オオカミ少年と洪水神父
あるところにオオカミ少年がいた。
オオカミ少年が「オオカミが来たぞー!」と叫ぶと大人たちが逃げ惑うのだ。
オオカミ少年はそれが面白くて何度も叫んでいると、そのうち大人たちは信用しなくなった。
あるときオオカミ少年がブラブラしていると本当にオオカミを見つけた。
「オオカミが来たぞー!」と叫んだが大人たちは誰も信じようとしない。
村に神父がやってきた。イギリス訛りがある紳士で今までの神父とはレベルが違うのだという。
なんでもロンドンで一番難しい大学で一流の神学を学んだのだという。
神父がオオカミ少年のところにやってきた。
「なんで嘘ばかりついているのだ?」
「虚言癖なんです」
「それで村の人々が迷惑しているのはわかるよな?」
「ええ、無視されたり、イジメに遭っています」
「そうだろう。君だって嘘をつかれると腹が立つだろ?イジメられるのはイジメられる原因があるからなんだよ」
「そうだとするなら……」
オオカミ少年が大きな瞳をグルグル廻しながら言う。
「嘘つかれる方にも問題あるんじゃないでしょうか?」
「神様がなんと言っているか知ってるか?」
「話をそらさないでください。イジメられる側に問題があるという理屈なら、嘘つかれる側に問題があることになりますよ?それに今から僕がイジメる側をイジメても、人をイジメてる連中はイジメられても当然だと言い返せますよ?」
神父は相手にしなかった。
「神様は嘘をついてはいけないとおっしゃっている」
「ええ、姦淫してはいけない、盗んではいけない、ともね」
「だったら嘘をついてはいけないだろう?」
「僕は神様に逆らうつもりなんてありませんよ」
「じゃ嘘をつくのはやめるんだよ?」
「神父様は僕が嘘をつく瞬間を見たことがありますか?」
「村人たちはみんな君が嘘つきだと言ってるぞ」
「違うんです。村の大人たちが嘘つきなんです」
「さっき君は自分が虚言癖だと言ったじゃないか」
「だからそれは本当なんです」
「じゃあ嘘つきじゃないか」
「それを神父様が信じているのだから僕は嘘つきじゃない!僕が虚言癖だと言ったら神父様は信じた。
嘘つきの言う事なら信じないはずだ!だから僕は嘘つきじゃない!」
「天罰が下るぞ!」
「僕がオオカミが来たぞー!といったそのときには来なかった。だけど半年後にはオオカミが本当にやってきた!僕の予言が当たったのだ!僕を信じなかった大人たちは皆死んだ!神様を信じなかった異教徒たちがみんな死んだように!」
オオカミ少年はしかし学校では嘘つきオオカミ少年として無視され続けていた。
日頃はそれで構わないのだが、行事の際の班決めやチーム決めでは除け者にされて寂しかった。
たった何度か嘘をついただけなのに、なんでこんなに何回も何回も延々と制裁を加えられなければならないのだろうかと思った。
オオカミ少年は教会ヘ行った。
「神父様、僕はどうすればいいのでしょう?」
神父はオオカミ少年を改心させるチャンスだと思った。
「ウソを付くのをやめて、みんなが喜ぶことをすればいいのだよ」
「奉仕活動ですか?」
「そうだ。汝の敵を愛するのだ」
「だけどみんなはしつこく僕を無視したり、すれ違いざまに嫌がらせを言ったりして、充分に制裁をくわえたはずなのです。だから罰を受けた分は許されているはずなのです。今更奉仕活動までするのは割に合いません」
「そういう心根だからいけないのだよ。人を愛し、人に尽くすことだよ」
「だけどたとえばアイドルがスキャンダルをやらかしたとき、スルーするのはそりゃいけない。これは干されても仕方ない。だけど自ら反省のしるしとして頭を丸刈りにして泣いて謝った。これはその分だけは許されてしかるべきではないでしょうか?」
「だけどみんなの怒りが収まっていないのだから仕方ないだろう。許してもらえるまでは償いを続けるしかないのだよ」
「奉仕活動ってどんなことすればいいのでしょう?」
「怒ってる人が喜ぶことだよ」
「みんなはすごく嬉しそうに僕をイジメています。嘘つきの罰ということでイジメ制裁を受けることは贖罪と奉仕活動を兼ねているのではないでしょうか?」
「でも君の嘘のせいでオオカミに殺された人たちの家族は君を許せないんじゃないかな?」
「そのとき僕はちゃんとオオカミが来たと本当のことを言った!僕の言うことを信じる信じないは自由じゃないですか?僕は神様じゃないんでしょ?だったら単なる人間の僕が無料で教えることを勝手に信じておいて嘘つきだと決めつけた挙句に勝手に死んどいて、全て僕のせいにするのはイジメが過ぎるのではないでしょうか?更に僕に嘘をつかれていないやつまで一緒になって僕をシカトしたりイジメをするのです。神様はこれをお許しになるのでしょうか?嘘をひとつ付かれたらひとつ付き返せばいいだけじゃないですか」
