44・カヲルのターン
龍一、卓己、カヲルの三人での下校する。
いつもながら、この三人では会話も弾まない。
弾んでいるのは空気が読めないカヲルだけである。
カヲルが一人でしゃべくりまくるだけであった。
龍一と卓己は、いつも「はいはい」と言った感じで聞き役に回る一方である。
素度夢駅前まで到着すると卓己とはここで別れた。
これから卓巳はバンド仲間とカラオケに行くらしい。
彼は中学生の頃からの知り合いである友達とバンドを組んでいる。
卓己がボーカルであるが、まだライブを開いた経験は無い。
龍一とカオルの二人は三日月堂ビルを目指して歩く。
今日も異能者会本部に顔を出すためだ。
いつもなら素度夢町駅前で幼馴染の月美と合流するのだが、今日は彼女が居ない。
学校の友達と用事があると昼休みにメールがあった。
なので不本意ながらカヲルと二人で三日月堂ビルを目指す。
学校からここまで一度もカヲルは龍一の腕から離れなかった。
抱き付いてぶら下がったりしている。
月美が居ない今日ばかりは仕方ないかと龍一も半ば諦めていた。
――突然だった。
「龍~先輩、ちょっと!」
「ええ!?」
大通りに面した歩道を歩いていると、物凄い力でカヲルが龍一の体を引っ張って行く。
いきなり人目につき難い路地に引きずり込まれた。
そこはビルとビルの隙間であった。
日陰で薄暗い。
身を屈めたカヲルがビルの陰から大通りを覗き見る。
何かを警戒している素振りだったが、その間も龍一の腕を放さない。
「どうした……?」
「あいつらよ……」
龍一も大通りを覗くと知った顔の連中が歩いていた。
それはジャイアントスパイダーズの革ジャンを着込んだ四人組だった。
「あれは……」
豹柄帽子の大宮。オールバック平山。それにリーゼント高田とスキンヘッドの男だった。
四人はきょろきょろとしていた。誰かを捜している様子である。
「僕、最近さ、異能者会のほうに顔を出してばっかりで、あっちの集会をサボってばかりなんですよ」
カヲルはジャイアントスパイダーズの二代目リーダーを務めている。
龍一に敗北後は不登校だった学校にも通い始めて若干は真面目に振る舞っている。
しかし、これでも立派な不良少女なのだ。族のヘッドである。
「あいつら僕を捜しているんですよ。無理矢理にでも集会に参加させようと必死なのかな。困ったもんですよ~」
困っているのは龍一のほうだった。
不良なら不良らしく、そっちの集会にも顔を出せと言いたかった。
「それに秀雄って、まだ龍~先輩に負けたのを根に持っているんですよ。リベンジに燃えてますから気を付けてくださいね」
秀雄とはオールバック平山の名前だ。龍一とタイマンを張り、見事に敗北している。
「ええ、本気!?」
龍一の脳裏にバーサーカーのように叫びまくる凶暴な平山の顔が思い出された。
「本当ですよ。あいつも休んでいた学校に通い始めて、部活を再開し始めたんですよ」
柔道部のことだ。
一瞬だが、真面目になって良いことではと龍一が疑問に思う。
「それにボクシングジムにも復帰したらしくて、相当気合いを入れてトレーニングに励んでいるらしいですよ。絶対に龍~先輩を叩きのめすって意気込んでいたらしいですから」
龍一の顔が青ざめる。
平山の部活復帰も、ジムでの再トレーニングも、すべて龍一へのリベンジが目的だと知る。
また、狂犬に絡まれるのかと苦笑う龍一。
殴り合いの喧嘩なんて冗談じゃない。
もう二度とゴメンだ。
「とりあえず今ここで、あいつらに見つかるのはお互いに不利益ってことだな……」
「そうですよ、龍~先輩。ここであいつらに見つかるのは不味いです。僕は政治にガミガミと怒られるし、間違いなく龍~先輩は秀雄に絡まれちゃいますよ」
政治とは大宮のことだろう。
「喧嘩は困る……」
「でしょう……」
珍しく二人の意見が合致した。
「不味いです、こっち来ます!」
カヲルの言う通り四人がこっちに来る。
「やばい、やばい!」
二人は焦って路地の奥に逃げて行った。
だが、五メートルも進まずに行き止まりとなる。
高さ五メートルぐらいのブロック塀で先が塞がれていた。
これでは大通りから覗きこまれたら一瞬で見つかってしまう。
「隠れよう!」
「そうですね!」
龍一とカヲルはキョロキョロと隠れられそうな場所を探した。
