第2話 定義:大鳥千景は幼馴染である
翌日。太陽が昇り始める時間は、まだ活動する人が少ない。そんな静かな街を、眠たい目をこすりながらふらふらと歩く人影があった。まだ息が白くなるほど冷え込む朝に体を震わせ、重いリュックを背負い直しては歩くを繰り返す。両手には大きめの紙袋が握られていた。駅から歩いて数分もすると、目的のアパートにつく。静かな階段を上がり、玄関の前でポケットから鍵を取り出す。音がしないよう慎重に開け、家に滑り込む姿はさながら不審者であった。
「(おぉ……寝てる寝てる……)」
すでに寝癖が付いている黒髪の男が、静かな寝息を立てていた。気持ちよさそうに寝ている人を起こすのは躊躇ってしまう。しかし、時刻はまもなく6時を迎えようとしていたため、心を鬼にし、深呼吸をしてから掛け布団の端を握った。
「おはよう。朝だよ幸太郎君」
言葉の語尾が伸びるような、ゆっくりとした口調と、激しい動きが一致していない。どうせ起きる時間だからと、掛け布団を思いきり引き剥がしたのである。掛け布団にくるまっていた幸太郎の体は見事に90度回転し、首から上がベットの横からはみ出した。視界が逆転した状態で、目覚めの原因とご対面する。日本の女性の平均よりやや高めの身長に程よく育った胸を持ち、いまだ幼さの残るその顔は、満面の笑みを浮かべている。腰のあたりまで伸び、ほんのりウェーブのかかった茶色の髪が、おっとりとした雰囲気を強調させていた。
「おはよう千景……久しぶりだな……」
幸太郎は若干顔を引きつかせながら体を起こした。衝撃で眠気は吹き飛んだが、ベッドから出るのは別問題。カーテンを開けている千景から、不意打ちで掛け布団をひったくろうとした。が、軽やかに回避され、伸ばした手は空を切った。
「だーめ。起きないと遅刻しちゃうよ」
千景は掛け布団を綺麗に四つ折りにしてベッドにもどす。その後、持ってきた自分の荷物を片づけていた。綺麗にたたまれた物をもう一度広げる気にもならず、おとなしく起き上がることにする。寝間着のままキッチンへと向かい、2人分の朝食の用意を始めた。
「あれ。わたしがご飯食べてきてないこと話したっけ?」
お皿が2つ用意されていることに気がつき、千景は人差し指をこめかみに当てながら考える素振りをした。
「こんな朝早くから来たってことは、どうせ始発近い電車で来たんだろ。ほら、テーブル綺麗にしといて」
「いやはや、さすがは幸太郎君。名探偵ですなぁ」
真面目に感心しながら空中に放り出されたフキンをキャッチし、テーブルを片し始めた。出来たものから次々に並べていくが、朝から凝ったものを作る時間もなく大半が昨夜の夕食の残り。まぁこんなもんでしょと、椅子に腰を下ろし、二人そろって手を合わせた。
「「いただきます」」
大学生生活も二年目が始まろうとしていた。幼馴染である大鳥千景は、この家に一緒に住んでいる。久しぶりに会うのは、千景が春休み中に実家に戻っていたからだ。幸太郎はお正月に祖父母の家に顔を出すくらいなので、春休みは家に残ってゲームの消化に勤しむ生活をしていた。
長年の付き合いもあり、お互いに不都合不満のない生活である。同棲するにあたり家事のルールは決めていないが、お互いに手が空いている時は進んで家事を行うため、喧嘩もなく去年は過ごした。
「忘れないうちに渡しておくものがあります」
食事の途中、千景は隣に用意してあった紙袋を持ち上げて手渡してきた。
「一日遅れたけど、お誕生日おめでとう。昨日のお誕生日に祝えなかったけど、プレゼントがあるから許してくれるとうれしいな」
千景は「ごめんね」と可愛らしく首をすくめる。紙袋を受け取り、早速中身の箱を取り出した。箱の中には黒色のレザーシューズと、「20歳の誕生日おめでとう!」と書いてあるポストカードが入っていた。
「幸太郎君はあまり靴を持っていないから……どうですかね?」
自信がないのか、箸を止めて心配そうにこちらを見てくる。幸太郎の年中運動靴がいけなかったのか、千景は大学生が履いていそうな靴をわざわざ選んだのであろう。
