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架空十字軍  作者: 明宏訊
25/61

 ブリュメールのミサ10



 だから、満場にはポーラがまず最初に復唱したように聴こえたはずである。

 マリーも、もちろん、公爵に従って復唱をする。

 しかしながら、いくら天使さまに命じられたからといって、「神」という表現は本当に人間に許されるのか。いや、それ以前に畏れおおくも天使さまの言葉に懐疑することは万死に値する。わかってはいるのだが、どうしても目の前で起きている現実を素直に受け入れられない。

 だが、本人たちの胸中こそ複雑だった。しかも姉と妹ではかなり状況が異なるのである。

 ポーラは神という用語を人間の分際で使ってしまったことから不安と罪悪感に苛まれる一方で、マリーに後れを取ってしまったことから、悔しさを滲ませる。それとは逆に、神と呼ばせてもらえたことをほまれと思える心も同時にある。

 マリーは、一方でどうしてこんなことをしてしまったのか、よくわからない。お二人が本当の心情を互いに吐露することを心から望んでいる。しかし先ほどの行為がそれにつながるとは思えない。

とりあえず、満場の衆目が姉上さまに集まっている。彼女に批判的な人々の目の色をこれで変えることには成功した。しかしそれが聖堂の外にまで達しないことが口惜しい。しかしながら、上に立つものの態度は自然に下にまで浸透するのが常である。その経緯は、まだ若いマリーには思考の及ぶところではない。

それにしてもどうしてここまで天使さまは眩いのか。

あたかも背中に光を知覚する器官があるようだ。今持って天使さまの足の甲に接吻させていただいている。瘴気を発しないゆえにそれを辿って真意を図ることもできない。ただ、ただ、五感という原始的な器官だけが天使さまを感知する唯一の方なのだ。そうならば、馬や犬と変わらない。

天使さまのお声が響く。

「ポーラや、リシュリューは元気ですか?」

話題が人ならぬものにうつる。かといって天使さまでも動物でもない。他ならぬ、ポーラの愛竜である。竜という生き物をどう位置付けるべきなのか、神学者の議論が終わりを向かえないのは、聖伝に具体的な記述がないうえに天使さまが解答しないからだ。

 幼いポーラは竜について質問したことがある。

「竜って人間でも動物でもないけど、ほんとうは何なのですか?」

 天使さまは、思い出したように質問を繰り返すポーラに「そなたが思ったことが答えだ」とはぐらすばかりだった。養育係を務めた一人の僧侶は「人間以外で唯一、魂を与えられた土くれです」と素っ気なく応えた。人間が単なる土くれにすぎず、魂を主から与えられてはじめて、食べたり、飲んだり、魔法を使えたりできるようになったことは知っていた。だが、どうしても自分が単なる土からかわいらしい少女になったなどと到底信じられるものではなかった。

 竜に魂があるというのは、以前からなんとなく感じていたことだった。彼女が育てた竜の目からは確かに知性を感じた。彼女が接する平均的な人間よりもはるかに魅力的に映ったのだ。

 ポーラは当時のことば突然に脳裏によみがえったので驚いた。彼女が誇る赤い竜は彼女が卵から孵して育てたのだ。

 天使さまの足下で彼女は字義通りの意味で幼女に戻ってしまっていた。

「リシュリューはやっと戦に連れていけるようになりました」

「どんな竜騎士も魔法の使い手も竜に戦まで連れていってもらうのですよ、そなたは竜にまでそんな言い方をするのですね、本当に戦が好きなのですね、本当ならば、困った娘ですと怒りたいのですが、今回は残念ながらそういうことには参りません・・・」

 天使さまが長広舌を披露する。

 普通ならばありえないことだ。謁見できる身分のものでさえが、あくまでも短い挨拶程度の返信をもらえる程度だ。感情を表してもらえることなどありえない。だが、ポーラにはこれほどまでに豊かな感情表現を見せていただけるのか、衆目は嫉視よりもむしろ畏れを抱いた。

「神」と呼ばせたことも手伝って、もしかしたら主君とマリーは自分たちとは違う存在ではないか、つまりは人間ではないのではないか?というありえない疑問までもが鎌首をもたげはじめた。

 ただアデライードだけが静謐を守って、自分の腹を痛めて生んだ娘を見つめていた。もちろん、石畳に接吻しているためにあくまでも心眼でそうしていたというわけだ。

マリーは、果たして自分が観察者なのか、被観察者なのか、あるいはどちらでもないのか判別できずにいる。姉上さまと一緒にされることは憚られる。だが、自分もまた「神」と生まれてはじめて言い、それをみなに見られた。

 みな、とはこの聖堂に集う者たちだけ、だ。

 いや、ちがう。どうして今の今まで気づかなかったのか?

