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架空十字軍  作者: 明宏訊
17/61

 ブリュメールのミサ2


 ポーラは、自分にしか見えないドリアーヌの魂に話しかけた。

「そなたの容態はそれほどまでに危険なのか?」

 全くもって愚問であることは承知の上だ。治療属性でもない自分だったとしても、ことが深刻な状態でないくらいはわかる。一目瞭然なのだ。それでなお唇を震わせずにはいられなかったのだ。マリーは、ポーラが考えることとは別の意味で打ちひしがれている。解答を待たずともドリアーヌの答えはわかっている。純粋に病理という意味においては安定しているのだ。ただ、妹は自分の気持ちに折り合いをつけるために、あのような姿勢をとっている。

 ポーラだけならばともかく二人の家臣がいる前でこのように乱れるマリーを見るのは、辛い。それほどまでに彼女は重要なのか。これまでの有形、無形のやりとりでそれは仄かに見え始めている。

 それにしても人の霊が見えるという体験は始めてのことではない。しかし生きていながら、肉体と魂が分離して後者と相対することはなかった。そもそも死者が人前に現れること自体がおかしい。人は死ねば最後の審判まで眠りにつくのではないか。どうやらまだその日は来ていないらしい。そのように幼児期のポーラは天使さまに相談したことがある。

「まず、そなたに言いつけたいことがふたつあります」そう言って、強く命じるところは次のような二条件だった。

特殊な能力について、

 曰く、誰にも他言してはならない。

曰く、最後の審判に疑問を抱いてはならない。それは聖伝に疑問を抱くことだと心せよ。

結局、自分が見えているものは夢幻にすぎないと理解した。だが、会話が可能であり、ポーラが知るはずもないことを霊が教えてくれた結果、それが正しいという事実を突きつけられれば、最後の審判に対する疑問も膨らまざるをえない。

しかしそれ以上、天使さまに訊ねるわけにもいかず煩悶を抱えることになった。マリーには話そうとしたが、霊はそれを厳しく禁じたのだ。また、母上もまた霊にとって懸念の対象だったが、それはあいにくと霊の杞憂だったようだ。

魂や霊に関する疑問で最大なものは、どうして最愛の人間がそれを感知することができないのか、というただ一点に尽きる。その霊たちにとってポーラがそれに当てはまるはずがない。どうして、自分に見えてマリーには見えないのか。

ポーラは妹に近づく。

「ドリアーヌは大丈夫だ。私にもわかるぞ…、それともそなたは、ドリアーヌを私に見せたくないのか?言っておくが、それは大いなる侮辱だぞ・・・」

 その言葉に傍らのドリアーヌの魂は震えた。

「閣下・・」

「マリー、そなた姉を侮辱するのか、もしもそうならばそなたをもはや妹と思うこともない」

マリーの震えが止まった。

 しかしポーラは言いすぎたとは思っていない。こういう言い方でしか妹を思う気持ちを表現しようがない。これから生きて、何かを学べばそれもできるようになれるかもしれないが少なくとも今は無理だ。

 ちょうど、誰か気に入らない年上の女性が脳裏をよぎった。それは少女を苛立たせるのに十分だった。そのイライラをマリーに向けてぶつけてしまった。

「どうして、そなたがドリアーヌのことを秘密にしていたのか、私は拷問してでも問い詰める権利があるはずだ」

 「・・・・・・・・・」

 ポーラは、そっと妹の狭い肩に触れると、ドリアーヌを覗き込んだ。見るのは怖いというのはあった。ふいに傍らにそれまでいた彼女の魂が姿を消した。それは彼女がすべてを受け渡すという証に思える。

 はたして、そこにあるのは肉塊としか表現しようのない代物だった。確かに人間の身体なのだろう。どず黒い皮膚の下には確かに青い血が流れて居るのが見えるし、瘴気も感じる。だが、このひ弱な身体が生きていること自体が信じられない。ここまで生かしておけたのは、確実に通常の魔法の力によるものではない。ポーラのような戦争専門とはまた違った畑の能力だ。特殊とされるマリーのような治療属性ですら、専門家の間では戦争魔法にカテゴライズされるのだ。意識してそちらに触手を伸ばすことを避けてきだのだが、あえて言うならば、巫女の能力に近いとポーラは思う。それは彼女の中に巡る青い血が望まなくても無理やりに情報を突きつけてくる。まるで蚊の囁くような小さな声がいまも何等かの警告を続けている。

