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架空十字軍  作者: 明宏訊
24/61

ブリュメールのミサ9



 ミサに参加するに当たって姉上さまがどんな格好をされるのか、それがマリーの最大の関心事だった。天使さまが宣言されることはすでに規定事項だからもはや詮索する必要は全くない。しかしながらそうした悠然とした態度でいられるのは、この城において両手で数えられる程度だ。太后でさえがかつてはそれから漏れていた。マリーの尽力によってそれは何とか回避された。両者の関係が修復不可能になることを恐れたのである。

 姿を現した姉上さまは既視感を思い起こした。

何処かで見たことがある、きっと自分以外も体験しているだろう、ものすごい有名な人であり、しかしどこで誰に出会ったときのことなのかよくわからない。

 老人たちがそのありかを教えてくれた。

 誰かの一声が象徴的だった。

「オーギュ、オーギュスト?!」

 途端に少女の脳裏によみがえったのは、アラス城の第三主塔を臨む中庭にある、ロベスピエール公爵オーギュスト五世騎竜像だった。

 マリーは、もちろん本人に出会ったことがある。それどころか治療属性として参戦していた少女に一隊の長を命じた前公爵、すなわちはポーラとジョフロアの父親である。

 あまり戦において誰の目にも明らかな功績が少ない君主だったが、礼装で参戦したポンパドール攻防戦では見事、ナント王の軍勢を領域外に押し戻した。まさか公爵自らが罷り出るわけがないという局面で姿を見せて王の叔父を戦死に追い込んだ。王がそう見込んだには理由がある。母親の葬列に参加していたからだ。陰険な方法で当時のタブーを平気で破る王だけに、ドリアーヌにまつわる魚人の陰謀説が生まれたのだとマリーは考えている。それにしても自分が天使さまの輝きに預かることができる一方、ドリアーヌが参加できないことは悲しくてたまらない。タンヴィル家では家格から言って謁見するのは難しい。それ以前に彼女に特有の問題が横たわっている。それに言及するのは、あまりにも恐ろしすぎるのだ。複雑な理由が幾重にもなって解決を難しくしている。


 さて、葬礼でミサに出るというのはありえないことではないが、奨励される話ではない。

 オーギュスト五世の礼服に至っては、その戦い以降、普段の生活を含めてすべてその恰好で通したことから、いわば彼を象徴するための慣用表現となっている。

 ポーラが父親、オーギュスト考慮公と同じ格好でミサに参加する。

 一同は主君の考えていることをだれしも訝った。

 みな彼女の衣服に意識を集中する。次第にただ酷似しているだけではないことが明らかになる。衣装から懐かしい瘴気が漂ってくるのだ。もしかしてあれは本物ではないのか?実際にオーギュストが着ていたものではないのか。

 オーギュストは男性の竜騎士としては華奢だった。一方、ポーラは女性の魔法の使い手としては身長も高いし、剣を使わせれば大抵の本業の竜騎士たちが適わない。

 だから全くサイズを改編することなくポーラの身体に結果として収まったとしてもおかしくない。見れば心なしかチキチキすぎるようでもない。

 しかしながら、生前の彼を知っているだれしも異口同音に証言することだが、ポーラは父親に全く似ていない。むしろアデライードに酷似している。多くの係累たちが早計な結論に飛び付く。二人は仲が険悪だと勘違いしているのだ。彼らや彼女らは同族嫌悪だと勝手に思っている。

 二人の容貌は似ても似つかないのに、ポーラが姿を見せたとたんに前公爵が姿を現したのかと錯覚した。

 先に呼び捨てにした人物は、前公爵によって尊属にあたる人物である。白いひげが口を完全に覆いつくしてしまい、彼の声を誰も長いこと耳にしたことがなかった。

 これはいったい、どのような心づもりなのだろうかと誰もが訝る。

 姉上さまは自ら何かを語ろうとはしない。みなに形通りのあいさつを済ませるとマリーに近づく。しかし彼女への処遇もその他と変わらない態度を堅持し続ける。

 が、主君にばかり意識を集中させ続けるわけにもいかない。

ミサを主催するのは、あくまでも天使さまであって城主ではないのだ。

 そして謁見できるのは、ごく限られた者だけだ。逆を言えばその権利こそが高貴な血と身分の担保になると言っても過言ではない。

 公爵家の一族と同系列の貴族たちが城内に併設された聖堂に集まっているが、彼らや彼女らはそれほど広くない空間を温めることはできない。

 確かにここに足を踏み入れられる人は、文字通りの特権身分ということができるだろう。しかしながら、アラスに集注した人々からすれば城内に入れた人はそれでも恵まれていると、羨望の視線を向けられているのである。

