54・武人 朝富士陸男
朝富士陸男。59歳。
全国規模の大手企業グループに属する重役幹部。
現役を一年間残して定年退職の準備は終えている。
業務の引継ぎを後継者に終えて、既に隠居状態な日々を送っていた。
それが生まれ故郷の素度夢町市に戻っての暮らしであった。
そんな彼がパンドラ爺に行き当たり、結果的に秘密結社異能者会の創立メンバーとして活動している。
半魚人を殴り飛ばしたのは、空手だろうか──。
左足を前に踏み出し、右足はアキレス腱を伸ばすように後方へ踏み入れている。
左拳は腰の高さだ。
撃ちだした右拳は肩の高さで前に突き出している。
正拳突きのポーズだった。
ダブルのスーツに身だしなみを整えた上半身とは裏腹に、変態丸出しの下半身で立つ中年は、右拳を突き出し武道の構えを力強く築いていた。
『ギョギョギョーー!?』
跳ねるように立ち上がった半魚人が、自分を殴り倒した相手を睨んだ。
両手の爪を立てて威嚇する。
「空手ですか……」
椅子の上から動けないでいる龍一が訊くと朝富士は半魚人から視線を外すことなく頷いた。
「十代から嗜んでいる――」
ならば40年以上のキャリアになるだろう。
空手のベテランだ。
『シャーーー!』
床を蹴り飛び掛かる半魚人。
朝富士は右拳を引き防御の姿勢を取る。
尖った爪と水掻きがついた両手を突き出した半魚人が、あっという間にターゲットとの間合いを詰めた。
半魚人の両手が朝富士の頭部を狙う。
首を絞めようとしているのだろう。
だが、空振り。
「遅いな――」
朝富士が二十センチほど身を屈めて回避したのだ。
そして半魚人の両腕が頭の上を過ぎると同時に正拳を繰り出す。
『ゲロッ!』
半魚人のボディーに打ち込まれる右正拳。
続く二撃目の左正拳。
ドンドンと二度連続で音が鳴る。
両打拳ともに破壊力はマグナムを連想させるほどの激音を鳴らしていた。
『ゲコッ!』
腹を押さえてよろめき下がる半魚人に、尚も追撃を狙う朝富士が背面を見せながら跳躍する。
「暫し、おとなしくなってもらうぞ」
背面を見せ空中から迫る朝富士の頭が会議室の天井につきそうだった。
そして露出された生尻は半魚人の頭と同じ高さ。
可憐で高い跳躍。
その位置からの飛び後ろ廻し蹴りは豪快であった。
『ギョっ!』
ドンっと空気が轟く。
朝富士の強烈な飛び後ろ廻し蹴りが半魚人の顔面を蹴り飛ばす。
蹴打を喰らった半魚人の体が勢い良く吹き飛び壁に激突した。
『ゲコっ!』
まるで蛙を壁に叩きつけたような鳴き声と共に室内全体の壁が激しく揺れる。
見事なソバットだった。
いつも股間を露出している変態とは思えない程の芸術的な素晴らしい空手技であった。
「凄い……」
龍一にも理解できた。
その蹴りには、鎌の鋭さと鉈の重さが融合しているように見えた。
スピードとタイミングがパーフェクトである。
『ギョギョ……』
壁にもたれ掛かりながら崩れ落ちる半魚人の口から三角の牙が一本落ちた。
前歯だ。
「効いている。凄い――」
しかし、直ぐに立ち上がる半魚人はピンピンしていた。
「やっぱ、効いてない……」
蟹股で腰を落とすと顔の前で両腕を切りながら息を吐く朝富士が、両拳を腰の両サイドで強く握って構える。
とてつもなく力強い姿勢に見えた。
鑑みる姿は千年長寿の大木か、万年守護の大岩のようだった。
「空手道、体馬の構え」
防を功に、力を拳に、意を撃に、体を剛に――。
「すべてを打ちのめす」
眼に映る凛。
「この人は、ただの変態じゃない」
その姿に雄を感じる龍一。
極みを悟り見る。
だが、喰らったダメージを感じない半魚人が尚も飛び掛かる。
今度は爪を刃に、腕を槍に真似て突きを狙う。
「貫手か――」
動かず躱さない朝富士。
「危ない!?」
回避行動を取らない朝富士を見て龍一が思わず叫んでしまう。
「ふっ」
鼻で笑った朝富士の胸に爪が突き刺さった。
そのまま赤いネクタイの上からワイシャツを貫き胸の中に指が、腕が、真っ直ぐに突き刺さって行く。
『ギョッ!?』
しかし、次の瞬間、朝富士の姿が消えた。
着ていた衣類が半魚人の腕に残ると、ふわりと力をなくす。
鼈甲の眼鏡が鱗腕の上で跳ねた後に床へ落ちる。
その床にはエナメルの革靴とオヤジ臭い黒いソックスが残っていた。
