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        二




 小半時(こ はんとき)(約三十分)も歩いただろうか。白い壁が目の前にどんと現れた。それは左の辻から右の辻まで続いていた。男は視界を占める壁の広さに足が緩んでしまった(かえで)の腕をついと引き、その壁の真ん中にぽかりと開く門をくぐった。

 くぐったそこは、首の後ろが痛くなるほど清冽な空気に満ち満ちていた。門を入って玄関までの空間が、綺麗に整えられた庭になっている。

(お寺?)

 こんな場所に寺などあったろうか。

 それとも、と現実がみしりと脳裏にのしかかる。

 この近辺には武家屋敷が多い。辰吉(たつきち)に楓を借り受けたいと言った、男の言葉。

(用事って、女中が足りなかったとか……?)

 だが、たとえ一時的なものだとしても、女中として奉公させるつもりなら、いついつからこういう用件でどこそこで臨時で奉公を頼まれている、と辰吉は事前に伝えてくれるはず。

 なのに、―――なにもなかった。

 なにも知らされないまま、ただぶつかっただけの見ず知らずの南蛮風味の男にこうして連れてこられた自分。

 なにも知らされていないということは、知られてはまずいことがあるのか。だからこの男と初対面を装ってまで、辰吉はあんな芝居じみたことをしたのか?

 だとすれば、必要とされているのは、

(ただの女中じゃないのかも)

 その意味することに足は凍りつき、歩みが止まる。

(ううんううん、そんなわけない。違う。お父っつぁんがそんなの了承するわけないし、澤野(さわの )やの看板娘だし)

「なに固まってやがる。さっさとしろ」

 彼は楓の腕を引き、勝手知ったるといった様子で玄関をあがった。

「あの! きっとなにかの間違いだと! あたし全然違うし! お願い、お願い帰してください、お願いだから!」

 大きな背中に訴えるも、返るのは無言ばかりだった。

 必死な嘆願などまったく意にも介さず、彼は後ろ手で楓を中へと引き上げた。抵抗をしながらも長い廊下を幾度も曲がり、現れたひとつの部屋へと引きずられるように連れられる。

 からりと音を立てて、勢いよく襖が開かれた。

 もうダメだと楓の中に絶望が走り抜けた瞬間、

(やッ! ……、―――え?)

 襖の向こうに現れた部屋に、楓は言葉をなくした。

 十二畳ほどの部屋には誰がいるでもなく――まして布団が敷かれているわけでもなく――ただ何枚もの絵が散らばっていた。

 悪い想像を裏切ってくれた目の前の光景にほっとしながらも、楓は目をぱちくりさせる。

「うぅわッ。なんてェ色遣いしてやがるんだ、おれは」

 呆れた声が、男の口から漏れた。

 額に手を遣る彼の視線を追って見てみると、紺の髪と山吹色の唇をした女が、藤色の空を背景に、どこぞの庭の四阿(あずまや)でくつろぐ絵があった。四阿の天井部分からは薄い桃色の―――藤の花?

(なにこの奇天烈(き て れつ)な絵は)

 自分に絵心などないと判っている楓だったが、断言してもいい、さすがにこの色遣いはおかしい。見ているこちらの目がちかちかするのだから尋常じゃない。そんな絵が何枚も、部屋に敷かれた藍色の毛氈(もうせん)の上に散らばっていた。

 抵抗も忘れて呆けていると、背後の廊下に気配を感じた。

「どうかしたのか? なんか騒がしいみたいだけど?」

 振り返ると同時、開け放してあった襖の陰から別の男が現れた。この男も、二十歳をそれなりに過ぎていそうだ。

「えッ。女連れ? なに桐午(とうご )、どしたのこの()

(と、とう、―――ご? (とおる)、じゃなくて……。そ。そう、だよね……)

 似た音の響きに、一瞬胸がどきりとした。

「おおお紗一(さ いち)、聞いてくれ。〈色〉だよ。こいつ、おれの〈色〉なんだ」

 桐午と呼ばれた男は、楓の背後の男―――紗一に嬉々とした顔を向けた。

「〈色〉?」

 紗一はたんに聞き返しただけだったが、ぎょっとしたのはもちろん楓である。

 (イロ)、と言えば、男女のことしかないではないか。

 紗一は月代(さかやき)はないものの、桐午と違って黒髪でちゃんと(まげ)を結っている。瞳も黒い。その黒い目が、ちろりと楓に流れた。

 目が合って肩をこわばらせた楓に、怪訝なものを感じたのだろう。

「色ってェと、女、ってこと?」

「どォの口がそんな莫迦(バカ)言いやがる。ほら。〈色〉が見えンだよ。ほら。ほらほら。ほら! な!?」

 ほらほら言いながら、桐午は楓の手首を摑んだり離したりを繰り返す。

 の、だが。

「……」

 そんなことされても楓には言ってる意味が判らない。だが紗一は「ホントかよ!」と顔を輝かせた。

(なに、このふたり……)

 僅かに怯むも、

 ―――いま、だ。

 そう、直感が告げた。

 逃げるならいましかない。

 楓は桐午の手が離れた瞬間を見計らい、紗一のいない窓側へと駆けだした。

「わッ、莫迦ッ、絵ェあるだろが踏むなッ!」

 背中で桐午の悲鳴がしたと同時、あっという間に抱え込まれ押し倒された。

「離してッ!」

 身体にまわる男の腕の感触に、全身に鳥肌が立つ。いま逃げなければこの男たちになにをされるのか、想像することすら恐ろしい。

(助けて助けて助けて亨さんッ!)

 必死に抵抗する楓の腕が桐午の顔へと振り上げられた。それを避ける桐午の手が楓の両手を摑み―――直後、重心が崩れて楓に向かって彼が倒れ込んできた。

「ふんがッ!?」

「―――!?」

 強い衝撃とともに、天と地がひっくり返った。

「……」

 ―――ややあって我に返ると、身体が、なんだか異様に重たい。

 閉じてしまった目をそろそろと開ける。

 焦点が合わないほど間近な場所に飛び込んできた桐午の顔。

 そして唇に感じる、あたたかな、感触。

(……え)

 桐午の唇が、楓の唇に載っかっていた。

「うわ。ちょっと、大丈夫……?」

 心配する紗一の言葉が、しんとなった部屋に残酷にも響く。

「―――い。いいやああああッ!」

 どかんと力いっぱい桐午を突き飛ばすと同時、楓は壁際へとまろび逃げた。

(ななななにッ!? いまなにが起きたのおおおッ!?)

 楓に突き飛ばされた桐午はといえば、のんきにも部屋のど真ん中で呆然としている。

「……―――見える」

「見えるって、なにが」

「〈色〉だ。―――あ」

 紗一に答えた桐午は、掠れた声をあげた。

「消えた……」

「〈色〉、がか?」

「ああ。こいつに触ってもないのに、見えた……」

「触ってない? ……や、―――というよりもさ」

「なんだ」

 ひとりとんちんかんな感動に浸っていた桐午に、紗一は壁際で固まる楓に目を遣った。

「一応確認なんだけど。お前さ、もしかしてこの娘、勝手に連れ込んだ、んじゃ、ないよね?」

 楓の怯えっぷりに、どうにも引っかかるものを感じたのだろう。

「……」

「―――そうなのか?」

 紗一の問いに、ぎくりとする桐午だった。




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