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架空十字軍  作者: 明宏訊
31/61

 モーパッサン公会議5

 マリーが言ったことは近からず、遠からずと言ったところだった。

 確かにルイから予定の伝達はあったのだ。しかしナント王と共謀したことはない。あの賢しいルイがポーラのこのような反応を予想して報告にきたという可能性は否定できない。

しかし今の彼女に何を言っても無意味に思えた。

 だから、あえて否定するつもりはない。

 とはいえ、勘の良さから本来の能力が戻ってきたことがわかる。それは喜ばしいことだ。なんにせよ、これ以上、彼女を憮然とさせないようにしなければならない、いや、したい。

「ルイからその話を聴いたときにこれを利用しない手はないとおもった。ただそれだけのことだ」

 マリーは納得できないという顔をしているが、冷静に考えればそれ以外にありえないことに気づくはずだ。

別に追い討ちをかけるわけではないが、ポーラは畳み掛ける。

「元々、猊下に謁見したいと言ったのはそなたではないか」

「・・・」

「ならば話が早い。早速、ルイにも話を伝えよう」

「あのモンタニアールも誘うのですか?ポーラ」

 マリーは大丈夫だ。ちゃんと呼び捨てにしている。そうポーラは自分に言い聞かせる。

「もちろんだ」

それは私が参謀役としては力不足ということですか?

実は、マリーはそう言いたかったのだが、すんでのところで呑み込んだ。

その代わりに次のようなことを言った。

「早速、猊下に謁見の申請を行いましょう。すでにいつ何時、陛下が申請するのかもうわかっているのでしょう。もしかしてすでに申請は為されているのですか・・・そうなのですね」

マリーは、積極的に動きたくなった。ポーラはそれを見透かしている。

イザボーに着替えを手伝わせながら言う。

「マリー、そなたは私の家臣ではない」

そんなことはあえて言われるまでもないことだ。それを強調するところに一定の意味がある。

余計な動きをするなと姉上さまは仰っているのだ。ということはすでに申請しているということだろう。何やら姉上さまが遠いところに行かれてしまったような気がする。すでに自分の役割がかなり薄くなっていることを否定できない。それはルイやドリアーヌ、それにアニエスが近侍するようになったことも手伝っている。

その時、足早に侍女が駆け寄ってきた。

「閣下・・・」

「そうか、イザボー、バブーフ男爵がやってきたか」

 ここまで漂ってくるのはあくまでも男爵の瘴気である。ドリアーヌはあの地方領主の身体の中に完全に自分を隠すことに成功している。自家薬籠中どころか、その薬箱の中に完全に入ってしまわれた。

マリーは妹の余裕というものを見て取った。改めて自分の存在価値について疑いを抱く。

驚いたことに何か見計らかったようにルイが姿を見せる。侍女イザボーは大忙しだ。目立つのでアラス城のように大人数を使うわけにもいかない。

しかもルイは腹の立つことを言いだした。

「確かに私が同行することで、親族重用主義の否定にもつながります」

 それはポーラの立場に関係することだ。奪還軍においてできるだけ有利な立場をマリーはポーラに確保して欲しい。そのために現教皇の血筋ということは、実に微妙な影響を蒙る。

普通に考えれば有利なはずだ。しかし相手はゴチゴチの信仰者である。

この際、アンチ強硬派の枢機卿と血縁関係にあった方がよほどよかった。ナルヴォンヌ派閥は、その名前から分かる通りにモンタニアールに他ならない。

コンビエーヌにおいては臍を噛んだ少女だが、どうしてかナント王への敵愾心が変質したような気がする。以前よりも減退したということではない。あの家がドリアーヌにしたことを思えばむしろ恨み辛みが増えることは自然なことだろう。しかしそれを保留するくらいの余裕がマリーと違ってポーラにある。

果たしてそれは真実なのか。そういう疑問がどうにも払拭できない。

それを彼女には見せたくない。それが弱味につながっている。

しかし自分は縁起が下手なことも知っている。それ以前にこの妹に嘘がつけるはずがない。ならばむしろ見つけてやる程度が適温かもしれない。が、それをする勇気はない。どうやらドリアーヌは彼女にとってアキレス腱のようだ。今はただ遣り過すことしかできることはない。

教皇に謁見して、過去のことを思い出さないということはありえない。みっともないことだが、ルイはその担保となってくれるだろう。ポーラはそう考えていた。だが、謁見するより前に当時のことをマリーと話しておかねばならない。

