アネモネ2
「なーるみさん」
登校2日目。早く来過ぎてしまったので、退屈凌ぎに文庫本を読んでいると、雪奈が1人の女子生徒を連れて私に声をかけてきた。
「ちょっとー、せっかく新しいクラスだってのに、何で本なんか読んでるわけ? ぼっちになりたいの? ぼっちになるぞ! ほらほら、友達作れよー」
雪奈は大げさに身振り手振りで、女子の集団を指す。
私は雪奈を見つめ、わざとらしく溜息を吐くと文庫本に視線を戻した。
「あー、何、今の溜息! ホントにぼっちになるよ? 良いの?」
「雪奈がいるから、ぼっちにはならない」
私が文庫本から目を離さずに無表情で言うと、雪奈の声が途絶える。
きっと顔を真っ赤にして、無理に言葉を紡ごうとしているのだろう。珍しく笑顔を保てずにいることを、私に悟られないために。
「そ、そんなこと言っても可愛くも何ともないからね?」
確かに、私は可愛くない。可愛いのは雪奈の方だ。絶対に言わないけど。
私は雪奈を無視して本を読み進める。現代小説はどうも好きになれないので、教養として文豪と呼ばれる作家達の本を片っ端から読み漁っていた。我ながら、なかなか安直な考えだと思う。
好きな作家は江戸川乱歩。憧れていたエドガー・アラン・ポーという作家の名前をそのまま文字ってペンネームとしたところが可愛らしいと感じるので、質問されたら必ず乱歩の名前を出すことにしている。
「ところで、笠原さん放置だけど、良いの?」
私が言うと、雪奈は思い出したとでも言わんばかりに手を叩く。
「そうそう! このこ、あたしの幼馴染みで笠原小百合って言うの」
笠原小百合の肩に手を置き、雪奈はにっこり笑う。私は再びイラつきを覚え、口元に移動する指を咄嗟に押さえた。
「知ってるよ。雪奈が笠原さんと喋ってるところ、よく見るし。ただでさえ、彼女は有名人じゃない」
笠原小百合は学年で1、2を争う美人として知られる。ハーフだかクォーターという話を聞いたことがあるが、銀糸のように流れるロングの髪がそれを立証していた。唯一、日本人らしさを感じさせるブラウンの瞳は長い睫毛で飾られている。
人より長いスカートも、脚を覆う黒いタイツも、彼女が纏うことで垢抜ける。
こんなに近くで笠原を目にするのは初めてで、雪奈の相手をするときとはまた別の意味で、少しドキドキした。
「わたしも、あなたのこと知ってるよ。鳴海要さん」
ふわっと柔和な笑みが、私の顔に近付く。シャンプーと女子特有の良い香りがした。
「かなちゃんって呼んでも良いかな? わたしのことも、小百合で良いよ」
フレンドリーもとい馴れ馴れしい笠原の態度に、おもわず顔を顰める。いくら美人でも、パーソナルスペースが他人のそれよりも広い私は、笠原に対してあまり良い印象を持ってなかった。
「さゆー、駄目だよ。鳴海さん、超コミュ症だから。いきなり呼び捨ては出来ないよ。あたしのことだって、中谷さんから中谷、そんでやっと雪奈って呼ぶようになったんだから」
「そうなの? 意外だな。かなちゃん、人気あるから」
雪奈がフォローを入れてくれたが、あくまで笠原は「かなちゃん」呼びを通すらしい。
「人気があるのかどうかは知らないけど……」
とてもどうでも良い話題なので、そろそろ本の続きを読みたい。
むしろ、雪奈と2人で話したいから、笠原にはどこかへ行って欲しいのだが、彼女は尚も私と会話を続けるらしい。
「美人で勉強も運動も出来て、そんな人が人気がないわけないじゃない。聞いたよ、去年、入学してから1週間で5人の先輩に連絡先を訊かれたんでしょう?」
笠原が笑う度に、美しい銀の髪が揺れる。彼女の動作のひとつひとつが笠原小百合その人を彩る装飾品のようだ。
「人気者って言うのは、雪奈みたいな子を言うんじゃない?」
それまで私と笠原だけで話が進められていたためか、いきなり引き合いに出され、雪奈は「え」と、間抜けな声を出す。
「男女問わず好かれて、いつも皆の中心にいるムードメーカー。人気者って、そういう人のことを言うんだと思う。まさに雪奈そのものじゃない」
