22・大蜘蛛の乱(3)
平山秀雄。
ジャイアントスパイダーズのナンバースリー。
喧嘩の実力だけならリーダー千葉寺カヲルの次に続く猛者だ。
幼少のころから、わんぱくなガキ大将である。
極端に大きな体格は有していなかったが、子供時代から運動神経に秀でていた。
その反射神経やバランス感覚は、周囲から天才と呼ばれるほどである。
平山は小学五年から近所のボクシングジムで拳闘を始めた。
プロ資格こそ持っていないが試験を受ければ合格は確実だとも言われている。
オールバックはそのころから始めたヘアースタイルであった。
更に平山は中学から柔道を始めていた。
柔道部の顧問に口説かれて始めたのだ。
火曜日と木曜日はボクシングジムに通い、その他は学校で柔道部に励んでいた。
そしてボクシングだけでなく柔道でも才能を開花させ、軽量級では県内無敵と恐れられることとなる。
中学三年間では、出場した柔道全国大会で個人戦と団体戦を合わせて五回の優勝を成し遂げていた。スーパーエースである。
平山は、この華やかな経歴のおかげで高校は受験らしい受験を受けずに柔道特待生として入学している。
入学試験のテスト用紙には名前しか書いていないのに合格しているのだ。
それでも高校サイドは天才スポーツマンが欲しかったのだろう。
鮮やかに輝くトロフィーの数々を飾りたかったのだろう。
両腕を広げて学園に平山を向かい入れた。
しかし平山は入学して直ぐに柔道部へ顔を出さなくなる。授業にもだ。
理由は不愉快なものだった。
平山曰く、部活の先輩がむかつく。
それだけである。
そして学校に通わなくなった平山は、ぷらぷらしているところを中学時代から知り合いだった大宮に誘われジャイアントスパイダーズに加わることとなった。
平山の経歴はメンバーの殆どの者が知っている。
喧嘩の強さもだ。
だから、このタイマンは平山がノーダメージで終わらせると予想していた。
仲間たちには疑念の欠片もない。
龍一と平山の間に立つ大宮が再度確認を取る。仕切り直しだ。
「いいな、武器の使用は禁止。金玉、眼玉も禁止だ。それと平山、相手を殺すなよ。お前は手加減がヘタだから困る」
「おう、努力する――」
「ひぃぃ……」
二人の会話を聞いてた龍一が一歩後ずさった。
平山は、そのようなところが不器用な男である。
いつもやり過ぎるのだ。
「龍~ちゃん頑張って!」
腰が引ける龍一に背後から月美の歓声が飛んで来た。
なんともサッパリとした応援だった。
まるで運動会で家族を応援するような声色である。危機感がないのだ。
月美の隣に立つパンチパーマが月美に話しかけた。
「ね~ちゃん。随分と彼氏に自信あるみてーだな。心配してね~のか? あいつはこれから半殺しが確定なんだぜ?」
「え、そうなの?」
不思議そうな表情で首を傾げる月美。
パンチパーマの言うとおり月美には危機感が感じられない。
「何発も殴られて顔の形だって変わるぜぇ。そんでもってパンパンに腫れ上がって別人みて~な顔になっちまう。カレーパンマンみてーにな。怖くねぇ~のか?」
「まっさか~、龍~ちゃんが?」
「この女、喧嘩を見たことないのか……」
逆にパンチパーマが心配しはじめた。
パンチパーマは思う。
喧嘩が始まって龍一が平山に殴られだしたら、きっと彼女は泣きだすんじゃないかと……。
今度は平山が龍一を飛び越え月美に話を飛ばす。
「随分と余裕だな、あんた。だがよ、俺がこいつをボコボコにして地べたに這いつくばってもストンピングを止めないのを見たら、泣きながらこう言うぜ」
平山が声色を女々しく変えて嘲りながら言う。
「もうやめて~、私のパンツをお見せしますから、もう暴力は止めてってなぁ~。あはははは~~」
