コンビエーヌ戦役
もしも十字軍以前の段階でコンビエーヌ魔法源泉をロベスピエール公爵が手中に収めていれば、この地域は後世においてナント共和国ではなく、代わりにロベスピエール共和国となっていた可能があった。
そもそも、国家とはいわば衣服で言うようなブランドのようなものである。
エウロペにおいて、だれでも頭に思い浮かべる5つのブランドといえば、西からリヴァプール王国、バルセロナ王国、ナント共和国、ドレスデン共和国、ヴェネツィア共和国となろうが、そのどれも、少なくとも十字軍以前には存在していなかった。
リヴァプール王とナント王は確かに存在していた。が、それは今日、多くの人たちがイメージするリヴァプールやナントとは違う。名称だけは継承したものの中身は似ても似つかない。
確かに王を名乗ることは神によって承認されてはいたが、それは流動的であり、しょせんは泡沫にすぎない国家名はいくらでも変更される余地はあった。人間の集団を人格に擬する愚かな習性が民族を生み出し、歴史という錯覚を編んだ。
国家、民族とはしょせんは妄想にすぎない。ある一定の人口が共通の妄想を共有する。その事実が国家を生み出し、その変遷が歴史を編んだ。諸国家はそれぞれは泡沫のような妄想の一つ一つにすぎない。歴史とは過去から学ぶものでも進化していくものでもなく、単なる妄想が自然に降り積もった堆積物にすぎない。確かなのは個々の魂のみであり、それを超えた人格などというものはすべて虚偽にすぎない。
さて、その堆積物の中で他に際立って光る魂があった。
この物語の主人公ポーラ三世は、歴代ロベスピエール公爵の中でもっとも王位に近づいた君主である。純粋に国力という意味合いだけならば、ナント王国、モンタニアール家をはるかに凌いでいた。歴代公爵が念願を実現できなかった理由は、王という権威がすでに天から下ってしまったことにある。いかに公爵家が優勢であろうとも、いざ王家を滅亡させる段階となると旗色を代えてしまう。それまでは公爵家にひざを折っていた諸侯がいきなり領国に逃げ帰ってしまう。それだけならばまだましな方で、王に鞍替えする貴族までもがいたぐらいだ。ナントという妄想は朧げながら姿を現し始めていたのである。
公爵が焦っていたのは、無意識のうちに未来を見据えていたからか。
「まさか主がお間違えになるわけはないが、お眠りあそばされているということもあるいはありえないこともない。是非とももう一度、王の冠にふさわしいのは誰か選び直して頂かねばならない」
その掛け声とともに仇敵の滅亡を画策した。
コンビエーヌさえ手中にすれば諸侯は公爵家にひれ伏し、仇敵をこの世から抹殺できる。魔法が公的に容認されていた中世にあっては土地に偏在する源泉をいかに手中にするかが、戦略レベルだけでなく戦術レベルにおいて唯一の鍵だった。竜騎士と魔法の使い手の能力は根元でつながっているために、剣を振るう竜騎士にしても源泉を考慮に入れない戦いはありえない。
公爵家とナント王国に挟まれたコンビエーヌこそは両家にとって是非とも奪わなければならない要地だった。普通、強力な源泉の上に城や都市は建設される。だが、この地だけは例外中の例外だった。というよりもあまりも奪い合いが厳しかったので、塔の1つも建てる余裕がなかったのである。
両家は、遠い未来においてナントと呼ばれる地域において両雄と並び称せられていた。その他の地域は中小の諸侯がどちらか、あるいは中立と、旗色を選ぶことだけに意識を集中させていた。あと一歩、あと一歩で先祖からの念願、世界の敵、世界の悪魔、世界の悪徳の総元締めである憎むべきモンタニアール家を滅亡させる。それは誰もが認める正義のはずだった。しかしながら、実現する寸前で横やりが入った。しかし今度ばかりはそうはいかせない。きっと主もお目覚めのことであろう。天上にまで輝きを届かせられば、あるいはお考えを変えられるにちがいない。
エウロペ統一歴1021年、春、ポーラ三世は念願の夢を実現する、まさにその瞬間を楽しもうとしていた。全軍の士気は素晴らしい。
休ませている竜の嗎でさえ勝利を約束しているように響く。
ちょうどヴェルサイユという寒村にあった。
「バブーフ男爵はパリを占領したとのことです」
「王弟ルイ殿下の名誉の死を確認したとのことであります」
届いてくる報告はどれもが若き公爵にとってよいものばかりだった。
本陣の奥に19歳のポーラはあった。
