17・裏切り
そわそわする龍一。放課後が待ちきれない。
買い物が――。
月美との買い物が――。
駅前デパートに隠された男子禁断の楽園。
女性用下着売り場に咲き誇る多彩且つ芸術的な天女の羽衣を鑑賞するのが――。
――待ち遠しい。
龍一の頭の中では、様々な空想が混沌と渦巻いていた。
学校に到着して一時間目から授業の内容が頭に微々たりとも入って来ない。
終礼の鐘の音を聴き休み時間になっても、今まで受けていた授業の科目がなんだったかも思い出せない。
次の授業が何かも考えず準備を行わない。
ただただ色鮮やかなパンティたちが、極楽鳥の如く脳内を飛び交っていた。
心中のハッピーが止まらない。
時間を長く感じたが、気が付いた時には昼休みになっていた。
卓巳が弁当を食べようと机を寄せてくる。
しかし母の愛情弁当も今日ばかりは喉を通らない。
食欲よりも性欲なのだろう。飯よりパンツなのだ。
「なんだ、龍~。食欲ないのか?」
卓巳が訊いてくるが龍一は「あ~」と、気の抜けた返事しか返さない。
オカズのタコさんウィンナーを箸でつっつくばかりである。
例え龍一がパンティー楽園のことでモンモンとしながら理想郷を思い描いていようとも時は刻々と過ぎて行く。
あとはホームルームを残すばかりだ。
それで本日の高校生活は終了して、帰宅部の一員である龍一に自由な時間が与えられる。
そして帰宅前に月美と駅前で合流。
ルンルン気分を隠しながらデパートにGOである。
そこには待ちかねた約束の大地がまっているのだ。
ガンダーラが巨大な門を全開に龍一を待っている。
しかし人生とは、そうそう甘くない。
試練はラストのホームルームに訪れる。
それは担任教師のまなみちゃんの一言から始まった。
「なあ、政所。今日の放課後、資料室に荷物を運ぶのを手伝ってくれないか?」
サバサバとした口調で言い出した言葉に龍一の表情が凍りつく。
今日は委員長が風邪で休みであった。
そのために白羽の矢がお人好しの龍一に向けられたのであろう。
だが、このタイミングで有り得ない。
いつもの龍一ならば問題なく手伝っただろう。お人好しだから──。
しかし今日だけは駄目である。
何が何でも駄目である。
絶対に駄目である。
「すみません、先生。ちょっと今日は用事がありまして……」
「あぁ~~ん?」
不満そうな顔をする女教師が何故にと問う。
「なんだ、用事とは? 先生のお願いよりも優先される内容か?」
「はい!」
力強い拒否の返答にまなみ先生が目を丸くさせる。
クラスメイト全員が龍一に注目した。
普段は控えめである男子生徒の主張に、男らしさを感じて驚いている様子だった。
しかしながら男らしさでは負けず劣らない女教師が、驚きから瞬時に体勢を立て直して攻め立ててきた。
「随分と凛々しい返事じゃないか、政所。いつもはなえっとしているお前にしては珍しい態度だな。そうなると先生も無理に雑用を手伝えとは言えないな。だがしかし、是非とも理由を詳しく聞いてみたいものだ。なあ、政所」
まなみ先生は、台詞の最後で意地悪い笑みを見せていた。
クラスメイトたちも担任教師に同意権なのだろうか、頷く者も何人かいた。
困ったのは龍一である。
どう返答したら良いものか悩んでしまう。
まさか本当のことは言えない。
幼馴染の女の子とパンティーを買いに行くとは、口が裂けても言えないだろう。
「えぇ~と……、あ、あのですね……」
龍一の態度がいつもの頼りないものに戻る。
どのように言い訳しようか悩んで出た言葉は、しどろもどろにどもってしまっていた。
弱気が露見してしまう。
龍一が困り果てていると、そこに割って入ったのは親友の卓巳だった。
しかしそれは、助け舟ではなく、更に龍一を窮地に追い込む言葉であった。
「先生、こいつ、今日デートなんですよ。だから勘弁してやってください」
卓巳に悪意の欠片もない。善意で述べているのだ。
