ナント王やポーラは言葉よりも早く瘴気の制御を学ばせられたものだ。
ところが、神聖ミラノ皇帝ジギスムントはまさに生まれたままの瘴気の強さを発したままやってきた。誇示という意図があからさまならば、むしろそれは理解できる。しかしながら、このありようはそれすらないのだ。まるで王や公爵家に赤ん坊が生まれたかのようだ。それはそれで祝いの文章を認めねばならないのだが…どうもそうでもなさそうだ。
いかなる理由によって瘴気を惜しみなく放出しつつ、皇帝はモーパッサンを訪問したのか。
そのような問いに皇帝は鷹揚に応えている。
「世界には敵がもういない故に、いったい誰を警戒する必要があるのか?」
その言葉が言い得て妙なことは、多くの人の総意だった。
まずは教皇や枢機卿に拝謁するのは俗人として当然のことである。聖なる仕事に就く人々に膝を折るのは、相手が教皇だろうが一介の修道士だろうが関係がない。原理的には一修道士の方が皇帝よりも目上なのだ。 まるで狂った竜のように皇帝は乱入してきた。その容貌は嗜みのない瘴気そのものだった。ブサイクな肉の塊が2片、つまりは上半身と下半身がつながっている。その上にブタの頭が載っている。たしかに瘴気だけをみれば強大なのだろう。しかしそれは生まれながらの能力にすぎない。おそらく血筋にかまけて修養を怠ったに違いない。まったく洗練とは無縁というより他にないのだ。いったい、どういう育てられ方をしたのだろう。
皇帝は大声で怒鳴った。
「朕は俗人においては王にしか興味がないナント王とリヴァプール王は何処か。主の御意志を地上にて三分する兄弟姉妹に会いにきた」
端からポーラになど興味がないという顔がそこにあった。
少女は皇帝の態度が我慢ならなかった。ここが戦場だと自分に言い聞かせれば、いかようにも輝くことができる。瘴気を出し惜しみなく放出するとはこういうことをいうのだとばかりに少女は意図的に輝いてみせた。周囲から様々な懸念が流れてくるが知ったことではない。少女は誇りを傷つけられたのだ。それを犯罪者に贖わせる権利と義務を彼女は負っているのだ。
「陛下、ロベスビエール公爵ポーラにございます。ナント、リヴァプール両王陛下以外にも兄弟姉妹がいることをお見知り置きください」
少女は、けっして気を抜いたわけではなかった。想像もしない方向から攻撃を受けたのである。そのためによろめいた。それがナント王の瘴気だと気づくのにかなりの時間を要した。
彼は剣を抜いていた。
それが光となって少女に纏わりつき、無理やりにねじ伏せた。少女にはその剣が言葉を発したように思えた。
「皇帝陛下、お初にお目にかかります。ナント王、ピエール•ド•モンタニアールにございます。これはさながら幼女の失禁とお思いください。まだ繦も取れぬ幼女が強大な力を持つとろくなことになりません」
「ほう、陛下は養育係を主から仰せつかっていたと?」
皇帝のやや緑がかった灰色の瞳が動く。少女の身体を舐めるように見つめる。そのぎこちない動きが拙さに去来するのか、あるいは意図的なのか区別がつかない。
皇帝より、王が問題なのだ。
何という侮辱だろう。怒りのために頭に血がのぼる。そして何も考えられなくなる。が、しかしなにかがおかしい。いつもとは何かが違う。冷静な自分がいて語りかけてくる。
王の態度には裏がある。ここは冷静になるべきだ。側にポーラよりも激情に身を委ねているマリーを想像したからだ。
皇帝の声が聴こえる。ケントゥリア語は正確だが訛りがひどい。そんなでは主に言葉が届かないぞ。
「ほうお嬢さんに向かって幼女とは手厳しい…」
そのイントネーションから、ポーラはドレスデンにおける女性趣味の蔓延りを見逃さなかった。とはいえ、予想以上に皇帝の声は澄んでいた。
いくらナント王とはいえ、公爵に向かって幼女とは常識外も甚だしい。ナント文化圏においてそれは憂慮すべき現象だとみなされている。王は世界でもっとも紳士であるとされているし、じっさいにも誰に対しても、それこそ身分が低い者にも誠実に接する。それほどめでに定評となっている。
その王がロベスビエール公爵を侮辱する。多くの耳たちは、よほど少女に非があるのだと思いたいだろうが、じっさいの彼女に接すれば誰でも自らの考えを改良しないわけにはいかなくなる。
その美しさもさる事ながら、少女のどこを見ても王が侮辱する根拠は見出せないからだ。
