ブリュメールのミサ1
架空十字軍4-16
マリーは、自分が姉上さまの身体に見惚れていたことに気づかされた。
いつの間にか野暮ったい布によって覆われてしまったのだ。この世で最も美しいものは、それまで彼女に属していたのである。ところが、それが一瞬で魔法の世界に押し込められてしまった。
王侯貴族において昨今流行となっている女性趣味が主張するような衣装は、姉上さまの美を根本から否定してしまう。侍女が持ってきたものは、趣味が生半可な分、それが防がれている。
アニエスほどマリーは、ポーラについて誤解しているわけではない。いま、彼女の頭の中はエイラート奪還のことでいっぱいなのだろう。だが、ここでごり押しでも母上さまの話題に振り子を戻したい。
このまま生きて還れるかわからない戦場に行かせたくないのだ。それは母が娘に対して思う気持ちに似ていたが、本人がそれに気づくはずもない。
おそらくわざとではないだろう。ポーラは言った。
「マリー、これまでルバイヤートについて集めた情報について共有したい」
「何のことでしょう?姉上さま?」
わざと空とぼけたわけではない。しかし少女はそのようにとった。
「私が母上さまに対して採った態度へのあてつけか?そういう風にそなたは出るのか?しかし今はエイラートのことを考えるべきだ?そうだろう?本来ならばそなたの仕事だろうう?参謀としては?王佐について、シャルルから学んだのではないのか?」
突如として引退したドゴール老人の、常時ローストされたような顔が浮かぶ。
王とは誰のことでございます?公爵ならば知っていますが?
ポーラは、妹にこのくらいの軽口を期待したのだ。だが、想像よりもずっと母上に害されていた。
だが、姉上さまから輝きを感じた。それはいつも戦場で体験していることだ。抗しがたい魅力に富んでいる。
「マリー、いい加減にしろ。もう抱いてやらないぞ・・・・」
ポーラは妹の反応を確かめることなく、ルバイヤートについて知りえた情報を箇条書きにし始めた。
戦うべき相手について全く情報はなし。剣や魔法が通じるのか、不明。
そもそも聖地エイラートとは実在するのか。不明。
300の竜騎士、200の魔法の使い手を運ぶ船舶、すでにモーパッサンに集結済み。5000の騎士、歩兵も同様。
水と食糧…。
諸侯の動向、進捗状況はほぼ30パーセントほど。
精神的にまいっていたマリーも、ポーラの光に触れると本来の才能が目ざめはじめた。いつものように姉上さまに何を言っていいのか、あるいはそうすべきではないのか、頭の中のある一点が突如はっきりして、話しが続くにつれて次第に全体へとひろがっていく。
「姉上さまが戦力の三分の一を残されたのは、諸侯への警戒心の表れですね」
「当然だ。まだ正式な発表はなされていない。諸侯たちの動きが緩慢な理由はそこにあるだろう。天使さまのお声がかかるとなれば我先とモーパッサンを目指すだろう。しかし連中が慌てふためいているのが目に見えるようだ。事実を知れば老人たちがどんな顔をするのか、まったく楽しくてたまらん」
マリーは、嗜めるでもなく言った。
「姉上さまもお人が悪い。しかし天使さまはことを急がれているにもかかわらず、どうして教皇庁は宣言を発されないのでしょうか?」
「天使さまのことはわからない、相手に察知されることを恐れてのことかもしれない」
「ルバイヤートとは、天使さまが恐れるほどの相手でしょうか。そんな相手と我々は戦うと?」
思い出したようにポーラは言った。
「それ以前に聖地エイラートとは実在するのだろうか?いや、何でもない。恐れ多くも天使さまのお言葉を疑うなどと…それよりも、仮にエイラートを占領したところで恒久的に支配するためには、生産施設が必要だ。魔法は無から有を産めるわけではない。こと武力ではなく生産に限っていえばあくまでも促進剤にすぎない。それを稼働させるためには農奴が必要だが、ルバイヤートに人間がいるわけがない。まさかモンスターを農奴にしなけばならなくなるのだろうか?」
「干戈を交えることすらままならないというのに、服従させることなど地平線よりもはるかに遠くの話です。しかし言葉は通じるようですね、なんといってもこれまで何度も略奪を行なってきたのですから」
