26・大蜘蛛の乱(6)
筋肉巨人の千葉寺カヲルの前に立つは、さほど逞しくもない体格の少年、政所龍一。
彼は体育会系とは思えない優男である。
今は凛々しい顔を見せているが、先程までは怯えた兎も同然だった。
それが今は獅子を気取っている。
花巻が抑揚を低く言う。
「まあ、多重人格者だろうがなかろうが、あの自動格闘能力を持っていようがよ~。あの千葉寺カヲルは厄介だぜ。俺のパイロキネシスを使っても、殺す気じゃなければ止められね~からよ……」
異能者会のメンバーは、千葉寺カヲルがプレゼントされた超能力を知っている。
十勝夏子が何度か接触しており、超能力のタイプも調査済みなのだ。
「確かに厄介です。ですから仲間に引き込むか、夏子さんにキーロックしてもらいたいのですがね……」
「仲間になれば良い戦力だが、放置しておくには危険な存在だ。手元で管理したいわな。そうなんだろ、三日月堂」
そこまで花巻が言ったところで廃工場内で動きが見えた。
まず動いたのは千葉寺カヲルだった。
始まる―――。
見ている全員が思った。
千葉寺カヲルの右腕が、ゆっくりと動き出した。その拳が握り締められている。
素早く身構える龍一。
動き出した千葉寺カヲルは筋肉で太くなった右腕を頭上に振り上げると、真っ直ぐに肘を伸ばした。
サングラスを掛けている千葉寺カヲルの顔を見上げていた龍一の視線が更に上を見上げる。
天を指す千葉寺カヲルの剛拳。
真っ直ぐに上げられた太い腕の先にあるは鉄拳。
丸々と大きい。
拳も大きいが腕の筋肉も大きく太い。
腕橈骨筋も上腕二頭筋も千葉寺カヲルの物は龍一の数倍ある。
並のプロレスラーよりも、ボディービルダーよりも、更に太い。
まるで全身が筋肉の高層タワーである。
「振り下ろすよ」
はっきりとした口調で言う千葉寺カヲル。
「え?」
眼前の巨人を見上げたまま龍一がキョトンとする。
「真っ直ぐに振り下ろすからね」
攻撃宣言だった。
「ま、真っ直ぐに……?」
「そう、真っ直ぐに」
そして、勢い良く剛腕が振り下ろされた。
「ふう!」
狙いは龍一の脳天である。
まるで塔が倒れてくるような攻撃だった。
オールバック平山のパンチに比べれば対したスピードではない。
しかし太い剛腕が迫ってくるという迫力が威圧的に見えた。
その威圧感に襲われた龍一の表情から余裕が薄らぐ。
「ッ!」
襲い来るは千葉寺カヲルの槌拳。
長身からの拳骨は大人が子供を叱りつけるさいにテーブルを叩くようなモーションだった。
故に誰の目にも格闘技の術とは映らず、迫力こそ凄いが雑で幼稚な攻撃に見えた。
しかし―――。
危機!