驚愕の表情で「裏切ったな!」と、心中でツッコミを入れた龍一が、親友を驚愕の眼差しで睨みつける。
信じられないと涙を流していた。
他の男子生徒全員は「嘘だろ!」と叫んでいた。
何故になよなよの龍一が女の子とデートなんだと疑問を憤怒に変える。
俺に彼女がいないのに、何故にあいつに彼女がいるのだと怨念が黒いオーラとなって教室のあちらこちらから燃え上がり揺らいでいた。
教室内の空気に邪気が漂い始めていた。
どよどよと曇り出す。
「ほぉ~、政所はデートなのか――」
まなみ先生の顔が氷河期の如く冷たい表情に変わっていた。
口から放たれた言葉にシベリアの吹雪が混ざっているような極寒の冷気が感じられる。
まなみ先生にも彼氏がいない。
長いこと──。
だから教え子が恋仲満喫中というのが腹正しいのだ。
露骨な嫉妬である。
「ほほう、小笠原。ならば今日の雑用、政所に代わってお前が手伝うか?」
これは振りだと全員に悟れた。
「先生すみません。僕も今日はバンドの練習があるので残れません……」
卓巳が断るのは当然の流れ。
次にまなみ先生が述べる台詞も予想が出来た。
皆がそれに身構える。
「じゃあ、誰か残ってくれる者は?」
担任教師の申し出にクラスメイト全員が言い訳を連ねる。
部活があるから。
塾があるから。
母に買い物を頼まれているから。
お爺ちゃんの介護があるから。
犬の散歩があるから。
妹を幼稚園まで迎いにいかなければならないから。
嘘か本当か様々な内容で拒否を並べる。
「そうか、皆やはり学生とはいえ放課後は忙しいか……。だが、誰か一人には残ってもらいたい。そうなると、一番緊急性のない人物の用事を我慢してもらうしかないだろう」
クラス全員が担任教師の言葉に頷く。
「そうなると誰に我慢してもらうか、適任者は誰だと思う?」
クラス全員が同時に片手を高くピンっと上げた。ナチス軍人の敬礼のように揃っている。
そして述べる。全員の言葉かハモっていた。
『政所君が、一番いいと思います!』
全員の揃った声に教室が揺れた。――ような気がした。
それだけ悪意がこもっていたのだろう。
「ひでぇ! あんまりだ!!」
大声と共に机を叩いた龍一が立ち上がる。
しかしその程度の威嚇で誰一人として臆することは出来なかった。
まだまだ攻め立てる独身女教師まなみ先生の追撃。
「で、政所。私は担任教師として是非とも訊きたいのだが、先生の手伝いを差し置いて出かけなければならないデートの相手とは誰なんだ?」
途中で明らかに話の流れが意図的に変わった。
私的な好奇心がありありと窺える。
クラスメイトたちは「ナイスまなみ先生!」と思っていた。
皆が訊きたかった疑問である。
どこの誰とデートなのか知りたいのだ。
「うっ……」
勢いよく立ち上がった龍一の腰が引ける。そこまで追求されるとは思わなかったのだ。
「そうか、答えたくないか。詰まらんな……」
諦めてくれたのかと安堵する龍一だが、そんなわけがない。
まなみ先生の質問は、卓巳に飛んで行った。
「小笠原、お前は知っているのだろ。吐け。吐かねば今日の手伝い、お前に任命するぞ」
脅迫である。
その脅迫に卓巳は一秒も耐えなかった。
速に吐く。
「幼馴染の女の子です!」
「ゲロるの速い!!」
突っ込む龍一も速かった。
「もっと詳しく!?」
更に攻めるまなみ先生に卓巳はどんどんとゲロる。
「隣の家に住んでる同い年の女の子で名前は月美ちゃん。高校は隣町の後母等女子高です。ボーイッシュ系王子様キャラで女子生徒に人気が高いスレンダーな美少女です。おそらく両思い!」
「てめー、何ガロン分ゲロるつもりだよ!!」
いきなり男子生徒Aが起立する。
「先生!」
「なんだ、A君?」
A君はモブキャラである。
「彼女がいない暦と人生を歩んできた年数が同じだけ永い僕の話を聞いてもらえますか!?」
「いいだろう、言ってみろ」
男子生徒Aは、怒りから沸きあがる興奮を堪えるように語りだす。
