ブリュメールのミサ 4
バブーフ男爵が謁見を求めていると報告があった。
侍従は主君の思いを図りかねているだろう。
太后はいつのまにか姿を消してしまった。
ここで理想のロベスピエール公爵とは誰か?ポーラ以外にありえないのだということを見せつけてやりたかったのだが、どうやら尻をまくって逃げ出したらしい。
あまりにも下品だが、それは彼女が身分を偽って民衆たちと広くかかわった結果である。意識して育ちを違うようにしてきたつもりだ。そういう側面を母上は知らない。知った後の顔を想像してほくそ笑む。
こんなバカバカしいことにうつつを抜かしていられるのも、もう何日もないだろう。干戈を交える相手はナント王ではない。想像と体験の範囲をはるかに超えるモンスターなのだ。こんな気持ちを直にぶつけるなどと愚かなことはしない。せめてイメージとしての母親にぶつけることぐらいは許してほしい。
マリーは、きっと内心の不安や混乱を表出しないポーラに満足していることだろう。そ
ドリアーヌはどうか。
仮面をかぶって、彼女はこれからやってくるのだ。
さて、侍従は震えている。
まだ13歳の少年は主君が心から恐ろしいと思っている。
そんな顔をしなくてもいいではないか。それほど私が恐ろしいか?ポーラはできるだけ優しく言った。
「わかった、すぐに用意させるがいい。主がお認めになった身分に相応しい供応をするように」
どうやら侍従はすでに任務が終わったと心から信じてしまっているらしい。ただ、ぷるぷると震えて立ちすくむばかりだ。見かねたマリーが言った。
「フィリップ、閣下のお言葉が聴こえませんか?」
いや、そなたにそんな言い方をされたら、もっと怯えさせるだけだろう。逆効果だ。
そう思ったが、実際は少女の予想と反する結果となった。
「は、伯爵閣下、あ、ありがとうございます・・・めしませ・・・」
この場から去るためには、殿であるポーラに礼をしないわけにはいいかない。さぞかし泡を食っていることだろう。皮膚には粟粒が所せましと顔を出している。青すじを立てるとはこういう時に使う表現ではないが、その通りに血管が浮き出ている。そこ流れている青い血が目に見えるようだ。漂ってくる瘴気は彼女を納得させるのに十分だった。
この瘴気は・・・?興味深い。
何か少女をうならせるものを否定できない。
少しからかってやりたくなったが、この辛抱の足りない茶目っ気は弟ジョフロアにこそ注ぐべきだろう。
弟のことを思い出すと忸怩たる思いに駆られる。母上が甘やかしているからこそ、あの体たらくだ。技能は生まれが決する。確かに例外は上下に存在するが、弟とはそうだとは思えない。いや、思いたくないのか。母上は、ジョフロアに能力がないことを良しとして、彼を戦場に送れないことを逆に幸いと感じている風がある。ポーラとしては許せないことだ。本人が生まれの良さを考慮に入れてもなお、類まれない技能を持ちながら女性趣味に託けて安楽な生活に逃げ込んでいる。先祖が命を懸けて拵えた地所に踏ん反り還っている。あの人が杖を持てはいったい、どのくらいの竜騎士、魔法の使い手が命を失わずに済んだのか、娘が母を批判する理由がそこにある。
ポーラは若いながら戦場を駆けずり回ってきた。故に人を見る目はあると思う。弟ジョフロアは単なるぐうたら、換言すれば、ただ真剣に何かに取り組んだことのない人間にすぎないと思うのだ。
フィリップとやらは弟のことはどう思っているのか、つい確かめたくなった。
「そなた、ジョフロアについて何を知っている?」
「で、殿下ですか、ち、父上が、いえ、父が仲良くしていただけともう、申しておりました・・・」
この瘴気、やはり何処かで・・・・。
「ほう、そなたの瘴気には心当たりがある・・・姓名を名乗れ」
「フ、フィリップ・ド・ペタンといいます」
気難しい老人の風貌が脳裏をよぎる。けっして陰謀などに手を染めるような人間には見えない。しかし自分に言い聞かせる。それは心に事実を馴染ませる技術だ。
「なるほど高等法院、院長が祖父だとは・・」
「はい・・・そ、祖父は、リッパな仕事をな、なさっておいでです・・」
敬語の使い方がなっていないが、自己主張ができるとはなかなかである。しかしこの子までもが、まさかナポレオン法典にまつわる陰謀の首謀者に名をつらねているわけではあるまい。