「名誉の死だと?ルイ殿下もバブーフごときにやられるとは、よほどひどい状態にあられれたのだろうな。気の毒な…篤く弔ってやらねばなるまい」
敵の名誉を重んじる。相手が貴種でなくても当時としては当然のことである。たとえ、世界のすべての善や正義とちょうど反対側にあるモンタニアール家が相手であっても、それは変わらない。
竜騎士道に悖る行為をすれば、諸侯が公爵を見限るだろう。もっともそのような近代的な見方ができるのは、ポーラ三世が時代に先んじて優れた君主だったからである。だからこそ、旧来のやり方を踏襲しながらも周囲の諸侯を篭絡し、欺き、密に手を汚すことまでやってようやくここまでやってきた。
公爵家の竜騎士団と魔法の使い手たちは、パリを落とした。コンビエーヌもとより王都ナルボンヌはすでに風前の灯となることは必至だ・
公爵はやや赤みを帯びた金髪をなびかせる。
母親は、戦争のやり方や国家の運営法だけでなく、女性らしさを充実させろという。昨今、流行りの言い方だ。女性趣味とか言うとか言わないとか、ポーラは全く興味がなかったのだが、公爵家の総帥としてそんなことは言っていられなくなった。最近の女性は剣や魔法の修練を疎かにするきらいがある。すぐ下の妹、マリアンヌにも戒めるところだが、それはいい傾向とは言い難い。女性が60パーセントを数える魔法の使い手はともかく、竜騎士は40パーセントを切った。これは憂慮すべき状況といわねばなるまい。
ポーラは不満だった。
戦場においてこのような物思いに耽る自分が許せないのだ。後世、武を好む公爵という諡号を奉られるポーラ三世ゆえに生命の危険が自分に及んでいないことがストレスの元だった。当時の風習に従えば、戦いの最後には王との一騎打ちが待っている。とはいえ。さきほど旅立たせたバブーフのように、満身創痍の相手を倒したところで何の楽しみもない。もっともあの臆病者はルイが旅立つ寸前の状態にあってことを心から喜んだにちがいないのだが。
思わず侍女が携えている魔法の杖に手が伸びそうになる。しかし君主たるもの、外面だけでも平静を保たねばなるまい。そう戒めたときに親しい瘴気を感じた。
瘴気は、身体を巡らせる青い血と並んで人間としての条件である。青い血には変わりはないが、それは個人によって違う、いわば、IDを示す。杖を握ることは戒められたものの、愛おしい妹を感じてしまっては表情を緩めないわけにはいかなかった。それは傍らに従うドゴール伯爵の目から逃れられることはできなかった。きっと後から意見具申と称する小言を聞かされる羽目となるのだ。しかしはすぐさまにでも妹の美しい顔を観たかった。
サンジュスト伯爵マリーは17歳、治療属性でありながら軍の指揮も長じている。以前の戦役における出来事だが、軍の総帥が負傷したのちに、たまたま居合わせたマリーが指揮を執って全軍の崩壊を免れたことあり、そのときに当時の公爵に将軍としての才能を見出されたのである。
ちなみに妹ではない。正しくは従妹でありそれを偽ることは主の教えに反することだが、公爵家と伯爵家の歴史的に固い結びつきと特別な関係が「妹」と呼ばせた。
ドゴールにしても、まさかこの場で主君が自らの感情を全開させるとは思っていなかった。
「マリー、よく来た。余もそなたの母上同様にそなたに指揮棒を握らせることはしたくなかった」
ポーラはマリーの細腰に両手を回すと伯爵を固く抱きしめた。そして二人は接吻を交わしたのだ。瘴気は外に完全に露出させていた。そもそも隠そうなどという意思は微塵も感じられない。まさかこのように天使さまがご出座なさることはありまいが、神がお決めになった唯一の愛のカタチを逸脱することを、事もあろうに公爵閣下がなさるとは前代未聞と言わねばならない。
しかし道徳観とは裏腹に目の前で展開されている光景は美しい。しわくちゃぶれた老人には眩すぎる。目には毒とはこういうことを言うのだろう。伯爵も伯爵だ。年齢に似合わず老成されたマリー様ならばおわかりいただけるはずだろうに、この場に姿を見せればどんなことになるのか、想像できないはずもない。ドゴールもまた瘴気を隠そうとはしなかった。
とはいえ、主君に対しては真意を遮断したのだが見破られてしまったようだ。もしかしたら遮断したという事実によって主君はすべてを洞察したとも考えられる。こういう能力を政治や戦争だけに限って用いてもらいたいものだ、まるで親の目を盗んでいたずらをする子供のようにではなく・・・。
