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架空十字軍  作者: 明宏訊
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天使さま


 カレー僧院長によれば本陣の近くにいらしゃるということだ。かりに近くにナント王がいようと天使さまに弓引くなどとありえないが、戦術的に第三者から襲われにくい場所におられるのはさすがだ。

 本陣の周囲が光っている。天使さまがいらっしゃることがわかる。


 ここがステンドグラスで美しく彩色された聖堂内部ではないことが信じられ無かった。天使さまが戦場に降りられたことなど、ポーラが知る限りなかったことだからだ。月の光ならばともかく野蛮な太陽光の下に降り立たれることなどありえないと思っていた。

 ただ裸の太陽の光によって荒々しく照らされている。それでもポーラはお顔を仰ぐことができなかった。竜から降りた少女は僧院長に促されるままに天使さまがいらっしゃる方向へと足を向ける。気が逸る。戦場にあっても、幼いころから光を当ててくださった天使さまにお会いできるとなればスキップをしたくなるというものだ。

 礼儀に従って少女は天使さまから人の背丈の10倍ほどの地点にひざをついた。子供のころから言いなれた定型句を発する。古代語であるケントゥリア語である。

「不肖、人間の身でありながら天使さまにお目見えすることをお許しください。できうれば、お側にあることをお許しください」

 こともあろうに天使さまはお近づきになってくだされた。恐縮と感激のあまり背中を丸める少女の肩に触れてくれた。天使さまは言った。

「祝福を許す」

 少女は天使さまの足の甲に接吻した。舌触りからいかに清らかなのかわかる。

「そなたとの間柄で仰々しい慣習は鬱陶しいですね。しかし神は私たちを見守っていてくださいます」

 天使さまはポーラのように「主」とは言わない。それが人間とは違うという意識があり、それをアピールしていることに少女はまだ気づいていない。神はいつも監視しているのだ。そういう箴言が隠されていることにも同様に認識していない。

 天使さまは瘴気を発しない。それなのにどうしてここまで輝いておられるのだろうか。ポーラは神の実在を十分に感じることができた。あれほど戦争が好きな娘が杖を握りたいとも思わなくなりつつある。だが、天使さまの言葉によって一気に変容する。

「神が命じられています。ナント王ピエール二世と和睦しなさい」

 ポーラは光る顔を見上げた。

「天使さま、後生です、それだけは・・・」

 ピエールの名前が少女の感情に火をつける。あと少し、あと一歩で悲願が達成されるのだ。いくら天使さまでもこればかりは・・・・・・。

 ポーラは、はっとなった。自分が天使さまに反論しようとしている。その事実が信じれらなかった。事実なのか。内心でさえそんなことは許されない。ましてそれを表に出すなど考えられないことだ。

 少女は跪いたまま一歩ほど引くと呻くように言った。

「天使さま、後生です・・・ご寛恕を・・・」

 混乱するあまりもはや自分が何を望んでいるのかさえ曖昧になっていく。ピエール二世がどうしてこんなときに脳裏に浮かぶのか。いや、こんなときだからこそ浮かぶのか。それよりも憎んでも余りある悪魔を目の当たりにして殺意が浮かばないことが信じられなかった。美貌の持ち主は知らないままに顔を涙で濡らしていた。それが顎を伝わるまで気づかなかった。

 「天使さま、ピエール二世は悪魔です。モンタニアール家は長年の間、我が家の権利を侵害してきました・・・・」

「同じことをモンタニアール家の人間も言うことだろう。これからは協力して事に当たってもらわねばなりません、聖地エイラート奪還のために」

「エイラート?」

 悪魔と協力というありえない言葉は少女を絶句させたが、それ以上にエイラートという地名が破壊力を有していた。それは世界の外にある。ルバイヤートというモンスターが支配する土地だ。かつてそこに楽園世界が広がっていたという。大昔から人々が見ていたゆめの結晶ということができる。幼いころから聴かされてきた聖伝の内容である。

 物語とは言わない。それは吟遊詩人がよくする虚構でしかない。

 聖伝に書かれていることはすべて真実だ。しかしそれは天使さまに属することではないのか。人間がかかわることは許されないのではないか。

 すべてを見透かしたように天使さまは言った。

「そなたの気持ちはわかっています。ナント王と一騎打ちを望んでいるのでしょう?たとえ我が身は神から永遠の呪いをかけられようとも、本願さえ達成されればよいと」

 いきなり天使さまは腰を折られた。そのためにポーラは地面に穴を掘ってその中に入りたくなった。幼児期ならばともかく、今現在、そのようなことをしたら笑いものでしかない。只でさえここに背後に家臣たちが跪いている。久しぶりに彼らの存在を認知した気がする。