「そなたら、謁見の許可が下りるまで休んでいてほしい、マリーには話しがある」

まるでポーラの意図を理解したかのようにルイと男爵は退出していった。マリーは、ドリアーヌには包み隠さず話してある。

 呼び捨てが板につくのは、必要なことだが一方でポーラはなかなか耳慣れないこともまた事実だ。

「ポーラ、まだ話があるのですか?」

「いうまでもなくあの時のことだ。そなたは自分を殺そうとした人物に会うわけだからな」

なぜだかマリーは余裕が出てきた。

「猊下は、まさか私たちがケントゥリア語ができるとは思われなかったのでしょう。あのメッセージは母上さまに向けられたものです」

 マリーがミスったことをポーラは悲しむべきか、あるいは喜ぶべきか。

「母上と申したな、伯母上であるべきだろう、マリー、坊主どもを喜ばせるだけだぞ」

 

坊主と?主をも恐れぬ言いようではあらしゃいませんこと?姉上さま?

立場は逆転したとはマリーは考えていない。だが、自分は冷静にはまだほど遠い。本来の自分には立ち戻ってはいない。おもわず母上様と口走ってしまったことは、失敗の極みだろう。それは主の教えに反する。

マリーは、自分が正鵠を射た答えをしたあまりポーラが混乱していることに気づいていない。

ザカリアスはかなり本気でマリーを処刑するつもりだったのだ。ポーラはそれに疑いをさしはさむことをしない。

そこまで洞察できていればもっと余裕を持てたかもしれない。

 アデライードのことを持ち出されたせいもあって、相当にポーラは混乱していた。が、「母上」と呼ぶことは何とか避けられそうだった。

 教皇から使者が送られてきたからだ。

 大粒のエメラルドのような瞳が特徴的だった。少年の口からは驚くべき答えがもたらされた。

「是非とも、陛下とご同席ください」

 猊下に置かれては個別に謁見させていただきたく・・とポーラは喉元まで出しかかったのである。いかに相手が少年とはいえ、それは微妙な政治的問題を招聘するのは火を見るよりも明らかだ。

 「猊下には、了解しましたとお伝えください」

猊下付きとなってまだ日が浅いのか、少年は目を白黒させている。ポーラの態度がマリーにも恭しいので恐縮しているのだ。何処の貴族の子だろうか。出自がどうあれ敬意を示されるのが聖界というものだ。家の事情か、おそらくは産まれながらにして僧職を重ねることを運命付けられているのだろう。この可愛らしい緑色の瞳もやがては白くなっていくと思えば悲しくもなる。しかし、である。マリーの敏感すぎる触手には注意しなければならない。ただでさえ精神が不安定なマリーの嫉視を招くことは避けたい。フィリップ・ド・ペタンの例もある。しかしあえて瘴気を制限することも要らぬ疑いを招くことになる。

聖職者の瞳は灰に喩えられる。白は中途半端な灰色という位置付けだ。生きながらにしてすでに魂は天上にあるとでも言いたげだが、それを揶揄っている。母上もそれほど娘が憎いならばミラノにでも送ればよかったのだ。しかしそうすれば公爵家は長子を失うことになる。できもしないことを押し付けて想像上の母親を困らせる。

猊下に謁見となれば、とうしてもあの日のことを思い出す。

本当にあれは単なる冗談にすぎなかったのだろうか。親族重用主義を頭から否定するような態度はポーラをさらに警戒させる。これまでのザカリアスのやってきたことを勘案すればあながち冗談とは思えないのだ。

モーパッサンには建設中の城はあっても聖堂はない。

猊下が在わすところはすなわち聖堂ということだろうか。

総本山であるミラノに赴くよりはまだ精神的には楽だとは思う。だが、ミラノがそのままモーパッサンにやってきたといっても過言ではない。伝えられる陣容を耳にすれば、ポーラとて精神が引き締まる思いにもなる。枢機卿の主だった人々が名前を連ねている。猊下と相反する派閥の連中も目白押しだ。普通に親族重用主義を貫く教皇でも気を使うだろう。いざ、ザカリアスとなれば逆に袖にされかねない。自分の主義を主に見せつけたいと考えているのだろう。なにせ、そのために幼女を死刑台に送ろうとした人間なのだ。