 天使さまは瘴気を発されない。

 人間ではなく主にお仕えする方々なのだから当然のことだ。だがその威令はそれとなく伝わってくる。醸し出される空気はそこはとなく流れてくるのだ。

 

 多くの者たちは城外から固唾をのんで事態を見守っている。ここアラスに集注した人々の多くはナント王、モンタニアールとついに雌雄を決する大戦が宣言されるのだとばかり考えている。まさか伝説の聖地エイラートを奪還するために世界の外に罷り出るなどと、誰も夢想だにしていない。

 公式には公爵と王の戦いは終わっていない。

 そもそも終結宣言が出されたことなど、王位戦争以来500年の長きにわたって皆無なのだ。まさか天使さまの降臨によって前者が後者を打ち漏らしたなどと、だれが想像するだろう。ポーラが撤退したのは、何か戦略的な理由があったに違いないと考えている。

 流れてくる噂からいえば、公爵は王に対して圧倒的優勢だったらしい。アラスに帰陣したのは改めて戦線を組むためだろう。新たに募兵も行うにちがいない。誰しも勝ち馬に乗りたいと思うのは当然のことだ。旗色を決めるのはこの時だと周囲の諸侯、土豪たちが色めき始めたのだ。新規がないならば、新しくこちらから契約を持ち込んでもよい。

 ポーラはそういう空気を微妙な思いで見つめている。格子窓ごしに見える光、光は、視覚によって受け取れるよりもはるかに眩しい。だが、眩いというものでもない。みな我が名前は何某と、瘴気を抑えるどころか押し売りするように迸らせている。

 思わず態度を変えてマリーにこうも毒づきたくもなるものだ。

「パスツゥールにオフェンバックか、彼奴らが全兵力の三分の一でも出していたら、ナルヴォンヌは我が都市となっていた。よくも恥ずかしげもなく髭面を出せるものだ、風見鶏め」

 ポーラの言葉は辛辣ながら、声の調子からいってそれほど激しい怒りは感じられない。おそらく父親の外見を剽窃しておきながら、本来の好戦的な性格が死に絶えたわけではないのだと、一族に印象付ける考えもあるのだろう。

妹すればそれは悲しくもあり、頼もしくもある。

 会話というゲームの性質から添えて置かねばならないこともある。

「姉上さま、ラケルさまにすべて見抜かれますよ、心を平静に保たねば・・・」

 妹にみなまで姉は言わせない。

「マリー、あれほどの猿芝居を演じておきながら、よくもそのようなことが言えるものだな。しかもこのような場所で、御名をお呼び申し上げるとかどういうつもりだ?」

 ポーラはかぶりを振った。

 母上さまがまだ来られていないことが不幸中の幸いである。ポーラが言うところの。猿芝居の、もう一方の主演女優はまだ顔を見せていない一方で、ジョフロアは既に臨席している。しかし一度も口をきいていない。

弟はフィリップに頼ってようやく立っている。しかしながら、それがブラフであることを見抜けないポーラではない。まして治療属性であるマリーの目をごまかすなどとあり得ることではない。

「私は自分の軍隊に最高の治療属性を擁しているはずではなかったか?気のせいだったか?答えよ、ペタン家の継嗣」

 弟にもたつかれている少年はそもそもここに臨席するはずではなかった。ただし、城主の要請によって急遽、礼服に身を通す結果となった。

「はい、閣下、公爵家は世界に誇る主項目の一つがマリーさま、サンジュスト伯爵閣下を擁する治療属性であります」

「それは確かか?」

「はい、閣下・・」

「ならば、半病人がここにいるのはおかしくないか?卑しくも公爵家の係累が、いや、それどころではない、次期公爵が負傷したというのに、その世界に誇る治療属性は施術をさぼったのだろうか・・・・」

「姉上さま!!いいかげんになさいませ!」

 ポーラが誰に鉾を向けたいのか、マリーは知っている。自分にこそ向けたいのだ。それをジョフロアを出しにするとは何とも精神がねじけているというか、歪んでいるというか、ねじ曲がっているというか、まったくもって救いがたい。