「ポーラ、穴を掘って潜りますか?」

 幼児期の黒歴史を天使さまは明らかになさる。まったくもって辛い。

「そなたの資質はあらゆる面で生まれたときから群を抜いていました。しかし、それを制御する術が足りないことは残念です。それは辛抱次第でもどうにもなるものです。つまいは怠惰を意味します。おわかりですね、そなたは罪の一つを犯しているのです。そなたはエイラート奪還にとって欠くべからざる存在です、ナント王と同様に。それまで怠ることはさらなる罪を犯すことになります」

 最後が余計なのだという言葉をポーラは呑み込んだ。

 幼い時代の淡い思い出は一瞬にして消えた。天使さまにもっと礼節を尽くしなさいという母親の言葉をポーラは忠実に実行したのだ。家族どころか、ラケルさまもお笑いになった。そういう記憶は彼女に纏わる家族の話としては希少と言わねばならない。本人が認識できないくらいに、他の追随を許さない彼女の資質に母親でさえが畏れを抱いていた。

 だから、ラケルさまは、ポーラにとって掛け替えのない存在だった。

 ふいに強制的に視点を代えさせられたので仰天した。

 ラケルは少女の顎を軽く摑むと自らに近づけた。こんなことは礼儀上ありえないことである。

「ナント王に干戈を交えると、そなたはどうなりますか?ロベスピエール公爵家はどうなりますか?我々はそなたも公爵家も失うわけにはいかないのです、おわかりですね、ポーラ」

 わかりたい。天使さまのお言葉に素直に従いたい。だが自分をどうにも納得させられない。天使さまは恐るべきことを仰った。

「ナント王がここに来ます。直ちに用意をなさい」

「な、ピエール二世が?!」

 少女は驚愕した。天使さまの前であの悪魔と相対したくない。感情を押し隠すことは不可能だ。自分がどんな顔をするのか想像しただけで目の前が真っ暗になる。

「お許しを・・・」

「そなたたちの慣習として講和の印は食事を共にすることでしょう。すでに命じてあります。そなたの妹も呼んでありますよ」

 マリーのことだとすぐにわかった。彼女を妹と呼ぶことは主に反することであるのに、それは黙認なさる。天使さまはきっとポーラをいかようにも操縦する術を手にしているらしい。それを証明するようなことを口にした。

「ナント王が来ますよ、そなたは彼の家臣なのですか?お立ちなさい、それと杖は預かっておきます」

「天使さま、お言葉ですが、私がしんじられませんか?」

「ならば、それを行動で示しなさい」

 竜騎士の剣と違って魔法の使い手の杖は単なる飾りにすぎない。そういう言い方が言葉が悪いならば使い手の象徴というところが適当だろうか。要するにそれを手にしていようがいまいが戦闘能力に関係はない。それは竜騎士にも言える。剣の切れ味などよりも本人の血の高貴さに依存する。例外がないこともないが、たいていは生まれがすべてを決定すると言っても過言ではない。

 マリーの存在は本来のポーラを取り戻させてくれるに違いない。

 幸いなことに妹の方が先に到着した。彼女の瘴気がそれを示してくれた。だが、自分ともあろうものが彼女の存在を忘れていた。天使さまへの思いとナント王への憎しみがそれを促進したことは否定できないが、自分の意識の問題であることは疑う余地がない。

 マリーの方が、事もあろうに天使さまよりもポーラに反応したので、御前で叱責する羽目となった。が、よくよく考えてみれば姉に対して気を使ってのことか。自分と同じように天使さまの足に接吻するマリーを見下ろしながら、この冷静沈着を旨とする17歳が妹であることを誇りにすら考えていることに気づいた。たとえ神の教えに背こうとも二人の間柄を壊そうとは思わない。天使さまでさえが公認なさっているのだ。

 本陣の頂上はポーラではなくなっている。それに違和感は感じないはずだ。天使さまはそもそも人間ではない。神に仕える身なのだ。だが、彼女の思い通りになるはずの戦場にあってそれが思うように動かないとなれば面白く思わないわけがない。

