アデライード太后4
ルイ・ド・モンタニアールと太后の会見は、全く混乱もなく行われた。ロベスピエール家は長幼の序を重んじる。彼の態度は十二分にそれに合致したものだったし、当時の常識をはるかに超えてすら、厳格だった。だが一方で決して卑屈ではない。それが太后に気に入られた理由だろう。
気に入られた…少なくとも周囲にはそう映った。太后はできる限り最高のもてなしで彼を受け入れたのである。傍目にはまるで公爵家と王家が手をつないだように見えた。そこまでいかなくても同盟の伏線としてぐらいには認められた。
しかしエイラート奪還軍というものが正式に決定される以前のことである。天使さまの話はごく一部にしか明かされていない。故に、多数派が生きる世界においてこの同盟はどれほど重要視してもしたりないくらいだった。
永年の仇敵同志が手をつなぐ。
これまでどちらの配下でいるべきか、悩んでいたナント文化圏の諸侯たちは保身に当たってどのように身を処すべきなのか、選択に困った。それぞれの配下につくにはそれぞれが旨味を期待してのことである。ならば、約束された権益はどうなるのか?ある魔法源泉はある伯爵家が得ることを公爵は約束してくださった。しかしそこはもともと王派閥につくある貴族が占有している。いったい、どうなるのだ?コンビエーヌ戦役において公爵は前代未聞の勝利を得たが、同盟となればどのような条件か。結果しだいでその伯爵家は得られるべきものは得られなくなるかもしれない。
しかし選択肢はないのだ。何も知らない哀れなその伯爵はただ運命に身を任せるよりほかにない。
マリーには完全に事実が開示されている。同じ伯爵という身分にあっても立場がまるでで違う。そして永年の間、公爵家とともにモンタニアール家と戦ってきた間柄としてちょうど姉妹のような特別な地位を認知されている。ミラノ教皇より侯爵位を与えたいと申し込まれたこともあるが、断った経緯すらある。その理由は公爵領から離れてしまうことと、公爵の家臣としては身分が高すぎると、当時のサンジュスト伯爵が遠慮した故である。ししかしながら、それは伯爵の地位を上昇させるだけだった。
天使さまがマリーを認めたことも、歴史的経緯を踏んでのことだろう。当時の人たちはそのように受け取った。
加えて少女は、太后をよく知っている。聖職者たちがいかに諫めようと、「この子は私の娘です。何か文句がありますか?」と公の場で豪語したことすらある。主が認めるところを言えば、太后は母系の伯母である。それを犯すことは平民なれば宗教裁判を覚悟せねばならない。貴族にあっても社会的地位の危機を覚悟せねばならない。
マリーは会見における「母」の様子を具に観察していた。
太后の様子だと、どうやら兄であるナント王と出会ったことがありそうだ。マリーは、ポーラもきっとそれを見抜いていると思った。しかし彼女の関心事はそこにないことは確実だった。
会見時においてはあ、太后は天使さまに絡んだ事実を知る由もなかった。だからこその余裕だったともいえる。
姉上さまは、マリーの命令によってすべてを太后に打ち明けるつもりだった。太后の自尊心と母性心が最高潮に達した時点、それはブリュメールのミサにおいてだが、そこですべてが天使さまによって明らかになる。そうした最低の筋書きはなくなったのだ。だから、姉上さまから自然とリキみがなくなっていた。それも太后にすべてを見透かせなかった理由だろう。
ともかく、太后は会見の最中ずっとルイに意識を集中できなかった。常に心眼はポーラに向けられているようにマリーには思われた。
ポーラは、といえば母親のことばかり考えていたわけではない。再度会見する間に、来るエイラート奪還軍について思いをはせていた。ほどんと皆無に等しい敵側の情報を集めていた。教皇庁及び軍港モーパッサンとの連絡は常に密にしておかねばならない。物資や人の移動は待った無しだ。しかし事情を知らされないままに命じられた諸侯は何を思うのだろう。空前絶後の状態に一体誰と戦うのか、あるいは討伐でもするのか、しかし相手が誰かわからずに泡を食っている。家臣たちを具に観察していれば自ずとわかることである。それに様々な方向から状況伺いが殺到している。「一体、何事が生じてるのか」というわけだ。諸侯には必ず天使さまが常駐なさっているが、すべてがポーラやナント王に対処したようにするわけにはいかない。あるものは戦闘中だっただろうし、その準備に余念がなかったかもしれない。ナント王やポーラがされたようにいきなり天使さまに来られては、さすがに泡を食うだろうがその分納得もできる。が、ある地方の親分に「戦うな、命令に従えば改易を覚悟せよ」と脅しつけられれば、不満も溜まるだろう。