「僕はとても彼女が欲しいです。そして彼女がてきるように、それなりに努力をしてきました。中学時代には、好きになった女の子に告白するのが照れくさくてラブレターを書いたことが何度かあります。そして振られました。返事が返ってくることなく、無視されました。だからそれでは駄目だと思い、高校生になってからは直接告白するという誠意と情熱を持ってチャレンジしてきましたが、いまだ薔薇色の不順異性行為に雪崩れ込むことはありません!」
全員がだからどうしたと言いたげな表情でA君の話を聞いていた。
「ですが、僕は信じています。こんな僕でも努力すれば、絶対に彼女ができると。それが、どんな女の子かは分かりません。普通の女の子なのか、美少女なのか、不細工なのか、年下なのか、年上なのか、ロリロリなのか、二次元なのか、人妻なのか、未亡人なのか、動物なのか、どんな彼女ができるか分かりませんが、こんな僕でも絶対に彼女ができると信じています!」
A君の熱弁に、若干だが彼女にしては問題があるものも混ざっていたが、ネタだと察して誰もつっこまない。スルーされる。
「望んで努力すれば、どのような理想的彼女だって作れると思っています。望んだ彼女とラブラブな恋物語を心に刻むことだって可能だと思います!」
「なにが言いたいのだ。率直に述べろ」
痺れを切らしたまなみ先生が怪訝そうに言った。
「はい、先生……。では、率直に言います。僕が言いたいのは、努力すれば今からでもどのような恋愛でも可能だということです……」
「はあ……。それだけか、つまらん。座りなさい」
「座りません! まだ本題はこれからです。言わせてください!!」
皆が疎ましく男子生徒Aを見ていた。
「僕が言いたいのは、政所が妬ましいのです!」
今現在、彼氏彼女がいない者たちが同じである。この生徒に言われるまでもない。
「政所は、僕が、否、僕たち全員が、どんなに努力しても生涯手に入れられない愛の形を手に入れたからです!」
「それは、どのような形だと言うのだ?」
まなみ先生が、皆の代表として訊く。
「それは、恋人が幼馴染という現実です。これだけは生まれついての奇遇でしか成り立たない愛の形。百人の女性と付き合ったことがあるプレーボーイでも、過去に幼馴染が存在しなければ口説くことすらできません!」
男子生徒Bが述べる。
「なるほど。ビアンカと結婚できる権利を政所は持っていて、俺たちは持っていないと言うことだな!」
「あぁ~!」と、男子生徒たちが頷きながら声を上げた。
「そうだ、皆わかったか。政所だけがビアンカを蹴って、金持ち令嬢のフローラと結婚する権利を持っているんだぞ!」
「ビアンカを振ってフローラを取るなんて、貴様は金の亡者か!?」
「うわぁ、ひでえ男だな~」
「俺、ドラゴンボールを七つ集めたら、幼馴染の恋人ができるように願おうかなぁ」
「いいね、それ」
「そんなことは、どうでもいい!」
ドンッと、教卓を叩くまなみ先生。
気迫が衝撃波となって教室に広がった。
「座れ、馬鹿者!」
一喝された男子生徒Aが怯えながら腰を下ろした。
とりあえず言いたいことは言い切った様子でもある。
「お前たちが恋愛に関してどのように考えているかは良く分かった。それを統括する限り、政所が雑用の手伝いを断ることが許されないで決定するが、異論を唱える者はいないでいいな!?」
「異議なし!!!」
全員が声を揃えてまなみ先生の凶行に同意した。
龍一を除いてであるが――。
「そ、そんな、ムチャクチャな……」
がっくりと肩を落とす龍一。
結局放課後に、雑用を手伝わされるはめとなる。
龍一が隙を見て月美にメールを送った。
学校の用事で少し遅れるという内容で文面を送ったところ月美から送られてきた返信は、じゃあ駅前のコンビニで雑誌でも読みながら待っているといった内容だった。
ほっとする龍一。
楽園への希望が繋がったことで、龍一のやる気が復活する。
とっとと資料室に荷物を運び込もうと燃え上がった。
作業に全力を尽くす。




