アネモネ3
百合小説ですが、今回はNL描写があります。
ご注意ください。
新学期が始まって2週間が経過した。係分担なども全て決め終わり、しばらくは落ち着いて生活出来るだろう。
雪奈は去年に引き続き、保健委員になった。誰も立候補せず、ストレートでなれたらしいので喜んでいた。
私はというと、推薦されてそのまま図書委員にされたらしい。
名前は知らないが、学級委員をやりたいと公言していた女子に「適当なところに入れておいて」と伝えて寝ていたら、この様だ。
雪奈が保健委員に手をあげることは解っていた。彼女が落ちない限り、同じ係になれることはない。だったらどこだって変わらないと思っていたのに、怒りを通り越して、推薦した人間の神経を疑う。
人気者? 高嶺の花? 笠原が言っていたことが、本格的に馬鹿馬鹿しく感じた。誰も手を挙げない委員会に推薦され、押し込まれる。そんな奴、ただの嫌われ者か都合の良い人間でしかない。
私は「良い人」にだけはなりたくない。良い人というのは、都合の良い人かどうでも良い人だ。優しいという形容詞並みに、長所がない人間に対して使う言葉。
私は「良い人」にだけはなりたくない。雪奈にとって、都合の良い人にも、どうでも良い人にも。
昼休みになったと思ったら、雪奈は教室にいないし、笠原と二人きりでいても話すことなどないし、今学年は最悪なことばかり。
唯一、ラッキーだったのは雪奈と同じクラスになったことと、雪奈と前後の席だったこと。一番後ろの席だったこともだ。そして、中庭のベンチが空いていたことも。あと、レモンティーが美味しい。
何だ、思ったよりも私は恵まれているではないか。
「よっ」
頭上から短い挨拶が聞こえた。見上げると、綺麗な顔が私の顔の目の前にある。
黒い髪が当たってくすぐったい。右目の下にある泣きボクロが色っぽさを演出していた。それが男子のものだと解っていても、彼には綺麗という表現が似合った。
「ちょっ、いきなり顔上げないでくれよ」
こんなに顔が近くても、私も彼も、決して赤面したり慌てたりすることはない。至って落ち着いた態度で会話をする。
幼馴染みの宮近葵は、とても美人な男子生徒だ。演劇部に役者として所属しており、そこそこ大きな大会での入賞経験もある。
「どうしたの? 中谷さんが一緒じゃないなんて、珍しいね」
葵が私の隣に腰掛ける。
真っ先に雪奈の名前を出されて、思わず空になったレモンティーのパックを握り潰してしまった。
「別に」
ふてくされて返事をすると、葵が私の髪を撫でる。幼い頃からされてきた動作なので、今更抵抗する気にはなれなかった。
「何、そんなに俺と図書委員やるの、嫌?」
「別に」
むしろ葵が相手なら気が楽だ。
それでも寝ている人間を、勝手に委員会へ放り込むのはどうなんだろう。いや、周りに期待した私が馬鹿だっただけか。
「昼ごはん、食べた?」
「別に」
「月が綺麗だね」
「別に」
「陸上、またやらないの?」
「こんな時期に入部出来るわけがないでしょ」
私が溜息を吐くと、葵はクスッと嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。ちゃんと話聞いてたんだね」
葵は、見た目が中世的なわけでも、特別身長が低いわけでもない。それでも、彼の姿が愛らしくて綺麗に感じるのはその柔らかな物腰と人好きのする笑顔のせいだろう。
「でも、髪を切ってまで取り組んだ陸上には飽きて、中谷さんには飽きないなんてね」
意図したわけではないのだろう。無意識だからこそ、その指摘に思わず心臓が飛び跳ねた。
私は今まで、同じ相手と連続して移動教室に行ったり、体育でペアを組んだりはしなかった。特定の人物、グループとの関わりを持たなかった。
それを目にしてきた葵には、今の私が不自然で堪らないのだろう。
「あと、俺以外に名前で呼ぶのも初め……」
これ以上、図星を突かれるのは耐え難かった。ならば葵の口を塞いでしまおうと、私は彼の唇に自分のそれを重ねる。
「……誰かが見てたらどうすんの?」
「隠してるわけじゃないでしょ」
葵は幼稚園の頃から私のことを異性として好きだ。
私は小学校高学年のほんのちょっとした間、葵のことが異性として好きだった。多感な時期だったから、1番身近でかっこいい異性を好きになるのは、もはやしょうがない。
中学に入ってからは、部活の陸上競技に熱を注ぎ、恋愛どころではなく、気持ちが薄れていった。
別にナルシストなわけではないが、私はそこそこモテる。告白された数なんて覚えていないし、誰かが私のことを好きだという噂も絶えないし、笠原が言っていたように、高校入学1週間で何人かの先輩から連絡先を聞かれた。
正直うんざりしていた。
1年のとき、葵に愚痴を零したら、彼の方から付き合うフリをしようと提案してくれたのだ。
私は葵の気持ちを知っていたから、1度は断った。しかし、葵は「これは俺の我儘だ。要が俺のことを好きじゃないのは知ってるけど、俺はそれでも良いから、たとえ遊びでも構わないから俺と恋人になって欲しい」と、恋愛小説に出てくるような甘い台詞を並べてきた。そのときの葵の顔は、これ以上ないくらいに真っ赤に染まっていて、到底演技とは思えなかった。私は、首を縦に振らずにはいられなかった。
こうして、今も恋人ごっこは続いている。幼馴染みだということもあり、皆あっさり納得してくれた。「付き合っている」ことを隠したことは無いし、雪奈だって知っている。
「……キスって、回数を重ねる内にレモンティーの味になるのか」
「馬鹿じゃないの」
葵が私の左手を握る。私は反射的に、空のパックを持っている右手の力を込めた。
「クラスの彼女持ちの男子がさ、何で付き合ってるのかって訊かれていて。当然のように『好き同士だから』って答えてたんだよね。本当にそうなのかな」
好きだから付き合って、好きだからキスをするのだろうか。ごっこ遊びの私達でさえ、普通の恋人達がするそれ以上のことをしているのに。
葵は私のことが好き。だけど私は、もう葵を性的な目で見ることは出来ない。あのとき彼へ抱いた恋慕の情は、長かった髪と一緒に捨ててしまった。
「ごめん、今の無し」
私の発言は、葵に投げかけるには明らかに不適切なものだった。彼は私の毛先に黙って触れる。
「俺は、君が俺をどう思っていようと、この手の中にいてくれるならそれで良いと思っているけど」
葵が手を握る力を強めた。対照的に、いつも柔らかな笑顔は力なく感じた。
恋をしているときは、その相手こそが神様だ。恋はもはや宗教。聖職者は神様に恋をするようなもので、熱心に相手を想うのは信仰心と変わらないのではないか。
恋多き人と呼ばれる者達は、人生でどれだけの神様に出会うのだろう。
私が今まで出会った神様は、2人。その1人の神様は、ずっと私で、こんな私に縋り続けてくれる彼の手を、優柔不断で残酷な神様は振り解くことが出来ない。
私の今の神様には、神様がいるのだろうか。彼女の神様は、誰なんだろう。