周りから「お~~」と声が上がる。
美少女のパンツが見れるかもしれないという期待からだろう。
しかし、月美が可愛く怒って言い返す。
「やだもん! 私のパンツは龍~ちゃんだけが見ていいんだもん。見せて上げてるのは龍~ちゃんだけなんだから。あんたたちになんか洗濯して乾かしている最中のパンツすら見せてあげないもん!」
何を言っていると思い龍一が眉をハの字に曲げる。
だが、突然ながら激昂して平山が大声を上げる。
「おい、てめー!!」
「は、はい……!?」
平山が龍一に詰め寄る。
額に青筋が浮かび、眼球が怒りで赤くなっていた。
「おめー、あの子のパンツをいつも見ているのか!?」
「この前、ちょこっとだけ見せてもらいました……」
「ちょびっと、なのか!?」
「ちょこっとです……。それが初めてです……」
うらやましいようだ。
周りの男たちからもいいな~、と同感の思いが呟かれていた。
「そうか、ちょびっとか。まだ一回しか見たことねぇ~のか……。ならまだ許せる」
ぶつぶつ言いながら平山が元の位置に戻って行く。
興奮が冷めたのか何かを呟きながら一人で納得している。
しかしそこで月美が要らぬことを口走った。
悪気のない天然少女の振る舞いであるが、男たちには問題発言となる。
「何が初めてよ、パンツどころか一緒にお風呂だって入ったじゃない。お泊まりだってちょくちょくしてたし」
燃料投下であった。
「「「「「「「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!」」」」」」」
男たちの絶叫が廃工場を大きく揺らした。
怒ッ怒ッ怒ッ怒ッ怒ッ怒ッ怒ッと建屋全体が震えていた。
月美が言っているのは幼稚園時代の話である。
家が隣同士の幼馴染だ。
小さなころならお風呂も一緒に入ったし、どちらかの家が夜留守にするさいは預けられ一緒に寝たこともある。
「うがぁぁぁぁああああああああ!」
「おちつけー、平山!!」
猛獣の如く飛びかかろうとする平山を大宮が必死に止めていた。
周囲からも龍一に対して罵声が浴びせられる。
鬼畜。糞野朗。女たらし。変態。インポ。などと言いがかりに近い罵倒の中に嫉妬や悔しさが納得いかない思いと共に吐き出されていた。
周りの反応に対して意味がわからないでいる月美がキョロキョロしながら戸惑っている。
罵倒の集中砲火を浴びせられている龍一は、もう死にたいと脱力して涙を浮かべていた。
この混沌の状況下で唯一冷静に振る舞っているのは大蜘蛛達のリーダーである千葉寺カヲルだけであった。
どっしりとソファーに腰掛けたまま微動だにせず、龍一のほうを凝視していた。
その姿には嫉妬も怒りも感じられない。
まるで無関心のようだった。
「バカばっかし――」
千葉寺カヲルが呆れながら呟いていた。
一時中断が続く。
彼女がいない野朗共が嫉妬の怒りを燃え上がらせる。
それを沈めようと奮闘しているのは大宮一人だけであった。
最後まで興奮が止まなかったのは平山である。
それ以外の者たちは時間と共に冷めていった。
逆に悔しさに吼えまくる平山が滑稽すぎで笑い出す始末である。
結局のところ中断時間は三十分にも渡った。
再開するころには、一人で消火作業に奮闘していた大宮が汗だくで息をハアハア言わせていた。
散々騒ぎまくった平山は、さほど体力を消費していない。
さすがは天才スポーツマンである。
豹柄の帽子で顔を扇ぎながら大宮が言う。
「だ、誰か審判を代わってくれ……」
息を切らせながらソファーに腰を下ろす。
審判役にはスキンヘッドの男が志願した。
対戦相手が代わり、審判まで代わる。
龍一と月美が拉致されてから一時間以上の時間が過ぎてようやくタイマンが始まろうとしていた。
