2・ここから始まる物語は変態道に続く
頭の中の霧が晴れていく。
耳に町の雑音が蘇りだした。
目の前には、あの婆さんが居た。
呆け眼の龍一を、椅子に腰掛けたまま満面の笑みで見上げている。
龍一は霞んでいた目を擦った。
「い、いまのは……」
純白の空間に現れた双頭のドラゴン。
そして、パンツの雨。
この婆さんが本当に超能力をプレゼントしてくれたのならば、あれは幻や夢の類いではないだろう。
自分で見たのだ。
確信できる。
あれは現実だ。
ツインヘッドドラゴンとパンツ。
おそらくあれは、龍一が授かった超能力と、新たなる趣味の片鱗。
超能力と変態趣味のイメージだろう。
「いまの双頭龍は……」
「うふふ」
ツインヘッドドラゴンはカッコ良かった。
しかし降り注ぐ沢山のパンツは……。
それを思い出した龍一の顔が、不安に濁る。
「どうかしら?」
龍一を見上げる老婆が言った。
その言葉に龍一は惚けた回答を返す。
「どうかって……?」
「何か変わったかしら?」
「んん……」
自分の両掌を眺める龍一だったが、何か変化があったようには感じられなかった。
「超能力が、本当に授かったのでしょうか?」
「そうじゃなくて」
首を傾げる龍一。
「な、何がですか?」
「私を見て、トキメキを感じないかしら?」
「ときめき……ですか……?」
苦笑いと共に訊き直す龍一。
トキメキ──。
そんなものは微々たりとも感じるはずがない。
眼前に居るのは自分の年齢よりも数倍以上も生きてきた老婆だ。
世代が二つか三つは違うだろう人生の大先輩にトキメキなんて微塵も感じるわけがない。
しかし老婆は、何かを期待するような眼差しで龍一を見上げている。
その瞳には恋する乙女の輝きが見え隠れしていた。
「そう、トキメキよ。私を見て、キュンと来ない?」
キュンっとなんてしない。
「きませんが……」
龍一が素直に答えると、老婆の顔がどんよりと曇り出す。
肩から力が削げ落ちる。
落胆に沈む様子がよく分かった。
「またハズレなのね。今度こそうまくいけばと思ったのに……」
そう呟きながら椅子から立ち上がった老婆は、そそくさと後片付けを始める。
椅子から立っても、座っている時と背丈が変わらない。
かなり矮躯のようだ。
椅子や机を折りたたみ、水晶や行灯を鞄の中に仕舞いだした。
「ど、どうしたんですか……」
「今日はもうおしまい。疲れたから帰るのよ……」
後片付けを終えた老婆は、荷物を背負うと駅のほうに歩き出した。
龍一は、とぼとぼと歩く老婆の後姿を見送る。
老婆も疲れたと言っていたが、何故か龍一も疲労感を強く感じていた。
体全身が重いし、まだ頭に靄が掛かっている気分が続いていた。
「ふぅ~……」
深い溜め息が出る。
ガラス越しに本屋の店内を覗き込むと、三日月堂の店長さんが本棚の整理をしているのが見えた。
「今日はやめておこうか……」
立ち読みが目的で三日月堂書房に立ち寄る積りだったが、ここまで来て気分が乗らない。
龍一は、踵を返して駅を越えるための跨線橋を目指す。
帰宅の路に着くまでの道中、龍一はずっと考えていた。
自分が得た超能力とは、いったいなんだろうか?
