35・秘密結社異能者会の勧誘
龍一たちがジャイアントスパイダーズの溜まり場に成っていた廃工場を出ると外は日が落ち始めていた。
オレンジ色に揺れる夕日の光が背高いビル群の隙間に沈んで行く。
「大丈夫、龍~ちゃん……」
「月美、有り難う……」
全身が痛む龍一は月美に肩を借りてなんとか歩いていた。
これ程まで月美と体を密着させるのはいつ以来だろうか――。
月美の体が小さくて、とても華奢で、軟らかく感じられた。
思春期真っ盛りの龍一にはドキドキする温もりだった。
月美も女の子なんだなと意識する。
そんな龍一も深く反省した。
今日のような危機に月美を巻き込んでしまったことを――。
ジャイアントスパイダーズといえば普通の高校生生活を送っている龍一の耳にまで噂が届く程の不良グループだ。喧嘩チームの暴走族と聞いていた。
しかし、噂とは異なり彼らが硬派だった。
故に、ことは大事に成らずに済んだのかも知れない。
もしも彼らが腐れ外道の集団であったのなら月美の神聖な貞操は想像しただけでもドキドキする程のシチュエーションで汚されていたかも知れない。
そんなことになっていたら月美はお嫁に行けないだろう。今の龍一では責任が取れない。
肩を貸す月美の横顔をチラリと見ると視線に気付いた彼女と目が合った。
咄嗟に龍一の口から「ごめんね」と言葉が漏れた。
月美は「うんうん」と言いながら首を左右に軽く振った。
それから「龍~ちゃんこそ大丈夫。体、痛くない?」と気づかってくれた。
嬉しい。
正直、全身が痛かった。
タックルを喰らった直後は呼吸をしただけで胸が痛んだ。
体が重たくて足が上がらなかった。
タックルで車に挟み潰されたダメージは大きかった。
全身に鉛の拘束具を装着された気分である。
しかし、時間が経つと痛みは和らいで行った。
死んでいても可笑しくないダメージの筈だったが、それほどダメージが体に残っていないのが不思議だった。
本来なら骨折の一つや二つあっても可笑しくない筈なのに平気である。
龍一と月美、それと異能者会のメンバーが廃工場から出たが、大蜘蛛たちはアジトに残っていた。
気絶したリーダーを介抱している。
「すまないが花巻君、車で皆を素度夢駅まで送ってもらえないか。それと彼らを家まで」
「いいぜ。車は向こうのブロック塀の裏だ」
三日月堂に頼まれた花巻が愛車の方向へと皆を誘導する。しかし十勝夏子が足を止めた。
「私はいいわ。また署に帰らないといけないから」
刑事の十勝夏子が言うと、今まで一言も発しなかった中年男性が渋声を発する。
「ならば私が送ろう。近くに車を待たせてある」
中年男性が指差す方向を見ると離れた路地に黒い車体のロールスロイスが停車されていた。
運転席には初老の男性が見えた。運転手のようだ。
「有り難う、朝富士さん。お言葉に甘えさせてもらうわ」
十勝夏子はここまで来るさいも彼の高級車で一緒に来たらしい。
「でも朝富士さん、車内で下半身を露出するのはセクハラですから」
十勝夏子の警告に中年男性の眼差しが鋭く尖る。
龍一と月美はキョトンとしてしまう。
「生娘でもあるまいし何を恥らう。それに私が私の車でどのように寛いでも自由ではないか。本来ならば全裸になりたいのを下半身だけで我慢しているのだぞ」
「訴えますよ……」
「私の顧問弁護士団は優秀だぞ、小娘。若僧の刑事如きが太刀打ちできるかな」
朝富士の態度は矛盾塗れの自信に満ち溢れていた。
十勝夏子が細く綺麗な指で眉間を摘まみながら深い溜め息を吐く。
しかし朝富士はさっさと車がある方向へと歩いて行った。
「じゃあ、三日月堂。あとは任せるわ」
軽く手を振った十勝夏子は、そう言い残すと朝富士の後を追う。
結局、送ってもらうらしい。
「あの方、露出狂ですか?」と龍一が問うたが誰も答えを返してくれなかった。
ここで二人と別れる。
龍一たちも花巻の車に乗り込んだ。
助手席に秋穂が座る。
後部座席に右から三日月堂、龍一、月美と並んで乗った。
やがて車が走り出すと三日月堂が改めて自分たちが何者かを説明してくれた。
秘密結社異能者会。
その設立理由と活動内容を一通り説明すると「君たちも仲間に入らないか」と勧誘された。
「危険なことはないですか?」
直ぐ出た言葉は、それだった。
自分の身を案じた訳でない。
月美が龍一の顔を心配そうに見ていた。
龍一の脳裏に浮かんだのは月美の身の安全である。
龍一が異能者会に入ると承諾すれば、間違いなく月美も入りたいと言うだろう。
龍一は今回みたいに月美に危険が及ぶのが嫌なのだ。
それで異能者会の活動に危険はないかと尋ねたのである。
「リュウジ君……。いや、龍一君と呼び方を改めましょうか」
「すみません……」
嘘を名乗ったのは自分だ。良い機会だ。ここで素直に謝罪した。
「龍一君。もちろん危険なこともあるやもしれない」
三日月堂はスラリと述べた。
「しかし、キミらが異能者会に入るか否かは自由だよ。仲間に入らなくても構わない。だが―――」
だが、なんだらう?
