一人目
それは、ある日の夕方。
「にゃあ」
入り口のドアの向こうから聞こえたその声に、店主は椅子から立ち上がる。店主が煙管の火を落としてドアを開けると、コインを咥えた一匹の猫がするりと入ってきた。
その小さな客は店主を一瞥すると口に咥えたそれを床に置き、猫背をぴんと伸ばして「やあ」と鳴いた。
「いらっしゃいませ。何か、お求めですか?」
「服を売っておくれよ。とびきりすてきなやつを」
「お洋服ですか。どちらへ?」
店主がコインを拾い上げて微笑むと、客は興奮した様子で笑みを浮かべた。
「僕に毎日缶詰をくれるお嬢さんがね。今夜お屋敷のお庭でパーティを開くんだ。あなたも是非いらっしゃいって、僕を誘ってくれたんだよ。失礼があっちゃいけないだろう?」
「それはそれは。えぇ。かしこまりました。では、パーティに相応しいお洋服をご用意致しましょう」
店主は揉み手をしながら軽やかに店の奥へと消え、すぐに戻ってくる。その両手には仕立てたばかりと思わしき燕尾服とシャツ。白い蝶ネクタイや革靴、帽子に懐中時計。それらを机に並べると、客は目を輝かせて机に飛びついた。
「すごいや。これ全部売ってくれるのかい?」
「えぇ、もちろんですとも。ですが、まずはこちらの布巾でお体を拭きましょう」
「はは、くすぐったいな」
「髪の毛も整えてしまいましょう。さぁ、お髭も剃って。あぁ、とってもハンサムですよ」
「そうかい?」
「えぇ、素敵です。それではこちらを着て頂いて、はい。腕を通したら、ボタンを締めます。次はこちらですね」
手際よく進められる着付け。身だしなみを整え、革靴を履き、小物を身に着けた彼は、最後にジャケットに腕を通す。そうして店主が手を回してボタンを締め、シャツの袖を少し引き出せば完成である。店主が大きな姿見を彼の前に出すと、彼はため息をついて満面の笑みを浮かべた。
「すごいや。これが僕?まるで人間みたいだ」
「とてもお似合いですよ。さ、お客様。もうじき日暮れでございます。お急ぎを」
「あぁ、ありがとう!ほんとうにありがとう!これならパーティにも堂々と参加出来るよ。今度、お礼にもっとたくさんコインを持ってくる。約束するよ。それじゃあ、また!」
「はい。行ってらっしゃいませ」
店主は軽く会釈し、夕暮れの街へ飛び出してゆく男性の背を見つめながら、くすりと笑って戸を閉めた。
――その後、王族の夜会に忍び込もうとした身元の知れぬ男が捕らえられ、数日後に処刑されたという。
お題:「ヒトであること」を買いに来た「猫」