12・黒い大蜘蛛たち
龍一がジャイアントスパイダーズの一員を殴り倒した晩の話である。
「今、何時だべぇ?」
実際の時計の針は九時を少し過ぎたぐらいを指していたが、うんこ座りで屈む不良少年が見上げた埃まみれの壁かけ時計は、十二時三十四分四十六秒を指したところで止まっていた。
壊れている。
ここは素度夢町の外れにある廃工場であった。
広い工場内は、やたらと埃臭い。
窓ガラスは薄汚れ皹が走っているか、無残に割れているかのどちらかである。
屋根も何箇所かトタンが剥がれて夜空の星が綺麗に窺えた。
その廃工場の広間に、何処からか持ち込んだボロボロのソファーセットを並べて寛いでいる集団がいた。
柄の悪い少年の一団である。
人数にして二十人はいるだろうか。
全員が身形を黒い革ジャンと黒い革パンツ姿に統一している。
背中には、大きな蜘蛛が刺繍されていた。
「今、九時ちょっと過ぎぐらいかな?」
答える男は自分の手首を見ていたが、腕時計を嵌めていなかった。
隣の男が時計を付けていない手首を覗き込みながら言った。
「時計してねーじゃん。なんでわかるん?」
「腕毛の伸び具合で分かるんよ」
「嘘つけ!」
「ほれ」
別の男がスマートフォンで時刻を見せてくれた。
「九時一分……。当たってる」
「だろー」
腕毛男が満面の笑みを浮かべた。
頭の悪そうな口調で雑談に花を咲かせる不良少年たち。
だが、全員が強面揃い。
その中でもソファーセットに座る三人は、更に強面で各違いのオーラを醸し出していた。
ソファーセットからあふれた面々は、錆びついたドラム缶や木箱に腰掛け、更に座る場所のない小者連中は、うんこ座りでソファーセットを囲んでいた。
ソファーセットに座るのは、凶悪凶暴で名高いジャイアントスパイダーズの幹部である。
そのような廃工場内で、同じ革ジャン姿でありながら、ひとり埃が溜まる冷たいコンクリートの床に、正座をさせられている男が居た。
夕方、龍一にKOさせられたリーゼントの男である。
名前は高田。
龍一に殴られてできたのだろう、顎先が紫に変色している。
ソファーに座るオールバックに眉なしの男が、首だけを横に向けながら、正座をするリーゼントの男に声を掛ける。
なんとも忌々しいしゃべりかたであった。
「なぁ、安田。てめぇ、なぁにやってんだ、え~」
オールバックの男が凄んで言うと、ソファーの後ろからスキンヘッドの男が耳打ちする。
「あいつ、安田ちゃいます。高田です……」
少し間を置いて。
「なぁ、高田。てめぇ、なぁにやってんだ、え~」
オールバックが何事もなかったように言い直すが、それについて誰もツッコミを入れなかった。
リーゼント高田は、正座の姿勢で俯いたまま「すみません……」と、弱々しく答える。
今度は別のソファーに腰掛けていたサングラスに豹柄のウールハットを被った男が訊く。
「駅前で喧嘩して、負けたって。どこのどいつにだ?」
リーゼント高田は更に弱々しい小声で答える。
「制服が、蓬松の物でした……」
「蓬松高――。なんであんなヘタレ高の奴に負ける?」
「そ、それが、不意を突かれまして……」
オールバックが言う。
「喧嘩だ。不意打ちも糞もねえよ。言い訳にならんわな」
一番大きなソファーに一人で腰掛ける大柄の男は、だまったまま三人の話を聞いていた。
大男は両腕で両膝に頬杖をついていたが、それでも体がかなり大きいのが分かる。
しかも、ボディービルダー並みの筋肉質。
胸は巨乳を押しつぶしたように分厚い。
腕も足も首ですら引き締まり太い。
その剛力を生み出しそうな筋肉を、黒い革ジャンに無理矢理閉じ込めていた。
