43・男子生徒A再び
今回は蓬松高校の放課後から話が始まる。
終礼の鐘と同時に格教室から廊下へ雪崩れ出る帰宅部たちの波に混ざって、下校を急ぐ龍一と卓巳の姿があった。
少し早足で歩む二人は階段を降り下駄箱を目指す。
「友よ。なんだったら今日は俺が特別に、捨て石になってやろうか?」
階段を駆け下りる最中に真面目な表情で卓巳が提案した。
それと同時に二人の歩みが速度を上げる。
「友よ。ありがたい申し出だが、明らかに見返りを求めてくる輩には、捨て石だなんて申し訳なくて頼めないよ」
答える龍一の表情も真剣だった。
最近バイトを始めたことを知る親友は、バイト代で奢って貰うのが狙いだ。
露骨に恩を売りつけようとしている。見え透いた魂胆である。
「そんなこと言ってていいのか。追っ手はしつこいぞ。何より豪快で盲目なうえに迅速だ」
「だからこうして先を急いでいるんじゃないか」
廊下を進む二人は完全に走り出していた。
時は巻き戻る。
昼休みのことである。
いつものように龍一と卓巳が机を迎え合わせて弁当を食べていると、カヲルが弁当袋を片手に教室へと突入して来た。
最近では強引にカヲルも昼食の輪に加わろうとすることが多い。
「せんぱ~い。一緒にお昼しましょ~」
賑やか全開のカヲルがスキップで龍一たちに近付いて来る。
「ホップ、ステップ、ジャンピングニーパット!」
ヒラリと舞うスカートからパンツがチラリ。純白であった。
後に、ズゴンッ! と鈍い音が昼休みの教室内に響く。
「うごっ!!!」
カヲルの膝蹴りを喰らったのは龍一たちの近くで昼食を取っていた男子生徒Aであった。
カヲルの膝が真横から男子生徒Aの頬に減り込んでいる。
助走がたんまりと乗ったジャンピングニーパットを顔面に浴びせられて吹き飛ばされた男子生徒Aは、更に数個の空き席を薙ぎ倒してから壁に激突して止まる。
その様子はダンプカーにでも轢き飛ばされたかのように惨たらしかった。
カヲルは男子生徒Aが座っていた机と椅子を強奪してから龍一の隣に寄せて座った。
「ぅぅ……ぅ……ぉ……」
痙攣しながら床に這いつくばる男子生徒A。
カヲルは悪びれもせずに弁当箱の包みを開いて食事を始める。
「せ~んぱい。一緒にご飯を食べましょう」
どうせ断っても聞かないのだ。龍一は苦笑いながら無言で承諾した。
カヲルが一方的に話してくる。
今日の授業の話や兄の話などどうでも良い内容ばかりであった。
暫くして……。
「ちょっとまてや!!」
怒声と共に立ち上がったのは、右頬を赤く腫らした男子生徒Aであった。
やっと復活したようだ。
「このストーカー女。なんで俺にジャンピングニーをかますんじゃあ。洒落にならんぞ!」
キョトンとするカヲルが、箸を口元にあてたまま小首を傾げて答えた。
「なんでって、邪魔だったからにきまってるじゃない」
何か疑問を挟む余地があるのか、と言いたげな表情である。
悪びれていない。
それどころか逆に不思議そうな顔をしていた。
「この糞女、ちょっと可愛いからって何やってもいいと思っているだろ!」
男子生徒Aは本気で怒っている。
ドシドシと歩み寄りカヲルの襟首を掴もうと手を伸ばした。
だが、カヲルは掴ませない。
片手で払い除けると逆に男子生徒Aの首根っこを右手一本で鷲掴んだ。
「うげッ!」
喉輪攻めだ。
男子生徒Aはジタバタと抵抗するが、万力で挟まれたかのようにビクともしない。
喉輪は外れない。凄いパワーである。
「名も無きせんぱ~い。女の子に暴力は良くないですよ」
笑顔で述べるカヲルが男子生徒Aの体を持ち上げた。
片手でだ。
男子生徒Aの両足が床から離れた。
