49・そもそも依頼は受けていない
霞が徐々に晴れていく意識の中、感覚を朦朧に取り戻していく五感。
瞼の隙間から浅い光が差し込むと、夢見心地な幻が魂の中から消えていく。
月美のパンチで気絶していた龍一の意識が戻り始めていた。
何かが聴こえる。
人の声だ。
この声は――。
三日月堂さん――。
曇った意識の中に三日月堂の声が流れ込んで来る。
「そもそも依頼は受けていません」
柔らかい言葉で龍一は目が覚めた。
頬と首が酷く痛む。
このダメージは……。
そうだ、月美の必殺技を喰らったのだ。
まだ曖昧な過去と現在が、記憶の渦の中で縺れ合っている。
何故だか思うように体が動かない。
不思議と声も出せない。
それに息苦しい。
ささやかな戸惑いの中、濁っていた視界がはっきりと見え始めた。
薄い光に瞼を細めながら辺りを見回す。
皆が居る――。
皆が何かを話し合っている様子だった。
辺りを見回せば、三日月堂、月美、千田、花巻、朝富士に、もう一人見覚えのない少女がいた。
少女は月見と同じ制服を着ている。
場所は異能者会の本部。
六人は会議用の長テーブルを囲んで何かを話し合っている様子だった。
龍一は話し合いの輪に加わっていない。
囲われた長テーブルから離れた壁際のパイプ椅子に座らされている。
隣を見ると山国武が居た。
お坊さんはトランクス一丁でパイプ椅子に座っていた。
未だに口はガムテープで塞がれ、再びパイプ椅子に縛りつけられている。
アイドルからお坊さんの姿に戻っていた。
しかし、半裸の坊主が痛々しく見えた。
龍一はお坊さんと目が合ってから気付いた。
体が思うように動かせないことに――。
己の体を確認する龍一。
自分もお坊さんと同じようにパイプ椅子にガムテープで拘束されていた。
口までガムテープで塞がれている。
何故に!?
その疑問はガムテープに阻まれ声にならなかった。
心当たりはある。
おそらくは罰なのだろう。
拘束は月美がおこなった罰。
宿題を忘れた小学生を廊下に立たせる行為と同じなのだろう。
体罰ではない。
女体化した男性とはいえ他人の巨乳をモミモミしようとしていたのだ。
しばらくそうして反省しろと月美は言いたいのだろう。
この拘束行為が、幼馴染の嫉妬の鎖ならば、喜んで甘んじようと思う龍一。
しかし、口までガムテープで塞ぐことはないだろうと思う。
これでは謝罪も言い訳もできない。
しょうがないので、ここで暫く様子を見守ることにした。
「依頼とかじゃないわよ!」
椅子から立ち上がった月美がテーブルを両手で叩いた。
なにやら興奮しているようだ。
「困っている女子高校生が、こうして頼んでいるのよ。なんでよ、なんで!?」
そう言いながら月美は隣に座る見慣れない少女の肩を叩いて揺すった。
髪の長い少女は月美と同じセーラー服を着ている。
後母等女子高校の制服だ。
大人しげでオロオロしていた。
活発な月美とは違い、気弱なタイプなのだろう。
月美の横で身を丸めながら俯いている。
月美を宥めるように三日月堂が言う。
「月美ちゃん、我々異能者会は探偵事務所や何でも屋じゃないんだよ。そもそも依頼を持ち込んでも困るな。それに我々異能者会は秘密結社だ。秘密結社異能者会なんだよ。一般人を連れてこられちゃあ困る。秘密結社の意味がないだろう」
「何よ、秘密秘密って、困った女の子一人を救えなくて、何が秘密結社よ!」
月美は何やら秘密結社の意味を勘違いしているようだ。
正義の味方集団とでも思っている節が見受けられる。
流石は天然暴走娘である。
細かな天然が今日も冴えていた。
荒ぶる月美の横に立つ少女が困り顔で月美の袖を引っ張った。
申し訳なさそうに言う。
「いいよ、月美ちゃん。無理にお願いしなくても……」
「茜ちゃん、諦めちゃ駄目だよ。警察が駄目だったからって、泣き寝入りなんてできないでしょ!」
「でも……」
茜ちゃんと呼ばれた少女は今にも泣きそうな顔をしていた。
「それとも茜ちゃんは、このままでいいわけ? この先も、ずぅ~~~~っと、どこの誰かも分らない変態野郎にストーキングされながら通学するつもりなの!?」
「それは、いやだけど……」
ことを見守っていた龍一が、ホワイトボードに書かれた四文字を見て納得した。
ホワイトボードには『佐々木茜』と書かれていた。
月美の字体であった。
女の子女の子した丸文字である。
見知らぬ少女の名前が佐々木茜なのだろう。
ホワイトボードを使い自己紹介でもしたのだろうか。
溜め息を溢してから困ったように述べる千田。
「月美ちゃん。我々異能者会は、産まれ来る異能者たちを見つけ出し、その能力を悪用させないのが勤めだ。そのために結集した団体だよ。人助けは活動内容に入っていない」