「そう略奪だ。彼奴らは少なくとも金を価値のあるものとみなす風習はあるようだ。父上が専任なさった連中と関わっていると面白いことが目白押しだ。これまで戦いと政治ばかりにかまけていたことが悔やまれる。そもそも収入のパーセンテージがウナギのぼりである以上、いつ注目してもおかしくなかったのだ。しかし経済的なことだけでなく、彼奴らについて調べていると面白いことがわかってきた。魔法源泉のことだがな、それがあるらしい。家臣が無断で渡航していた。どうにも、ナント王との戦いにかまけて略奪に割く神経がなかったことが悔やまれる。それからかすかに瘴気を感じたそうだ」
誰に確かめる必要もないが、人の条件とは身体を巡る青い血と瘴気である。
「世界の外にまさか源泉があるとは…にわかには信じがたい情報ですね。モンスターに瘴気があるわけがありません。人が囚われているのでしょうか」
人というならば、世界から誘拐した以外の理由は考えられない。しかしその動機は何だろう。まさか食用だろうか。
「とにかく戦う相手のことが不明というのは不安です」
姉上さまはとんでもないことを言い出した。
「金の価値を理解するとなれば、エイラートを金で贖うことはできないものか」
何をおっしゃるのですか、と喉まで出かけた。しかし会えて主張したところで大した意味もありそうにもない。話題を強制的に変えることにした。
わざとほくそ笑んでおいて真意を姉上様に読ませる。そして言う。
「まずは一戦交えて相手を知ることを天使さまに願い出るのです」
「我が、ルバイヤートに最初の一歩を踏むのか?」
今度は黙っていられなかった。
「何を仰るのですか?虫ケラに行ってもらおうというのです、先遣隊として」
ポーラは妹が何を言いたいのが即座に理解したが、わざとわからないふりをした。
「ムシケラ?そんなものがいるのか?」
「・・・・・・・」
ポーラはまるで幼いころのように口を開けて笑った。
「わかった、バブーフ男爵のことだな?殿下を通じて、陛下に連絡を取らねばならない」
姉が不必要に冷静であることに、少女は困惑した。あたかも前もって彼女の申し出を知っていたかのようだ。
しかし、ポーラが必死に怒りを抑えていることがわかった。あの男爵の名前を聴くだけで虫唾が走る。それはマリーも共有する思いである。そのために宿敵であるナント王と連絡を取るというのだ。それは許可の換言にすぎない。談合といえば聞こえはよくなるが、そういう言い方を好む姉を持ったつもりはなかった。
「陛下に許諾を要請する、が、あの出来事がムシケラの独断であることはありえないが、陛下が触手を伸ばしたともおもえない。もっと別の圧力がかかったにちがいないのだ。もしもそれが事実ならば、マリーの考えは実行に移されることもないだろう」
「そうならば、我々は、ほとんど事前知識もないままに戦争に突入することになります」
「だが、虫けらごときが試金石となりうるのか、はなはだ疑問ではあるが。もっとも、我々とはなんだ?マリー?そもそも世界が一体化して一つの軍隊を構成すること自体が吟遊詩人の戯言でしかない・・・。実際にこの目で見ない限りはいまいち現実性に乏しいと言わざるをえない。がそれでもやらねばならない・・・それは」
ポーラは続ける。
「ラケルさまが・・・天使さまが仰るのだ、マリー」
少女はこともあろうに人間ならざる天使さまに嫉妬していた。とたんに目の奥が眩しい光でいっぱいになってしまった。
そんな妹は置いて、姉は突っ走って行きそうになる。マリーはそれを押しとどめたい。出発することは正しいが、自分を置いていってほしくない。
「・・・我々は準備は完了とはいっても、諸侯はどうなのですか?そもそも絶対的多数が真実を聴かされていないとなれば・・しかしそれでも世界中で一斉に戦争が中止になったというのは、さすがは天使さまですね」
「諸侯の混乱ぶりは想像以上だ・・・・」
「すでに、アラスに向けて出発しているようですね」
「瘴気を感じるか?連中も天使さまが出御となれば、不意に戦いがはじまる心配はないと踏んでいるのだろう。瘴気は出したい放題だ。イライラを出す対象を見失っているのだろうな」
