第89話 ヴォーグとパイクとフラッシュと
「俺はここから北に行った先にある山から来たのだ。」
ヴォーグが竜人に話し始める。
シェリーとアリスは、余りに満腹過ぎるということで、先に部屋へと戻っていった。
「一年の半分以上が雪で覆われている山の中に、俺の村はある。 少し前、村に商人がやってきた。 色々と見慣れない物を売り歩いているということで、数日村に留まって村人に物を売ったり、他所で売れそうなものを集めたりしていた。 我が友パイクはその商人から村の外、人間の街の話を興味深そうに聞いていたよ。」
まるで随分と昔の事を思い返しているかのように、ヴォーグは目を細めた。
「その商人が村を去ってから数日、異変が起こった。 村人の何人かが、魔獣の姿へと変わっていったのだ。」
どこかで聞いたような話だな。
まるで大森林の超獣ルークだ。
だが、ヴォーグの話は、大森林とは少し違っていた。
「村にいた同胞の内、5人が魔獣となった。 獣人の姿から、完全な獣の姿へと変わっていった。 獣人としての狼族から、獣である狼へと、だ。 そして、同胞を襲い始めた。」
苦々しく、思い出したくない、だが鮮明に残っている記憶を呼び起こしているのか、ヴォーグの手が硬く握られているのが分かる。
「5人の内、3人はすぐに討ち取る事が出来た。 魔獣となり、力も素早さも増してはいたが、それでも俺には及ばなかった。 今でも彼らの肉を切り裂いた感触がこの爪に残っている。」
硬く握られた手を開くと、ヴォーグの指先から鋭い爪が見えた。
「だが、2人だけ討ち漏らした。 そのうちの一人がパイクだ。 パイクは一番初めに魔獣へと姿を変えたようで、皆が気付く前に山を下りたようだ。 奴の家に、我々への手紙が残されていた。 魔獣の力を得たことと、『力を得たから、この力の使い方を学びに人間の街に行く』と。 もう一人は... フラッシュ。 俺の弟だ。」
再び強く握りしめられたヴォーグの拳からは、ポトリポトリと血の雫が滴り落ちていた。
「パイクには魔獣となっても高い知能があったようだが、いや、果たして本当に魔獣となっているのかも分らんが、フラッシュは違ったようだ。 完全に狼の魔獣となり、同胞を襲った。 俺が止めねばならなかった。 終わらせねばならなかった。 だが、最後の最後で俺は出来なかった。 結果、フラッシュを取り逃がしてしまった。 俺は、戦士として、兄として、やるべきことが出来なかった。」
絞りだすように言うと、黙り込んでしまうヴォーグ。
その話を聞いていて、竜人の頭に一つの出来事が浮かぶ。
もしかすると、ヴォーグと戦闘になるかもしれないが、この浮かんだ疑念を素直に話した方が良いだろう。
この不器用な男に、隠し事や嘘は出来るだけ避けたい。
ヴォーグは、そう思わせるようなまっすぐな男だった。
「ヴォーグさん、こちらからお話ししたい事があります。」
急になんだ、という様子ではあるが、竜人に向き直るヴォーグ。
「以前、この街から少し行ったところで魔狼が出た、という情報がありました。 そこで、ギルドから討伐依頼が出たんです。」
そこまで聞いたところでヴォーグはガタリと立ち上がる。
「どこだ!? その狼の居場所は分かっているのか!」
竜人に詰め寄るその様は、何としてでも弟を見付けようという意志の表れだったのだろう。
「聞いて下さい。 俺たちは、その依頼を請けました。 そして
そこまで聞いたところで、ヴォーグは色々と察したようだ。
力が抜けたようにそのまま座り込んでしまった。
話の途中だったが、竜人は一旦話を切る。
暫く待つと、ヴォーグが顔を上げ、先ほどの話の先を促してきた。
「... では、先ほどの続きですが。 依頼を請けた俺たちは、魔狼と戦い、殺しました。 その魔狼がヴォーグさんの言っている弟さんなのかまでは分かりませんが、デカくて速くて、強かった。 雷の魔法まで使っていました。 強敵でしたし、俺にとっても学ぶものが多い相手でしたので、魔石を売らずにとってあります。 ご覧になりますか?」
「魔石には魔力が詰まっている。 現物があれば、俺ならフラッシュの匂いが分かるかもしれない。」
「分かりました。 ちょっと待っててください。」
竜人は席を立つと、階段を上って部屋へと戻る。
扉を開いて中に入ると、二人がう~う~と唸りながら腹をさすっていた。
「ホント、二人ともよく食べたもんだ... シェリー、今回の御馳走でご褒美はもう十分だよね? こんなになるまで、十分に食べたんだし。」
そう言ってベッドに仰向けになっているシェリーの腹をツンツンと突っつく。
「そんなのダメよ! ちゃんと御褒美は、って、待って待って! ツンツンしないで!!」