ドリアーヌの外見を鑑みると、どうしても、ポーラは自らと比較しないわけにはいかない。マリーの身体に抱かれれてそっと息づく女の子のことだ。いまはもう嫉妬は感じない。この子の両親、つまりはマリーの両親だが、彼らはどういうつもりでこんなことをしたのだ。それは表してはならない怒りだった。そうすることでドリアーヌを否定してしまう。

 あいにくと伯母はもうこの辺りにはいない。もう、最後の審判にむけて寝具に潜り込んでしまったのか。出てくるも、来ないも、あちらの都合次第とは何とも身勝手なことではないか。こうなっては伯母との約束を破りたくもなってくる。

 おそらく、肉体と分離して魂は健全に育った。それを伯母たちは見抜いたにちがいない。しかし本当か。このような身体で生まれた時点で本当に見抜けたのか。しかしそれは彼女を冒涜することだ。

 だが、ポーラはドリアーヌを彼女の望み通りにしてやるわけにはいかない。それはマリーがやっていることとは正反対のことだ。

 思わず彼女は呟いた。

「許してほしい、ドリアーヌ・・・・」

 大きな戦いを目の前にして、あまりにも障害が多すぎる。母親のことといいい、このこといい、まるで雨後の筍状態と言っても過言ではない。

 だが次を予想しなくてはならないとは、ポーラとしてもさすがに思わなかった。

 ドリアーヌの魂が言った。

「それは私の参戦を許していただけるということですね、公爵閣下、いえ、それでは筋が通りません。主君にできれば頼んでもらえませんか」

 そこには先ほど見た光る女の子がいた。おもわずそれに見惚れて論理の飛躍というか、それでもエイラート奪還についてマリーがドリアーヌには告げていたことを考えれば必ずしもそうではない。

こんな身体で死地に赴くというのか。ドリアーヌが無知だというならばわかるが彼女をそう呼ぶことは、それこそが無知だという誹りを免れない。

 つい叫んでしまいそうだ。

「そなたが自らマリーに訴えればよい」

 しかしそれは既に済んだことなのだな。きっとマリーは妹にそんな危険なことは許さなかったにちがいに。ポーラとて、ありえないことだがジョフロアが戦いに臨みたいなどと言い出した日には実力で封じ込めることだろう。

 弟とドリアーヌを同列に扱うことはできない。それは彼女だけでなく世界に対する侮辱にさえなりかねない。

 ポーラはメッセージを送った。

「わかった、私から言い含めてみる。しかし今は無理だ。それはマリーをみればわかるだろう」

 今すぐにでも本来の彼女を取り戻してもらわねば困る・・・。

 そう思ったところで今更ながらに重要なことを思い出した。ドリアーヌがマリーの妹ならば彼女はポーラの親族に当たる。それなりの対応が必要だろうが、あくまでも家臣に準じた扱いをしていた。どうしてこんな重要なことを失念したのか。そういう思いを表明しようとしたところ、事前にそれを察知したかのように雲散霧消してしまった。

 「マリー、部屋を用意させよう、すぐ運びこまねばならない。こちらで治療属性を用意させる」

 もうひとつ重要なことを思い出した。

 どうしてドリアーヌは自分の魂に適した肉体を見つけ出して、それに憑依しないのか。そもそもそれを見つけることが難しいのか。

 都合がいいことに、それには即答である。

「その通りです、閣下。もう日にちがありません、早くうまく侵入できる対象を見つけなければなりません、現地調達ということもありえますか」

ドリアーヌなどという名前はありふれていて城内にもいくらでも見いだせる。だが名前が同じだからといってその肉体を使えるわけでもない。

ルバイヤートをイメージすると、まだ見ぬモンスターたちが徘徊するのが見える。しかし人間の想像力など知れたもので、かつて観たことのある動物を統合することでしか想像できない。竜、蛇、蛙、犬、猫、そして、賤民、もしも竜の魔力と賤民の赤い血が総合したら無敵だろう。極めて人間的な感覚から赤い血を体内に巡らせるものを人は拒絶する。本来ならばまったく攻撃特性を持たない赤い液体が人間にとっては耐え難い苦痛をもたらすのだ。それは人間の高貴な精神がもたらす弊害といっていい。