確かにビンビンと感じる。少女はアラスの城にいながら戦場にいるような錯覚を抱いていた。まさか姉上さまでもあるまいし、無意識のうちに身体が流血を求めているのか。いや、自分はあくまでも治療属性のはずだ。だが、自分の指揮で並み居る軍勢が消えていくのを目の当たりにすると、少女はわけのわからない快さを感じていた。まさか姉上さまの前でそんなことを言うわけにはいかない。そんなことをしたら、そらみたことかと、笑われることになる。
はっと気づくと姉上さまはマリーからの返事を待っている。自分は将に仕える参謀なのだ。前ドゴール伯爵の声が聴こえる。
それに自分の声をなぞらせる。
「前代未聞の出来事ですから・・・それも致し方ないと」
ポーラは、ナント文化圏における二大派閥の片方の当主である。しかしアミアン、ルブラン従子爵のように改易に処する権利が彼女にあるわけではない。あくまでも契約関係によって結ばれた主従であり、後世における絶対的な王と諸侯との関係とは全く違う。
原則を持ち出すならば、ルブランであっても契約であるという前提はあるが、アミアンはほぼ公爵家の私有地と見なされている。よって当時にあっても権力の集中への萌芽はすでにあったということだ。
話がずれた。
さて、アラスに集結しつつある配下の諸侯たちはポーラに一言も、二言も突きつけたいことがあるのだ。しかし、天使さまが出御し、公爵に従うようにとの言葉がある。これはあまりにも彼らの胸を破壊するのに十分な威力があった。
が、文句の一つも突きつけたい。それ以前に不安で身体が爆発しそうだ。そのためにやってきたのだ。故に瘴気は出したい放題である。おそらくほぼ全員が竜上の人になっているのだろう。
「ブリュメールのミサの前にちょうど召喚しようとしていたところだ、その手間が省けた」
「しょ、召喚ですか?」
ポーラはそんな権利がないことがわかっていて言った。
マリーは言った。
「姉上さま、まるで天使さまのようですよ、姉上さま」
「そなたらしくもない言いようだな、マリー?あまりにも畏れ多いことだ。自分を天使さまに重ね合わせるなどと・・・・」
マリーは、姉上さまが主を神と呼ぶ光景を妄想していた。
それが本来許されるのは天使さまのみなのだ。人間に許されることではない。しかし姉上さまが輝くのをみて、きっと錯覚したのだろう。
ポーラの反応は至極、常識的だった。おかしいのはマリーなのだ。どうもパリ宴会以来、調子が外れっぱなしなのだ。これでは姉上さまの助けをすることができない。知性において遅れを取っているのではないか、それは絶対にあってはならないことなのだ。
回廊から見える中庭に花が咲いている。何故か、子供のときに植えて以来まったく育っていないような気がした。どうしてか、この場から逃げたがっているようにも見えてくる。
それが切っ掛けでもないだろうが、マリーは忘れていたことを思い出した。実際にその人物の瘴気を感じる以前に彼女を感じることができたのだ。
「ドリアーヌ・・・」
すでにポーラは反応していた。マリーの言葉ではなく、もっと違うものを感受器は摑んだのだ。
「マリー、その名前は聴いたことがある。彼女が来ているのか?ドリアーヌ・ド・ダンヴィルが・・・」
姉上さまも感じ取っていた。二人が知り合ったという事実は確認している。しかしそれはマリーがアラスに先行した短い時間でのことにすぎない。それなのに彼女の感慨からは10年来の知己であるかのように受け取れる。
「さすがに連中のようにアカラサマではない」
マリーは不安になった。その物言いからかなり深いやり取りが想像できたからだ。
「姉上さま、ドリアーヌと何かあったのですか?」
ポーラは快活に応えた。
「大したことではない。ただ私は信用されていなかったようで、正体を明かしてもらえなかった」
さもあらんという表情を押し隠すべきか。しかしそんなことをしても姉上さまには無効であり、まったくそんなことは意味がない。が、
「会う前に、私に教えろマリー」
さいきん、知性による思考よりもイメージを重視することを学んだ。それがパリ宴会以降の不調の果実だとは気づいていない。
「あの子は、きっと姉上さまに心を奪われてしまったのです」
「バカなことを、あれは主君として足りないというような感想だった・・・何?そなたがドリアーヌか?」
姉上さまの言葉が真実だと、マリーの感受性が訴えていた。しかしにわかには信じかねる部分も確かに存在する。が、確かにドリアーヌの瘴気はそこにある。何ということか、魂だけでアラスに来たらしい。