出立の予定まで二時間はあろうというのに、侍女連中を従えてアニエスがやってきたので少女は不安を覚えた。それを吹き切るつもりで言う。

「アニエス、ここはアラス城ではない。これほどの侍女を集めれば仕事に差し障るのではないか」

「…いえ、そんなことはありません、この子たちには重要な仕事に従事してもらいますから」

満面の笑顔だった。ここに来る前にやけに大規模な荷物の山の正体について気になっていたところだ。ひょっとしてマリーはこの事態を予期していた、いやそれより前に知っていたのではないか。恋人は涼しげな横顔をこれ見よがしにしている。まるで母上の代弁者のように嫌味たっぷりに言い出した。

「最低でも一時間はかかりましょう、猊下に謁見申し上げるのですから、それなりの準備が要求されてもおかしくありません」

相手は清貧を旨とする教会だが?

そんなことを実際に耳に入れたところで無意味というものだ。そんなことはわかりきっているからである。

しかしアニエスを連れてきたのは、大変な間違いではなかったのか。恐ろしい想像だが母上の両目が飛んできて自分を監視しているのだ。年齢的に二人は似通っているせいか、高い頬骨やほうれい線が、普段ならば上品だと思えるがこのときばかりは嫌な想像しか生まない。アニエスが光るのは大剣を佩いてこそだ。その手指は人を斬るためにあるのであって、高価な布を弄ぶためにあるわけではない。

 「閣下は、ロベスピエール公爵閣下にあらしゃいます。それにふさわしい格好というものがあります」

「ポーラ二世陛下は戦装束を世間に晒していらっしゃるが、あれはよいのか?」

少女が言っているのは、アラス城から下界を見下ろすように建っている先祖の像である。魔法の使い手でありながら、鎧を着込んで竜騎士の扮装で敵陣に斬り結ぶほど勇敢だった。公爵のままだと家臣に邪魔されるので一部の者以外には事実を知らせず変名にて特攻していったと記録にはある。

婿を迎え入れる際にも戦装束だったとされる。こちらは公式記録にはない。

「閣下、それは吟遊詩人どもの怪しげな歌にすぎません」

「い、痛い!少しは優しくできないものか…アニエス!」

「申し訳ありません、閣下、閣下のお話があまりにも浮世離れなさっているせいで、私の手も浮いてしまいました」

竜騎士の力を本気で出されたら、少女の腰はただではすみそうにない。ここは黙って耐え忍ぶ以外の方策は浮かびそうにない。

 満面の笑みは変わらないものの、少女が無言を押し通しているせいか、心なしかほうれい線が深くなりつつある。目じりの皺も、以下同文だ。普段ならば、彼女の人間としての深みを感じさせるはずなのに、状況がちがうとこうまで変容するものか。

 結局、女性趣味丸出しの衣装に袖を通すことになった。言うなれば高価な布の塊だ。天井に届くほどの黄金とて、とっさに攻めてきた魔法の使い手に為す術はない。反撃できないのだ。そんなものに何の価値があるのか。

幼い日、母上は少女を飾り立てようと目論んでいたが、共犯だったのはアニエスだ。しかし実は目の前の悪鬼こそが主犯ではなかったのか?

 彼女は侍女ではない。いくら公爵家の長子とはいえ、その袖に触れるなどということはありえない。さすがに母上ですら、渋り顔でアニエスを窘めたことをよく覚えている。

 しかしそういきり立つポーラも、横で自分の妹が同じ目にあっていることに関しては喜ぶどころか、より仕向けたいぐらいだ。

「美しい・・・、マリー」

 いつしか自らがわけのわからない妖怪に仕立てられていることも忘れて、ポーラは妹の美景に魅入っていた。

ついで自らの作品に喜んでいるアニエスに視線が向く。

彼女はマリーと比較したくてたまらないのだ。

「せっかくのおべべが無駄になってしまいます、お嬢さま、そんな、戦場にいらっしゃるような顔はなさってはだめですよ」

お嬢さまだと?過去の暗い記憶がよみがえる。マリーがアラス城に身を寄せるより前は少女が母とアニエスのおもちゃになっていたのだ。

 ナント王に「幼女」と罵られるよりも余計に悪感情を惹起させられる。

 しかしある衝動からは自由になれた。

 寸でのところでマリーを抱きしめかねなかった。それは同時にこの悪鬼に対する攻撃になるが反撃が怖い。

 だから家臣の暴言に甘んじなければならないというのか?