にしても、聖なる戦いに赴く前に掃除をしていかねばならないとは、何とも面倒くさいことだ。
「フィリップ・ド、ペタン、そなたの祖父には世話になっている。彼の見識には浅学の身としては・・・」
どうやらフィリップ少年の緊張は限界点まで達してしまったらしい。頼みもしないのにいらぬことを言い出した。
「お、おじいさま・・は、言うておられます・・・・殿様は、高貴な血とあふれんばかりの才能に頼りすぎたと・・・公爵家にとって不幸だと・・・・・」
あの老人らしい繰り言だ。しかしポーラは気に入っているのだ。少女は直言を愛し、陰口を憎む。
よって精神の混乱に乗じて舌を動かしているのがわかるが、この13歳の少年にも期待するところが大である。
まさか魔法でもかけられているのか。心当たりは、傍で取り澄ましているお嬢さんしかない。
「マリー、何をした?」
「瘴気の発動を感じましたか?私は何もしていません」
確かにそうだ。マリーとはいえ、ポーラに全く瘴気を感じさせずに発動させることは不可能だ。
すると、やはりこれは本当に彼の真意なのか?精神の錯乱ではないことは、見ていてなんとなくわかる。治療属性たるマリーの専門だが彼女も同意だろう。
少年は震えつつも、何とか言葉を操ろうと必死になっている。
「もうそれ以上はいい・・」
しかし、ポーラは自分の見立てが間違っていることをすぐに知らされる羽目となる。
「か、閣下・・・祖、祖父は、閣下を除かれようとしていました・・・・畏れ多くも退位を・・・」
「そなたは聴き耳を立てたのか?それは貴族としてマナーに反する・・・」
ポーラは、彼に聴いてはならないことを聴きたくなった。
少年を正面から睨みつける。何と彼は正面からそれを受け止めた。さては決死の訴えだったのか。彼が怯えていたのは、ただ単に主君が怖いというものではなく、または、陰謀の事実を摑んでいたゆえでもなく、自身の決意がまだはっきりとなっていなかったせいだろう。しかし今や彼は本当の自分を摑みつつある。
彼は祖父が仕組んだ陰謀についてすべて知悉している。ポーラが知りたいことは、ただ一つだ。しかしそれを直接、彼に訊くのは・・・。
マリーの、腹が立つくらいにはきはきとした声が少女の耳を劈いた。それポーラの考えをまさに代弁していた。
「フィリップ、答えなさい、その場に太后さまはいらしたのか?」
「・・・・」
「フィリップ!!」
「おじい・・・祖、祖父は言いました、と、殿様を思う太后さまのお心を利用すれば、いかようにも事はなる・・と、太后さまはおられませんでした・・・」
ポーラは自分の手を使って少年の口を塞いだ。魔法を使わなかったのは、少年に対するせめてもの礼儀である。それだけでなく自分の感情を露出させないための、自分に対するせめてもの処置のせいだ。
どうして自分はほっとしているのだ?ナポレオン法典に纏わる陰謀が母上の主導で行われた事実は変わらない。いや、もしかしたらこれはそれを揺るがせるような発見なのか。
単に高等法院院長に踊らされただけか?まさか、あの母上が・・、そんなタマなのか。
「・・・・・・」
マリーがいとも簡単にポーラの気持ちを読み取ったことにうれしい一方で腹も立つ。その複雑な気持ちを少年にぶつけるわけにはいかない。
「フィリップ・ド・ペタン」
姓名を言ったのは、あくまでも自分の精神を抑えるためである。
「その場にいた人間をすべて挙げよ」
「はい、閣下、祖父、マルセル、父、ジャン・・・、そして、私、フィリップ・ド・・」
「もう、よい」
再び、ポーラの手は少年の口を塞ぐために使われた。少年は勇気をもって一族を告発しようとしたのだ。しかしこんな子供を引き込むとはどういうことだ。期せずして話を聞かれた、要するに鉢合わせしたのだろう。
少年は、しかしポーラの想像をさらに裏切ることを言い出した。
「で、殿下、ジュフロアさまにお話ししたところ、閣下にありていを話すように命じられたのです・・・」
マリーがつぶやくように言った。
「それは本当ですか?フィリップ?まさかあのジョフロアが?」
「こ、このことは、黙っているように命じられましたが・・」
「ほう、そなたは弟とは友人ではないようだな。だから裏切ったと・・・」