首まで上げられたジッパーが壊れそうである。
だが、体躯とは裏腹に顔は面長で美男である。
長い黒髪は艶やかで腰まで長く、凛としていそうな眼差しをサングラスでクールに隠していた。
悪ぶっていなければ、相当のモテキャラ美男子に思える。
そして、ふかふかのミンクの黒コートを羽織っていた。
かなり高級そうな毛並みである。
この人物が、ジャイアントスパイダーズの二代目リーダーの『千葉寺カヲル』であった。
後々に龍一とも激突し、様々な人物のライバルとなる登場人物である。
「でも、いきなりすぎて……」
サングラス越しに向けられる大男の威圧的な眼差しを感じながらリーゼント高田が言い訳を続ける。
「カツアゲしようと小道に連れ込むまでは、兎のように震えていやがったんス……」
「てめーは、兎に負けたんか……」
オールバックが呆れ顔で言うと、それにリーゼント高田が更に言い訳を連ねた。
「それが、あの野朗、外見は普通の高校生風なんですが、明らかに何かの格闘技をかじってそうで……」
周囲からは「なさけね」や「まぬけ」などと侮辱的な言葉が囁かれていた。
好き勝手にしゃべり出す面々たち。
だが、たった一言がざわめきを打ち消した。
「面白い」
大柄のリーダーが初めてしゃべった。
囁きに近い小声であったが、それだけで皆が黙る。
体格には似合わないが、伸ばした黒髪のように艶やかな美声であった。
おそらくは、高田が述べた『格闘技』というキーワードに反応したのだろう。
その一言から豹柄の帽子を被った男が腰を上げる。
「うし、お前ら。明日、そのガキを引っ張って来い。締めるぞ。いいな!」
喝を入れるような怒声に近かった。
下っ端連中が、各々了解の返事を返す。
全員の返事を確認した豹柄帽子の男が、腕時計を見て言った。
「じゃあ、明日の午後一時に、素度夢駅前に集合だ。兎がりだ!」
意気込む大宮の前にして、うんこ座りの一人が手をあげる。
「なんだ?」
「大宮さん、時間、早くねっすか~。俺、起きれっかな~」
「そうか、じゃあ二時に変更だ」
「おれ、二時までバイトなんで、間に合わねっスよ~」
「じゃあ、お前はバイト終わってから合流な」
「大宮さん、俺二時から犬の散歩に行かないといけないんスけど~」
「おかんに代わってもらえよ!」
「俺も幼稚園の妹を迎えに行かないといけないんスけど~」
「じゃあ妹を迎えに行けよ!」
「連れて来てもいいスか~」
「それは駄目だろ!」
うんこ座りのメンバーがざわめく。
「あいつの妹見て見てーなー」
「俺も見てー。可愛いのか?」
「俺の妹なんだから、可愛いに決まってんだろ!」
「俺、見たことあるけど、将来の希望がないぐらいブッサイクな幼稚園児だったぞ。こいつと同じ顔してたしよ」
「人の妹捕まえて何をぬかしてやがる、ぶっ殺すぞ!」
「可愛くねーのかよ。明日やる気なくなったわ~」
大宮が眉間を揉む。
「こいつら馬鹿ばっかだ……。頭痛くなってきた……」
「大宮さーん」
また一人が手を上げた。
「なんだ?」
「大宮さん、眠いんで、俺、帰るっス」
「ああ、帰れ帰れ。俺も帰るから……」
こうして凶悪不良集団ジャイアントスパイダーズの集会は終了する。
「明日、何時集合って言ってたっけ?」
「確か……、ここに三時集合じゃなかったっけ?」
「俺、起きれるかな~」
リーゼント高田が呟く。
「俺、正座やめていいスか……?」
リーダーの千葉寺カヲルが、美少年役声優のような声で小さく呟いた。
「だめ……」
リーゼント高田のお仕置きタイムは、もうしばらく続いた。