 ジョルジュ・クートン枢機卿猊下。

 ちなみに聖職者になった時点で貴族の称号であるドは外される。それだけでなく、新たなる姓を賜る。当然のことだが元の姓はロベスピエールだった。

 猊下は、今の今まで魔法を使って情報を四方八方に報道していた。どうして気づかなかった。

 しかしながら、ミサにおいては天使さまの許可なく勝手に発言することは許されない。瘴気によるメッセージも当然、禁止されている。猊下の行動がそれに準拠しないわけがない。ならば、天使さまのご命令によって距離的にどこまでなのか今は想像が付かないが、少なくともアラスに集注した人々のすべてには知られているはずだ。

 畏れ多くも、主を「神」と、姉上さまと自分は呼んでしまったのだ。

 それに対する影響は心理的なものに限定されない。

 政治的にどのような意味を持つのか。

 もしも、アラス付近に限定されるものならばともかく、いや、そんなはずはないだろう。エイラート奪還軍に臨んで非常に複雑な状況に立たされる。いや、奪還軍を期して意図的にそういう方向に向かわせたと言ったほうが適当だろう。いいや、それ以外にはありえない。

 天使さまはどのようなおつもりでそのようなことをなさるのですか?

 しかし、エイラート奪還軍という目的が大多数には知らされていない。

 すべての基礎が衆目が想定すら不可能な計画にある以上、マリーの思考はほとんど無意味に帰してしまう。

 理由はわかっているとはいえ、いつも通りにミサが施行されないことは忸怩たる思いである。主への祈りは定例通りに実行しなければ忠誠心を疑われる。

 しかし大人たちの視線は違う色合いをしている。

ほんらい、ミサとは厳粛であるべきであろう。天使さまがポーラとマリーに「我が娘」宣言をした後には、たしかに枢機卿による開始の宣言から滞りなく、千年前から何度繰り返したのかわからない順序で典礼通りに少なくともこなされたのである。

が、一通り終わると天使さまはポーラに話しかけた。

 天使ラケルとポーラの会話は、愛竜リシュリューの近況に終始した。

 主君が、幼いころから天使さまから特別扱いされていたことは事実である。だが、だからと言ってこれほどはなかった。まるで本当の母娘ではないか。公爵家の大人たちは不満だった。そこには嫉視がかなり自分でも気づかずに含まれていたが、これはミサにありうべき姿ではない、というのである。

ポーラは早めに辞退すべきだろう。どこまで天使さまに甘えるのか。いい加減に子供ではないのだ。

だが、事態を見つめているうちに彼らの心境にしだいに変化が現れた。

それにしても…、もしかして

 天使さまと主君が熱っぽく語り合っている。畏れ多いことだが、まるで本当の母娘のようだ。何とうつくしい光景だろう。

 あのような些細で他愛のない会話を日常的に、我が主君は天使さまと交わしていたというのか。それは衆目にとって空恐ろしきことでしかない。もはや、この人に逆らうことは天意に叛くことではないか。そういう思いを強くした。

 高等法院院長ペタンは、思わず石畳にげんこつを減り込ませたくなった。自らが逆らおうとしていた、廃位しようとしたのはどれほど恐ろしい相手だったのか。それを痛いほどに思い知らされたのである。長いこと生きていた経験が全く通用しないとは、老人にとってショックな出来事だったが、一方で潔い気持ちで心の中が満たされていくことを感じていた。自分が感じているのは奇蹟なのか。

 

 アデライードは、枢機卿の企図を見抜いていた。

 彼女は、この場においてポーラとマリー以外で唯一、ミサの目的を知っている人間である。それを勘案すると次第に天使さまの意図が見えてくるような気がする。

 ルバイヤートというモンスターがエイラートには待ち構えている。予想が付かない相手と娘は戦わなければならないのだ。これまで、モンタニアールをポーラだけでなく太后も蛇蝎のように憎んできたが、それと較にならないほど恐ろしい。相手が人間ですらないとはどういうことだ。悪魔か?竜か?仮に世界中の竜が人間に牙をむいたらどんな事態が待っているだろう。竜の破壊力を思えば誰にでも容易く想像できることだ。