ワンハンドネックハンギングツリーだ。
カヲルの怪力に周りから「お~」と歓声が上がる。
周囲に気付かれない程度で骨格肉体変化を使っているのだろう。
「うげぇ……ぇ……」
両脚をバタつかせる男子生徒Aの顔色が変わって行く。
赤が真っ赤に変わり、真っ赤が紫色に、更に紫色が黒ずんで行く。
これはヤバそうであるが誰も止めに入らない。
巻き添えを食いたくないのだろう。
やがて男子生徒Aのバタつかせていた脚の動きが鈍くなってきた。
そろそろ止めないと危なそうだと龍一が考えていると、ポケットの中で音楽が鳴った。
てれれれってっててれ~。
レベルアップのミュージック。
龍一のスマホにメールが届いた音楽だった。
「龍~先輩、メールですか?」
訊きながら男子生徒Aを放り投げるように解放したカヲルがスマホのメッセージ画面を覗き込む。
床の上で痙攣している男子生徒Aは、白目を剥きながら失禁していた。
床に神秘の泉が湧ている。
メールを確認する龍一はカヲルから画面を隠すが無理矢理にも覗き込んでくる。
メールの送り主は月美だった。
内容は今日の帰りは一緒に帰れないといった内容だった。
学校の友達との用事が出来たらしい。
文面を覗き見ていたカヲルの双眸が輝いていた。
口元からは涎を垂らしている。
今日の下校時はライバルが欠席なことを良いことに、何やら善からぬことを企んでいるのが容易く悟れた。
そんなこんなで龍一は逃げるように帰宅を急いでいたのだ。
しかし、甘かった。
予想はしていたが下駄箱前には既にカヲルが待ち構えていた。
おそらくは教室の窓から飛び降りて、ショートカットして来たのだろう。
急ブレーキをかけた二人は、すぐさま物陰に隠れて様子を窺う。
幸いカヲルは二人に気付いていない。
二人は参戦会議に入る。
「ほら、やっぱりいやがるぜ、龍~」
どうするのかと卓巳が訊く。
眉間に皺を寄せながら龍一が考え込んでいると後ろから肩を叩かれた。
「ここは僕に任せてもらえないか――」
龍一が振り返ると声の主は男子生徒Aだった。
頬を紫色に変色させているが表情は凛々しい。
意外な援軍に驚いているのは龍一だけでなかった。卓巳も驚いている。
正直、同じクラスメイトであるが彼とは特別に仲が良い訳でもない。
男子生徒A――。
彼もまた帰宅部の一員なのだが、この時間で何故かジャージ姿なのは昼休みの事件が原因だろう。
まだ学生服は乾いていないのだ。
「何故……、キミが?」
モフキャラ代表が何故に話に参加してくるか問う。
「千葉寺カヲル。彼女には恥をかかせられた……。たとえ相手が一年女子でも容赦はできないな……」
冷めた眼差しの男子生徒A。
憎しみ溢れる声色には、抑揚の低い怨念が染み込んでいた。
頬を腫らし、喉輪の傷痕を残す彼は穿いているジャージのズボンを強く握り締めている。
「穏やかじゃないね~」
ちゃかす卓巳の言葉を無視して男子生徒Aが前に出た。
龍一も彼を止めない。
彼は真っ直ぐカヲルのほうに歩いて行った。ここは任せてみようと考える。
「千葉寺カヲル!」
男子生徒Aの背中に男のオーラが揺らいでいた。
彼の殺気を感じ取った他の生徒たちも、何事かと道を空けて見守った。
「ふにゅ?」
カヲルも男子生徒Aに気付いたのか振り返る。怒りに燃える彼を見て小首を傾げていた。
下駄箱前で緊張感が急上昇していく。
足を止めた他の生徒たちが、やじ馬化していった。ざわめきが沸きあがる。
やがてカヲルと男子生徒Aが向かい合う。
「千葉寺カヲル。この痣と、この痣を覚えているか!?」
男子生徒Aが自分の頬と喉を指差す。
その部位には、惨たらしい痣が出来ていた。
「どちら様でしょうか?」