「君がいじめられているのは嘘をついたから、というだけではないのだろう。嘘をついたというのは色々の原因のうちのひとつだろう」
「だったら教えてくれたらいいじゃないですか!いじめじゃ何も理解できない」
「祈りなさい!」
「祈りません!」
オオカミ少年は教会を後にした。
オオカミ少年は夢を見た。大洪水が村を一息に飲み込んでしまうのだ。
接近してきた巨大彗星が割れて、その片方が軌道を外れて落下してくる影響で大気と重力に大異変が起こったのだ。
はあ、はあ、はあ……。恐ろしい夢だった。しかし皆に話したところでどうせ誰も信じないだろう。オオカミ少年は試しに親に話してみたが全く相手にされなかった。
「バカなこと言ってないでさっさと学校に行きなさい。そんなことだからイジメられるのよ!」
両親も兄弟たちも笑うだけだ。
「あの……」
恐る恐る教会の扉を開けると神様の像にお祈りをしていた神父がジロっと振り返る。
「僕が言っても信じてもらえないので神父様から言ってもらえれば、と」
神父は言った。
「私は信じるよ。あの星の動きは明らかにおかしい」
この神父はロンドンの難しい大学で神学だけではなく天文学や地質学もマスターしていたのだ。
数日前に現れた彗星が次第に大きくなっていることにも気がついていた。明らかに軌道から外れている。
「あれは凶星だ。カタストロフをもたらす赤い星だ。村は水に覆われるだろう」
教会へ立ち寄ったのでオオカミ少年は遅刻してしまった。
担任がじろりと睨みつける。
「なんで遅刻したんだ?」
「教会へ立ち寄ったからです」
「嘘をつけ!」
「ほんとですよ。洪水が来て村が沈むんです!」
生徒達から失笑が漏れた。
教会で特別集会が開かれた。
集まった村人たちを前にして神父が語りかけた。
「みなさま落ち着いてください。直ちには影響はありません」
村人たちは口々に騒ぎ立てる。
「神父様、大丈夫なんでしょ!?私達避難する必要なんてないんでしょ!?」
「静粛に!静粛に!」
神父が手を広げて呼びかける。
「落ち着いて避難してください。まだ時間はあります。オウミグラウンドです。オウメではありません。オウミです。間違ってオウメグラウンに集合して溺れても私を嘘つきと言わないでください。もう一度繰り返します。オウミグラウンドです。そこでしばらく救助を待って、各々新しい土地へ移住しましょう」
村人たちは動揺のあまり立ち上がり、泣き叫んだ。
「いやだ。俺達はそんなこと信じない!」
「そうよ!信じたくないわ!」
「この村でずっと暮らしていきたい!家族と一緒に仲良く暮らしていきたい!」
「神父様は嘘つきだ!!」
「かーえーれ!かーえーれ!」
モノが投げつけられ、騒乱は収まりそうにない。
火をつけようとする者までいる。
「わかりました!わかりました!」
顔と頭を庇いながら神父は言った。
「民主主義で決めましょう!」
村人から大賛成の声があがった。
「よっしゃ!民主主義ならこっちのもんだぜ!」
「人類の叡智!民主主義!」
洪水が来るか?来ないか?
投票の結果、満場一致で洪水は来ないことに決まった。
「あー、安心した」
「なんだ、大丈夫なんじゃん。心配してそーんした!」
「やっぱりみんなで決めたことは正しいもんな」
村人の1人が神父に詰め寄った。
「謝ってください!」
村人たちがその声にハッとしたように我に返ると各々が神父に詰め寄った。
「責任ある立場で嘘をついた。そしてみんなを心配させた!謝ってください!」
「洪水神父と呼びますよ!村八分にしますよ!」
神父はひざまずいて神々と村人たちに謝罪した。
「天にまします我が父なる神よ。私は嘘をついてしまいました。どうぞおゆるしを!!」
村人たちは歓声をあげた。
「神父を謝らせたぞー!」「民衆の勝利だー!」
神父はいまや額ずいて涙を流しながら謝り続けていた。
その夜、すっかり静けさを取り戻した教会にオオカミ少年が現れた。
神父がひとりきりでポツンと座っている。少々酒臭い。
「神父様!逃げましょう!」
神父は首を振った。
「いや、民主主義で決まったことだから」
「いいから早く。そいつは神様ではありません!!」
深夜から早朝にかけて地鳴りが何度か轟いたかと思うと地が裂けて水が激しく噴き出した。
村はすっかり沈んで大きな湖になってしまった。
みんな水に飲まれてしまった。今は静けさがあるだけだ。
「もう僕達を嘘つきという連中はいませんね」
「人は信じたいものを信じ、疑いたいものを疑うのだ」
オオカミ少年と神父は十字を切ると村を後にした。