「ありがとう千景。最近履ける靴が減っていたから助かるよ」
「どういたしまして。頑張って探したかいがあったよ~」
素直にお礼を言うと、千景は嬉しそうにご飯を頬張り、購入した経緯を話し始めた。
「洋服も買おうか迷ったんだけど……幸太郎君はどういうのが好きかわからなかったから」
「俺の靴の好みはわかるのか?」
「それはわたしの好みだよ」
「えぇ……」
どういう基準だよ……と思わずにはいられないが、千景は上機嫌に話を続けた。話しているうちに、人生の節目にもなりそうな20歳になったことを、幼馴染によって実感させられる。とは言っても、今のところ楽しみなのはお酒が飲めるくらいなのだが。
「それと、幸太郎君のご両親にも買ってきたよ」
椅子の横にはもう一つ紙袋が用意してあり、中にはお菓子や果物が入っていた。どちらも両親が好きだったものであり、わざわざ気を使ってくれたらしい。
「ありがとう。両親が喜ぶよ」
「気にしないでいいよ。わたしもお世話になったから。あとで挨拶するね」
お互いに朝から食べる量は多くないためか、そんな他愛のない話をしている間に食事が終わった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。わたしが洗うから準備してていいよ」
お皿を運びながら千景は言う。お言葉に甘え、部屋に戻り大学の準備をすることにした。とはいえ、今日はオリエンテーションしかなく、持ち物は少なくて済む。手早く書類とレポートをまとめ、今日の着ていく服をゆっくり考える。クローゼットの中身は、昨日の買い物で一新されているため、組み合わせを考えることが楽しい。とりあえず、今日は暖かいから薄着を選んで着替えようとズボンを下ろした時、後ろからドアの開く音が聞こえた。パンツ一枚で振り向くと、そこにはドアを開けた状態で固まる千景の姿があった。
「あっ……」
「千景の変態!」
言葉を詰まらせてた瞬間に、反射的にやられる前にやれの精神が働く。「エッチ!」などと叫ばれる前に先手を打つ戦法だが、千景の視線は幸太郎の体ではなくクローゼットに向けられていた。
「幸太郎君のお洋服がオシャレなものばかり……今まで少しセンスのずれた可愛い子供の服みたいなものしか着ていなかったのに……」
「オブラートに包んだようで、包めてない! そして思っていた以上に辛辣な言葉が胸に刺さる!」
お約束の展開などはなく、ただ罵倒された。千景は「冗談、冗談」と笑いながら部屋に入る。実際、幸太郎はセンス云々の前に、オシャレに興味がなかったので正論ではあった。ちなみに、この部屋にお互いの洋服や荷物を置いているため、相手の着替え途中に入ることはよくある。
「おぉ、幸太郎君は大人っぽい雰囲気が似合うね~」
結局、白のシャツに黒のジャケットという、スタンダードな格好にした。着替え終わった幸太郎の服装をまじまじと見ながら腕を組み、千早は嬉しそうに「うんうん」と頷いている。やはり前々から幸太郎の普段着を気にしていたのか、とても嬉しそうだ。
「先に挨拶してるからなー」
保護者のような視線から逃れるように部屋を出た。リビングへ行き、仏壇の前に千景の持ってきた供え物を並べる。お鈴を鳴らし、最早日課である両親への挨拶を済ませた。いつの間にか千景も横に座っており、目を閉じて静かに手を合わせている。何を考えているのか、しばらくの間は仏壇の前から離れなかった。
「ほら、そろそろ大学行くよ」
「もうそんな時間!?」
あまりに長かったので、声をかけて玄関へ向かう。すでに時計の針は8時を指している。千景も慌てて荷物を担ぎ、戸締りを確認して家を出た。アパートを出ると、多くの学生が駅へと向かっているのが見えた。新入生だろうか、見慣れない顔も多い。新しい生活への期待と不安、そして長かった休みの終わりを嘆く声が入りまざり、普段よりも賑わいを感じる道を二人で歩きながら大学へと向うのであった。




