プロローグ
日常と非現実を織り交ぜた、主人公の苦悩を描く予定です。ロースタートからの盛り上げができたらと考えています。
ゆっくりとしたペースの更新になるかもしれませんが、お付き合いと、お時間をいただけたら幸いです。
途中で投げ出さないよう、頑張りたいと思います。
地球に存在するのは、静寂だった。
雲一つない夜空が、すべて吸い込んでしまったかのような音の闇を広げている。青白い月あかりが、大地を眩しく照らす。
地球に存在するのは、当然の因果だった。
うっすら掻いていた汗を拭う。木々を揺らす風が、まだ地球が動いていることを証明してる。
沈黙と青い街を男が歩いていた。疲れ切った顔の頬には汗が滴り、乱れた黒髪はやるせなさを増幅させている。その背中には一回り小さい女性の姿があり、今にも砕けてしまいそうな華奢な体をすべて預けている。手足を力なく垂らし、閉じられた瞼が開くことはない。やがて静かな街を抜け、大きな広場にたどり着く。ビルと背の高い木々に囲まれ、人工物と自然の織り交ざりが周囲と隔絶した空間を漂わせる。
血と汗で汚れた腕時計を軽く拭き、時刻を確認した。あと数十分で夜明けを迎えるだろう。
ゆっくりと女性を降ろし、中央の巨大樹の根元に寝かせると、腰まで伸びた美しい銀髪が柔らかく広がった。大人びた、しかし顔に柔らかさの残る彼女の顔は、人とは一線を引く魅力を感じさせる。
数歩下がり、腰からナイフを取り出した。鉛のように重く、疲れ切った腕がナイフを持ち上げる。しかしながら、鋭い刃先は一切の迷いなく自身の左腹に向けられた。
地球に存命するのは、一人だった。
世界中の人々が、体内の芯を抜かれたように倒れており、唯一人として起き上がることはない。生存者を探す必要もない。これは決定されていた末路だから。
結末を知っていた。人類の滅亡は、災害でも、核戦争でも、隕石でも、ウイルスでも、AIでも、宇宙人でもない。そんなものは空想で、より単純で、最も理解から離れた原因である。
地球に存在していたものは、不平等な生を与えられ、平等な死を迎えた。
それが神の定めた理だから。
細く息を吐いた。歯を食いしばり、左腹にナイフを突き刺す。薄い皮膚を突き抜け、肉は抗うことなくその刃を通し、柔らかな内臓はナイフを受け入れた。
「――っ!」
痛みで息が詰まりながらも、両手で右腹にナイフを運ぶ。その行為は間違いなく死ぬことを目的としていた。震える手でナイフを抜き取った瞬間、膝から崩れ落ち、ゆっくりと前に倒れる。溢れ出る血液は、道の凹凸に沿って大きく広がっていった。
――――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
腹部は燃えるように熱く、傷ついた内臓の一つ一つが暴れまわるような不快感が、呼吸を荒くする。自分の腹部から流れ出る血液を感じながら、重くなる瞼を支えた。
その瞳は死を見ていなかった。その瞳は過去を見ていた。その瞳は未来を諦めていた。
――もう一度だけ――。
それが男の願いだった。
赤黒い花が広がり続ける中心には、動かなくなった男の姿があった。力なく開かれたその瞳の奥は、もう何も映していない。何も知らない太陽が、空ををオレンジ色に染め始めていた。
神は結果のみを残す。神は空白の過程を教えることなく消えていった。
――神の最終定理――
これは、人が証明することも反例も挙げることも出来なかった定理である。