「だか、キミらが異能者や超能力の存在を他者や世間にばらそうとしたら、僕らは、それなりの処置を講じなければならない。それが設立理由であり、活動内容の一つだからね」
三日月堂が厳しい顔で言った。本気の双眸である。
異能者会には他の異能者たちに対しての抑止力を含めた対抗策がある。
十勝夏子のキーロック。
武力では花巻や朝富士の戦闘可能な超能力。
それに三日月堂本人の超能力も、それなりの強制力があるらしい。
「…………」
龍一は三日月堂の気迫に押されて黙り込む。
「もしもキミが、キミらが、僕らの異能者会に加わってくれるなら、これだけは承知してもらいたい」
月美が龍一の手をギュッと握ってきた。不安が伝わって来る。
「安全ってものは、誰かが守ってくれているから与えられるほど安上がりなものじゃないよ」
秋穂が女子席から三日月堂を一瞥する。
その表情には大人の真剣差と柔らかい笑みが混ざり合っていた。
三日月堂は、更に力強く話を続けた。
「自分で自分を守り、自分の大切な人を自分の力で守る」
「自分の大切な人……」
龍一が反芻した。
三日月堂が話を続ける。
「友、恋人、家族。自分にとって掛け替えのない人々を守ることを、他人に委ねては駄目だ。本気で守りたければ、自分で立たなければならない。守りたい人々の前にね。防壁は自分の力で築かなければ意味がないんだよ」
三日月堂が言い終わるころには龍一の手を握る月美の力は更に強くなっていた。
「龍~ちゃん……」
月美の弱々しい小声に不安が籠っていた。
「月美はどう思う?」
龍一が幼馴染に問うと月美が答えるより先に花巻が口を挟んできた。
ルームミラーで龍一を睨んでいる。
「ズルいぞ、糞ガキ。自分の行く末を女に訊くな。お前の道だろ。三日月堂は、お前に訊いているんだぜ」
「そうよ、坊や~。きっとその子も貴方の選択に黙ってついて来るのにさ~。野暮なこと言わないでよ」
秋穂の言葉を聞きながら月美のほうを向くと、彼女が恥ずかしそうに視線を逸らした。
ここにいる大人たちに、すべてを見透かされている気がした。
車内に沈黙が流れる。
龍一は悩んだ。
しばらくして龍一の出した回答は――。
「もう少し、考えさせてください……」
「ああ、分かったよ」
三日月堂は笑顔で頷いた。
車が駅前に差しかかると三日月堂はここで降りると花巻に伝える。
直ぐ側に三日月堂が店長を勤める書店が見えた。
龍一と月美もここで車を降りることにした。
車の中で随分と休んだから龍一も一人で歩けると伝える。
花巻にお礼を述べて車を降りると助手席の秋穂が「じゃあね~」と愛想良く手を振った。
別れ際に三日月堂が龍一の肩をポンっと優しく叩いた。
「じゃあ二人とも、気を付けて帰りなさい。返事は改めて訊くよ」
そう言い残すと三日月堂は踵を返して歩き出す。
花巻の車が走り去るのを見送ってから龍一と月美も家を目指した。
長い一日が終わろうとしていた。
龍一には勝利に歓喜している余裕は微塵もなかった。
まだまだ考えるべきことが多く積み重なる。