ビルの大柱にあたる部分の一つなのか、壁から突き出た角度がある。
ここなら一人ぐらい隠れられそうだ。
しかし、二人が隠れるのは難しそうなスペースだった。
身を密着させて寄り添わなければならないだろう。
龍一が迷っていると、大通りから大蜘蛛たちの声が聴こえてくる。
「カヲルさん、いねっすね~」
「ついでに政所の野朗もいね~かな~。ぜって~、リベンジしてやる。次は負けね~」
「本当に勝てるのか、お前?」
頭の悪い喋りかたはリーゼント高田だろう。
龍一を捜している声はオールバック平山だ。
四人の声はかなり近い。
あの平山のことだ。ここで見つかれば間違いなく喧嘩をふっかけてくるだろう。
街中だろうと関係ない。
そういう男だと、あの日の一件だけで重々悟れた。
このままでは見つかってしまう。
龍一の脳裏に危機感が湧き上がる。
「こっちだ、カヲル!」
咄嗟にカヲルを連れてビルの窪みに身を隠す。
身体を密着させないといけないが、もう仕方がない。
暫しの我慢である。
「ちょっと、先輩!」
九十度の角度にカヲルを押し込めると龍一も身を寄せた。
密着する二人。
まるでコーナーにカヲルを追い込んで、龍一が全身で隠すように蓋をした格好となってしまった。
「せんぱ~い……」
「し~、黙って……」
苦しいのか恥ずかしいのかカヲルが声を上げる。
龍一はそれを黙らせた。
路地からリーゼント高田の声が、また聴こえて来た。
「あ~、喉が乾いたわ。ちょっとジュース飲んでいいっスか~」
カヲルを胸の中で押しつぶしながら龍一が思い出す。
そういえば路地に入る直ぐ側に、ドリンクの自動販売機があったことを――。
高田が自販機でジュースを買う音が聴こえてきた。
ゴトンとジュースが販売機内を落ちる音が聴こえてくる。
「じゃあ、俺も――」
今度は大宮だろうか、財布の中から小銭を探す音まで聴こえてきた。
「せんぱい……」
胸の中でカヲルが呟いた。
それで初めて龍一も気付く。
視線を落とすとカヲルの頭が見えた。
ポニーテールの尾がコンクリート壁にくっ付いている。
カヲルの火照った吐息が龍一の胸元を温く暖めた。
この体勢――。
な……、なんだ、このシチュエーションは!?
カヲルは龍一の胸の中で俯いていた。
耳が赤い。
いつもの天真爛漫な元気がなりを潜めていた。
大通りからは、まだ四人の会話が聴こえてくる。
自販機の前で寛いでいる様子だった。
やばい、と心で呟く龍一。
カヲルのポニーテールからシャンプーの香りが流れて来る。
いい匂い――。
汚れなき乙女の香りだった。
その匂いが少年の思春期を煽った。
実にヤバイ!
心臓の律動が速くなった。
カヲルの鼓動までもが伝わって来る。
「せんぱい……」
囁くカヲルが上目遣いで見てくる。
それは反則的なアングル。鉄板の可愛さだった。
カヲルは頭が可笑しくても美少女なのだ。
ポニーテールは尻まで届く長さで美しい。
外見だけなら魅力的でスレンダーな美少女だ。
その美少女と人目につかない裏路地の物陰で、抱き合うような密着ぶり。
これは、実にマズイ!
何か間違いが起きても可笑しくない。
否。
間違いが起きなければ可笑しい。
間違いを起こさなければ男と呼べない。
龍一は大蜘蛛たちがさっさと去ってくれるのを祈りながら待った。
このままでは辛抱が爆発してしまう。
暴発だ。
理性が暴発してしまう。
だが、龍一の願いも虚しく大蜘蛛たちはなかなか去らない。
まだ無駄話しの声が聴こえてくる。
「せんぱい……。僕……」
カヲルの上目遣いが潤んでいた。
こんな時に限って可愛く見えてしまう。
反則だ。
「せんぱい……、僕もう……」
僕もう?
もう、なんだろう?
疑問に思ったが声にならなかった。
「僕もう、我慢できないです……」
何をだ!
何を我慢できませんか!?
声にならない龍一の悲鳴。
自分が我慢するだけで精一杯なのに、ここでカヲルが我慢できなくなったら困ってしまう。
事故は必須。人身事故だ
「せんぱい……」
唇を上に向けて、軽く尖らすカヲル。
キスをせがんでいるのだろうか、その唇が艶々して見える。
「僕のセカンドキッスも、あ・げ・ま・す……」
魅力的な提案だが要りません!
「ディープで、いいですよ」
良くね!