しかし、いや、やはり姉上さまには見えるのか。
マリーはドリアーヌが苦しんでいることを想像した。
「ドリアーヌか?妹がもっとも信頼する家臣だと聴く。今までの事は謝罪したい。そなたの才能に惚れるあまり、無碍な要求をしてしまった」
「いえ、ロベスピエール公爵閣下、お初にお目にかかります・・・」
マリーにはわかっていた。無理な動きをしてまで正式な貴人への礼儀を示そうとしている。思わず言わずにはいられない。
「ドリアーヌ、姉上さまは確かにそなたが思っているお方だ。だから理解せよ、それには及ばぬ」
「閣下にはどうにかして本体を見ていただきとうございました。しかし、我が身がこの状態で見れるなどど・・」
マリーははっとなった。自分の洞察が間違っていたことを確認せざるを得ない。家臣の、か弱い身体が眼に浮かぶ。しかしそれを押してアラスまで罷り出るとはどういうことだ。これがあの子の意思なのか。
「ドリアーヌ、まさか、そなた身体を・・・・!?この愚か者、いま、何処に?」
とっさに二人の家臣の瘴気を感じると同時に虚空に向かって叱りつける。なんという無思慮を発揮か。
「ジャック、アルベール、そなたらどうしてこんなところに連れてきた?!」
「マリー、いい加減にしろ」
ポーラは妹を止められないと知っていて、なお
かつ言わねばならなかった。どうやらマリーがドリアーヌに対する思いは、ポーラの想像を超えるものがあるらしい。
実際、いきなりあらわれた二人の使い手はもがき苦しんでいた。その下手人は、まるで傷ついた我が子を庇うように動くドリアーヌだった。
中空に浮かぶドリアーヌ、つまりは彼女の魂はジャックとアルベールを心配しているようだ。
「私がどうしても、と頼んだのです、閣下・・・」
閣下が示しているのは、マリーであってポーラではない。
ポーラは既に彼らが手負いということはわかっていた。
「ドリアーヌ、知性の人間だと受けとったが、そなたは意外と武力に訴えるところがあるのだな」
彼女が二人に無理強いしたことはポーラにはわかっていた。
「大方、そんなところだと思った。手負いでここまで届けるには、かなりの瘴気を消耗しただろう・・・・」
「しかし、まさか閣下が私を見られるとは思っていませんでした」
「私は。戦闘専門の使い手のはずだが、魂が見えるのだ。これは巫女やどちらかというと治療属性の属性なのだが・・」
「きっと正統な王を名乗るべき血筋ゆえでしょう」
「これは、ドリアーヌとは思えない言いようだな、臆見に満ちている」
マリーはひたすらにドリアーヌの身体を治療することに躍起となっている。ポーラは軽い嫉妬を感じていることに気づいた。治療属性が患者にかかりきることは、至極当然のことである。ただし、それはここが戦場ならばという前提付きだ。いや、そうでなくてもケガをした人間を手当することはマリーたちの本能ともいえる。だから、先ほどのジャックとアルベールとやらにやったことは、大変に本人からすれば傷つく行為なのだ。
治療属性とは人間の心身について、生きるというシステムについて誰よりも深く知悉している存在に他ならない。故に治療が可能なのだが、逆にそれを使えば攻撃にも転ずることができる。しかしながら、それは属性としては決して相容れぬ。だから、それを犯してまで二人を攻撃せしめたということは、患者に対する気持ちがひとしおだということだ。
治療属性にとって攻撃とはまさに諸刃の剣となって我が身をも傷つける。この場合の身体とは物理的な意味合いはないが、精神が損なうことはイコール肉体も同じ運命を辿る。そのことを知っているからこそ、ドリアーヌは主君の行為に心打たれた。だからといって、傷つけられた二人のことが気になる。
「閣下、公爵閣下、どうにかして主君を、私はもはや大丈夫ですから・・・」
改めて、ポーラはドリアーヌの本体に対面することになった。
彼女の魂は恥じらっている。しかし近づかないわけにはいかないのだ。
「マリー、二人を見てやれ・・・」
これほどまでに妹が目にかけている人物をどうしてポーラは知らないのか。
少女は嫉妬がないまぜになった怒りを覚えていた。しかしこの状況にぶつける相手はいない。
「マリー、いいかげんにしないか?」
妹は微動だにしない。
ドリアーヌの介護に全神経を傾けることに余念がないようだ。