「そんな薄情なことを言ってるから千田さんの小説は売れないんですよ!」
「えっ! そんな!?」
関係ないだろう。
だが、何人かが頷いていた。
周りの様子を見て顔を引きつらせる千田のテンションがメルトダウンしていく。
ショックを受けている様子だった。
「まあ、あれですね――」
長テーブルの上座に座る三日月堂が両肘を突き組まれた両手で口元を隠しながら静かに話し出す。
まるで何処かの司令官のようだった。
「月美ちゃんの言葉も一理ありますね」
一理とは、千田の小説の件だろうか。
いや、違うだろう――。
「我々異能者会は、常に異能者同士の利益不利益だけで活動を行なってきました。大事なのは目立たないことだったからね。人助けなんかしたことないのは反省すべき点かもしれない」
三日月堂をビシッと指差しながら言う月美。
「でしょ~。流石は三日月堂さん、話が分かる~」
「でもね、月美ちゃん。やはり我々は一般人のトラブルに首を突っ込むべきではないと思うんだ」
「えぇ~……」
慇懃な微笑みを絶やさなかった三日月堂の表情が突然真顔に変わった。
「しかし、可笑しな話だ。警察にも相談したのだろ。そんなに毎日ストーキングされて、警察が通学に同行までしたのだろう。ならば職務質問の一つや二つされても可笑しくないのにね」
龍一が気絶している間の話だろう。
初耳だった。
ここまでの話を推測で把握する龍一。
おそらく月美が連れて来たと思われる茜ちゃんは、普段からストーキングの被害に困っている友達なのだろう。
それを見かねた月美が異能者会にストーカーを撃退してくれと依頼。
そして断られる……。
そんな流れだと予想した。
だが、ストーカーに可笑しな点があると三日月堂が言い出したのだ。
どうやら茜ちゃんはここに来る数日前、警察にも相談してストーカーに職務質問するために通学時同行してもらったのだ。
だが、ストーカーに職務質問はできなかった。
警察官がストーカーを発見まではしたが、職務質問しようと近づくと走って逃げられたという。
逃げられたのは一度や二度じゃないらしい。
確かに可笑しくも不思議な話だった。
最近の警察とはボンクラ揃いなのだろうか。
走って逃げられる。
そんな馬鹿な話はないだろう。
ストーカーが相当足の速い奴だったのだろうか。
それでも不意を突いて後ろから攻めるとか、数人で挟み撃ちにすれば捕まえられるだろう。
無能な警察……。
そんな訳もないだろう。不思議である。
朝富士が渋く呟く。
「そのストーカーとやら、異能者の可能性があるな――」
ヒントを受けて千田がポンっと手を叩く。
何かを閃いた様子だ。
「なるほど。何らかの超能力を有した異能者がストーカーなら、警察官が数人がかりで取り囲んでも捕まらずに逃げ切れるか……」
「そうだとしたならば、我々異能者会の出る幕もある、かな」
三日月堂や千田も、ちょっとやる気が出てきたようだ。
月見の顔が明るく変化する。
「異能者の数も、我々が把握している以上に存在しているやも知れない。桜ちゃんの異能者探知に漏れた輩がいるはずです。事実、探知にひっかかっていても見つけ出せていない異能者も少なくない」
「最近では、髪で顔を隠す少女ですね」
龍一や月美と同時期に念写された異能者だ。
龍一や月美も捜索に手を貸したが、いまだに見つけ出せていない。
そのような異能者は少なくないらしい。
「まあ、困っている少女を見捨てては男としても情けないし、ここは先ず調査からということで、この件に絡んで見ますか。もしかしたら未確認の異能者を把握できるやもしれませんからね」
慇懃な笑みに戻った三日月堂が述べると、長テーブルを囲む男たちが頷いた。
「それにしてもよ~、その子も可愛そうにな~。毎日毎日、同じ女を狙ってストーキングしている変態野朗に好かれちまうとはよ~。そんなにこの子が気に入ったのか。それとも、相当いい尻してんのか、この子はよ~」
「ちょっと花巻君。本人を前にして失礼ですよ」
千田が花巻を嗜めるが、花巻に反省の色は見えない。
それどころか注意した千田を完全に無視する。
この場に来て殆ど口を開かなかった茜が小声で述べた。
「それは多分……」
それは多分、なんだろう?
皆が茜に注目した。
彼女の言葉を待つ。
俯きながら身を竦める少女が上目遣いで見回した後に発言する。
「もしもストーカーが異能者なら……。それは多分、私も異能者だから……」
「「「「え?」」」」
茜が語る唐突で意外な台詞。
彼女以外の全員が、キョトンと惚ける。
各自の頭上に『!』マークと『?』マークが同時に浮かんでいた。