その言葉が龍一の脳裏に過ぎった瞬間には、半身が動き出していた。
龍一の左肘が横から振り上げられる。
ガードと言うより撃墜を狙ったような肘鉄だった。
ガンっと鈍い音が響く。骨と骨の激突音である。
曲げられた肘の先が、振り下ろされた剛腕の手首部分を打っていた。
腕の中でも硬い部位である肘関節と、逆に弱い部分にあたる手首のぶつかり合い。
強部と弱部の激突。
しかし、打ち負けたのは肘を繰り出した龍一のほうだった。
「ぐあっ!」
龍一の膝が崩れて体が沈む。
上から押し込んでくる衝撃が全身を包んだ。
片膝を着きそうになるのを堪えた龍一がバランスを保とうと後ろによろめき下がる。
千葉寺カヲルは後退する龍一を追わなかった。
直立不動のままサングラスの下に微笑みを浮かべている。
まるで自分のパワーに酔いしれているかのような笑みだった。
「くぅぅ……」
龍一が自分の左肘を摩る。
今日初めてのダメージであった。
千葉寺カヲルのほうは手首にダメージを負った様子はない。平然としている。なんとも頑丈な骨格である。
龍一が体制を取り戻したのを確認した千葉寺カヲルが前に歩き出す。
それと同時に拳を顔の高さに上げた。
またもやテレホンパンチだ。
「今度も真っ直ぐだ」
二回目の攻撃予告。
千葉寺カヲルの発言に嘘がなければ言葉通りに、あの位置からのストレートパンチを放つ積もりだろう。
「行くよ!」
宣言と共に筋肉質な上半身が予備運動で前に出る。そして予告どおりに鉄拳が真っ直ぐに放たれた。
ド級のテレホンパンチ。
狙いは龍一の顔面。
スピードはたいしてない。
だがやはり迫力が異常であった。
そして当然の如く龍一の体が自動で動きを始める。
左足が勝手に前に動いて姿勢が沈んだ。
それは攻防一体の術だった。
龍一の頭上を剛拳が過ぎて行くのと、前に伸ばされた龍一の左足が千葉寺カヲルの左足を払うのが同時だった。
この技でオールバック平山は、勢いそのままに転倒して顔面を地面に激突させている。
しかし、千葉寺カオルは転倒しなかった。
龍一の左足は千葉寺カヲルの足を払えずに止まっている。力だけで止められたのだろう。
「嘘ぉ~……」
唖然とする龍一を見下ろす千葉寺カヲルの口元が嗤っていた。
だが、龍一はそれどころでなかった。
侮辱的笑みよりもピンチに気づき青ざめている。
ストレートを躱された千葉寺カヲルと、脚払いを止められた龍一は、抱き合える程の距離で向かい合っていた。
ピンチの間合いだ。
もしここでベアハッグのような力技に捕まってしまえば完全にアウトだ。
怪力から逃げられなくなるのは間違いないだろう。
龍一が僅かに顎を上げるとサングラスを掛けた千葉寺カヲルとまじかで視線が合った。
子供のように微笑んでいる。その笑みにゾクっと寒気が走った。
しかし龍一の最悪な予想は当たらなかった。寧ろ相手がはずしてくれたと言えよう。
「今度は横からだ」
三度目の攻撃予告を言い終わるころには、右の剛腕が横に伸ばされていた。
握られた鉄拳。
打撃で来る気だ。
ここでベストな攻撃は怪力を生かした掴み技であるはず。
そのぐらいは喧嘩をしたことがない龍一にも考えつく最良の戦法。
だが、千葉寺カヲルは掴み技を選択しなかったのである。
そのイレギュラーとも考えられる相手の行動が龍一を戸惑わせた。
横から来るだろう剛拳をガードするべきか、それとも後ろに逃げるべきかと悩み混乱する龍一。
迷っている間に千葉寺カヲルの上半身が捻られ剛腕が振られる。
当人の迷いを無視して龍一の左腕が攻撃をセレクトした。
横振りの剛腕よりも速いショートアッパーを千葉寺カヲルの顎に叩き込む。
「ナイス!」
見事にショートアッパーがヒットした。
声を上げで歓喜する龍一は、自分の超能力である自動格闘能力を褒め称えていた。
しかし、千葉寺カヲルの掛けていたサングラスが僅かに跳ねただけで龍一のショートアッパーは顎先で止まってしまう。
振り切れていないし、横振りの剛腕も止まらなかった。
迫る剛腕フック。
だが、ショートアッパーも、まったくの無駄でなかった。
視界が揺れたのだろうか、頭を狙っていた鉄拳は的を外す。
それでも振られた剛腕がラリアットのように龍一の頭を撥ね飛ばして転倒させた。
「なんて怪力なんだ……。僕の自動格闘能力がパワーに押し切られている……」
転んだ龍一が四つんばいになりながら愚痴る。
納得がいかない。明らかにテクニックがパワーに押し切られていた。
龍一の初ダウンに外野のヤンキーたちが湧いた。
「さすが俺たちのリーダーだぜ!」
「痺れる~」
「かっこいいぜ、カヲルさん!」
「やっちまえ、やっちまえ!」
「そのままスクラップにしちゃってください!」
「平山さんと高田の仇を取ってくれ!」
興奮に任せて好き勝手な歓声が飛び交う。大蜘蛛たちがはしゃいでいた。