惨い……。
完全にカヲルの記憶からは削除されている様子だった。
昼休みのジャンピングニーパットもネックハンギングツリーも、完全に忘れている。
それどころか男子生徒A個人の記憶すら無いようだ。
もしかしたら最初っから記憶すらしていなかったのかも……。
「おのれ……、覚えていないか……」
「ふにゅ?」
「ならば、それでもいい……、それならば……」
震えだす男子生徒Aが、突然に頭を下げた。
お辞儀である。
そして右手を前に突き出す。
「好きです。僕と付き合ってください!」
「へっ?」
突然の告白劇だった。
キョトンとするはカヲルだけであらず。
龍一や卓巳、それにたまたまその場にいたやじ馬の生徒たちも目を点にしていた。
「なんであいつ、告白してるの……?」
「龍~、俺に訊くなよ。あいつに訊けよ……」
男子生徒Aが勝手に好きになった理由を語りだす。
「今日、キミに首を絞められた時に、ずきゅーん、と来たんだ。これは運命だってね!」
凄い理由である。
ドM発言だ。
天然の変態である。
呆気に囚われた二人が思わず物陰から身を出してしまうと、そこをカヲルに見つかってしまう。
「あ、せんぱ~い。龍~せんぱ~い。待ってたんですよ~」
龍一の姿を見つけたカヲルが眼前の男子生徒Aを邪魔だといわん勢いで殴り飛ばす。
横振りの強烈な肘鉄を喰らわせた。
ダンプカーにでも轢かれた勢いで飛んで行く男子生徒Aが五メートル程吹っ飛んだ後に三メートル程転がってから壁に激突して止まった。
一日に二回もダンプカーに轢かれて壁に激突するような状況を体感できる人物も珍しいだろう。
男子生徒Aは痙攣するばかりで立ち上がって来ない。
白目を剥いている。
何事も無かったように笑顔で駆け寄るカヲルが龍一の腕に抱きついて来た。
「先輩、先輩、龍~せんぱ~い。捕まえた~」
いつもならば巧みに逃げる龍一だったが、飛ばされたクラスメイトが気になり回避が遅れてしまう。
カヲルが龍一の右腕を抱きしめると、可愛い頬と二つの胸の膨らみを押しつけてくる。
なかなか心地よい温もりだった。
「ちょっと離れろよ!」
「やですー、もう二度と離しませんからね~」
油圧ジャッキにでも締めつけられるような圧力が龍一の腕に襲い掛かる。
骨格肉体変化だろう。
あのパワーで抱きつかれたら簡単には逃れられない。
「おお~い、大丈夫かぁ」
男子生徒Aの顔を上から覗き込む卓巳。
「こいつ、やばくね……」
下駄箱前の広いスペースの壁際に横たわる男子生徒Aは、本日二回目の失禁中だった。
新たな泉が湧いている。
ゆっくりと歩み寄った龍一が男子生徒Aを見下ろす。彼は動かない。
「こいつ、多分さ……。変態だよな。昼休みも思いっきり潰されたのに、なんで告白するんだろ。マゾってやつか?」
「さあ、僕には分からん……」
卓巳の質問に答えられない龍一。腕にはカヲルが抱きついている。
引き離そうと振り回すが、食いついたスッポンのように離れない。
「まったくだ、変態の考えることは、よくわかんね~な」
親友の何気ない言葉が龍一の心にチクリと刺さった。
今では龍一も変態の仲間なのだからだ。
「せんぱ~い、この人、なんで気絶しているんですか~?」
無垢な笑みで問うのはカヲル。
自分で殴り倒したくせに覚えていない様子だった。
完全に眼中に入っていないのだろう。あまりにも哀れな話だった。
しばらく無言を貫いた龍一と卓巳が校舎を出て行く。
一人嬉しそうにはしゃいでいるのは、想い人の腕に巻きついているカヲルだけであった。
結局のところ逃げるも叶わず三人で下校と成った。
三人は素度夢駅前を目指す。