「せんぱ~い」
せがむカヲルの顔が近付いてくる。
龍一は背を反らして逃げようとするが、これ以上逃げれば柱から体が出てしまう。
見つかるのも実に困る。
「せんぱい、早く~」
「できるか!」
「も~」
拒否されたカヲルが膨れて横を向いた。
膨れ顔を初めて見たが、なかなか可愛かった。
「じゃあ……」
今度はカヲルが下を向き、ゴソゴソと動き出す。
龍一が何を始めたのかと疑問に思っていると、突然自分のベルトが緩められた。
何故にベルトを、と混乱が渦巻く。
「えいっ」
「えッ!」
咄嗟に手を伸ばしたが遅かった。
龍一のズボンがストンと足首まで落ちてしまう。
生足と下着が丸出しとなる。
「お前!」
「えへへ」
無垢に笑うカヲル。
大通りからは、まだ四人の会話が聴こえてくる。
ズボンを取ろうとしゃがめば、尻が壁からはみ出て見つかってしまう。
この状況は、最悪なシナリオに向かっていた。
完全に見つかる訳にはいかなくなった。
今ここで誰かに見つかれば大問題だ。
ズボンを脱いでふしだらな行為に励んでいるカップルと誤解されては困る。
何より変態が女子高生を路地に連れ込み如何わしいことを企んでいると取られれば犯罪だ。
書類送検だ。
学校も退学になるやもしれない。
「お~ま~え~、なにしてくれる!」
「じゃあ、キスしてください」
「できるか!」
「大声だしますよ~」
「脅迫するか!?」
「せんぱ~い、チュー」
キスをせがむカヲルが、また口を尖らせ近づける。
汗びっしょりの龍一。
廃工場でカヲルと殴りあった時よりもピンチである。
ピンチの陰にはチャンスありというが、このピンチの陰にあるチャンスは美少女とのキスだ。
同じ美少女であっても月美が相手なら問題なかった。
寧ろ喜ばしい。
しかし相手がカヲルであることは美少女でも大問題だ。
このピンチはチャンスに変わることはない。
ここで誘惑と策略的状況に負けてキスしてしまえば永遠に呪縛されるだろう。
遺伝子レベルで、末代まで呪われる。
それだけは絶対に避けたい未来だ。
「せんぱい、チューしてください~。僕に~、チュ~」
脅されてもできない。
だが、心が折れそうだ。
眼前の美少女とキスしてしまえば、すべてが楽になるのではと弱気が襲う。
誘惑は甘美である。
「も~、それじゃー」
再びカヲルのターン。
カヲルはしゃがみ込んだ。
「ちょっとまてーーー!?」
カヲルの眼前に、龍一の下着があった。
やや股間部分が膨らんでいる。
それをうっとりと愛おしそうにカヲルが眺めていた。
「うふふ、これが先輩の……。この奥に男性の神秘が潜んでいるのですね――」
「それだけは許して~!」
カヲルの両手が龍一の腰に伸びる。
下着のゴム部分に細い指が引っ掛けられた。
このままでは龍一の秘宝が発掘されてしまう。
「らめ~、それだけは、らめなのぉ~」
涙声の龍一。全身が子羊のように震えだす。
「ハアハア……」
息を荒くさせるカヲルが下着をずり下げようと両手に力を入れた。
いよいよ龍一の延べ棒が披露されそうになっていた。
「これが龍~先輩の■■■ね!」
カヲルの双眸が歓喜のあまり血走っていた。
ゆっくりとゆっくりと下着をズリ下げて行く。
「先輩の■■■!」
徐々に下げられて行く龍一の下着。ついに男の茂み部分が見え始めた。
「もう、らめ~、ら~め~っ!」
「大丈夫ですよ。僕、ちゃんと本を見て勉強してきましたから」
「なんの本だよ!」
「三日月堂さんのところでエッチな本を立ち読みしてきました!」
「女の子が本屋でエロ本を立ち読みするな!」
「うふふふ~。勉強の成果をお見せしますよ!」
「らめーー!」
流石に龍一が耐えられたのは、ここまでである。
カヲルの両手を払いのけ踵を返して逃げ出した。
ズボンをたくし上げながら路地から大通りに走り出す。
「うわぁぁああ~」
龍一は声を上げて泣いていた。
突然横の路地から走り出してきた哀れな少年を見て大蜘蛛四人も目を点にさせていた。
それが龍一だと気付くのに数秒かかる。
「あれ、政所じゃなかったか?」
「かもしれね……」
「なんでズボンが……」
ポカンとしている大蜘蛛四人。
暫くしてカヲルも路地から出てきた。
「ちっ、逃げられちゃった」
「カヲルさん……?」
「何故、ここに……?」
大蜘蛛たちを見ながら述べるカヲルの顔は凛々しい。
「皆、今日は集会に参加するよ!」
龍一と接している時とは口調が違った。
強気な声色がスケ番風である。
いつもの可愛さはない。
ケバケバしく目元もクールで鋭く変わっていた。
「そ、そうっスか……」
とりあえず返事を返す大宮。
路地で一体何が起きていたのか、四人には訊く勇気がなかった。
ただただ唖然としながら先を歩いて行く二代目リーダーの後ろに続く。




