十一人目
「……」
店主は読み終えた本を棚に戻し、別の一冊を取ろうとしたその手を止める。暇を持て余したその眼が見据える先は、ドアの向こう。店主は煙管の火を落としてお香を扇ぎ、手を組んで頭上に伸ばしながら店の外へ向かう。その肩が威勢のいい音を鳴らした。
「ふんふん、ふ~ん」
店主がドアを開けると、柔らかな日差しを浴びながら鼻歌を口ずさむ少女が一人。
閉じた傘を杖のようにして石畳の地面を擦り、伏し目がちな顔に緩やかな笑みを浮かべて歩く少女である。店主が目を細めて見守る中、少女は雑貨屋の前を通り過ぎたところでふと立ち止まると、スンと鼻を鳴らして振り返る。
「ふん、ふんふん……うん?いい匂い……ごめんくださ~い、あのう、ここは何屋さんですか?」
「はい、いらっしゃいませ。こちら雑貨屋でございます」
「あぁ~、雑貨屋さん。って、もしかして、あの噂の……何でも売ってくれるっていう、あの雑貨屋さんですか?」
「はい。当店の品ぞろえは王国一、いえ、世界一でございます」
「すごいすごい。私、噂の雑貨屋さんに一度行ってみたいなってずっと思ってたんです。どうしても欲しいものがあるんですよう」
「どうぞこちらへ」
店主は少女の言葉に目を細め、その手を引いて店へと導く。そうして店主がさりげなく引いた椅子に座るよう促すと、少女は少しぎこちなく椅子に腰かけ、表情を輝かせて店内を見渡す。
「わぁ、いい匂い。これは、迷迭香のお香ですね」
「よく御存知で」
「えへへ。おうちでハーブをたくさん育てているので。匂いはすぐに分かるんですよう」
「左様でございますか。して、お客様。ご用件の方は」
店主がそう尋ねると、少女はぽんと手を合わせる。
「あぁ、そうそう。実は私、眼鏡が欲しいんです」
「眼鏡、ですか」
「はい。私、ちょっぴり目が悪いので。眼鏡とかあれば、もう少し周りがよく見えるかなあって……眼鏡、売ってますかあ?」
「えぇ、もちろん。それでしたら、こちらなど如何でしょう」
少女が刺繍入りの財布を取り出すと、店主はにこりと微笑み、引出しからいくつかの眼鏡を取り出して机に並べる。店主がそのうちの一つを少女に掛けると、少女は伏し目がちなその目を開いて「わあ」と声を上げる。少女の瞳は、水晶のように白く透き通っていた。
「すごいすごい。見えます、見えます。私にもよく見えますよ。これ、くださいっ」
少女はおもむろに立ち上がって周りを見渡し、眩しいほどの笑顔を咲かせる。そうして机に手を滑らせ、自らの財布を掴むと、手のひらにコインを並べて店主に差し出した。店主はその手のひらから数枚のコインを摘み取ると、頬に手を添えてくすりと笑う。
「お買い上げありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございますう。それじゃ、また。うわぁ、すごい。これが、これが眼鏡ですか。うふ、ふふふ」
「お気をつけて」
少女は楽しげに声を漏らしながら、ふらりふらりと店を後にする。そうしてその姿が大通りに消えるまで見送った店主は、ふと『それ』に気づいた。
「……」
ドアの傍らに立て掛けられたまま、忘れ去られてしまった傘。少女が杖代わりに使っていたそれを手に取り、店主は大通りの方を見やるも、時すでに遅し。少女の姿はどこにもない。店主はため息交じりに肩をすくめ、手にしたそれを店の傘立てに差して戸を閉めた。
――――その後、一人の少女が用水路に足を滑らせ、のちに死体となって発見されたという。
お題:「眼鏡」を買いに来た「盲目の少女」