11・それぞれの勘違い
自宅に帰った龍一は、家族団らんの食事を終えると、少し熱めの風呂に浸かりながら考え込んでいた。
姉の機嫌は、直っていなかった。
龍一が不良少年を殴り倒して帰宅した直後に、姉の虎子と玄関ででくわしたのだ。
姉も会社から帰宅した直後だったようだ。
龍一が暗い顔で謝罪を述べたが、聞いてもくれなかった。
ヒールを脱ぐとすぐさま二階の自室に駆け上がって行ってしまう。
食事の際も家族全員の前で再び謝罪を述べたが無視された。
父や母は無視を決め込む姉の虎子に対して、龍一に味方するような言葉をかけてくれていたが、やはり姉の怒りが収まる素振りはなかった。
姉の虎子は、食事を終えると何も言わずに二階の自室に帰ってしまう。
そして部屋に閉じ籠もりそれっきりだ。
食卓を囲む三人に、ただただ気まずい空気だけが残ってしまう。
食後風呂に入った龍一は、湯煙が溜まる天井を眺めながら、当分このような状況が続きそうだと予感を強めていた。
「虎ねーちゃんの機嫌が直るまで、少し待とうかな……」
下唇が湯に浸かる寸前まで体を沈めた龍一が、ぽつりと呟いた。
湯船は暖かいが、心が若干寂しく寒さを感じる。
「それとも、顔を合わせる度に謝ろうか……」
自分で言ってから龍一は、あとの意見のほうが良いだろうと思う。
ひたすら何度でも謝る──。
そのほうが誠意ある謝罪ではないかと考えた。
「虎ねーちゃんに、嫌われっぱなしは嫌だよな……」
昔のことを思い出す。
小さなころだ。
姉とは四つ歳が離れていた。
それでも小学生ぐらいまでは、姉や幼馴染の月美とでよく遊んだものだった。
女の子がするようなママゴトやゴム飛びなどもやったが、どちらかといえば男の子がやるような遊びが多かったと思う。
幼いころからボーイッシュな月美は勿論ながら、男勝りな気立ての姉であったから、やんちゃな遊びが多かったのだろう。
鬼ごっこや隠れんぼ、野球やサッカー、木登りもよくやった。
隣の町内の悪ガキたちと喧嘩もやった。
子供同士の喧嘩の想い出だ――。
姉は度胸が据わっていたし、月美は運動神経が異常に良かった。
だから女の子にも関わらず男の子と対等に喧嘩が出来た。
度胸も運動神経も乏しい龍一は、それを後ろからいつも見ているだけだった。
勿論、応援はした。
そんな自分が情けないと思うことより、二人の強さに憧れたものである。
姉の虎子は、弟の龍一に対して、いつも優しく、暖かく、時には意地悪だったこともあったが、弟思いの素晴らしい姉だったと思う。
龍一は、そんな虎子を慕っていた。
正確に言えば、姉に恋をしていたのかもしれない。
幼馴染みの月美よりも血の繋がった姉の虎子に恋をしていたのかもしれないのだ。
勘違いかもしれないが、それが初恋だったのかもしれない。
でも、中学二年の頃に姉はグレた。
見事に不良少女に転身した。
制服も乱れ、髪を金髪に染め、化粧も濃くなり、ポケットの中にはいつもメリケンサックが隠されてあった。
噂で聞いたが素度夢町で一番強いスケ番だったとか――。
しかし、姉も女性である。
乙女であった。
高校生になった姉は、クラスの優等生に恋心を抱く。
以来、急に不良生徒を卒業して真面目な女性に戻った。
ちょっと強気な女性にだ。
周囲の驚きを余所に、二人はカップルになった。
だが、半年もせずに二人は別れる。
姉が振られたのだ。
噂でしかないが、姉を振った男は、現在のところドラム缶にコンクリート詰めで海に沈んでいるとか、いないとか……。
姉は真面目を装っていたが、裏でスケ番を続けていたのだ。
激昂した姉に始末されたとか、姉を慕う不良たちに始末されたとか、色々な噂が流れたが――、真相は不明である。
そのあとも姉は、真面目な仮面を被ったまま高校生活を送り続け、影ではスケ番としての顔役を務め続けた。
しかし失恋がそうさせたのだろうか、男性を避ける傾向が見られ始める。