だが、よくよく考えてみたら赤い血が高貴な能力を発揮しうるわけがないのだ。ただ世界を汚す賤民どもは人間が排泄するゴミにすがって生きるしかできることはない。

もしもそうならば神聖なる軍隊のやるべきことは、ひたすらにゴミの排除ということになる。簡単だが高貴な人間のやることなのか。庶民たちに武装させてルバイヤートに送り込めばいい。

しかし天使さまはそれを許さない。おそらく神聖ミラノ帝国の諸侯にも、皇帝陛下はもちろんだが、彼ら、彼女らにも天使さまは降臨なされたにちがいない。畏れ多くも戦場にまで御御足を運ばれてしまえば、人間としてはどれほど高貴な存在であっても跪いて足を舐めずにはいられない。それを許されるのは真に高貴な身分にあるのみだ。

ドリアーヌにもその血が流れている。高貴な青い血がどくどくと体内を巡っているのがわかる。彼女は紛ごうかたなき人間なのだ。聖地エイラート奪還に加わりたいと思うのは当然のことだ。

 何をバカなことを言うのか。

 まさか、相手はモンスターだぞ。他の動物に憑依が可能なのか?それにそこまで魂と肉体を分離させて大丈夫なものか。ポーラは何とかしてマリーをなだめようとした。本来の仕事に取り掛からせなくてはならない。しなくてはならないことで目白押しなのが、ブリュメールのミサまで継続する。その前に天使さまに謁見しておきたい。

 さすがにそれは天使さまのご意向しだいだが、ポーラの請願が拒絶されたことはない。それについて母上は言っていた。

「それは天使さまのお情けによるものです、あなたの高慢をもたらすとは悲しいことです」

 最初から決めつけていることが如何にもあの人らしい言い方だ。

 そのことはすでに済んだことだ。すでに納戸に押し込めたはずのことが、いつ何時でも顔を出す。自分が弱いせいか。あの大魔術師が裏から手を引いているのか。天使さまの名前を明かしたことで、それはもうないだろうとポーラは結論付けたはずだ。それでもなお蘇ってくるのは心の弱さが原因だろう。早く断ち切らねばならない。もう戦争まで日にちがないとは、ことこのことに限っていえば違う。一刻も早くルバイヤートに赴きたい。そして好き放題に戦ってみたい。相手が人間でないのならば、ルールを守る必要がない。

 マリーは、ドリアーヌが委ねられる治療属性の名前を知ってようやく安心したのか、幾分かは本来の自分を取り戻したようで仕事に戻ることができた。

「大丈夫なのか?」

「姉上さま、申し訳ありません。アラス城に優れた治療属性がおられることを忘れていました」

治療属性たちは、ドリアーヌをポーラが指定した部屋に運び込もうとする。マリーは当然のことだが、追いすがりたいと思う。思わずポーラは妹を抱きしめた。

「私の言いたいことはわかるな、マリー」

 妹の答えを期待したところ、戻ってきたのはドリアーヌの声だったので、思わず、彼女が憑依したのかと思った。

 果たして真実はそうではなかった。

「閣下、この城で私が憑依できる人物が見つかりました」

 マリーを助け起こしながら応える。

「ならば、さっさと参れ。なにか、ここに来れない身分のものか?」

「いえ、そうではないです、何と、太后さまであらせられます・・・」

「はは、太后さまに近づいたのか?気づかれないということはなかっただろう?もしもそうならば、すでにここに向かっておられるはず・・」

「いえ、全く気付かれませんでしたが・・・・」

「そなたは、あの大魔術師の正体を知らぬ、ほら、感じないか」

 マリーがすっとんきょうな声を上げた。

「は、母上さま・・・??!」


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