混乱は簡単に想像できることだが、しわ寄せは自分たちにくるのだ。いっそのこと、すべてはあの悪魔に任せて自分はマリーを抱きしめていたい。
とはいえ戦いの準備は、ちょうど釣り人が実際の行為よりも準備の方を好むようにポーラにとってはそれこそ胸が踊るというものだ。その有様を想像するとおかしかったがそんなことは言っていられない。なんといても相手は人間ではなく正体不明のモンスターに他ならない。
略奪行為に手を染めているのは、自分たち以外にあるのだろうか。何と言っても、それを結論づけるための情報が少なすぎる。
こんな時に頼りになると思い当たるのはナント王だった。そしてその弟のルイもそれに含まれる。彼らモンタニアールの名が挙がることにイラつきを隠せない。
すでに、無断でエイラートに渡航したという家臣にも出会った。略奪のことはほぼ代官に任せていた。実は代官とその家臣がぐるだという事実にまで行きついていた。もちろん罪は赦した。その分、より働くように命じたわけだがその裏にある事実にまで彼らを辿り着かせることはなかった。それだけでなく、アミアンはルブラン従子爵の問題もあった。それは一見、たいした問題ではないようだが、実は深い問題だ。小さな穴がやがては巨大なダムをも破壊してしまうように、施政において小さなミスをそのままにしておいてはやがては一国の浮沈にかかわる大問題になりかねない。従子爵は近隣に預かりという形とし、代わりに付近の士大夫を当てた。
いずれの問題も事細かなことはマリーに任せてある。彼女は太妃のことなどに神経を取られていないので、対ルバイヤートに意識を集中すべきだとポーラは考えていた。後、口にはしていないが、ルイへの監視についても彼女を頼りにしている。きっと察してくれているだろう。
当面の問題が一応のメドがたった。すると、少女の心はまだ見ぬ戦場へと駆け巡っていた。そこで彼女が干戈を交えるべき相手は人間ではない!化け物である!
果たして人間に対して有効な攻撃が相手に通じるだろうか。しかし人間の自尊心にかけて身が滅びようとも一矢報いる覚悟である。
何とも威勢のいい言葉が少女の中で木霊している。戦を軽くみることは厳しく戒められるべきことだが、あえてそういう言葉を抑えようとは思わない。そうやって、母親の件から逃げようとしているのだろうか。
ルイと談笑している太后は、そのじつ彼を見ていない。そうしたふりをしていながら、常にこちらを凝視していた。
会談が終わると、マリーは一足早く部屋を後にした。その決意が強すぎたのだろうか。ルイが話しかけてきた。
「サンジュスト伯殿殿・・」
少女は自分に強いてそっけなく応えた。
「何か、ご用でしょうか、殿下」
「殿下はお止めください、ここでの私は公爵閣下の家臣にございます」
言い方はへりくだっているのに、全く卑屈ではない。それがマリーを危惧させた。
「やはりモンタニアールは心を許せませんか?」
「そういうあなた様はよくも仇敵と和やかにできますね、それは高みにある余裕でしょうか?」
なぜか、ルイが自らの家をカペーと称したことが思い出される。あれはゆるぎない強さからくるのではないか。けっして相手を軽んじているわけではない。これは恐ろしい。ナント王ピエール二世とは違う意味で強敵だと断じざるをえない。
機先を制されたかたちとなったマリーはつい、このようなことを口にしてしまった。
「両親を殺された者としては、下手人に甘い顔はできませぬ」
まったく忸怩たる思いだ。パリの宴会からずっと失敗が続いている。これまでがうまく行き過ぎたのか。
しかしどうしてこの人物にマリーは必要以上に怒りを覚えるのだろうか。たしかに用心するに如くはない相手だ。だが、今現在の自分はさすがに過剰反応だろう。
中庭に植えられた赤い花に目が向かう。あれほどまでに原色が鮮やかだっただろうか。やけに目に染みる。
「ルイ殿下、あなたはどうしてここにいるのですか?単なる成り行きかそれとも策を講じた結果でしょうか?」
「少なくとも後者ではありません、確かに事前にルバイヤートとの戦いがわかっていたならば、兄の心づもりだと考えられないとも限りませんが」
「公爵家とモンタニアールがつながることで、みなの団結を図ろうと?私は化け物を相手に戦うという天使さまのお考えにまだ現実感を持てないものでしてね」
「それは危険な考えですね、主に疑問を抱くのですか?」