龍一とも会話が少なくなった。
彼女のほうが弟を避けている様子だった。
それもここ最近では、随分と直った感じで、昔の様に仲良く会話をするようになっていたのだが……。
龍一が姉のパンティーを鑑賞する現場を見られて、ぶり返してしまっている。
「そうだ……、もう一人怒っている奴がいたっけな……」
もう一人とは、幼馴染の月美である。
「まあ、月美はいいか。あれは、いつも気まぐれだ。謝れば直ぐ許してくれるだろう」
甘い考えであるが本当である。月美は、そのような女の子である。
湯船から左手を出すと龍一は力を込めて拳を握り締める。
今度は今日行なった喧嘩のことを思い出す。
「あれは……、あれが、超能力なのか?」
人気のない路地に連れ込まれてカツアゲされた。
その相手に感じた違和感――。
相手の爪先、小指に落とした踵蹴り。
一撃で相手をKOさせた、左のフック。
そのどちらも自分で模索した攻撃と呼ぶよりも、何かに導かれるように出した答えを、その者に操られて繰り出したような感覚だった。
何より度胸も運動神経も少ない龍一に、不良少年を殴り倒せるはずがない。
今まで喧嘩で勝ったどころか、ろくに暴力すら振るったことがないのだ。
それが、あの時――。
攻撃ポイント、相手の隙、弱点を感じ取り、更に一番有効な最大限に威力を発揮する攻撃方法をインストールされた感覚だった。
そして体が勝手に動いた。
結果、不自然なまでの勝利。
それが、龍一が感じ取ったすべてである。
「俺が、あの婆さんから貰った超能力って……、これなのか」
龍一の推測が正しければ、己に授かった能力は、相手の弱点を自動的に知り、その対処法を実行する完全なる戦闘用のスキルだ。
「嬉しく……、ないな……」
今更、喧嘩が強くて何になる……。
幼いころは自分も強くありたかったが、今は違う。
超能力に憧れていたが強くなりたいからではない。
ヒーローに、正義の味方に、最強の戦士になりたいわけではなかった。
山男が山に登る理由は、一つだ。
そこに山があるからだ。
龍一が超能力を欲しがった理由は、憧れた理由は、それと類似する。
そこに、超能力があるからだ。
だから得た超能力で、人助けに励む気もなければ、悪用して利益を得ようとも考えていなかった。
ただただ、研究したかったのだ。
超能力を学問として研究したかったのだ。
「ふぅ~、のぼせそう……。そろそろあがろうか」
風呂からあがった龍一は、寝巻きに着替えてから脱衣所を出て行く。
まだ湯気をあげる髪をバスタオルで拭きながら廊下を歩いていると、父の源治がリビングから出て来た。
片手には本屋の紙袋を持っていた。
龍一がよく通っている駅前の本屋、三日月堂の紙袋である。
「龍一、ちょっといいか?」
「なに、父さん?」
父は廊下まで出てくると、手に持った紙袋を龍一のほうに差し出した。
中には何かの雑誌が入っている様子であった。
本屋にちょくちょく通う龍一には、紙袋のサイズと厚みで、それが何となく悟れた。
「これをお前のために買って来た。お父さんからのプレゼントだ」
「プレゼント?」
珍しい話である。
硬派な父は誕生日にもクリスマスにもプレゼントをくれない。
いつも母が気を配って夫婦からと言ってプレゼントを用意してくれている。
そんな父がプレゼントとは驚きにも近いことだ。
「母さんには内緒だぞ」
父は真剣な表情で言った。
「私がお前ぐらいのころに、同じような想い出がある。若いとは、そのような事柄との格闘ともいえよう」
「格闘?」
父が差し出した紙袋を受け取りながら龍一は、首を傾げた。
格闘と述べた父の言葉から袋の中の本は、何かの格闘技雑誌なのかと考えた。
そのまま紙袋のセロハンを剥がして中の本を覗き見ようと口を広げる。
「龍一、お前の趣味がどうであれ男である以上は当然のことだ。だがな、実の姉は駄目だ」
何を言っている、父よ、と心で思う龍一。
