七人目
「いらっしゃいませ」
戸を開けたのは、古びたカメラを抱いた男の子。店主は煙管を咥えて席を立つも、少年は戸を開けた姿勢のまま凍りついたように動かない。店主がにこにこと微笑みながら一歩、二歩と足早に歩み寄ると、少年はカメラをさっと構えて目を輝かせた。
「写真!いいですか!?」
「駄目です」
店主はすっとカメラの横に滑り込み、少年の鼻先に人差し指を添える。しかし少年はめげずにさっと回り込み、再びカメラを構える。
「お願いします!一枚だけでも」
「駄目です」
「そこをなんとか!」
「駄目です」
ゆらりふらりと躱す店主。再び回り込もうとした少年の足が、店主のつま先に引っ掛かる。刹那、「あっ」と漏れる声。宙を舞うカメラ。青ざめる顔。少年はそのままずべしゃあと音を立てて勢い良く転ぶも、すぐにばっと身を起こす。
「カ、カメラ!カメラは!?」
当然ながらその手元にカメラはない。床に叩きつけられた形跡もない。少年がはっとして顔を上げると、カメラを悠々と手にした店主がにこりと笑った。
「こちら、買い取りでよろしいですか?」
「だ、ダメダメ!ダメです!返してください!それはおじいちゃんの形見なんです!」
少年が手を伸ばすも、その小さな手は店主の肩にも届かない。
「これはこれは、随分と古い型のカメラですね。それでいて保存状態も非常に良い。これはマニア向けのアンティークとして高値が付くかもしれませんよ」
「ご、ごめんなさぁいっ!もう撮ろうとしませんから、返してください!」
「え?処分してほしいのですか?」
「うわあああぁぁぁぁぁぁんっ!!」
とうとう泣き出してしまう少年。店主はその手元にそっとカメラを置き、くすりと笑って煙を吹かす。少年が咳き込んだ。
「けほ、けほ。あ、ありがとうございます」
「はい。いじわるしてごめんなさいね。写真は嫌がる人も居ますから、あまり無理に撮ろうとしてはいけませんよ」
「は、はい……ごめんなさい……」
少年はしゅんと肩を落とす。店主は肩をすくめ、膝を折って目線を合わせた。
「して、ご用件は?」
「その、ここに綺麗な人がいるって聞いて……ボク、綺麗な人とか、景色とか、撮るのが好きで……写真を一枚撮らせてもらえたらなって……」
「左様でございますか。しかしながら、当店では写真の類は一切お断りさせて頂いておりますので」
「……どうしてもダメで「駄目です」……はい……」
少年は今にも泣き出しそうになりながらも目元を擦り、ぺこりと頭を下げる。
「それじゃ、あの、お仕事の邪魔して、ごめんなさい。ボク、帰りますね」
「はい。今度は是非お買い物をしに来てくださいね」
カメラを抱きしめてそそくさと立ち去る少年を見送り、店主はやれやれと煙を吹かしながら戸を閉めた。
「はぁ~……」
少年はとぼとぼと路地裏を歩きながら、深いため息をつく。胸に抱いたカメラは、大好きだった祖父が残してくれたもの。カメラと共に残されたアルバムの写真は、どれも街で評判の美人を撮ったものばかり。美人と聞けば飛んでいき、その美しい姿を写真に残す。少年の祖父はそれを生きがいとする写真家であった。
そんな祖父がいつか語ってくれた話を、少年はふと思い出す。
『俺は若い頃、こいつを買ってからずっと街中の美人を撮ってきた。だがな、未だに街一番の美人を撮れてねぇんだよ。こいつを売ってくれた雑貨屋の店主なんだがよ』
『どうして撮れないの?』
『何回頼んでも断られちまうからさ。いいか、ヒトの写真を撮るときはな、必ず撮っていいかを聞かなきゃいけねぇんだ。断られたなら、まぁ、諦めるしかねぇわな。だが俺はどうしてもあの人の写真を撮りたくてなぁ。一度だけ、許可を取らずにこっそり撮ろうとしたことがあるんだ』
『でも、撮れなかったの?』
『あぁ、ダメだった。確かに収めたはずなのに、出来た写真には誰も写ってなかったんだよ。まぁ、バレてたんだろうな。穏やかな人だったんだが、怒られるのが怖くてよ。それっきり、かれこれもう六十年になるか。今まで誰にも話さなかったが、未だに俺ァあの人の店には近づけねぇんだ。今頃は、そうだな。娘か息子が店を継いでるんじゃねぇかな。きっと美人だろうよ』
そういって笑っていた少年の祖父は、その次の日に階段で足を滑らせ、命を落としてしまった。少年はそのことを思い出して涙ぐむ。そうして祖父が残してくれたカメラを抱きしめ、「いつか必ず撮ってみせる」と静かに決意するのであった。
――――その後、少年は段差に躓いて転び、カメラを壊してしまったという。
お題:「雑貨屋さん」