主君は老臣に笑いかけた。
「シャルル、王弟殿下のご葬儀の采配をそなたにまかせる」
主君は言い訳すらなさらない。老人は少し悲しくなった。やはり用なしということだろか。確かにドゴールの諫めなど、道徳的なこと以外はほとんど必要ないようだ。すべては計画通りに向かっている。若いわりにはよく辛抱なさったとは思う。懸念はないわけではないが、それは自分が払拭すべきだろう。
「閣下、私に500騎ほどで出撃をお許しください・・」
マリーを抱いたままで公爵は言った。
「なんの懸念か?王弟殿下は旅立たれた。後はあの臆病者のことか。下手に牽制しては、いらぬ猜疑心を抱かせないとも限らない。相手は何と言ってもあの王なのだ」
やはり主君は老臣と懸念を共有していた。だが、自信ありげな言いように安心すべきだと思うようになった。
もしもこの時、ドゴールが500騎を率いて出撃していれば、バブーフ男爵は公爵を裏切ることがなかっただろうか。
いや、そんなことはない。実はまだ王弟ルイは死んではいなかった。彼が得意なマヤカシの魔法によって欺いたのだ。ルイは男爵と共謀して自らの死を演出したのだ。この件に関する疑問は、ルイは高潔で名誉をおもんずる人間で、到底、バブーフのような人物と陰険な策を共謀するとはありえない。たとえ、兄の命令であろうとも、ただちに拒絶したことであろう。だからこそ家臣の報告をポーラは信じたのだ。それはルイの家臣が発した「主君、没する」という魔法による広報も併せて根拠とはなっていた。しかしそれもこれも彼の人格をポーラが知っているゆえだった。
「モンタニアール家にもまとな人間がいる。もったいないことだ」
瘴気の急激な低下は死を意味する以外には考えられない、と。
ルイとバブーフは、まるでその後に何が起こるのか知っているかのような行動に出た。退却しながらの抵抗は、強力な援軍を約束されたような動きだった。
ポーラの総攻撃の命令が遅すぎたのか?
それもない。準備が万端になるまで彼女は待っていたのだ。確実に目的を達成するためには、あのタイミングしかなかった。しかしそれには前提があったのである。バブーフ男爵が姑息な真似をしないことだ。
当時のナント王はピエール二世、彼の武人としての資質もまた、ポーラの野望を潰えさせる理由の一つだろう。彼の有利な点はただポーラに追いつかれなければよかった、だけだからだ。そうなれば当時の風習に従って一騎打ちを受けないわけにはいかなくなる。すでに奮戦中だった王の疲労の色は濃い。ポーラを相手に勝てる自信はすでになかった。それほどナント王は追い込まれていたのだ。
種明かしをすれば、彼は援軍のことは知らなかった。もはや旅立ちを覚悟したところで、王は驚くべき報告を受けるのである。
ほぼ、ポーラと王は同時刻に違う場所で、使者に出会った。
「なんだと、天使さまがご出座と・・・・・・?!」
同じ状況といえば、二人とも竜に乗っていた。
「シャルル、ありえぬ、そんなことは・・まさか、どうして・・?!このようなところに天使さまが・・・・!?」
竜に乗った使者は言った。
「竜上で失礼いたします、すぐさま、剣を収めよ、ということです、閣下」
ポーラは使者を見て驚いた。聖衣は、彼女が俗人ではないことを意味していた。
「聖職者、あなたはカレー僧院長どの、これは失礼・・・・・」
総院長という高い身分の僧侶がまかり出ている。
ポーラは絶句した。突然、目に飛び込んできた事実に対してではなく、自らが混乱していることだった。もう少しで総院長を業火に包むところだった。彼女なれば、すでに洞察しているのではないか。自分はこれほど未熟だったのか。君主としてこれで許されるのか。
天使さまがご出座。
それが彼女を困惑させている。いったい、どなたが来られたのだろう。しかし天使さまの名前を問うなど人間ごときには許されないことだ。しかし知りたい。
「僧院長殿、私にたいしてご寛容な気持ちをお持ちだろうか・・・」
使者の正体を知って気をよくしたのか、幼いころのポーラを知っているだけに、老婆心を抱いたのか、すでに彼女の存念を見抜いていた。
「天使さまは、ラケルさまにあらせられます」
「ラケルさま?」
すんでのところで竜から落ちるところだった。血の気が引いてくる。母親を別にすれば彼女を養育したといっても過言ではない存在である。
当時の特権身分には両親以外に親がいた。のちにカナン人と呼ばれる「天使さま」が親だった。