「いえ、あなたが公爵家を葬り去ろうとして謀っていると、私は見ています。公爵家に綽為すとなれば、私が身を挺して妨害申し上げる!」
少女は遠慮なく敵意を向けた。
「治療属性であられながら、大軍を指揮なさる大器だと承っております」
「私に対するあなたの評価など聴いていません。ここで私があなたを殺せば、姉上さまを助けられる」
マリーはルイの前で「姉上さま」と呼んでいることを無意識でやっていた。
「ならば、どうして黙ってなさらないのですか?それでは攻撃に特化した竜騎士に対してあまりにも無謀だと言わねばなりません」
「私に対する評価などあなたに求めた覚えはないと申し上げました」
「私を殺してはあなたは生きてはいられますまい。そのことは公爵閣下にとって致命的とさえ・・・・」
少女の敵意に対してルイは抜刀しないわけにはいかなくなった。しかし素振りだけで実行はしない。
ナント王の弟は微笑を浮かべた。
「噂通りのお方ですね。モンタニアール家は恐ろしい姉妹を相手に無謀な戦をしていたようです。私に殺されようとなさっておられたのですね、伯爵殿」
図星だったので、マリーは何も言えなくなった。しかし自分の本心がわからなくなったのも事実だ。本当に死ぬつもりだったのか。それが姉上さまに対して損失を与えるのか、それを彼に指摘されたことが信じられ無かった。攻撃されたとしてもあわよくば助かろうとしたのではなかったか。相手はルイ・ド・モンタニアールなのだ。そんなことが可能なのか、少しでも理性を働かせればわかることだ。それほどまでに頭脳が曇っているとは、少女にとって予想外だった。
それはどこからくるのか。
まさか自分は彼に嫉妬しているのか。彼が姉上さまの腹心になることはありうるのか。彼の器量ならばそれは十分に可能だろう。
自問自答の結果に少女は驚いた。ふいにルイから目線を逸らしてしまった。忸怩たる思いよりもむしり懸念にこそ心を奪われる。そんなことが本当にありうるのか。あってよいのか。
かえってここで無理矢理に彼から剣を奪って自分の喉元に突き刺した方がよかった。しかしそれは一般的にどのように呼びならわすのだろう。
自殺か?
それは主への裏切りを意味する。吟遊詩人のようにいくら言葉を弄んで繕ったことで、そのことの罪は世界で最も重いのだ。たとえ無辜の民を1000人殺したところで1人の自殺の罪にかなわない。
マリーはルイを憎むことで、そうした自家撞着を忘れようとしていた。
ひょんなことから、自分とポーラのことを姉妹と呼んだことが思い出された。
「そういえば、殿下は、姉妹と私たちのことを呼ばれましたか?」
「あなた方は互いを思う気持ちは姉妹以外の何ものにも見えません。大変に羨ましい」
「陛下を信頼申し上げておられぬのですか?」
「陛下は、私にとって畏れ多い存在です。近づきがたいと言っても過言ではありません。その点を言えば、公爵閣下は、いとも容易く兄に近づいてしまう。それこそ嫉妬せざるをえませんね」
マリーはルイが何を言っているのかわかってしまった。しかしわかりたくなかった。だからそうした振りをした。
「公爵閣下とは、ブーリエンヌ様のことで、それともモンテスキュー」
適当なモンタニアール家の係累を挙げてお茶を濁す。
ルイは、かぶりを振って言った。
「伯爵殿と知的な会話を楽しみたいのはやまやまですが、互いに時間は無限ではないようです」
王がポーラを称するのに使う言葉が、有様がありありと浮かぶ。
「幼女」
いつも公の場所でそれをどうどうと行うので、貴賓たちは目をしかめる。彼らの知っているモンタニアール家の王はけっしてそんなことをするような人物ではない。19歳の、それも公爵に向かってそんな言葉を吐くことはしない。17歳のマリーに対しては、伯爵に対する礼儀を普通以上に示すのだ。
あれを互いの接近とみる神経が理解できない。いや、正しくはしたくないのだ。ルイは、二人が互いに接近する蓋然性について述べている。時間がないと言いたいのはこちらの方だと反論したくなったが、遠慮することにした。自分はどうしてここにいるのか、それはマリーにとって自問自答すべき質問だと気づいた。
ポーラの気持ちは正しく妹には伝わっていなかった。彼女は嫉妬する必要など何処にもなかった。ただ、自信が過敏になっていることだけには気づいていた。だから、ここでルイとの問答を自分から終わらせることを決意したのである。
貴族として最高の礼節をもってそれを行うと少女はルイから辞した。
残されたモンタニアール家の王子は、中庭に咲く花に視線を移した。それが血の色である青ではないことにほっとした思いになった。