一方、建屋の外では――。
「三日月堂、こっちこっち」
ドラム缶の上から手招きするホステス風の女、十勝秋穂。
花巻と秋穂のカップルに三日月堂が合流したところであった。
三日月堂は車の免許を持っていない。彼は近所までタクシーで来たらしい。
「お待たせしました、秋穂さん、花巻くん」
地味な眼鏡に地味なジャケットを着た優男は、草むらの中を地味な足取りで進んでくる。
地味を真っ直ぐ進んだような男であったが、不思議な明るさを照らし出していた。
地味な男だが、ハンサムに見えるのだ。
憎めない魅力があるのだろう。
「二人とも、こんな場所から覗いていたんですか」
「ここは特等席だぜぇ~」
ドラム缶の上から述べる花巻。
その横に、もう一人分乗れるドラム缶がある。
そこに乗れと花巻が指差していた。
「三日月堂。夏姉さんは一緒じゃないの?」
ドラム缶に登ろうとしている三日月堂に秋穂が訊くが、それどころでない様子である。
よじ登るのに手間取っている。
運動神経は高いほうではないのだろう。
運動を怠る社会人生活が長いと、こんなものである。
見かねた花巻が手を貸した。
「あ、ありがとう、花巻君」
「どういたしまして、店長様~」
「それよりさ。夏子さんは?」
少し息を弾ませながら三日月堂が答えた。
「今こっちに向かっているはずです。仕事中だったから抜け出すのに時間が掛かったらしいですよ。メールがありました。お二人には届いていませんか?」
ポケットからスマートフォンを出して画面を確認する二人。
「あ、メール来てたわ。マナーモードにしていたから気付かなかったわ」
言い訳を聞きながら三日月堂も薄汚れたガラス窓から中の様子を窺う。
「ところで状況は?」
「真ん中にいるのが『政所龍一』だ。ソファーに座っているのが千葉寺カヲル。夏子さんが先月から説得交渉している例のヤツだぜ」
「なんか桜ちゃんが念写した写真と違うね……。身形のせいかな、別人に見えるね」
千葉寺カオルのことを言っている。
「まったくだ。本当にスゲー超能力だよ……」
「故に道を違えたら怖い存在なんですよ」
難い口調で言う三日月堂。
「今の状況は、どうなのさ? 暴走族に入って走り回ったり喧嘩ばかりしているのよ。やばくないの?」
「どんな人間でも超能力を得れば使いたくなるのが性だからね。ペナルティーなんですよ。超能力を得た代償が、スリルを求めること。猛スピードで暴走するのも喧嘩に明け暮れるのも、それが原因なんだよ」
「それこそ危険人物じゃないの? さっさと夏姉にキーロックしてもらったほうがいいわよ」
厳しいことを言う秋穂に、言葉だけを返す三日月堂。
真剣な顔で廃工場内を見ている。
「まだ喧嘩レベルで押さえられているし、人を殺すことには興味を抱いていない。ちゃんと分別は弁えている。殺人が重罪だと分かっているのさ。そこまで可笑しくなっていないんだよ」
「そうなんだ」
安心したのかサラリと言う秋穂。
彼女の超能力は嘘発見能力である。
その能力が三日月堂の発言に嘘がないことを見抜いたのだ。
そして彼女は知っている。
三日月堂の人を見る眼力は確かだと──。
それは超能力ではない。
生まれつき持ち合わせた才能を独自に磨き上げたものである。
「ところであの少年が『政所龍一』君ですか?」
廃工場内中央に立つ少年を見ながら三日月堂が二人に問う。
花巻と秋穂が揃って頷いた。
三日月堂から見た龍一は、オールバックの男と向かい合い兎のように怯えていた。
自分が知っている『リュウジ』と比べて顔は似ているが、印象が全然違って見えた。
『リュウジ』のほうは凛々しく男らしい印象が強いのだ。
三日月堂は、心の中で呟いた。
やっぱり別人なのか……。
と────。