 彼女ができることは、あくまでも公式の場における太后という立場をわずかでも揺るがさないことだ。それは亡き夫の名誉を守ることにもつながる。

  が、ここでアデライードの脳裏は完全に空白になってしまう。

 彼女は自分のことをエゴイストで高慢ちきな人間だと思いたがっている。

 しかしながら、それが自身の保身ではなく、ただ娘をいちずに思ってのことだと本人が気づいていない。

 マリーとは別角度からポーラの立場が変わることを危惧していた。

 ポーラは母親から熱い視線を一身に受けているとはまったく気づいていない。ただラケルとの会話を心から楽しんでいるだけである。


 リシュリューの近況の報告が終わると天使ラケルは佇まいを直した。

「突然だが、そなたたちに重大な発表がある」

 ポーラとマリー、そしてアデライードは天使さまが何を仰るのか予め知っている。だが、そのほかの者たちは全く知らない。

 報道はそのためだったのか、とマリーはクートン枢機卿にそれとなく視線を送る。だが、先ほどのやり取りまで含む必要なのか。まだ、その影響を完全には想定できていない。

 それが終わらないと対策の立てようがないのだ。

 しかしながら世界中でこれは起こっていることだろう。ほぼ同時に、ミサは行われて天使さまに謁見できない身分にも事実が開示される。

 きっと世界がひっくり返るような大騒ぎになっているにちがいない。


 エイラートという地名が天使さまの口からこぼれると、万座はどよめいた。いや、それほど広くはない聖堂内だけに留まらない、城内、いや、アラス全体が一頭の竜のように戦慄いたのだ。

事ここに至って、今回のミサの本当の目的を知ったのである。型通りの儀式よりもはるかに重大な内容が秘められていた。それが開示されると、なにもしらなかった圧倒的多数はは、あたかも主の預言を受けたような気分になった。晴れがましい一方で、とんでもなく重い使命を託されたという意識である。それを義務感と呼ぶべきか、使命感と表現すべきか、現代においては適当な訳語がない。

 ポーラもマリーも、聖伝の中にしか見つけられない地名を音として耳にしたとき、戦慄のようなものが身体を走り抜けたものだ。いまだに自分たちが世界の外に遠征に行くなどと、ナント王と手を携えて戦うことなどと全く想像できない。そういう自分の姿を脳裏に描けない。

 その都市の名前を聴くと身体の何処かが勝手に反応する。それは憧憬と呼ばれるだろうう。幼い日に聖伝に書かれたその文字がマリーは大好きだった。

 想像の中でだけで描いてきた伝説の都市である。

 そこに住んでいるのは、美しい天使さまだけで人間は一人もいないというのが姉上さまの感想だった。

 聖伝の内容を疑うことは世界に住む人間として絶対にありえない。だが、いざそれが現実だと突きつけられると自然と混乱が生ずる。主への思いが問われるのだ。

「そなたは本当に主に忠実と言えるのか?」

 何処か聖伝の記述と生活をべつの出来事として捉えていたのだ。

 実際の戦いに臨むに、それに伴う仕事がありすぎて姉上さまと話し合う機会を得ることができなかった。何と言ってもたった一か月で用意を終えなければならないのだ。

 天使さまは屈託のない顔で続ける。

「あなた方はエイラートを奪還しなければなりません。世界が一つになってルバイヤートから奪取するのです」

 もはや、ラケルさまの視線はこの聖堂内にはない。枢機卿の魔法が果たしてどこまで届くのか。それを考慮に入れればポーラとマリーならば範囲はわかるはずだが、そんなことに頭脳を使うのはあまりにも勿体なさすぎる。

 とにかく広範囲に声を届かせたいと考えていらっしゃる。

 身分低き者にまで天使さまのお声が掛かることは、特権身分としては我慢ならぬことではある。自らの存在価値のかなりのところは天使さまに依存している。自らの権威を脅かすことが起こっている。それに気づくほどしかしポーラとマリーは自分たちを俯瞰できるわけではない。