王は、ありとあらゆる語彙をつかってポーラを侮辱しにかかる。皇帝にとって、もしも王でなければ単なる罵詈雑言に聞こえたかもしれない。しかし彼の知的な口にかかると、何も知らない人間からすれば一定程度の説得力を有する。が、本物のポーラを目の当たりにすれば、考えに変化も起きようというものだ。それは混乱をもたらすだろう。どのようにこの少女を判断すべきなのか。
皇帝は事前にある情報を有していた。
教皇ザカリアス12世は、ロベスビエール公爵家の血筋である。
彼はその事実をも勘案して、この少女を判断しなけばならなくなっている。
口では相手にしないと言っておきながら、モーパッサン入りする前から気になっていた。が、彼我の距離から、もしもエイラート奪還軍が実現しなければ、彼女と相対することはなかったことであろう。
はるか西にあるというリヴァプール王はもっと関係なかっただろうが、言葉とは裏腹にそちらには興味が薄い。
皇帝は少女の爆発を目の当たりにして言った。
「それはルバイヤートにこそ向けられるべきであろう、公爵、我々三兄弟が手を携えれば向かうところ敵なしだ。主が福音を与えてくださる。もしも明日、世界の外に出航するならば、明日、目的は実現することだろう」
皇帝の知的欠如を少女はその言動によって痛いほど思い知らされた。直感は正しかったのだ。堅苦しい言葉で己の幼さを隠しているに過ぎない。
すると怒りが安らぐわけではないが、変な方向に歪んでいくのを感じた。彼の発言はいずれにせよ、古典を引用したにすぎない。これが誰かならば想像もしない方向から攻め込んでくる、…ちょうどさきほど攻撃を繰り出してきたように。
そこへ行くとなんとも独創のかけらもない言いようか。それにルバイヤートに対する認識の薄さといったらない。しかしながらここで自分がしっている事実を開示する気にはならない。それはどうやら王も同様なようだ。
自分を攻撃した王は超然としてそこにある。余裕すら感じさせる眼差しは腹立たしいばかりだ。
彼と何かを共有する。そのことでかつて少女は何かを感じたはずだ。それは安心感であるはずがない。あくまでも自己保存が最終目的であり、そのために彼を利用するだけなのだ。そう少女は自分に言い聞かせる。それでも残るものはあるが、この際、それはないものだとおもうしかない。今は突き進むのみだ。
だがどんな目的地にむかって少女は突き進むべきなのか。
少女はマリーにその答えを尋ねようと思った。
はたして彼女はいつものように横にいる。そして胸部に手を重ねている。衝撃はそれほどではなかったが、予想以上に負傷していたということか。
予想だと、ポーラ以上に王の態度に怒っているはずだった。いや、それ以前に皇帝に対して憤激しているだろうと思いきや、瘴気から判断してそれほどでもないようだ。
彼女も、ある目的に向かって邁進している。どうやらポーラよりもそれは明らかになっているようだ。
何か核心に満ちた目をしていた。彼女は言った。
「主は我々を祝福してくださるでしょう、陛下」
しかしそれはおおよそ妹らしくない言いようだった。何か裏があるのかと察するまでもない。
皇帝はマリーに向かって名乗るように言った。
妹は礼儀に従って姓名を言う。そして皮肉交じりに続けた。
「とうてい、陛下と姉妹になる資格はないようですが…しかし」
「しかし?」
「しかしロベスビエール公爵閣下は違います」
皇帝は朗らかに笑った。無造作な肉の動きがどうしてか初対面とは違った。
「ナント王陛下も、この子を推薦するという、サンジュスト 伯爵とやらも同様のようだ、もしかして只者ではないのか?」
王は何も言おうとしない。ただ意味ありげに微笑を浮かべているばかりだ。いささか右の口角が上がっていることが気になった。何かを告げようとしている。ただ嘲笑していようとしているだけではない。
いつの間にか諸侯が広間に姿を見せていた。ポーラには馴染の、ハイドリヒ伯ラインハルトの瘴気も検出されている。誰が入室を許可したのか。それは教皇以外にありえないのではないか。
いったい、何事が生じたのか。
具体的にはほぼ遠いが、突如としてここに流し込まれた人々の総意らしきものが見えてきた。
やはりポーラはザカリアスに意識を集中させないわけにはいかない。彼は毅然としている。もっとも目鼻立ちよりも皺だけが目立つ老人ゆえに、表情は読み切れない。
ポーラと皇帝が瘴気を惜しみなく放出すれば、この地にやってきた者たちの耳目を嫌でも誘うだろう。そのことは予想できたが、この事態までもは予想できなかった。
突如として教皇が言った。
「まだ晩さん会には早すぎるようだが.・・・」
その言葉にみなが視線がザカリアスに集まる。