 だが、彼を継承者として指名したとあれば、それは彼を認めた故ではないのか。今になってその決断を悔い始めたというのか。それは姉上さまらしくない。一度、自分が決めたことは最後まで結果として押し通すのが彼女だからだ。

 ミサの前であるし、精神を安定させたいのは山々だが一矢報いたいというのはある。マリーはフィリップの顔を覗き見る。

「フィリップ、私からも質問してもよいか」

「そなたは治療属性でもないのに、説教か?」

「姉上さまは黙っていてください」

ポーラにピシャリとやると少年に向き合う。彼にとって見れば雲上人である主君に、マリーは、居丈高な態度を取れる。とうてい信じられないことなのだ。

「はい・・・」

 自分でやっておきながらポーラはおかしかった。これではまるで魔法試問の試験官ではないか。自嘲という感情だろうか。笑える。

「では、公爵家の軍隊とやらが世界に誇る主項目の一番に掲げられるべきは何か?端的に答えよ」

 全くもって災難なのはフィリップに他ならない。

 少年は主君とマリーを相互に見て、自らの旗色を明らかにしなければならない。それは格子窓のはるか向こうに闇に沈む欲望がぎらぎらとした光とそれほど変わらないことのようにおもえた。

 ポーラは言った。

「ペタン家との契約を我は忘れないぞ」

「姉上さま、何の契約でしょう?お稚児趣味ですか?公序良俗に反する契約はミラノ教会法によって禁じられていますが?」

まるで罪人をいかに罰するか、それを悪魔が討論する。彼の目には直視できる光景ではない。

 姉妹の醜い争いを見かねたペタン家の当主が前に出た。

「閣下、いくら風紀には甘いロベスピエールとはいえ、ミサの前なのです。高級聖職者もおわすことですし」

 ペタン家の当主とは高等法院の院長のことである。彼こそが主賓である。遠く、公爵家の一族に他ならない。誰あろう、ナポレオン法典がらみの首謀者だ。

「これは、これは高等法院院長殿におかれては、ご息災なこと、重畳きわまりません。ただし、安息椅子に深々と座って人を裁いておられる、そもそもそんな権利は人間にはないはずだが?それ以前に誰のお陰で幸福感溢れる老後を送られるのか、少しお考えなってはどうか?」

「平地に乱を起こす誰かさまが、この地にはいらしゃって、皆さまがお困りです。陛下もあらぬ疑いをかけられてご迷惑でしょう」

一同の血が一瞬で引いた。

ポーラは血の気の多い自分の性格を知っているので、あえて隠そうとしない。しかしそれには別の理由もある。

「この世の悪魔を目の前にして、我に天から与えられた義務を怠慢せよと?」

しかしポーラは不安が的中しなかったことを主に感謝した。なんとなれば、マリーはまさに冷徹な少女そのものだった。パリ宴会以来失っていた自分をついに取り戻したのか。

「院長殿、 我が伯爵家に害をなしたゆえにモンタニアールは悪魔というわけではありません。ただ平和の障害があるゆえです、伯爵家が安楽に歩ける道をただ私は望むばかりです」

「ほう、伯爵閣下、我が君もまた閣下が歩かれる道のためのアスファルトにすぎませんか?」

「だったら、どうかと?院長殿?」

「…」

「先程、我が君と申されたが、それには私も入っているのでしょうか?ご老人に置かれては勘違いなさっておられると見受けるので訂正させていただく。私は閣下の家臣ではない。一国一城の主と公爵家と姻戚とは名ばかりの家臣と一緒にされるにはどうかと、子供の身ながら愚考するものであります…」

マリーの言葉を途絶させたのは、アデライードだった。

「太妃閣下、これは失礼を…」

ポーラは、彼女が知っているマリーが帰ってきたのだと確信していいのか迷っている。以前の自身ならば簡単に納得していたところだが、色々とあって自分もまた変化を経ずにはいられなかったようだ。

この場で太妃を母上と呼ばないのは当然のことだ。

太妃はどう思っているだろうか。まるでポーラのことは目に入らぬとばかりにマリーに話しかける。

「マリー、老人をあまりいじめるものではありませぬ」

院長は、まるで孫のような少女に気圧されていたことに、太妃の流し目によってはじめて気付かされたのである。ジョフロアが後継者たることは決定された。だがそれは自分が廃位しようと企んでいたポーラによって為された。ペタンとしては複雑な心境に陥っている。苦せずしてちょうど三分の一くらい事がなったというところだろうか。