 やれやれと少女は息をつく。

 これらのことは、恐ろしい人に謁見する前に主が与えてくれた安息の道具なのだろうか。教皇ザカリアス12世、ポーラには大叔父にあたる。

彼に再会することがそれほど恐ろしいのか、ポーラ?

少女は自答自問を試みる。

それに応えられないままに、マリーとルイを従えて所定の場所に向かう。

晩餐会が開催される建物である。

 生涯の天敵とでもいうべき人物が少女を待ち構えていた、とポーラはモノローグしてみる。果たしてこの男をそれほど自分は憎いのだろうか?

「遅いぞ、幼女」

正直、腹が立つ。あの整った顔を歪んだ精神に相応しく修正してやりたくなる。

が、ピエール二世の罵詈雑言とて、何か懐かしい気がしないではない。

妹が真っ青になっているのがわかる。 

マリー、そなたが意気込んでどうする。本来ならばそれは私の役回りだろう。仇敵を前にして必死に瘴気を抑えている。

夕日が今にも海に沈もうとしている。

砂浜に対してここまで城の内奥を開示している。それは城塞としての立場を最初から放棄していることを意味する。

マリーは本来の自分に徹することで急場をしのごうとした。モンタニアールへの憎しみを保留する。

ピエールの視線に気づく。まるでまとわりついて来るようだ。こんなことはかつてなかった。

「あら、幼女がそんなに気になりますか?陛下?」

「全く、馬子にも衣装という言葉があるが、これほど最適な例も珍しい。わがナルヴォンヌにある学校にう連れていって、ケントゥリア語の授業に出向かせたいものだ」

確かにその格言はポーラは知っている。

腹立たしいが、かつてのようには思えないのはどうしたわけだ。むしろマリーの精神の方がよほど考慮されるべきだろう。

ふいに、陛下がポーラではなく、その向こうにいる何者かに向かっているような気がした。

マリー、そなたにはそれが見えないのか。やはり冷静さを欠いている。

ポーラは前に出る。それはマリーの視界から王を除外するためだった。

しかしマリーは言うべきことは言った。

「近日中に、是非とも陛下に謁見したいと、栄誉を賜りたいと申す者がおります」

ドリアーヌのことだとポーラは直感した。遺憾の意をメッセージで送ることはあえてしない。陛下をごまかすことは不可能だからだ。

「?!」

王は信じられないほど真剣な視線をマリーに向けた。こんな貌を、ポーラはかつて向けられたことがない。どうしたことだ、この感情は何だ?全く持って不快としか言いようがない。-

「陛下…」

ちょうど視界に入ったのは、建物の構造によって四角に切り取られた空だ。暗雲が立ち込めつつある。

まさか、あなたはマリーを?!

ポーラは自分の感情を抑えきるのに苦労した。が、結果としてあまりうまくいかなかった。

「陛下、是非ともご理解のほどを…。私のこの世でもっとも大切なものを傷つけられた場合、たとえルバイヤートを相手に戦っていたとしても、私はあなたの背中を刺すでしょう…」

「公爵殿、冗談を言っている場合ではない。私たちは民草を相手に笑い者になる道化ではない。主から領国の経営を任された諸侯なのだ」

王はポーラを突き抜けてマリーに近づく。

「サンジュスト伯爵殿、そなたのご案じの件、調査中である。我らが父が何をやったのか、すべてが明らかになるなり速やかに報告させていだだく。そうだな、ルイ」

ルイは、遅れてやってきた。マントがごまかしているが、実際はポーラよりもほっそりとしているのだ。

 王弟は聖母ような微笑を浮かべて応えた。

「はい、陛下…」

「幼女、聞くがいい。ナント王とはそれほどまでに重い荷物なのだ。実の弟からも兄上と呼んでもらえないのだ」

そなたに耐えられるか?

つい、マリーは私の家臣ではない、と罵りたくなった。

しかしドリアーヌのことで傷ついている妹のことが脳裏を過ぎる。それが彼女の口を貝にした。

すぐに少女は赤面しないわけにはいかなくなった。頭に浮かんだことがあまりにも的外れだと気づいたからだ。

だが、そんな物思いも強烈な瘴気によって打ち消された。

一瞬、ポーラは戦闘態勢に入ったが、それが無意味どころか失礼にあたることにすぐに気づいてしまった。


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