 マリーは、姉のそんな気分に敏感になっていたらしい。

「姉上さま・・ナント王のことが気になりますか」

 さすがにこの妹とはいえ、姉の気持ちを丸ごと手にするというわけにはいかないようだ。しかしそのおかげで少しばかり気が楽になった。

「変な、姉上さま、人間は最高に緊張すると笑いが出ると申しますから、きっとそうなのですね。緊張を紛らわすためにゲームをしましょうか」

「ゲームだと?」

マリーは、先代公爵から仕えている重臣の名前を挙げた

「そうです、幼いころによくやりました。覚えていませんか?なぜか姉上さまは、ドゴール伯爵の役をやられるので、苦労しました」

「父上に仕えるとはどんな気持ちなのか知りたかったのだ」

「それよりも、私をいじめたかったのでしょう?困らせて、泣き出すのを笑っておられたことを思い出します・・・・」

 ふいに強烈な瘴気を感じた二人は身構えた。

「ピエール二世!?」

「陛下?!」

 「サンジュスト伯爵、そなたは幼児期から姉上さまの世話に駆り出されていたわけだ?できたら、余の前で上演してもらえないかな?」

「陛下・・・」

思わぬ仇敵の出現にマリーの顔も歪んでいたが、姉はそれに気づかなかった。

 「もしも戦場であれば、そなたの命はないぞ、わかっているのか?ま、幼女だからしょうがないか、幼女が戦場に出るものはない」

幼女と…。

何度、そう呼ばれたのかわからない。

身体が怒りで震える。何とか言い返したいのだが、言葉が出てこない。杖を振り回したい。背後から援軍がやってきた。マリーの声だ。

「僭越ながら、陛下、さすがに陛下といえどロベスピエール公爵に向かって幼女は無礼ではありませんか

「ほう、サンジュスト伯爵殿、そなたはたしかまだ17歳でしたな、よほど公爵殿よりも大人でいらっしゃる不甲斐ない姉君のお世話は大変でしたでしょう、お察しします」

「いえ、いえ、ただただ悪魔の力に縋ってナント王国を維持なさっておられる陛下の善の御心こそ、大変だと常々思っております。もしも陛下にそのようなものがあれば、のお話ですが…とてもそんな風にお見受けできませんね、姉が幼女ならば、我は単なる乳幼児にすぎませんから、ごあいにく…」

ドゴール伯爵の声がすべてを鎮めた。天使さまを目の当たりにしてそれなりの説得力を有していた。

いささか緊張が見られるものの、歴年の武士の言葉は

「みな、みなさま、天使さまの御前ですぞ」

「シャルルか?そなたがポーラについていて、ほんとうに心強く思いますよ、さて、ナント王、モルデカイから話しは聴いていますね」

 ナント王は黙って頷いた。彼を指導してきた天使だ。

王はラケルの足下に跪いた。そして、事もあろうに天使さまは悪魔に祝福を与えようとした。

思わずポーラは、杖を振り回すところだった。しかしさすがに身体を硬直させるだけで済んだ。そのとき、ふいに耳元に王の声が囁いた。

「愚か者…」

それは先ほどの幼女という呼び方とは意味合いが違ったような気がする。

「食事の用意はまだ済まないのですね」

天使さまは、驚くべきことに自ら采配を振るって使用人たちに命令を下している。本来ならば謁見できない使用人たちは最初は恐縮して動けなかったようだが、いまはテキパキと身体を動かし始めている。

王は祝福を受けた。それは彼の当然の権利なのだ。だが、納得できない。まるでそれを見透かしたように王の囁きが届いた

「やはり、そなたは幼女か?」

もはや口を開けることは考えられない。いったい、何を言い出すのか知れたものではない。王を燃やすべく呪文を唱えかねない。

使用人たちは、自分たちの主君たちがへいこらしていることを不思議そうに見つめている。考えてみれば人生ではじめてのことだろう。

気分が落ち着いてくると鳥の鳴き声が聴こえてきた。ヴェルサイユ近郊はよい狩猟場である。本願が叶った暁はここを公爵家専用の狩猟場と決め込んでいたのだ。

かえすがえすも口惜しい。あと一歩だった。戦いのことが思い返される。ナント王は許しがたい。子供のころから敵と目してきた対象が隣にいるのだ。しかし手を出せないとはどういうことか。正義が悪に勝てない。こんなことがあっていいのか。ポーラは臍を噛むしかなかった。


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