「消えた……」
『ゲコ……』
呆然とする半魚人と龍一。
「消えとらんわい」
「後ろっ!?」
気付けば消えた朝富士が体馬の構えのまま半魚人の後方に立っていた。
全裸を見て龍一が叫んだ。
「瞬間移動!? テレポーテイション!」
「左様。これがワシの超能力だ」
「テレポートで死角に回りこんでからの攻撃!」
「空手とテレポート。使える組み合わせだろ」
言いながら正拳突きを半魚人の背中に乱打する朝富士(全裸)。
まるで大砲を乱射しているような音が連続で鳴り響く。
『ギョ! ギョ! ギョ!』
乱れ打たれる太鼓のように叫ぶ半魚人のからだがサンドバッグの如く揺れていた。
そしてとどめとばかりに繰り出される強烈な上段廻し蹴りが背後から半魚人の頭部を横殴る。
『ギョー!』
風車の如く回転する半魚人が数回転した後に頭部から床へと叩きつけられた。
人型の物体が、そのように回転して宙を舞うのを龍一は初めて見た。
壮絶な脚力だ。
凄まじい蹴り技の威力であった。
生身の人間ならば死んでしまう一撃だろう。
「すげ~~……」
呆然とする龍一の足元で、月美の心を具現化させた半魚人がヒクついていた。
まるで砂浜に打ち上げられた死にかけの深海魚のような惨たらしさだった。
「流石の怪物も朝富士さんの空手の前では赤子同然のようですね」
月美を羽交い絞めにしている三日月堂が感心した直後である。
ヒクついていた半魚人が素早く立ち上がった。
『ゲッコーーーーー!!!』
ピンピンしている。
空手技が効いていない。
「全然効いてませんね……」
宣言を容易く撤回する三日月堂。
「面白いほどにタフネスだわい。もっと殴ってみるか」
立ち上がった半魚人に詰め寄った朝富士(全裸)が空手技をコンビネーションで叩き込む。
脇腹への下突き。
顎を勝ち上げる肘鉄。
太股への下段回し蹴り。
すべてがヒット。
連続で決まった拳撃脚打に半魚人はよろめきながらも反撃の腕を乱暴に振るうが朝富士(全裸)はテレポートで回避して死角に回り込む。
「チョムチョム、開始!」
再び繰り出される数々の空手技が半魚人の全身を打ちまくる。
正拳、肘鉄、回し蹴り、膝蹴りと、多彩に続く。
『ギョー!』
空手打撃を喰らい倒れそうになる半魚人に対して朝富士(全裸)は、反対側に瞬間移動してから打撃を打ち込み半魚人の体を支えた。
半魚人が右に倒れそうになれば、そちらにテレポートして倒れないように打ち殴る。
今度は左に倒れそうになれば、そちらにテレポートして蹴り支える。
それを繰り返す。
繰り返し繰り返し、それを繰り返す。
転倒不可の袋叩きだった。
打撃技の数々とテレポートの移動がダウンを許さない。
半魚人は倒れることができないまま攻撃を惨くも喰らい続けていた。
格闘技の試合ならば、とっくにテクニカルノックダウンだろう。
TKOでレフリーストップだ。
だが、朝富士(全裸)はテレポートと打撃技を駆使して半魚人を転倒させず永遠に殴り続ける積もりらしい。
ダメージの蓄積で、いずれは半魚人も消えると思えたが、いつまで経っても勝負は終わらない。
具現化したままの半魚人は消えないでいた。
「ちょっと待ってください朝富士さん。物理的ダメージは効かないのかもしれませんよ」
三日月堂が述べたとおりだが、前回カヲルの心を具現化させたミイラはパンチ一発で霧と化している。
倒せないとは思えない。
「待てぬ、止まれぬ、気持ち良い!」
三日月堂の忠告を無視して攻撃を振るい続ける朝富士(全裸)の雄竿がブルンブルンと左右に振られてパチンパチンと艶めかしい音を鳴らしながら地肌にぶつかっていた。
ただ殴りたいだけなのだろう。チョムチョムが続く。
倒れることもできずに打たれ続けて踊る半魚人は、糸の絡まったマリオネットのようだった。
流石に可愛そうに見えてくる。
無残――。
無残だが――。
龍一が気付く。
「歯が……。半魚人の歯が……、生え替わっている……」
龍一の言葉を聞いた者たちが目をこらして打たれ踊る半魚人の口元を観察する。
「前歯が……」
朝富士(まだ半裸だった頃)の飛び後ろ廻し蹴りを喰らい折れ落ちたはずの前歯が元通りに生え替わっていた。
「再生しているのか!?」