私が真顔で言葉を並べると、雪奈は照れくさそうに私の腕を突く。
「もうっ、本当のこと言わないでよ!」
「うざい」
雪奈の発言に対し、つい本音が出てしまった。雪奈は気にする様子もなく、ヘラヘラ笑っている。
「あれだよ。かなちゃんは、高嶺の花的な人気者なんだよ。わたしだって、ずっと話したいなって思ってたけど、恐れ多くて」
笠原が恥ずかしそうに笑う。彼女の言葉に、私も笑ってしまった。
地毛の黒髪。中学時代、陸上部で鍛えるのに邪魔だからと切ったショートヘア。周りに合わせて短くしたスカートの丈。気合が入っているのは指のネイルだけで、顔はノーメイクと、どちらかと言えば地味な部類に入る容姿。
定期テストの順位は常に10位以内をキープしているし、運動だって得意な方だ。
しかし、周りからは「鳴海さん」と敬遠された呼び方をされ、男子に至っては敬語で話しかけてくる。
雪奈以外に友達と呼べる人間はいない上、彼女は人付き合いが良いから、私以外の人間とも話す必要がある。彼女が生き易い環境をつくるために、それは必要なことなのだ。だから私は、絶対に雪奈の腕を掴んで、引き留めるなんてことはしない。
幼馴染の彼氏はいるが、相手が私と一緒にいてからかわれるのを見るのが嫌なので、学校ではあまり話しかけないようにしている。「私、彼氏いないから」という女はいても、「私、友達いないから」という女はなかなかいないのではないだろうか。
これらの点を踏まえて、大抵私は1人で短い休み時間を過ごす。
私が高嶺の花なんて馬鹿げている。
何より、入学して1週間で5人にアドレスを聞かれるなんて、尻軽だと思われていたに違いない。
高嶺の花と言うのは、笠原のような人間のことを言うのだ。
人と違う銀色の髪。それだけでも綺麗なのに、手入れの行き届いたロングヘアだ。スカートだって他の子より格段に長いし、着崩しなんて一切無い。だが、それを醜いなんて思わない。
教室にいたどんな女子より、笠原小百合は美しい。雑草の中に1輪の百合が咲き誇ったかのようだ。他の女子を雑草に例えるのもどうかと思うが。
「でも、付き合い悪いけどね」
すかさず雪奈が横槍を入れる。
自覚している分、否定は出来ないが、それは雪奈が他の女子に構うからでもある。先程も述べたように、それは雪奈にとって必要なことであるから、絶対に言わないけど。
「私、雪奈の休日どっか行きたいって誘いは断ったことないハズだけど。たとえ当日に言ってきたとしても」
雪奈が「うっ」と唸り声を上げる。私の正論に何も言えないようだ。
「だっ、だけど、鳴海さんから誘ってくれることはないじゃん……」
雪奈は髪の毛先をいじりながら、私からは顔が見えないよう俯きながらぼそぼそ喋る。
その言動は、雪奈にとって大したことではないのであろう。けれど、私には、その姿は世界の何よりも愛しく、出来ることならばすぐさま手にしたい、特別なものに感じた。
「それは付き合いが悪いとは言わない、けど、そのうちね」
「……っ、やったね!」
「そのうち」という行く気があるのかないのか、いまいち定かでない私の言葉を聞くと、雪奈はいつものよく通る声で喜びを表した。
すぐさま文庫本に目を戻したので、彼女の表情は見えなかった。いや、見ないようにした。
きっと、世界で1番可愛いから、見てしまったら、気持ちの高揚を抑えられない。
「そのときは、わたしも一緒したいな」
発言から察するに、あくまで、笠原は今年1年、私と雪奈と行動を共にするつもりでいるらしい。
1年のときは、ずっと雪奈と2人だった。勿論、他の女子にも多少は声をかけられるし、会話もする。だけど私の世界は、雪奈しかいなかった。雪奈さえいれば良かった。
そこに笠原が入ってこようとしているのを、どうしても許せずにいる自分がいた。
私が「笠原さんとはいたくない」と言ったら、雪奈はどんな反応を示すのだろう。私が言うならと、笠原を見捨てるか。それとも私が見捨てられるか。
絶対、後者にだけはなりたくない。雪奈に見捨てられたら、生きていけない。
だから、絶対に何も言わない。