「お前の好みが年上の女性でも、我慢が肝心だ。それで暫くは我慢しなさい。その我慢に耐えられないなら、早く彼女を作りなさい」
父の言葉を聞きながら紙袋から雑誌を取り出した。
「ぇ!?」
エロ本だった……。
タイトルは『どきどきおねーさんの誘惑白書』である。
表紙には、おねーさん系の女性が卑猥なポーズで写っていた。
踵を返す父が渋く呟く。
「隣の月美ちゃんが、虎子のようにエロイタイプの娘さんだったら、私も苦悩せずにすんだろうにな……」
父の源治は母のつかさが待つリビングに帰って行った。
「父さん……、貴方は勘違いしています。何かを勘違いしています……」
今度は龍一が呟くが、それは父の耳には届かない。
溜め息をついた龍一が、階段をあがって自室を目指す。
それでも父のプレゼントを、ちゃんと部屋へと持ち帰るのであった。
部屋に帰りベッドに寝そべる龍一は、早速父のプレゼントを鑑賞し始めた。
「おお、これは……、なんとも……」
おねーさんがたの全裸ヌード写真には、大きな興味が湧かない。
それでも数あるページの中には、全裸じゃないヌード写真も多々あった。
なんともセクシーなランジェリーを身に纏った女性たち。その下着が龍一の扇情を煽る。
たまらない!
そこには天国が広がっていた。
セクシーパンツの楽園である。
――刹那。
ガラガラガラ!
「えっ!?」
突然、窓が開いた。
いや、開けられた。
隣に住む幼馴染の月美である。
「り、龍ちゃん……。叔父さんから何貰って読んでるかと思ったら、え、え、えっちな本だなんて……」
呆然とした表情で述べる月美は、随分と幻滅したような声色で言った。
「いやいやいや、これは違うんだよ!」
焦りながらも言い訳に戸惑う龍一は、咄嗟に見ていたページを広げたまま月美のほうに突き出した。
両手で広げられたエロ本のページには、黒いスケスケパンティーを穿いた、なんとも妖艶なおねーさんが、大胆なポーズを決めて写っていた。
それを見せられた月美は、顔面を真っ赤にさせながら大きな声を出す。
「龍ちゃんは、そういうのが好みなの!?」
「好みってわけじゃないよ、嫌いじゃないけど!」
「やっぱりそうなんだ……」
一歩引いてから顔を青ざめる月美は、全身を硬直させながら震わせていた。
「勘違いするなよ、月美。今お前、勘違いしようとしているだろ!」
「勘違いなんかしないわよ、私だって頑張れるもん!」
「えっ……?」
何を頑張る積もりだろうか、思わずキョトンとしてしまう龍一を余所に、興奮した月美は屋根の上を駆けて自分の部屋に飛び込んで行った。
自室の窓を乱暴に閉めて、カーテンを素早く閉める。
「間違いなく、月美は大きな勘違いをしているな……」
龍一の言う通りだろう。
しかし龍一の胸に飛来した思いは、不安よりも期待であった。
勘違いした月美なら、きっと凄いことを仕出かしてくれるだろうと期待が出来る。
昔から、そう言う天然な娘である。
突然のノックのあとに母が部屋に入って来た。
「龍ちゃん、月美ちゃんの大声が聞こえて来たけど、どうかしたの?」
龍一は父からのプレゼントを咄嗟に布団の中に隠した。
「な、なんでもないよ。心配ないからさ……」
「そ、そうなの~。あんまり月美ちゃんと喧嘩しちゃ駄目よ」
そう言うと母のつかさは、ドアを閉めて一階に下りて行く。
父との約束は守れた。母には秘密にできた。
だが、何故に月美の時には、咄嗟にエロ本を隠せなかったのだろうかと悔いた。
自分が得た超能力は、日常生活でのハプニングに対応して、答えを出し、実行する能力ではないようだ。
「やっぱり、喧嘩だけで発動するのかな……」
ベッドに寝そべった龍一は、そんなことを考えながら、再び父のプレゼントを開いて鑑賞する。
とりあえず自家発電に取り組み生暖かい汗を流すのであった。
二夜連続のチャレンジだったが、若さが勝る。
こうして少年の一日が過ぎ去って行った。




