7・遅刻寸前のハプニング
幼馴染みに対して、路上で人目も憚らずにパンツを見せてくれと懇願したが為に、親友を道連れにして駅から学校までの三キロ程をランニングするはめになった龍一は、廊下で担任の女教師を追い抜いて教室に飛び込んだ。
龍一と卓巳の仲良しコンビに遅れて教室へと入って来た担任女教師まなみ先生二六歳が、やる気の緩い怒りかたで「お前ら、廊下を走っちゃ駄目だぞぉ」と二人を諭す。
しかし二人は適当に「はぁ~い」と、軽い返事をしてから自分たちの席に急いだ。
担任女教師まなみ先生は、サバサバとしたお姉さんタイプの先生である。
いつもジャージ姿でてきぱきと動く彼女は、凛々しい口調で生徒や他の教師と接し、男っぽい面も多いが、やたらと面倒見が良い出来た教師である。
よく見れば薄化粧を欠かさない女らしいところも兼ね備えており、人当たりだけでなく容姿も運動神経も申し分ない。
だから、男女問わず生徒全般に人気が高い。
だが、独身である。
「ん?」
まなみ先生が教室に入ると、床に何か不自然な物が落ちているのを発見した。
「なんだ、これ?」
短めのポニーテールを揺らしながらまなみ先生が、それを拾い上げた。
それとは、龍一の持ち物であるレースのハンカチだった。
慌てて教室に飛び込んださいに、思わずポケットから落としてしまった物だ。
「誰だ、教室にパンティー落としたのは?」
三角に折られたレースのハンカチを拾い上げたまなみ先生が、ヒラヒラと振って生徒全員に見せる。
「女子諸君、ちゃんと穿いているか? 私はちゃんと穿いているぞ」
本物のパンツに見えた男子生徒たちが双眸を見開き「おお~!」と猛りながら凝視する。
そんな中で女子生徒たちがザワザワとどよめきを漏らしながら自分の股間をスカートの上からさすって確認していた。
女子生徒のBさんが言う。
「まなみ先生。それ、ハンカチですよ……」
摘まみ上げた白いレースを見直すまなみ先生は、わざとらしくハンカチを凝視してから、今頃気付いたような演技を見せる。
おそらく最初っからハンカチだと気付いていたのだろう。
生徒たちをからかっていたのだ。
「あ、本当だ。私はてっきりパンティーかと思ったよ。つまらん、ハンカチか」
女子生徒たちが安堵に胸を撫でるなか、男子生徒たちはがっかりと落胆していた。
「そのハンカチ、さっき政所君が落としましたよ」
龍一が落とすところを見ていたのだろうか、女子生徒Bさんが報告する。
その女子生徒Bさんとは、いつも龍一が気を引こうと不順なテレパシーを飛ばしている憧れの女子であった。
隣の列の四つ前に座っている彼女の名前は、鹿沼 翡翠。
龍一が密かに想いを寄せている彼女は、容姿端麗頭脳明晰であるが、運動神経はゼロに等しいおっとり系である。
天然な素振りも多い女子だ。
性格は素晴らしく良い子である。
ハグしたら一生離れたくなくなるほどに可憐で、一つ一つの動作が気品に溢れている。
しかも、育ちの良さをフェロモンと一緒に放出しているぐらいのかぐや姫タイプだ。
腰まである長い黒髪が、とても魅力的で、胸も大きいほうである。
正直なところ結婚したい。
もちろん将来的な願望である。
しかし、当然ながらライバルは無数であった。倍率は高い。
鹿沼翡翠は、校内全体の可愛い女子生徒ランキングで一年生のころからベスト5内にランクインしている。
蓬松高校に通う男子生徒の多くがお墨付きを与えるほどの美少女なのだ。
「なんだ、政所。お前のハンカチか?」
まなみ先生がレースのハンカチを突き出しながら言う。
「男子が持ち歩くようなハンカチじゃないな。お前は、こういうのが好きなのか?」
まなみ先生も意外だなと言いたげな顔をしていた。
「それは!」
慌てて席を立った龍一が走ってハンカチを取りに行く。
焦って足が縺れながらも答えた。
「母のハンカチを間違えて持ってきたんです!」
手に持ったハンカチを乱暴に奪われたまなみ先生は「そうか、つまらんな」と言うと主席簿を開いて朝の儀式を開始する。
何がつまらないのかは不明であった。
ハンカチをポケットに捻じ込みながら龍一は、恥ずかしそうに自分の席に戻った。
帰り道で鹿沼翡翠と目が合った。
彼女は軟らかく微笑んでいたが、龍一は思わず顔を逸らしてしまう。
とても恥ずかしかったからだ。
「よりによって、何でだよ……」
呟きで愚痴る龍一。
鹿沼翡翠に見られたことが悔いになる。
ほんのちょっとの出来事であったが、甘酸っぱい想い出として龍一の記憶に青春として刻まれた。
傷は浅い。忘れよう。
この程度のハプニングならば皆も直ぐに忘れてくれるだろうと思った。
しかし世間は許さない。甘くない。
今後このネタは、しばらく尾を引くことになるのであった。
政所龍一が母のパンティーをハンカチ代わりに使っていると、謝った噂が学年内に広まるまで、僅か一日とかからなかったのである。