驚きを隠さない千田に続いて、月美を羽交い絞めにし続けている三日月堂が語りだす。
「やはり可笑しい。朝富士さんの技は一つ一つが凶器だ。骨格肉体変化したカヲル君ほどパワーがなくともテクニックだけで破壊力は五分五分のはずだ。否。熟練された技術で人体の急所を確実に狙っている朝富士さんの攻撃のほうが殺傷度は高いやもしれない……。なのに何故まだ形をなしている。霧の如く消えてなくならないんだ!?」
あの時のことを思い出しながら龍一がボソリと言った。
「本人の攻撃ならば……」
ありうる。
言ってから自分でも思った。
あの時、ミイラの怪物を殴ったのはカヲル本人だった。
心を具現化された本人のパンチとチョップで怪物は消え去った。
「なるほど……。それはあるかも……」
龍一の言葉に同感した三日月堂が、羽交い絞めにしていた月美を解放する。
「えい!!」
「あわわ!?」
そして月美の背中を勢いよく突き飛ばした。
「ぬぅ?」
跳ねのき少女を躱す朝富士(全裸)。
「ちょっとーー!!」
突き飛ばされた月美が躓いたような姿勢で頭から半魚人に突っ込んで行った。
「きゃん!」
『ギョギョ!』
月美のヘッドアタックが半魚人の腹部に命中した。
すると半魚人は腹部から黒い霧と化して蒸発して行く。
あっと言う間に半魚人の不気味な姿が消えてなくなった。
「消えた……」
皆が呆然と虚空を見詰める。
散り一つ残っていない。
あっけなく半魚人が消えてしまったのだ。
暫くの沈黙の後、三日月堂が口を開いた。
「なるほど。本体との接触で具現化された心のモンスターは消えるのか」
「そのようだな」
詰まらなそうな顔で衣類を拾い集める朝富士(全裸)。
しかし、拾い集めた衣類を着る様子はない。
「これで龍一君の超能力が少しは解明された」
三日月堂の話を疲れきった表情で聞く龍一に、四つんばいの月美がハイハイしながら近寄り膝に手を乗せる。
月美の顔にも疲労感が窺えた。
「龍一君の超能力は、攻撃を与えた人間の心を具現化させ本心を語らせる能力。そのさいに具現化される姿は醜いバケモノで現れる。そして本人との接触で脆くも消えうせる。こんな感じの超能力でしょうかね」
三日月堂が観察した推論を語った。
それ自体に異論を挟む者はいなかった。
しかし、別の疑問が浮上する。
千田が言った。
「ですがこの超能力は、使いようがありますかね?」
パンドラ爺婆のプレゼントした超能力が使えないことは多々ある話だ。
ハズレである。
自分もなのかと龍一が、落胆を表情に出していた。
「拷問代わりに使うか?」
「ひど!」
花巻の発言に顔を青ざめる龍一。
使えない超能力でも拷問道具代わりに使われたくないものだ。
「さて、完璧な回答を出すにはデータが足りませんね。まだ判明していない機能が秘められているやも知れません。朝富士さん、花巻君。千田さんを押さえて下さい」
「えっ、なんで!?」
目を丸くさせた千田の両腕を抱え込むように左右から朝富士と花巻が押さえ込む。
なんとも迅速な動きだった。
「二人とも全力で千田さんの頭を龍一君の頭に激突させてくれませんか。新たな心の具現化を試してみましょう」
「ひでぇ!」
「鬼がいる!」
悲しそうな顔を作る三日月堂。
「龍一君、僕だってやりたくてやるわけじゃないんだよ。キミに痛い思いをさせるのは心苦しい。本心じゃあないんだ。でも、これもすべてキミのためなんだよ。分かってくれたまえ……」
「ぜんぜん分かりません!!」
「覚悟せんか、小僧」
「行くぜぇ~」
朝富士と花巻が、千田の後頭部を押さえて狙いを定める。
もちろん狙う先は龍一の脳天。
「「やめてー!」」
三日月堂ビルの五階に二人の悲鳴が響き渡る。
龍一の賑やかな放課後クラブは、もう暫く続くのであった。
つづく。
ちなみに千田の具現化された心の姿は、「オッパイ、オッパイ!!」と連呼して叫ぶキノコ人間であった。
千田が触っても直ぐに消えなかったから、朝富士が容赦なくいたぶってから触り直すと消えてしまう。
消える条件は致死ダメージの後に本人の接触なのだろうと判明する。
消え去る刹那にキノコ人間は「巨乳最高~~、おっぱいバンザーイ!」と絶叫して消えて行ったとさ――。
兎に角、つづく。