この瞬間こそが、第一次十字軍が決定された…歴史に言う「モーパッサン公会議」だと言えるだろうが、時はすでに1028年の4月になっているのだ。後世には1027年と捩じ曲げて伝わっている。体裁を整えるためだがこの時代にあっては、その主体について全くわかっていない。ポーラたちは自分たちこそが歴史をつくっているという認識があったが、それは全く根拠のないことだった。が、それを何んとなくだが意識している者がいないわけではない。
少なくともポーラはその中にはいない。
生まれ育った環境がよもや変化するとは思っていない。それはザカリアスを含めて圧倒的多数だった。
教皇は畳みかける。
「これから我々は世界の外に向かう。これは本当の意味における外征である。これまで我々の内、だれも、そして、だれの先祖も外征をしたことがなかった。それは人間同士で殺し合ってきたからだ。だからこそ誰も勝利を祈ったからといって、必ずしも勝利を勝ち得たわけではない。主とて同じく愛する息子、娘のうち、どちらを勝たせたらいいのか、迷うことは必至だろう。しかし今回は違うのだ。相手は人間ではないからだ。人間のみが主の祝福を受くる権利を生来備えているのだ!必ず主は勝利を保証してくださる!!」
教皇が言葉を止めると、一斉に歓声が上がった。その中にポーラもマリーも含まれている。いつの間に、この広間は人でいっぱいになってしまったというのか。しかしながらこの少女たちは一人だけ違う瘴気を発している人物に耳目を引いた。
「ナント王?!」
「モンタニアール?!」
王はいつもと違う視線を二人に向けていた。そして頭を静かに左右に動かした。それはたった一回だけだった。
今、見たものを忘れよ。記憶に押しとどめて、今は決して漏らしてはならぬ。
だれしも感涙していた瞬間である。だれしも主の福音を信じて疑わない。愛されていると実感するあまりいい大人が大声で泣き叫んでいた。
世俗世界の最高位がそのトップに立っていた。神聖ミラノ皇帝ジギスムントがそれである。
教皇の声は続いていた。
「ことを実現するにあたり、賢人会議を招集する・・・・・。そして最高司令官を選出する・・・」
ここでマリーの考えは実現したことになる。しかし王の態度から、何か腑に落ちないものを感じていた。彼女を取り巻く熱狂がその思いを強くさせる。姉上さまをいさめるまでもなかった。むしろ、反モンタニアール感情で爆発しそうだったのは彼女の方だったのである。
彼は今、見たものを忘れろという。それはここで今、自分の中で起こったことを表現してはならないということだろう。そもそもこの熱狂の中で、マリーは自分が自分でいることすら保てそうにない。それなのに異を唱えることなど不可能になりつつある。逆に熱狂を演じなければならないとすら思えてくる。そうでなければ、周囲から不信を疑われるに違いない。
主の教えに反する者だと烙印を押されかねない。異端者だとされることは、世界から追い出されることを意味する。人間ではないと宣言されることをも意味する。
それがルバイヤートと同一視されることか。そこまで少女たちの思考は追いついていない。そもそもルバイヤートとは「わけがわからない」と同義であってしょせんは同語反復にすぎないのだ。
大変に苛立つことだったが、二人の少女の間で違いはあったが、状況経緯から憎むべ時期相手だけが安定の、一縷の望みであったのだ。少し視線をずらすとそこにルイがいた。彼も、少女たちと同種だと気付いたが、ほとんど精神を厚くするのに寄与するものではない。かえって自分たちが少数派であることを改めて思い知ることになった。
そのために、姉上さまが賢人会議の端っこに入ったと宣言する教皇の言葉もむなしく少女の胸に響くだけだった。事ここに至って、マリーの目的は完全に達せられたのである。
冷静になるにつれて、それがどうして実現したのか思い知らされた。それはナント王と再び視線が合ったときのことだ。
王が、ポーラの爆発を掣肘した結果、逆に皇帝は彼女を認めた。そのことがみなに知れ渡ることになった。
マリーは大事なことを失念している。
いったい、どういった理由で諸侯がここに押し寄せてきたのか?そして誰がそれを許可したのか?
いうまでもなく、ポーラとジギスムント、そしてナント王の巨大な瘴気がぶつかり合ったことによって起こったことだ。そしてザカリアスはそれを黙認した。
これによって、奪還軍を誰が主導するのか、後世の言い方をすれば民主的に決められたのだ。その意味によって妹は姉を過小評価していたと言っても過言ではない。