老婆曰く、どのような能力に目覚めるかは分からないとのことだった。
サイコキネシスやテレパシーのような、オカルトでもポピュラーなものだろうか。
それとも厨二っぽい個性的な能力だろうか。
スタ○ドやミュータントのような能力だろうか。
もしかしたら○輪眼とかギ○スとか……。
まさか完璧なチート能力とか。
まあ、それはないだろう。
それに強い弱い、使える使えないも大きな問題だ。
せっかく得た超能力でも、鉛筆を転がす程度のサイコキネシスや、長年連れ添った夫婦が「あれ取ってくれ」と言ったら「お醤油ですね」みたいな返しが来る程度の阿吽なテレパシーではガッカリにもほどがある。
だが希望は白昼夢で見たツインヘッドドラゴンだろう。
きっと自分に目覚めた超能力は、ツインヘッドドラゴンに関係した能力だろうと思う。
しかし一方で不安なのは、降り注いできた色とりどりの女性用パンツである。
新しい趣味が同時に不安を扇いだ。
「パンツか……」
呟きながら視線が近くを歩く女性に向けられた。
どこかの会社員であろうか。
二十歳ぐらいの女性が、スーツに短いタイトスカートを穿いて龍一の前方を歩いていた。
自然と龍一の視線が女性の下半身に向けられる。
スカートから伸び出る美脚が綺麗だった。
ヒップも形が良い。
いったい彼女は、どのようなパンツを穿いているのだろうか。
やはり大人っぽいレースのパンツだろうか。
白だろうか、黒だろうか、それとも情熱の赤だろうか?
ノーパンなんて有り得ないだろう。
そんな変態だったらガッカリする。
パンツは文化人の嗜みとして穿くべき代物だと思う。
それはもうマナーとも言えよう。
龍一は、そのような妄想を巡らせながら真っ直ぐに歩く。
しばらくすると女性は龍一が向かう道とは別のほうに曲がって行った。
何故か名残惜しさを感じる。
しばらくタイトスカートのお尻を見送った。
今度は前方から自転車に乗った他高の女子生徒が走って来る。
短いスカートが、風に靡いてきわどく揺れていた。
見えるか!?
心で叫んだ龍一の姿勢が若干ながら沈む。
さりげなく、できるだけさりげなく、好奇心のままに行動する。
違和感のない程度に膝を曲げて腰を落とす。
「ちっ、残念……」
見えなかった。
龍一とて年頃の高校生だ。
異性に興味ぐらい抱く。
しかしここまで異性のパンツが気になることはなかった。
まだ龍一は、自分の中に芽生えた新たなる興味に気付いていない。
そして、住宅街に入った龍一の周りから人気が途絶える。
静かな住宅街では殆ど人とはすれちがわなかったため、再び超能力について考え始めた。
作戦を考える。
一つ一つ自分が知りうる超能力のタイプを、潰していくように試してみるしかないだろう。
それで自分の超能力が、なんなのかが判明するかも知れない。
自室に帰れば様々な超能力を記載した本が幾らでもある。
結局あれこれ悩んだ結果、自宅に到着するまでには何も回答が出なかった。
「まあ、焦ることはないよな――」
そう言いながら龍一が玄関のノブを捻ろうとした瞬間、唐突にカシャリとカメラのシャッターを切ったような音が聴こえた。
「んん?」
後ろを振り返る龍一。
誰もいない。
なんだろうと思い周囲を見まわすが、これといって不審なところは見当たらない。
静かな住宅街だ。
辺りの色が夕焼けのためにオレンジ色に染まりかけていた。
いつもと変わらない近所の景色が見えるだけで、歩いている人すら見当たらなかった。
「空耳かな――」
気のせいだろう。
そう思った。
龍一は玄関の扉を開いて「ただいま~」と声を張る。
するとキッチンのほうから母が「おかえり~」と明るく声を返して来た。
そのまま階段を駆け上った龍一は、自室で制服から私服に着替える。
そして、ぎっしりと詰まった本棚の前に仁王立ちした。
「え~と、これとこれと……」
数冊の本を手に取ると、ベッドに寝そべった。
どれもこれも幾度と読み返した超能力研究者の本である。
オカルトめいた内容から、超能力を科学の目線から集録した本まである。
「参考になるだろうさ――」
龍一は夕食までの時間を、結局読書に費やした。
窓の外は、もう暗くなっていた。
時計の針は、七時を指している。
二十分ぐらい前に姉も帰ってきた様子だった。
そろそろ父も帰宅する時間だろう。
「もう、こんな時間か――」
もうそろそろ夕食だろうと部屋を出て一階に降りて行く。
結局、自分の超能力が何かは分からなかった。
なんの結論も出ない。