「わ、私ごときが・・・」
隣の妹が密にほくそ笑えむことは織り込み済みだ。それを踏まえて言う。
「もしもこのマリーが裏切ったら、きっと二度と立てぬだろうな」
「伯爵閣下とペタン家を比較などできませぬ・・・・」
「よい、私への忠節とジョフロアへの友情の間で苦しんだのだろう。もう悩む必要はない。詳細はまだ話すことはできないが、すでに陰謀は潰えた」
ポーラは少年の表情から何かを読み取るような眼をした。
「わかった。このことは弟には伏せる・・。そなたはここで言ったことは忘れろ。悪いようにはしない。ペタン家に何かが起こることはない」
少年は張り詰めた糸が切れたような顔をした。
「で、殿下は・・・・?!」
「どうやら私が知っている弟と、そなたにとってのジョフロアは全く別人のようだ。困ったことだな。どうすれば二人が結婚できるのか、よかったら教えてもらえるか?」
「は、二人?結婚?」
「姉上さま、フィリップが困っております。フィリップ、いいですか?」
少年はマリーを信頼しているようだ。
「あなたはジョフロアをどのように思っていますか?閣下に申し上げなさい」
「はい・・・殿下は自らの非力を嘆いておられます。自分に高貴な血が流れているはずがないと。、もしかして・・賤民の血が流れているのはないかと・・・・」
あれほど、父上に似ている彼がそんなことを言うのか、何を考えているのか。体たらくにもほどがある。
「それは聞き捨てならぬな。人間と賤民の間に子ができるはずもない」
「姉上さまは黙っていてください!」
マリーの言いようにフィリップは言葉を失った。二人は君臣の間柄ではないが常識的に考えて上下の差があるのはだれの目にも明らかだ。だが二人の間柄には別の何かが存在する。もしかしたらそのことを殿は言っておられるのだろうか、自分とジョフロア殿下のことだが・・・、それは少年にとって青天の霹靂だった。
少年にとっての太陽は主君である。しかしそれはこれまでの輝かしい戦績が理由ではない。ただ、ただ、このお方が公爵位を去ったらひたすらに闇しかないと思えたせいだ。
ペタン家は自分の行為によって滅亡するだろう。改易になったら自身の生命も危うい。しかし主君はそのままだし、ロベスピエール公爵家は生きながらえる。それを思えばたいした代償ではない。公爵家が行う大事業に参加できないのは残念だが、それは夢の中で見られればいいだけのことだ。最後の審判まで待つ寝具の中で、それほど長い時間は要しないだろう。
畏れ多いことに、ペタン家の安寧を主君は約してくださるという。何ともありがたい話だが、叛逆に対してあまりにも寛容ではないか。
その条件というのが、ここで話したことは三人の秘密とすること、そしてもう一つが少年の度肝を抜いた。
「今はまだ詳細を話せないが、近々、大ごとがある。そして、私、亡きあとはジョフロアを後継者とする。そして、そなたには摂政を命ずる、これが条件だ。呑めぬならばペタンを明け渡すことだ。確かアの土地はよい乳牛を産するだった」
主君だからこそ許されることだが、あたかも規定事項のようにとんでもないことが次々と決められていく。その中に少年ごときに意見など入っていないのだろう。
「せ、摂政とは・・・は、御意・・・」
「姉上さま?私は聴いていませんが?」
「ああ、話していなかった・・後で説明する」
少年は目の前で展開される出来事に目を丸くする。彼の乏しい知識と体験からどのように表現すればいいのだろう。その答えは喉元にまで出かかっている。
「なんとなれば、今の今まで決めていなかったからな」
「そんないい加減な・・・何を考えておられるのですか?!」
摂政とは、少年にとってみればまさに雲居の存在でしかない。そんな非現実的な語句をいくら並べ垂れられても、とうてい吟遊詩人の世迷言にしか聞こえない。
ジョフロアの声が耳の中でよみがえった。
「私は吟遊詩人になりたい・・・許されるのならば」
それにしても殿下は何処に行かれたのだろう。
姉上にお会いしたくないと漏らしていた。
サンジュスト伯爵閣下に、殿下の行方について聴かれたので考えもせずに返答した。
「おそらくオーギュスト考慮公爵閣下のおわすところでしょう・・・」




