10・下校時のトラブル
いつものように卓巳と二人で下校した龍一は、駅前で親友と別れてから暫く街中をうろついていた。
素度夢駅を中心に、ただ歩き回る。
目的は一つだ。
昨日の占い師の老婆を捜し回っていた。
「今日は、いないのかな……」
老婆と出会った本屋前を中心に、何度も駅周辺を回っては、また同じスタート地点に戻って来るを繰り返していた。
しかしながら老婆どころか占い師の姿すら見当たらなかった。
占い師が街角に姿を現すのは基本的に夜が多い。
路上の占い師の多くが、酒が入ったサラリーマンやOLを相手にした商売を行なっているからだ。
そもそも龍一が老婆と出会った時間帯に、占い師がテーブルを出していることが早過ぎたのだろう。
だが、そんな明るい時間帯に占い師の老婆がいたのは事実である。
龍一が見上げるとビルの頭越しに空を眺める。
空が橙色から黒に色を変え始めていた。
「そろそろ帰ろうかな……」
結局のところ老婆は見つからなかった。
ポケットからスマホを取り出した龍一が、時間を確かめながら歩く。
もう六時半を過ぎていた。
ドンッ!
「あ!? すみません」
スマホの画面を見ながら歩いていたために、前方から歩いてきた人物と肩がぶつかり合ってしまった。
龍一は、相手の顔を確認するよりも先に謝罪を口に出す。
しかし――。
「いててて~。にーちゃん、人にぶつかっといてよぉ~、謝っただけで済むと思っているのかぁ~、えぇ~、あ~、よぉ~?」
露骨に因縁をふっかけてくる男は、とてつもなく頭が悪そうなしゃべりかただった。
黒い革ジャン。
黒い革のパンツ。
髪型は、ポマードで固められたリーゼント。
金のネックレスに、指には髑髏のリングが幾つも嵌められていた。
時代錯誤なロカビリー風の不良少年だった。
痩せた面容も極上な悪さを備えていた。
「す、すみません……」
謝罪程度で済まさないと述べたロカビリー風の不良に対して、再び謝罪を述べる。
二度目の謝罪を口に出しながら龍一の視線が、革ジャンの胸元に描かれた刺繍に移った。
蜘蛛の巣に逆さで描かれた大蜘蛛の刺繍である。
龍一の脳裏に、幾つかのキーワードが並んだ。
大蜘蛛の刺繍。
上下黒の革ジャン。
立派なリーゼントのロカビリー風な不良。
この三つから出るイコールの回答は一つだった。
この素度夢町を縄張りにする少年不良集団。ジャイアントスパイダーズ。
悪い噂が絶えない暴走族だ。
喧嘩ばかり売っている暴力少年グループである。
自分が出した回答に、表情を強張らせる龍一。
一方の不良少年は、怒りに表情を鋭く強張らせていた。
この町で普通の学生生活を過ごしている真面目な少年少女たちならば、できるだけ関わり合いたくない集団である。
その内の一人と肩をぶつけてしまったのだ。
己の不注意を、呪わずにはいられなかった。
「なぁ~、にーちゃんよ。このおとしまえ、どうつけてくれるんだぁ~? 肩が砕けたぞ、まちがいねぇ~ぞぉ~」
わざとではない。
不慮の事故。
悪気はなかった。
その程度の言い訳が通用する相手ではない。
常識的なモラルが通じない、ろくでなしである。
そのろくでなしが、表情を険しくしながら龍一の肩に腕を廻して来た。
砕けたはずの腕でだ。
「ちょっとここでだと、なんだなぁ~。向こうで話そうや、なぁ~」
そう言いながら足を裏路地のほうに進めて行く。
龍一は、強制的に連れて行かれるかたちとなる。
これはヤバイと危機を感じて龍一は、カツアゲされる自分を想像していた。
暴力は嫌いだ。
嫌いな理由は、暴力が苦手だからだ。
振るうのも苦手だが、何よりも振るわれるほうが苦手である。
不良が怖い訳ではない。
家に帰ればヤクザ顔負けの顔面を有した父がいる。
だから強面には慣れていた。
それでも暴力は別である。
痛みに対しての恐怖は、動物としての本能が嫌うのだ。