もしもポーラたちがこれから戦う相手がルバイヤートだと聴いたら、きっと、この老人は小躍りすることだろう。

母上さまの様子を見ると、必ずしもこの院長を信用している風でもない。相互に立場を利用しあったということか。しかしながら後者ならば適当な表現が前者はそうではない。マリーは老人を恐れる。何か大きな目的のために小事を無視して負けたふりをする。

連中は、自分の3倍近くも生きているのだ。何を考えているのか、想像の圏外なところがかなりある。

母上さまは自分の2倍も生きていない。だが、ペタンごときと完全に世界が違う。

 マリーは、アデライードの様子を窺っているうちにそれとはまったく違う疑問を覚えた。

 当然のことだが、彼女は前公爵の妻である。それにも関わらずポーラの外見に全くと言っていいほど反応しなかった。

 もしかしたらと、マリーは一つの思い付きを手にした。

 それは、姉上さまは母上さまにあるメッセージを出すつもりでこんな格好をしたのではないか。

 アウグスト考慮公の人格を剽窃してでも人心を掌握したい。常識的に考えればこんなところだろう。しかし問題は表面上のことでないし、本当の問題は姉上さま本人がそれに気づいていないことだ。もしかしたら気づかない方がいいのかもしれない。そうした方が本人の精神安定上はいいのだろう。

 しかし世界においてポーラがもっとも精神を安定する方法はひとつしかない。そのことには本人は知っている。

 天使さまである。

 天使、ラケルは音もなくやってきた。

 周囲に枢機卿や大司教など、名だたる高級聖職者を従えている。しかし両者は存在意義からいって全く違う。なんとなれば、前者は天使であるが、後者はいかに主に仕える身であろうとも単なる人間にすぎないのだ。

 そのラケルさまが、なぜかポーラを重用する。そのことに枢機卿や大司教は疑問だった。

 血筋をいえば、同族である。だから彼女が特別な扱いをされることは誇らしいことなのだ。しかしながら、天使と人間は差別されるべきだ。

 それに抵触するような態度をラケルさまはあたかも周囲に見せつける。

「ポーラ、マリー、私は優れた娘たちに恵まれたことを神に感謝しなければなりません」

 しかも、サンジュスト伯爵にまでそれを敷衍するか。それだけでなく、娘と言い切った。

 二人はラケルさまの足の甲に接吻する栄誉を付与されている。

 その背後で、アデライードやジョフロア、その他の一族たちは文字通りの意味で額づき、自分たちにもその栄誉が回ってくることを待っている。彼らや彼女らも疑問に感じているはずである。

 これからラケルさまが仰ることは枢機卿には、いや、彼だけでなくここにいるすべての高級聖職者が知っている。だが、それを妨げられないことが口惜しい。すで複雑な心境というレベルではなくなっている。

「ポーラ、マリー、私、天使ラケルは二人にこのうえない祝福を送ります。これは神のご意思です。復唱しなさい、私たちは神様の祝福を一身に浴びることを許されました」 

 なんだと!?

 枢機卿は、あと一秒でこれまで鍛えに鍛えてきた精神が音を立てて崩れる音を聴いたにちがいない。それは修行者としてあるべき心のことだ。

 人間は神と呼ぶことは許されない。主と呼ばねばならないのだ。

 当然、ポーラもマリーも唖然とした顔をしているにちがいない。そうでないといけないが、彼女たちは接吻を続けている。

「どうしたのですか?娘たち、私、天使ラケルの言葉が聴こえませんか?」

「お、畏れながら、我が身は汚らわしい人間ゆえに、そのようなとは・・・口が燃えてしまいます、主としか申せません・・・お許しを・・口が燃えてしまいます・・」

 何ということだろう。あのポーラが泣いている。

 アデライードは何年ぶりに我が娘の泣き声を聴いたのだろう。思わず抱擁したくなった。

 ところが、マリーは冷静沈着だった。信じられ無いことに言い放ったのだ。

「私たちは神様の・・」

 ポーラも負けじと声を張り上げたのである。

「私たちは神様の・・・」

 ポーラはとんでもないことを口にしているという自覚があった。それが本当のことを知る妨害をしていた。実はマリーの言葉は実声ではなく自分に向けられたメッセージだった。だが、この魔法には巧妙な仕掛けがしてあって、アデライードにも発せられていたのだった・


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