 天使さまは一同に面を挙げるように命じられた。

「私は神が愛された人々の顔をじっとみる喜びをなかなか感じることができない。いま、それが叶った」


 ここで万座の反応を見る。

 彼らや彼女らは果たして三人の態度に不審を抱くだろうか。三人とは言うまでもなくポーラとマリー、そしてアデライードである。予め彼女らは事実を知っていた。

 しかしミサに私語は厳禁である。

 ポーラに突き刺さる視線は、だんだんと懐疑の色合いを濃くしつつある。

 三人の女は、事ここに至って自分を隠すような真似は犯さない。それを潔いと呼ぶべきなのかは全く別の問題だろう。

 

すでにマリーはそれを余裕をもって眺めるくらいには精神の安定をとりもどしている。

 ポーラは跪いているというのに、すでに直立したくらいの存在感を周囲に放っている。予め自分はすべてを知っていた。だから何だというのだ?そういった空気を無言で醸し出している。

 今夜は、すでに予想外のことは起きないとマリーは高をくくっていた。しかしながら事態はそうはならなかったのである。

 一度は、クートン枢機卿たちに囲まれて退出しようとした天使さまが振り返ってポーラを呼んだ。

 ありえないことに天使さまは姉上さまに駆け寄ると、跪こうとするのを無理やりに立たせて抱きしめたのだ。

 後でフィリップ・ド・ペタンに確認すると、エイラート奪還軍を出師する理由を天使さまは聖伝の記述を挙げて事細かに語られたという。それは聖職者による説教のようだといい、まさか天使さまの口から聴けるとは夢のようだと感慨深げのようだった。

 マリーはすぐに夢から覚めるようなことを言ってのけた。

「ならば、そなたも世界の外に遠征してみるか?」

 基本的に戦場向けに人間ができていない。それはジョフロアと基本的に変わるところはない。その点が二人を心情的に結び付けた理由でもあるだろう。



 マリーの言葉に少年がしり込みすることを確認するよりも重要なことがある。それは自分で思っていたよりもミサに際して緊張を強いられていたという事実である。

 姉上さまは恐ろしいほどに超然としている。

 天使さまに抱かれた直後は凍り付いていたものの、離されると全く別人になっていたのである。 

枢機卿の口から正式なミサの終了の宣言が為される。

天使さまが退出なさる際に高位聖職者が言うことになっている。

それを待たずして、一同はポーラを囲む。マリーを含めて、天使さまが「娘」と呼んだことなどすでに忘れてしまっているらしい。それはそれで彼女にとってみれば重畳なのだ。 


ポーラは光に抱かれたような気がした

あまりにも眩しすぎて身体が燃えてしまいそうにまでなった。炎の魔法は彼女の十八番である。人間という範疇ならば最高の炎を生み出す自信がある。が、これはなんだろう?太陽を百個集めたよりも明るい

ここまでくるとすでに光ですらない。

体験したことがあるわけがないが、想像上したことはある、いわば、主、そのものではないか。自分のようなものが受けられるものではない。

そこが天国だったのか、後から考えるとよくわからない。

しかし次の瞬間には地獄に突き落とされたのである。

天使さまは耳元でとんでもないことを囁かれた。

「これから私がしようとしていることにあなたは静観できないでしょう。しかしやらねばなりません。私は聖堂の外にでます。それだけでなく衆生にこの身体を晒します。上下関係なく知ってもらわねばならないことがあるのです」

不思議なほどに冷静な自分がいる。

抱きしめられたときに比べたら、まるで別人のようだ。

いま、自分は先程とは比べようがないくらいにとんでもないことを耳にしたはずだ。しかしどうして激しい情動が自分の中に認められないのか。

現実離れしているといえば、いま、自分がされていることそのものがファンタジーなのだ。

思い返されるのはコンビエーヌでのことだ。天使さまが姿を見せた。あの時と今は似ている。

「ナント王ピエール二世と和睦なさい」

あの時はモンタニアールに対する勝利が失われた。

今はなにが失われようとしているのか。 そうだ、私だけの天使さまだ。

幼い時にラケルさまがマリーに名乗られた。そのことが原因で一週間ほど口を利かなかった。ならば、今度はどうするか。無視する相手はここにいる大人たちか?

 それだけでなく資格もないのにラケルさまに謁見しようとしている家臣たちか?

 それどころではない。城外にまで出られるとまで仰っている。まさか、庶民の目に触れると?

 想像したくないのは、賤民の目に触れることだ。天使さまが汚されてしまう。


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