そんなシェリーの姿を見て、「アタシみたいにちゃんと活躍しないで食べちゃうからいけないのよ。 何もしないで身動きできない程食べちゃうなんて、御褒美なしでもしょうがないわね!」と、シェリー同様仰向けになって身動き出来ずに言っているアリスの腹を、ツンツンする。
「アリス、俺は言ったよな? さっきご飯食べたばっかりだし、ヴォーグには報酬はいらないって言ったんだから、加減して食べるように、って。 それが、ねぇ... それに、大森林では突っ走ってルークに捕まってたような?」
「ぐむむっ! あの時は、ちょっと頭に血が上って... あぁっ! 押しちゃダメ~!」
はぁ、とため息をつき「まぁ、美味しいご飯を食べられて幸せ一杯なんだろうから、二人ともしばらく大人しくしときなさい。 次の食事から、量は控えてもらう様に親父さんに言っておくから。」と告げる。
まだまだ満腹状態にもかかわらず、次回以降の食事を制限されると聞いて恨めし気なうめきと反論を上げる二人を無視して、荷物から大事に布に包んである魔狼の魔石を取り出す。
改めて見ても、やはり大きい。
それを持って食堂に戻ると、布に包まれたままの魔石をヴォーグに手渡した。
包みを広げた瞬間にヴォーグは静かに目を閉じると、「間違いない。 フラッシュだ。」と言った。
「そうでしたか...」
何と声を掛けて良いのかも分からず、黙り込んでいると、ヴォーグが竜人に礼を言った。
「我が村が出してしまった不始末を片付けてくれたこと、村を代表して礼を言う。 そして、そんなこととは知らなかったとはいえ、弟の一部であるこの魔石を、これほど丁重に保存していてくれたこと、兄としても感謝する。」
深々と頭をさげるヴォーグ。
「竜人さん程の者に強かった、と言われるようになったとあれば、魔獣になってしまったとはいえ、フラッシュも喜んだことでしょう。 アイツはあまり身体が強くなかったので、強く大きくなることに憧れていた。」
「えぇ、さっきも言いましたが、強かった。 俺が出会った中でも、指折りの相手でしたよ。 素早い動きと雷撃で、俺の腕は穴だらけにされたほどですから。」
「しかし、弟を葬ったのがあなたで良かった。 力を手に入れ、本当に強い者と戦い、そして死んだ弟は、経過はどうであれ、立派な男として逝けたと思う。 竜人さん、代わりのものは何でも用意する。 この魔石を俺に譲ってくれないか?」
そういって、再び頭を下げるヴォーグ。
「頭を上げてください。 今日までその魔石を取っておいた理由がやっと分かりました。 売りたくないし、魔道具にもしなかった理由が。 きっと、あなたの下に帰すためだったんですね。 そう言うことにしましょう。」
「感謝する。 このヴォーグ、竜人さんが求める時にはいつでも力を貸すと誓おう。」
「いや、気にしないでください。 俺としては、ヴォーグさんのような『友人』が出来て嬉しく思いますよ。」
「友人、か。 ならば友よ、改めて言おう。 俺の力が必要な時は、いつでも力を貸す。」
「こちらも、あなたが困っている時には力を貸しましょう。 きっと上で唸ってる二人も同じことを言いますよ。」
そう言って竜人は手を差し出す。
ヴォーグがそれに応え、ガッチリと握手を交わす。
こうして竜人に、新しく心強い友人が増えたのだった。
「ところで、もう一人のパイクという狼族の話ですが...」
新たな友の、もう一つの懸案事項。
人間の街に向かったという魔獣人。
おそらくはルークと同様、超獣となっているとみて良いだろう。
気になるのは、ルークのように妄想や執着に囚われているように思えないこと。
むしろ、広い視野を得るために、学ぼうという柔軟性すら感じる。
ヴォーグは、人間から学ぶといったパイクを見付けるために、彼の知る中で最も大きな人間の街、オークランにやってきたらしい。
ヴォーグに勝つほどの強者が見つかれば、もしかするとその者にパイクも教えを乞うたかもしれない、と。
その試みは、残念ながらピョール、アリスという対戦相手の中にはおらず、失敗となった訳だが、竜人と出会えたことは僥倖と言えた。
竜人としても、ルークのような者が他にもいると知った以上、ボーンに伝えておいた方が良いとすでに考えていた。
結果として、王国全体へとパイクの捜索網が広がる事となり、意外な場所で彼を発見することとなる。
そしてパイクの存在は、後に竜人一行に、その中でも特にアリスに、大きな変化をもたらすこととなる。
が、お腹がパンパンなアリスはまだ、そのことを知らない。
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