そして龍一と肩を組むロカビリー風の不良は、龍一が嫌っている暴力を好む集団の一員である。
平気で人を殴り、憤怒に任せて喧嘩を行う。
だから苦手なのである。
「なあ、いくら持ってる?」
「い、いくらって……」
既に龍一たちは、人気のない細い路地に立っていた。
ビルとビルの隙間である。
「カネだよ、か~ねぇ~。財布出せよ、さ~い~ふぅ~」
龍一の耳元で不良少年が、囁くように強請る。
「慰謝料だよ。こっちとらぁ~、肩が砕けてんだ。慰謝料をくれって言ってんだよぉ~。とっとと出せや、ゴラァ!?」
他者への恐喝からの金銭の要求。
常識的に考えれば犯罪行為だが、不良少年には罪の意識がない様子だった。
龍一の肩に廻した折れたはずの腕に力が入り、ユサユサと揺さぶって強請ってくる。
龍一の脳裏に幾つかの選択が並んだ。
───選択肢一。
大声を出して助けを呼ぶ。
遅い。もう遅すぎる。
助けを呼ぶなら、こんな裏路地に連れこまれる前に騒ぐべきだった。
却下である。
───選択肢二。
尚も謝って許しをこう。
駄目だろう。
ここまで来て許してくれるなら、とっくに許していただろう。
甘い考えである。
絶対に殴られるだろう。
却下である。
───選択肢三。
反撃を行う。
駄目だ。無理だ。暴力は苦手だ。痛いのは嫌いだ。
絶対に勝てない。
却下だ……。
自分が不良少年に暴力で勝てるわけがない。
だが、なんだろう。この人の足元。
何かが可笑しい。
違和感を――。
「なあ、カネだせよ。それでよ~、勘弁してやるから。なぁ~、観念しろやぁ」
今見えている状況。その違和感を打ち消すように動けば、危機が乗り越えられる。
そう感じられた。
これは違和感……?
否、直感なのか?
「おい、聞いてんのか~? にーちゃん、っよ!」
体を寄せ合う状態で、横に頭を振るった不良少年が頭突きを打ち込んで来た。
龍一の頭に振動が響く。
痛み――。
危険――。
排除――。
その言葉が龍一の脳裏で駆け巡った。
その次の瞬間には、龍一の体が動いていた。
振り上げた片足が力強く不良少年の片足を踏みつけた。
「ぎゃっ!」
不良少年は、予想外の反撃に悲鳴を上げて顔を顰める。
踏まれたのは足の小指だった。
ブーツの上からなのに、まるでハンマーで潰されたような激痛が、爪先から脳天目掛けて駆け上って行った。
また、違和感に気付く龍一。
再び感じ取った違和感は、不良少年の顎先だった。
ピンポイントで気になるのだ。
「そこを打てばいいのかな?」
口走ると同時に手が出ていた。
左のロングフック。
大きく振られた龍一の拳が、遠心力を孕み不良少年の顎先を横から強打した。
拳打に不良少年の頭部が細かく揺れた。
その直後に、不良少年の視界に幾つもの白い星が飛び交う。
不良少年の両眼がグルグル回る。
「ふぅがぁ……、ぷらぁ~……」
意味不明の言語を漏らす不良少年。
頭蓋骨の中で脳味噌が、プリンの如くプルプルと激しく揺れて不良少年の意識を何処か遠くに誘い連れて行く。
脳震盪だ。
「ぁぁ……」
「あのぉ~……」
動きが止まった不良少年に、龍一が心配そうに声を掛ける。
不良少年の表情は、虚ろだった。
立ったまま、ふらついている。
ダラリと口を開き、半開きの瞼から左右別々の方向を見る瞳が覗いていた。
先程までの血気盛んな表情が、完璧に失われていた。
「はふぅ……」
そして不良少年の体が崩れた。
内股で膝から崩れ落ちる不良少年は、ビルの壁に寄りかかるような体制で止まり、それっきり動かなくなってしまう。
「こ、これは、何?」
不良少年を殴り倒した龍一が、まだ暴力の余韻が残る己の左拳を凝視していた。
「俺が……、倒したのか?」
気を失った不良少年を見下ろす。
「僕が喧嘩で勝った……」
これが自分にプレゼントされた超能力の一端だと龍一が気づくのには、もう少し時間が必要であった。
龍一は、この場を逃げるように立ち去った。




